第一話 旅のはじまり
初めて見る外の世界に、サフィ・ガーランドは大いに刺激を受けていた。
きれいに舗装されたレンガ道、建ち並ぶ家や店舗はどれも整然としていて美しく、故郷の村では考えられないほど多くの人で賑わっていた。
だが、何より彼女の目を引いたのは、遠目からでもその威容が分かる大きな城の姿だった。
「……あれを人が作ったの?」旧王国の城下町、その大通りで棒立ちになりがならサフィは呟く。
故郷の村では見たこともない大きな建造物はまるで山のようだと月並みな感想が頭に浮かんだ。そういえば、あの城の前にはとてもきれいな庭園があると生前に母が話していた。サフィは好奇心に誘われるまま城のある方へと歩き出した。
城下町の景色は歩を進めるごとに赴きが変わり見ているだけで楽しかった。しかし、城の全容が見えてくると次第にサフィの足取りは重くなった。一般開放されている広大な庭園には、母の言っていたようなきれいな景色はどこにもなかった。
庭の所々には大きな陥没や焼け跡が見え、まるで戦争でもあったかのようだった。いや、実際にあったのだ。庭の中央に祀られた大きな慰霊碑を見て、サフィはここで何があったのかを思い出す。
『大災厄で犠牲者になった人たちの安らかな眠りを願って』
慰霊碑には、そんな言葉が刻まれていた。
かつてこの地に大災厄と呼ばれる悲惨な出来事があったことは、辺境の村の出身であるサフィでも知っていた。
もう十年以上前のことだ。まだこの国がエストフィア王国と呼ばれていた頃、突如として現れた怪物たちにより、国の至る所で甚大な被害が出た。それは今サフィが立っている旧王都も例外ではなく、王族や貴族を含め、そこにいた大勢の人が怪物に命を奪われた。
統治者を失ったエストフィアは解体され、後に王国評議会の生き残りにより国の再編が行われるまで混乱が続いた。その後、新たに生まれたのがリンドベル共和国である。
母や村の学校で教わった知識を思い出しながら慰霊碑を見つめていると、そこに一人の男性が献花を供えにやって来た。白髪の老人だった。彼はしばらくの間、険しい顔で黙祷を捧げていた。
やがて、祈りを終えた老人が顔を上げた時、偶然サフィと目が合った。
「……大きな慰霊碑ですね」
何と無しにサフィがそう言うと、「ああ」としわがれた声が聞こえた。
「だが、今じゃもうここを訪れる人間も少なくなった」
「そういえばこの周りにはあまり人が居ませんね。街があれだけ賑わっているから余計に寂しく感じます」
「だから誰も近づかないのさ」
「え?」
「ここは最早過去の歴史を語るだけの場所になったということだ。たったの十年余りで世の中は見違えるように変わった。今更昔のことを掘り返しても無益だと、あの大災厄を経験した人間は誰もがそう思っている」
「無益、ですか?」
その言葉にピンとこないのは、自分が部外者だからだろうか。サフィが首を傾げていると、老人が尋ねて来た。
「あんた、この街には何をしに?」
「観光と人探しです。観光については、亡くなった母が昔ここに住んでいたらしくて、私も自分の目で見てみたくなったんです」
「そうか。それで感想は?」
「まだ、少ししか見てないですけど街はきれいだし活気もあって、とても良いところだと思いました」
「そうか。それは良かった」老人は自分の街を褒められて気を良くしたのか、心なしか口調が明るくなった。「それでもう一つの人探しというのは? 役所に行ってみたのかね? 市民登録されていればすぐに見つかるはずだが」
「それが何と言うか……。実は相手の名前も分からなくて」
「なに? お前さん、それでどうやって人探しをするつもりだったんだ?」呆れた様子で老人が言う。
「一つだけ手掛かりがあるんです。私の持っている懐中時計なんですけど、魔法が掛けられていてその相手がどこに居るのか教えてくれるんです」
「なんだ、そんな便利なものがあるのか?」
「ええ、でも……」サフィはそう言って頷くと懐から懐中時計を取り出す。
その時計には大きな文字盤の中に、小さな文字盤が二つ嵌めこまれていた。それぞれの文字盤が異なった時間を刻む機構になっているようだったが、大きな文字盤と小さな文字盤の一つは針を停めていた。
「ん?」老人が眉を潜める。「……あんた、これ故障してるだろ?」
「そうなんです。だからまずこの子を修理しなくちゃいけなくて。それにこれは母の形見でもあるから……」
「そうか。それなら首都に行ってみるといい。あそこになら腕のいい時計職人も大勢いる。何なら儂の知り合いの職人に紹介状を用意してやろうか?」
「本当ですか!?」
「ああ」
「ありがとうございます。助かります」
「構わんさ。それより、早速だが儂の工房に行くとしよう」
「工房ですか?」
「そうだ。これでも鍛冶師の端くれでね」
老人はそう言うと街の方へと歩き出す。
その後を追いながらサフィはほっと息を吐く。
故郷の村を出て1週間。
思いのほか幸先の良いスタートが切れそうだった。