第二話
僕の母は日本人だ。
正確には、僕と母には血の繋がりはない。僕を産んだ女性は、僕と父を残して家を出た。その時、僕はまだ1歳だった。
僕が3歳の時、父は日本から来た若い女性と恋に落ち、彼女が僕の母となった。初めて母に会った日のことは、子供心になんとなく覚えているような気がする。母と父は事実婚の関係性だったし、僕たちに血縁がないことは幼い頃から両親に聞かされていた。
でも、そのことを特に気にしたことはなかった。母は僕の母であり、僕は母の息子。それは僕にとってあまりにも当然のことで、深く考えようとも思わなかった。
父は外資の企業でコンサルタントをしていた。
仕事は随分忙しいようで、彼は家を留守にすることが多かった。夜遅くまで帰らず、毎週のようにドイツやフランスへ出張。数ヶ月の間、国外に滞在することもあった。そのため僕は、子供時代のほとんどを母と二人きりで過ごすことになった。
母は献身的で強い人だったと思う。毎朝僕を学校に送り出すと、11時から17時まで近くのアジアンレストランで働き、帰宅後は夕飯を作り、その後には僕の宿題を見てくれた。僕が熱を出した時には、一晩中隣で看病してくれた。
母は僕に日本文化を特別に教えようとはしなかったけれど、家の中で日本語を使うという決まりだけは絶対に譲らなかった。母との会話が世界の中心だった小さな頃、僕はスウェーデン語より日本語の方が得意だったそうだ。でも幼稚園に行き始めると、あっという間に僕の第一言語はスウェーデン語になってしまった。
「あなたはいつも『もう日本語は話したくない!』と癇癪を起こしていたのよ。」
いつだったか、母がそんなことを話していた。
そんな僕も大人になった今では、母が家庭内の日本語を諦めなかったことに感謝している。話せる言語は多いに越したことはないし、それに何より母は僕と、彼女の母国語で会話をしたかったのだ。それは僕にとって意味があることだ。