第六十四話 精霊の気配
ステインたちが戦闘を終えた頃、遠く彼方の空を楽しげに見つめる者が居た。
「あら? どうやら蓋が開いてしまったようね」
嫣然とした笑みを口元に浮かべたその女は、長い黒髪を揺らしながら傍のソファに腰掛ける。
その様子を見つめながら、レズモンド・フォン・ランドールが問い掛ける。
「蓋とは、マレボジェの蓋かね?」
「ええ」
「それはつまり、ウズネラのオリジナルが使われたということか?」
「そのとおりよ、レズモンド。……再封印するのも楽ではないのに、一体、誰が悪さをしたのかしら?」
「考えられるとしたら、軍のマーベリックだろうな」
「でしょうね。でも、その理由は?」
「大方、例のサフィ・ガーランドがエストフィア王家の血筋である確たる証拠を掴んだ、といったところだろうな。そうでなければ、態々、あんなものまで持ち出す理由がない」
女はレズモンドの返答に満足したように頷く。
「たかが小娘一人に大袈裟なこと」
「そう言ってやるな。あの娘の存在はこの国そのものを揺るがしかねない。マーベリックの奴も相当神経質になっているのだろう」
「あら、あなたはあの人のことが嫌いではなかったの?」
「嫌いだよ。だが、奴の気持ちも分からんではない」
「そう」女は心底興味なさそうに答える。「でも、少し困ったことになったわね」
「何がだい?」
「今回、災いが起こる地は港町プロント。あそこにはサフィ・ガーランドの時
計がある。そちらだけはどうにか回収したいところだけれど」
「ならば、あの男を使えばいい。まだ、プロントからそう遠くは行っていないはずだ」
「ええ、そうね」
「君のことだ。どうせすでに手を回しているのだろう?」
「ふふ、よく分かっているじゃない?」
「もう長い付き合いだからな」女との答え合わせをするような会話に、レズモンドは心地よさを覚えながら答えた。
「でも、少し心配だわ。あの子、優しいから……。些事に捕らわれて判断を誤らなければ良いのだけれど」
「そうだな」
これから起きるのは大災厄以来、最悪の事態となる。プロントだけならまだしも、近隣の集落にまで被害が及ぶだろう。一体、どれだけの命が失われることになるのか……。
マーベリックはあれの恐ろしさを理解してない。
「愚かだな……」
「何か言った?」
「いいや」肩を竦めてレズモンドが答える。「しかし、これでプロントも終わりか。あの町の景色は風情があって好きだったから残念だよ」
「……それはどうかしら?」
意味ありげに異論を唱えた女にレズモンドは首を傾げる。
「どういう意味だい?」
「今、あの町から私の嫌いな精霊の気配を感じたのよ」
「精霊の気配?」
「ええ……」
それまで穏やかだった女の表情に影が差す。
口元は笑みを形作っていたが、その目には激しい憎悪の炎が燃えていた。
それっきり女は口を閉ざし、夜は静かに更けて行った。