第七十二話 零等級
一体目の怪物を倒した後、ステインは中央広場へ向かっていた。あの周辺には酒場も多く、もっとも被害が大きくなることが想定された。アイナが避難誘導を買って出たが、経験上、まだ多くの人たちが残っている可能性が高い。だからこそ、一刻も早くその場に駆け付ける必要があった。
しかし、事態はそれを許さなかった。
薄暗闇の中、視線の先に眩い光が浮かんだかと思うと、とてつもない衝撃がステインを襲った。
「ぐっ!」
ステインは咄嗟に剣を抜くと衝撃を受け止める。
だが、先の戦闘で著しく体力を消耗していたせいで、遥か後方へと吹き飛ばされてしまった。
「……何だ、今のは?」
剣を構えたままステインは前方へと目を向ける。
すると、そこに真っ白な体の子供が立っているのが見えた。
子供はステインと目が合うと、にっこりと笑顔を浮かべた。
その悍ましい笑みには見覚えがあった。
「まさか、よりにもよって零等級か……」
リンドベル共和国は怪物の戦力を一から五の等級に区分しており、討伐に要する兵力によって定めていた。それは言い換えれば、数さえ用意すれば討伐は可能であるということでもある。
しかし零等級は違う。通常の兵力をいくら投入しても決して討伐出来ないまさに災害に等しい存在であり、大災厄の根本的な原因とさえ言われていた。一騎当千と言われたあのエストフィア王国の正騎士たちでさえ、零等級の前に何人もがその命を落とした。
「……悪夢だな」
ステインがそう呟くと、剣が煩わしいほど明滅を繰り返した。
おそらく逃げろと言っているのだろう。
それを察したように怪物が口を開いた。
「あれ? もしかしてキミ、精霊使い?」
「だったらどうした?」
「ああ、やっぱり! どうりでいい匂いがするわけだ。顕現早々、こんなごちそうにありつけるんだったら、つまみ食いなんてしなければ良かったかな?」
「つまみ食い、だと?」
「うん。さっきちょうどいい所に餌があったから食べちゃったんだ。でも、あんまり美味しくはなかったなあ」
よく見れば、怪物の後方に人間の下半身が転がっていた。その死体が履いている靴は、ステインと同じく町の警護をしている若者のものだった。つい先日、彼女が出来たと嬉しそうに話していた若者の顔を思い出し、ステインは全身の血が沸騰するのを感じた。
「やってくれたな!」
怒気を漲らせた声と共にステインが剣を振り抜く。
空を裂き、地を抉る斬撃が隙だらけだった怪物に直撃し、その体を粉微塵に打ち砕いた。
あっという間の決着。
全身全霊を持って放った一撃にステインが疲労を吐き出すように剣を地面に突き立てる。
いかに零等級と言えど、今の攻撃を食らって無事であるはずはない。
勝利を確信し、大きく息を吐き出したステインはそこでありえないものを見た。
「……ケホッ、ケホッ。ひどいなあ、いきなり攻撃するなんて」
土煙を片手で払いながらそう言った怪物には、まったく堪えた様子が見られない。
確かな手ごたえを感じていただけにステインは凝然とした。
「……こいつ」
慌てて距離を取るステインに、「あー、なるほど」と怪物が頷く。
「何となくキミの正体が分かったよ」
「なに?」
「前に似たような力を使う奴らと戦ったことがあるんだ。えーと、何て言ったかな? 確か、おうこく何とかってやつだったけど……。でも、そいつらに比べると今の攻撃は全然大したことないね」怪物はそう言うと、ステインをじーっと見つめる。「おや? キミ、契約に綻びが見えるね? もしかして精霊に嫌われちゃったのかな?」
「貴様には関係ない」
「まあ、そうだね」
怪物の言動は、ステインをまったく脅威とみなしていなかった。戦闘中であるにも関わらず、時折、視線を別の所へ彷徨わせては楽しそうに口を歪ませていた。
完全に嘗められている。
怪物でも人間でも、このように他人から見下されるのはいつ以来だろうか。
とうに無くしたと思っていた自尊心が揺さぶられるのを感じ、ステインはらしくもない台詞を口にした。
「今のは小手調べだ」
「ふーん。だったらさっさと本気を出した方がいいよ」怪物はそう言うと、全身からどす黒い殺意を発散させる。「でないと、すぐに終わっちゃうから」