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わかれ道

 ヘイゼルは従者の手を借りて馬車を降りた。

 茶会に久しぶりに招かれ、多少の緊張感と同等の期待感があった。

 二人目の出産は一人目より早く終わったが、体力の回復は遅かった。しかし、待望の跡取り息子を生んだヘイゼルの為に夫の両親は、滋養のある食材を取り寄せてくれ、評判のよい乳母も雇ってくれた。夫には兄弟がいない為、ヘイゼルには過度の期待が寄せられていたが、これで肩の荷が少しばかり降りた。

 社交界デビュー前より親しくしていた友人が庭の薔薇が見頃だからと招いてくれたが、出産準備の為、外部とのやり取りは手紙だけだったから、気ままにお喋りができるのが嬉しい。

 中庭がよく見える部屋に案内され、挨拶を交わす。

「いやだわ、わたくしが一番遅くなっちゃって」

 くすくすと笑い声が上がる。

「違うのよ、わたくしったら、約束の時間を間違えちゃって」

「まあ」

「わたくしは薔薇のジャムを使って欲しくて早めにお邪魔したの」

「以前にいただいたあの?」

「ええ、あのジャムよ。とても良い仕上がりになったの」

「楽しみだわ」

「そんな事で、皆、早かっただけなの」

 お互いの近況に知り合いの現在の状況。そんなものについて語っていると時間はあっという間に過ぎていく。出されたお茶は既に何杯もおかわりしているし、指先で摘んだ菓子はすっかりテーブルから消えた。薔薇のジャムはクリームと一緒に小さめのケーキに添えられていた。薔薇の香りを食べているような気がして、暫く誰もがお喋りをやめ余韻に浸っていた。

 お茶会の終わりというのは、寂しさがある。これが家の関係で参加したものならば、ほっとするだろうが、気のおけない友人達とのお茶会だ。名残惜しい。

「ヘイゼル、あなたに話しておかなければいけない事があるの」

「あら、なにかしら?」

「あのジェネシスが帰ってきてるのよ」

「え?」

「アルバカーキ家はジェネシスに半年は置いてやるが、それ以降は子供と一緒に出ていけと言っているらしいの」

 ジェネシスはヘイゼルの夫、ジェイデンの婚約者だった女性だ。生まれた時から家同士での話し合いで決まったそうだ。

 しかしジェネシスはこの国にやって来た他国の外交官と恋に落ち、その外交官についていったそうだ。

 当時、その醜聞は社交界でも話題になったそうだ。ヘイゼルがその話を聞いたのはジェイデンとの婚約が決まり、顔合わせの日程が決まった日だ。

 ヘイゼルもまた別の男性と婚約していた。しかし、その人は結婚の日取りをそろそろ決めようとしていた時、馬車の事故に合い、そのまま帰らぬ人となった。

 つまりジェイデンとヘイゼルは別の人と婚約していたが、できなくなった為、急遽、婚約が決まったのだ。




 自宅に戻り、子供部屋を覗くと義母が長女に絵本を読み聞かせていた。長男は乳母に抱っこされながら眠っていた。

「おかーしゃま」

「ああヘイゼル、おかえりなさい」

「ただいま帰りました」

 絵本を読み終わるのを待って義母と部屋を出る。長女は今度は自分で読むそうだ。

「聞いたのね、あの女の事」

「はい」

 以前は娘のようにかわいがっていたそうだが、あの女、という言葉に憎しみを感じた。

「何があっても当家の跡取りは変わりません。ヘイゼル、あなたの生んだ子がジェイデンの跡を継ぐのです。アルバカーキがどんなに好条件を出してもそれは変わりません」

「はい」

 このクリーブランドは義母の生家だ。義父は入婿だ。だから子供がジェイデン一人でも、養子の話はあっても妾の話はない。

「少し顔色が悪いわ。もう休みなさい」

「はい」

 ジェイデンとの結婚生活は穏やかなものだった。共にその穏やかさを望み、作り上げたのだ。




 夫婦で夜会の参加が決まったのはあの茶会から十日程経っていた。

 久しぶりの夜会の為に手持ちのドレスのサイズ調整の為、手を加えた。出産前のサイズにまだ戻れていないからだ。

 友人達からもらった情報以外にも、実家を通じて情報を集めたところ、ジェネシスは二人の子を生んでいた。上が男の子で下が女の子だ。そのうち女の子だけを連れて実家に戻ったようだ。

 ジェネシスは以前、交友関係があった人を中心に連絡を取っているようだが、なかなか再婚前提の話が進まないようで、ジェイデンに連絡を取ろうとしているようだ。ジェイデンの妾になるという事ならまだしも、ヘイゼルを追い出す気のようよ、と何人かに忠告された。

 そんな中、クリーブランドは静かだ。いつもと変わらず平穏な日々をおくり、夜会の日を迎えた。




 夫のジェイデンにエスコートされ夜会の会場に足を踏み入れると、注目されている、と感じた。皆、事情を知っているのだ。いくつもの興味津々な視線に足が竦みそうになるが、ジェイデンのいつもと変わらぬ微笑みに足の力を込め、進んだ。

「ジェイデン!」

 呼びかける声は記憶の片隅にあるものよりいくらか甲高い。

「久しぶりね、ジェイデン!」

「ヘイゼル、久しぶりだ。踊ろう」

 ジェイデンは呼びかけに顔を向ける事なく、にこやかに誘った。

「ええ、そうね」

「ジェイデン!待って!」

 流れている音楽に合わせて踊り始める。

 初めてジェイデンと踊った時、踊りにくい、と思っていた。以前の亡くなった婚約者と比べてばかりいて、いつも泣いていた。

 しかしジェイデンはヘイゼルに無理強いする事なく寄り添ってくれた。

 感謝の気持ちが少しずつ大きくなって、結婚も前向きになれた。

 今では安心して踊れる相手だ。

 騒ぎ立てるジェネシスはこの屋敷の主人の命により、使用人たちに追い出されていった。ヘイゼルは視線の片隅でそれを確認したが、ジェイデンはそれすらもしていなかった。




 夫婦の寝室に入るとジェイデンは既にベッドに腰掛けていた。

「よろしかったの?彼女の事」

 使用人の前では聞けなかった事だ。ジェネシスの事をどう思っているのかヘイゼルは聞いた事がない。

「ああ、もう私には関係のない人だ」

 ジェイデンは隣のスペースは軽く叩いた。その場所へ腰掛ける。

「私達の婚約が決まった時、貴女はかなりやつれていた」

「ええ」

 葬儀に参列したのは婚約者としてでない、ただの参列者としてヘイゼルは花を手向けた。貴族の娘として、政略結婚の駒として、亡くなった婚約者にいつまでも思いを捧げてはいけないと言われ、墓参りも許されず、次の婚約が決まってしまった。

 ジェイデンの両親も似たようなものだろう。相手を探そうにも年齢的に釣り合う女は少ない。そこへ婚約者を亡くした身分的にも釣り合う女がいたら逃したくないはずだ。

「貴女は婚約者の横でいつも幸せそうに微笑んでいたから、一瞬、別人かと思っていた。羨ましい、と思ったよ。同じ政略なのに、相手に逃げられた私と、やつれる程に思ってもらえる彼」

「ジェイデン……」

「貴女をこれから大切にすれば、いつかは同じように微笑んでくれるだろうか、なんて考えていた」

「まあ、では、お墓参りに連れて行ってくださったのも?」

「ああ」

 元婚約者の家に連絡を取り、一度だけ連れて行ってもらった。花を手向け、一緒に紋章を刺したハンカチを置いた。

「嬉しかったわ。あの時、あなたに無理に忘れなくても良いと言っていただけて」

「一年や二年の婚約ではなかったはずだ。今の貴女を作り上げたのは彼の存在もあるだろう。忘れてしまってはもう別の存在になると思ったんだ。そう、あの彼の事を思いながらも貴族の娘としてきちんと果たそうとしている貴女を大切にしたいんだ、私は」

「ジェイデン……、ご存知?わたくしは友人達から、羨ましいと言われているのよ?」

「羨ましい?」

「ええ、亡くなった婚約者に大事にされ、結婚相手にも大事にされている。政略だというのに、二人の殿方に愛されているって」

 墓参りが終わってから馬車に乗り込み、涙が止まらなくなった。新しい婚約者に以前の婚約者の事を忘れなくてもいいと言われ、救われた気持ちだった。親すらも許してくれない事を将来の夫は許してくれる。ならば、ヘイゼルはジェイデンを助け、クリーブランドの家を守ろうと決意した。

 ダンスも踊りにくいと思っていたが、いつの間にか感じなくなっていた。幾度も踊り、理解し合うまで語り合った。

 あの日、ヘイゼルは生まれ変わったのだ。

「感謝しているわ。子供にも恵まれたし、わたくしは幸せものよ」

「ヘイゼル」

 ベッドの上で抱き合った。

 寝巻き一枚の上に感じる体温が温かく、ほ、と息を吐く。

 ジェネシスはなんて愚かなのだろう。一時の感情で全てを捨てるなんて。下調べも相手の家の調査もなにもせず、乗り込んだとしてもうまくいくはずがない。しかも他国だ。頼れる人物もいないのだ。

 しかしジェネシスの軽はずみな行動のおかげでヘイゼルの幸せな生活がある。

 人生、分からないものだ。




 ジェネシスの現状が不安定なのは、間違いなくジェイデンより別の男を選んだ事だろう。それが一般的な貴族女性の道を外れた瞬間だ。

 ヘイゼルの幸せはあの墓参りでジェイデンとの結婚に前向きになった事だろう。

 あの日、別の選択をすれば今、環境は違ったものになっている。

 運命というものがあるならば、あの日こそが運命の分かれ道、というものだったに違いない。





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― 新着の感想 ―
[一言] しっとりとした良いお話でした お話の中の素敵な空気に浸れて幸せです ありがとうございました
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