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救われなかった世界のために  作者: 無徒 静
第一章
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第二十話 Vision

 アイナの仕事は主に掃除と洗濯だった。子供のメイドは彼女一人だけだったが、生来の気質なのか特に臆することはなかった。もちろん、失敗もたくさんした。それでも改善するための努力は怠らなかった。そんな彼女をメイドの先輩たちはとても可愛がった。


 皆優しく、アイナは新しい家族を得たような気持ちになった。


 それから一年が経ち、屋敷での生活にもすっかり慣れて来たある日、アイナは主人の使いで町に手紙を出しに来ていた。普段、買い出しなどは別のメイドが担当をしているので、アイナが敷地の外に出ることは少ない。久々に見る町の賑やかな空気はどこか懐かしく、きっと自分の故郷もこんな感じだったのだろうと思った。


 手紙を出し終わり、少し名残惜しい気分になっていると、それは唐突にアイナの前に現れた。


『……なに、これ?』


 強烈な眩暈(めまい)とともに町の景色が歪み、人々の声も遠ざかって行く。

 疲れが溜まっているのかもしれない。アイナは近くにあったベンチに腰を下ろすと、少しの間だけ目を閉じることにした。


 先週、新しく樹立された共和国の役人が視察に来たこともあり、屋敷は普段より一層忙しかった。すでに周りの大人たちと変わらない仕事量をこなすようになっていたアイナも、それなりの地獄を見ることになった。


 多分、そのせいだろう。


 大丈夫。ちょっと休めばすぐに良くなるはず。そう思ったのだが、ただの疲労にしては違和感があった。そして、次にアイナが目を開いた時、その違和感は現実になった。


『……え?』


 そこにはアイナの知る町の姿はどこにもなかった。いくつもの家が焼け落ち、そこら中から叫び声が聞こえた。それはまるで、忘れていたはずの大災厄の光景そのものだった。


『なん、なんで? どうしてこんな……』


 体中が恐怖で震え、その場に立ち尽くしていると近くのがれきが動く気配がした。よく見ると倒壊した家の隙間から誰かが助けを求めるように手を出していた。アイナは慌てて駆け寄ると、その人の手を取り、勢いよく引っ張った。


『きゃっ!?』

 掴んだ腕はほとんど重さを感じないほどにあっさりと引き抜くことが出来た。勢いあまって尻餅をついたアイナは、痛みをこらえながらつかんだ手の先に目を向けた。そこには本来つながっているべきものはなく、アイナは今度こそ悲鳴を上げた。


『――君! ……君、大丈夫かい?』


 目を開けると周りに数名の大人が集まっていた。いつの間にか自分を抱くようにして(うずくま)っていたアイナの視界はまだいくらかぼやけていたが、思考の方はこれまでにないほどはっきりとしていた。


 その時の言いようのない焦燥(しょうそう)をどう表現すればいいのか。頭と体が切り離されたような感覚。恐怖で全身が泡立ち、呼吸さえ満足に出来ないのに頭だけはひどく冷静にそれを受け止めていた。


 根拠など何一つない。

 だが、アイナにはいま見た幻影(ヴィジョン)が現実になるという確信があった。


『……にげて』アイナは激しく乱れた呼吸の中、呻く様な声でそう言った。『みんな、はやくにげて』


 彼女の言葉に周りの大人たちは首を傾げた。


『逃げてって……、それはどういうことだい?』


『助けての言い間違いじゃないのか?』


『大丈夫。さっき医者を呼んだから何も心配いらないよ』町の青年がアイナの背中を擦りながら優しく声を掛ける。


 ちがう、そうじゃないの。

 はやくしないとみんなころされちゃう!

 アイナは町の青年の腕にしがみつくと懇願するようにして言う。


『おねがい、はやくにげて。でないと、みんなかいぶつにころされちゃう』


 そのあまりに必死な様子に大人たちの顔色が変わる。

 よかった。ちゃんと伝わった。これでみんな……。

 アイナが安堵の息を漏らすと、周りから哀れむような声が上がった。


『ああ、なんてことだ』

『可哀そうに。この子はたしか領主様のところの召使いだろ?』

『そのはずだ。何でも大災厄で家族も故郷も失ったとか』

『きっとその時の記憶が蘇ったんだ。こんな小さな子供がずっとつらいのを我慢して。……なんて気の毒なんだ!』


 大人たちから向けられる同情の視線にアイナはブンブンと頭を振った。


『ちがう。ちがうの、そうじゃないの! ほんとうこのままじゃかいぶつがあらわれるの!』


 必死にそう訴えるアイナに大人たちが(なぐさ)めるように言う。


『大丈夫だよ、そんなことにはならない』


『その通りだ。なんてったってこの町は神の加護に守られているんだから』

 初代エストフィア王が啓示を受けたとされる至高神ウズネラ。アイナが身を寄せていたその町は、かの王がかつて邪悪な魔女との戦い勝利した舞台とされていた。また、大災厄の日にも怪物の被害がなかったこともあり、町の人々の多くが自分たちはウズネラの加護に守られていると本気で信じていた。


 どうして? 

 どうしてだれもわたしのはなしをしんじてくれないの?


 悔しいのか悲しいのか。それさえ分からないままアイナの目から涙が零れた。

 そうしている間にも怪物の足音は大きくなって行く。


 ……やがて、町の一角で奇妙な雄叫びが上がった。

 鼓膜に絡みついて離れない災厄の報せ。


 悪夢が、現実になった。

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