第六話 出会い
時計塔の階段は思っていたよりも長かった。塔の内壁に設置された螺旋階段を延々と登り、ようやくたどり着いた最上階からは夜の街が一望出来た。
旧王都も大きかったが、首都アルタはそれ以上だ。この街だけでも一体どれだけの人が居るのか想像もつかない。そんな広い世界の中からたった一人、顔も名前も分からない相手を見つけ出す。
「本当に出来るのかなあ……」
無意識に口から出ていた弱音にサフィは自分の両頬をパンッと叩く。
いけない、いけない。まだ、旅は始まったばかりなのに。
こういう時は……。
サフィは両手を握ると静かに目を瞑った。すると彼女の体が仄かに発光し、目の前に小さな光の玉が浮かび上がった。
自分の魔力に形を与える魔法の初歩――束光。魔法使いなら誰もが使えるそれはサフィにとって精神統一の手段でもあった。
手の平をそっと前に広げると、その上に薄紫の小さな光がまるで生き物のように舞い降りる。今日の光がいつもより揺らいで見えるのは、きっと気のせいではないだろう。魔法は使い手の精神状態に大きく影響を受ける。それでも文字通り自分の心のようなその光を見ていると段々と気持ちが落ち着いて来るのが分かった。
「誰だ?」
「ひゃっ!」
急に聞こえて来た声にサフィの肩が跳ね上がった。
「ここで何をしている?」
「ご、ごめんなさい」声の方に振り向くと、軍服を着た男が立っていた。「私、この街に来た初めてで……。何となくここに登ってみたんですけど。もしかして、勝手に入っちゃダメでしたか?」
詰問する声にサフィは頭を下げながら弁明した。
だが、いつまで経っても返事が返って来る気配はなかった。怪訝に思ったサフィがゆっくりと顔を上げると、男は呆けた表情でこちらを見つめていた。束光に照らされたその顔をよく見るとサフィとそう年の変わらない少年のようだった。
「あ、あのー。どうかしましたか?」
「え? あ、いや。何でもありません」
急に敬語?
一体、どうしたのだろう?
さっきまであんなに威圧的だったのに。
「僕はここの軍人なんですが、ここから光が見えたものですから……」少年は何故か落ち着かない様子でそう言うと、遠慮がちにこちらへ視線を送って来た。「あの、ここで何をしていたんですか?」
「何って……。だから何となくです。見晴らしが良さそうだったから」
「そうですか」
「あの、やっぱりここって入っちゃいけませんでした?」
「いえ、そんなことは。ここは一般開放されている場所なので構いませんよ。ただ、夜は視界も悪くなるからあまり人は立ち寄りませんけど」
「そうなんですか? もったいないなあ……」
「もったいない?」
「だって、こんなに素敵な景色を独り占め出来るんですよ?」
サフィはそう言って塔から見える景色に手を向けた。その向こうには、街を彩る無数の光がまるで星空のように瞬いていた。この光のすべてに人の営みがある。そう思うと少しだけ安心することが出来た。一人旅に出て、気持ちが弱っていたのかもしれない。故郷の村ではいつも周りに人が居たから。
「……これが僕の守らなければならない景色です」
「え?」
「実は僕もたまにここへ来るんです。仕事が上手く行かなかった時なんかに」
「そうですか。何となく分かる気がします。この景色を見ていると、気持ちが落ち着いて来ますよね?」
「ええ」少年は頷くと、サフィの方を見る。「ところで自己紹介がまだでしたね。僕はナッシュ・ホーネットといいます。見ての通り軍人です」
軍隊式の敬礼をするナッシュにサフィも小さくお辞儀をする。
「サフィ・ガーランドです。宜しくお願いします」
「サフィさん」
「サフィでいいですよ。多分、あなたの方が年上でしょうし。敬語も不要です」
「そう? それなら遠慮なくそうさせてもらうけど?」
「ええ。その代わり、私もナッシュさんと呼ばせてもらってもいいですか?」
「僕も呼び捨てでいいよ。それより、もう一つ訊きたいことがあるんだけど?」
「何ですか?」
「サフィは魔法使いなの?」
「ええ、そうです」
「そうすると、もしかしてサフィも軍人?」
「いいえ。確かに私は魔法使いですけど、軍人じゃありません。というより、この国の人間でもありません」
「そうなんだ。じゃあ、何でこの国に?」
「人を探しているんです。この国のどこかにいるかもしれなくて」
「名前は? もしよければ、軍の伝手を使って調べてみるけど」
「ありがとうございます。でも、ごめんなさい。実は相手の顔も名前も分からなくて」
「それでどうやってその人を探すの!?」
呆れた表情を浮かべるナッシュに、サフィは思わず吹き出す。
「あ、ごめんなさい。つい最近、別の人にも同じようなことを言われたものだから」
「そりゃあ、そうだよ」
「ですよね」
「何かほかに手掛かりとかは?」
その問いに、サフィは唯一の手掛かりである壊れた懐中時計のことやその時計を修理するためにこの街に来たこと、そして探していた職人がすでにここを去っていたことを伝えた。
「……結局、振出し。中々、上手くは行きませんね」
「その時計職人って、もしかしてプレデューソって人?」
「知ってるんですか?」
「知ってるって言うか、有名人。偏屈で変わり者だから」
「どこに行ったかは知りませんか?」
「ごめん、そこまでは……」
「そう、ですか」
「あ、でも待てよ。もしかしたら、あいつなら……」
「あいつ?」
「僕の同僚でハンザって言うんだけど――」
――カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カン、カーンッ!
唐突に、遠くから鐘の音が鳴り響いた
「何?」
サフィが音のした方へと目を向けると、ナッシュが神妙な顔つきで答える。
「怪物が出たんだ」
「怪物!?」
「ごめん、僕、行かないと。あと、危ないから絶対にこの街から出ないように!」
「え、でも……」サフィが何かを言う前に、ナッシュは塔の最上階から飛び降りる。「ちょ、ちょっと!」
慌てて塔から下を見下ろすと、青白い光に包まれたナッシュが静かに着地するところだった。
あれは風……、いえ、重力魔法ね。
意外。
あの人も魔法使いだったのね。
思いがけない事実にサフィが目を見開いているうちに、ナッシュは街の闇へと紛れて行く。
大災厄の後、外の世界にも魔法使いが増え始めたということはサフィも知っていた。だが、彼らの扱うそれは体系的にも技術的も洗練されたものではないと聞く。果たして、怪物との闘いにおいて十分な運用が出来ているのか。
ちょっと興味が沸いて来た。
サフィは軽やかな足取りで塔から足を踏み出すと、ナッシュとは真逆の上空へと向かって飛んで行った。