プロローグ3 首都アルタ
ナッシュ・ホーネットが剣士を目指したのは、今から十年前のことだった。
きっかけは一人の男。王国最強の剣士と謳われた人物に命を救われたナッシュは、いつか自分もあの人のようになりたいと願うようになった。
記憶の中にある男の背中を追い続け、来る日も来る日も剣の鍛錬を続けた。そして二年前、彼は見事、軍の入隊試験に合格した。このまま努力を続けていれば、いつかきっと……。
軍に入隊してからも、ナッシュが鍛錬を欠かすことはなかった。剣を振ることは最早彼にとって生活一部となっていた。しかし、同僚たちはそんな彼を見ると決まって哀れみの視線を向けて来た。
別に他人にどう思われようと知ったことではない。だが、あまり気分の良いものでもなかった。だからナッシュは普段は人目につかない所で剣を振っていた。
今日もそのつもりで秘密の訓練場である街外れの丘に行こうとしていたのだが、休憩所の方が騒がしいことに気付き、少しだけ顔を出すことにした。
「あ、ナッシュ!」
ナッシュが休憩所の入ると、同僚のハンザがすぐにこちらに気付いた。
「どうした? 何かあったのか?」ナッシュが尋ねる。
「どうもこうも、10日ほど前にプロントに怪物が襲われたって報告が入ったんだ」
プロントは、たしか大陸南東部にある港町だ。
「それで町の被害は?」
「いやそれが幸い町は無傷だったらしい」
「そうか。それは良かった。きっと駐留軍の人たちが間に合ったんだな」
当たりをつけてナッシュが言うと、ハンザが首を横に振った。
「いいや。どうもそうじゃないらしい」
「どういうことだ? まさか町の衛兵が怪物を追っ払ったとか言うんじゃないだろうな?」
小さな港町の衛兵に怪物を押し返すだけの力があるはずがない。よしんばそれが出来たとしても被害をゼロに食い止めるなんて不可能に等しい。そんなこと訓練された軍人にだって難しいのだから。
世に蔓延る怪物の恐ろしさをナッシュは誰よりもよく理解していた。人の何倍もある体と獣のような俊敏性、そこから生み出される力は並みの人間がどれだけ束になっても敵うものではなかった。
よほど運が良かったのか、それとも……。
「これは正直俺も半信半疑なんだけど、どうやらその怪物を倒したのは一人の剣士らしい」
「はっ? そんな馬鹿な!」
「そう思うよな」ナッシュの顔を見てハンザが頷く。「でも、討伐された怪物の死体がきれいに真っ二つになっていたそうでな。どこぞの剣士の仕業じゃないのかって噂になってる」
通常、怪物は討伐されると霧のように消滅する。死体が残るのはかなり高ランクの怪物に限る。それをたった一人の剣士が仕留めるなんて常識では考えられなかった。
そんなのまるで……、
「旧王国の正騎士みたいだな」ナッシュの思考を読んだように、ハンザが呟く。
「まさか。正騎士はあの闘いでほとんどが命を落としたんだ。そんなはずはない」断定するような口調でナッシュが答える。「まだ、その場に魔法使いが居合わせた方が信憑性がある。魔法なら、水か空気を操って怪物をぶった切ることも出来るからな。どちらも圧縮すれば鋭利な刃にだってなるわけだし」
「ほう、流石は我らが小隊長だ。まるで見て来たみたいに言うじゃないか」
「茶化すな。それくらい誰だって想像がつく」
「そういうもんかねえ。俺には魔法のことはさっぱり分らんけど」ハンザはそう言うと、何かを思い出した様に首を傾げる。「そう言えば、何年か前にも似たような噂を耳にしたことがあったな」
「噂?」
「聞いたことないか? この国の色んな所に現れては、怪物を倒して回ったっていう凄腕の剣士の噂を。聞いた所によるとそれこそエストフィアの正騎士並みだったって……。もしかして、そいつがやったのかも」
「お前、まさかそんな噂を本当に信じているわけじゃないだろうな?」
「俺だって別に真に受けているわけじゃないさ」肩を竦めて同僚が答える。「でも、お前だって気になるんじゃないか? 無駄に剣の訓練ばかりしている変人なんだから」
「無駄って、それはどういう意味だ?」
怒気を孕んだ瞳でナッシュがハンザを睨みつける。
だが、ハンザはそれを涼しい顔で受け流した。失言とは思っていない。そういう表情だった。
しばらく視線が交錯し、やがてどちらともなく目を逸らす。
気まずい雰囲気を互いに感じていると、根負けしたようにハンザが口を開いた。
「まったく、お前は剣の話になるといつもこうだな」
「ほっとけ」
「そうしたいのは山々だけどな。でも、いい加減、目を覚ましてもいいんじゃないか?」
「目を覚ます? 何に」
「言わなきゃ分からないのか?」
ハンザの言わんとしていることは分かっていた。だが、それを認めることは出来なかった。認めてしまえば、今までの努力がすべて無駄になってしまう。
いつか俺もあの人のような剣士に。
そう誓って軍人になったのだから。
「まあ、いいさ。お前の生き方だ。これ以上はとやかくは言わないよ」
ハンザはそう言ってナッシュの肩をポンと叩くと休憩所から出て行く。
軍人たちが騒ぐ声の中、扉が閉まる音が聞こえた。
二年前、ナッシュが採用されたのは剣士としてではなく魔法使いとしてだった。ほんの一握りの人間の中に発言する特別な力。そんな特別な才に恵まれながら、いつまでも剣に執着する自分はきっと愚かなのだろう。
「分かってんだよ。言われなくたって……」
床を睨みつけたまま、ナッシュは力なく呟いた。
次から、本編スタートになります。