プロローグ1 最果ての村
村人の誰もが寝静まった時間帯。
凍る息を吐きながら、少女は降り積もった雪の中を歩いていた。
日ごろから滅多に日の差すことのないこの村にあっても今日は一段とよく冷える。雪を踏むブーツの底から伝わる冷気が足から体温を奪っていく。
見上げると、空は分厚い雲に覆われていた。月の光も届かない暗闇、道理で視界が悪いわけだ。
もっとも、今の自分にとっては都合がいい。
やがて村の出口に差し掛かった頃、少女はゆっくりと後ろを振り返った。10年間過ごしたこの村を離れるのはとても辛い。村の人たちはみんな優しく、余所者であるはずの自分にも分け隔てなく親切にしてくれた。出来るならこのままずっとこの村で生きて行きたかった。
だが、知ってしまった。
母の思い。母の苦しみ。温かい笑顔の裏側であの人はいつも涙を流していた。
だから……、
「お母さん、待っていて。私が必ず探し出してみせるから」
首から下げた母の形見の懐中時計をぎゅっと握り閉め、決意の言葉を口にする。
もう二度と見ることの出来ない母の笑顔に報いるために。
「――行くのかい?」
不意に闇の中から声が聞こえた。
その声に少女は驚きもせず、「はい」と答えた。
「やっぱり気付いていたんですね」少女はそう言うと、声の主に頭を下げる。「ここまで育てて頂いておきながら、村の掟を破る不義理をどうかお許しください」
少女が頭を下げた先には、小柄な老婆が立っていた。老婆はずっと頭を下げ続ける少女をしばらく見つめていると、やがて小さく息を漏らした。
「……仕方がない。いつかこんな日が来る気はしていたさ」
この村の長であり、一から十まで魔法を知り尽くしたその老婆には、何人たりとも隠し事は出来ないと言われていた。
「ごめんなさい」
「謝る必要はないよ。あんたは元々、外の人間なんだから。本来の居場所に帰るだけのことさ」
「居場所、ですか……」腑に落ちない言葉に少女は俯く。「私の居場所は、ずっとこの村でした」
「そう言ってもらえて嬉しいよ」老婆はしばらく肩を揺らしていたが、やがてけじめとばかりに少女に告げる。「……それでもだ。掟は掟。この村を一歩外に出た瞬間から、あんたと私たちは他人だ」
「はい……」
泣くものか。
これは自分で決めたことなのだから。
唇を噛み締める少女に、老婆はゆっくりと歩み寄ると小さな体で力一杯に抱き締めて来た。
「気を付けてお行き」
そっと背中を押すような老婆の言葉に少女は顔を上げた。滲んだ空を見つめていると、自分の中から最後の躊躇いが消えて行くのを感じた。
「ありがとうございます」はっきりとした口調で少女が言う。「行ってきます」
老婆から離れ、少女は村の外へと踏み出した。
彼女が残した足跡は、程なくして降り始めた吹雪がきれいに覆い隠して行った。