第五話 夢
午後の訓練は最悪だった。
新人のようなミスを連発し、終いには上官にまで心配されてしまった。その様子にハンザが笑いを堪えていたのが、余計にナッシュを腹立たせた。
いつもなら軍の訓練後は自主鍛錬に励むのだが、今日はそんな気分にもならなかった。ナッシュはさっさと自宅に戻ると、夕食も摂らずにベッドに倒れ込んだ。
心地よい疲労感に瞼を閉じると、昼に見かけたあの少女の姿が浮かび上がって来た。ほんの一瞬見えただけの横顔。屈託のないその笑顔がどうしようもなくナッシュの気持ちを搔き乱していた。
「……はあ」
ナッシュは深く溜息を吐く。それが自分の口から出たものだと気付くと、更に気分が重くなった。何たる醜態だろう。これではハンザに勘違いされても仕方がない。鬱屈した気分のままベッドに突っ伏しているとやがて眠気が襲って来た。
意識が暗闇に飲み込まれ、やがて見覚えのある光景が瞼の裏に広がる。
そこには、温かい食事を囲みながら楽しそうに話している家族の姿があった。町一番の鍛冶師だった父親は筋骨隆々としており、見た目通り豪快に笑う人だった。母親は家の誰よりも早く起きて家事と畑仕事を切り盛りしていた。甘えたい盛りの妹はナッシュが父親の剣を持ち出して素振りをしていると、いつもそのあとをついて来た。
小さな町の鍛冶師の家だった。決して裕福とは言えなかったが、それでも笑顔が絶えない家族だった。その暖かい空気に触れ、ナッシュはこれが夢であるとすぐに気が付いた。だが、体は自分の言うことを聞かず、手が勝手に料理を口に運んでいく。過去の自分を俯瞰するようなこの感覚は何度体験してもあまり気分の良いものではなかった。
やがて食事の時間が終わると、ナッシュは夕涼みに家の外へ出た。
すると、
『わたしもいく』
妹がナッシュの後を追って来た。
『だめだ。ついて来るな』
『なんで? わたしもいきたい!』
『だめなものはだめなんだ!』
この頃のナッシュは何かと自分の後をついて来る妹を疎ましく思っていた。だから後を追って来る妹を置き去りにして走り出した。
あの時、なぜ自分はあんなことをしてしまったのだろう。
妹はただ甘えていただけなのに……。
ナッシュが唇を噛み締めた直後、彼の後悔を追うようにして、途轍もない閃光が視界一杯に広がった。次いで凄まじい轟音が鼓膜を突き抜け、気が付くとナッシュは爆風に吹き飛ばされ瓦礫の中に埋もれていた。
小さな体を精一杯に動かし、どうにか瓦礫の中から脱出する。しかし、そこで目に飛び込んで来たのは、変わり果てた町の姿だった。あちこちで黒煙が上がり、さっきまでそこにあったはずの家々が見るも無残に破壊されていた。
一体、何があったのか。ナッシュは訳も分からないまま大声で家族を呼びながら家の方へと走った。だが、聞こえてくるのは耳を塞ぎたくなるような悲鳴ばかりだった。血と肉の焼ける匂いが鼻につき、あちこちに目を覆いたくなるような人の死体が転がっていた。
町中が阿鼻叫喚に包まれていた。
『……う、ぅぶっ』
耐えきれずナッシュは胃の中身をぶちまけた。夕食のスープに入っていた鴨肉を見て、再び、嘔吐した。涙と鼻水と舞い散る煤に顔を汚しながら、それでもナッシュは懸命に足を運び続けた。家に戻ればきっと家族が待っている。何の根拠もなかったが、そう信じることだけがナッシュの足をかろうじて動かしていた。
――行くな。
無意味と分かっていてもナッシュは心の中でそう叫んだ。だが、足は勝手に自分の家へと向かって行く。
そして、本当の地獄を見た。
家の前には見たこともない怪物が立っていた。成人男性の三倍はある巨大な体は大理石のように白く、六つの足を持っていた。その頭部には目も鼻も耳もなく、大きな口だけが開いており、その口から人の腕が飛び出しているのが見えた。
『……父、さん?』
違う、そんなはずはない。
ナッシュは必死に否定しようとしたが、あの腕は間違いなく父のものだった。ナッシュを軽々と抱き上げていた父の逞しい腕が怪物の口に飲み込まれて行く。その光景を成す術もなく見つめていると、揺れる視界の端に母の死体を見つけた。
怪物に踏み潰されたのか母の体は腹部から二つに分かれていた。その傍には妹が大事にしていた人形が転がっていた。ナッシュが妹の誕生日にあげた出来の悪い手作りの人形だった。
『なん、なんで、こんな……』くぐもった声が口から零れる。『なんなんだよ、これはあっ!』
全身が総毛立ち、恐怖すらもかき消す程の怒りが沸き上がった。目の前にいるあの怪物、あいつだけはどんな手を使ってでも殺してやる。
その殺意を感じ取ったのか、怪物の顔がこちらを向く。目なんかどこにもないはずなのに、こちらを睨んでいるのが分かった。それでもナッシュに引く気は毛頭なかった。
視界の端に血に塗れた剣が転がっているのを見つけたナッシュは、全力で駆け寄るとその剣を手に取り怪物に斬りかかろうとした。
それは無謀としか言いようのない特攻だった。まだ子供のナッシュには、その剣はあまりに重く、振りかぶっただけで体がふらついた。
『うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!』
すべての力を振り絞るように声を上げ、ナッシュが怪物に斬り掛かる。だが、闇雲に振ったその剣は怪物の体にぶつかると、傷一つ付けることなく弾き飛ばされた。
無様に這いつくばったナッシュが、次こそはと顔を上げる。そこには死を象徴するような怪物の大口が広がっていた。
……だめだ、助からない。
ナッシュは一瞬でそう悟ったが、死の恐怖よりも怪物への憎しみが次々に溢れて来た。
くそっ、こんなやつに、みんな殺されて……。
ちくしょう……、ちくしょうっ!
殺してやる!
絶対に、殺してやる!
眼前に迫る死を前に、ナッシュの目に悔し涙が滲む。
その時だった。
澄み切った鉄の音が鳴り響き、巨大な怪物の体が頭から真っ二つに両断された。
『――無事か、少年?』
「……どうしてあの日の夢なんか」
ゆっくりと瞼を開けナッシュは呟く。気が抜けていた自分への戒めだろうか。ナッシュは汗でべたついた服を着替えると家の外に出た。
日はすでに落ちていて、真冬の夜風が肌に突き刺すように吹き付けて来た。だが、頭を冷やすにはちょうど良かった。
家族を失ったあの日。国中で多くの悲劇が生まれた。大災厄と呼ばれる怪物の大量発生。市民は元より王家の人間もほとんどが怪物の手によって殺された。
ナッシュが生き残ったのは本当にただの偶然だった。偶々、軍の仕事か何かで町の近くを通り掛かった正騎士に命を救われた。
その時、ナッシュは何故もっと早く来てくれなかったのかと理不尽な憤りを覚えた。だが、その怒りの矛先はすぐに自分へと向けられた。何も出来なかった弱い自分に。
もしあの時、自分にもあの正騎士のような力があったら。
無意味と分かっていてもそう考えずにはいられなかった。
やがてその思いがナッシュを剣の道へと駆り立てた。
いつか自分もあの男のように。
妄執にも似たその思いがナッシュをリンドベル軍に入隊させ、未だに彼を剣の道に縛り付けていた。
しばらく街の中を歩いていると、少しずつ頭も冷えて来た。目的もなく部屋を出たが、食事をするにはちょうどいい時間帯だ。この辺にどこかいい店はなかったか。そんなことを考えていると、前方に時計塔が見えて来た。首都に来たばかりの頃はよくあの塔に登り、ここが俺の守る場所だと街の様子を眺めたものだ。
その時計塔の最上階から微かに薄紫の光が漏れ出すのが見えた。
「ん? あれは……」
魔法の光?
何故、あんなところで。
軍の関係者だろうか?
「……念のため、確認しておくか」
ナッシュは様子を確かめるため塔の最上階へと向かった。