邂逅
閑静な昼下がり
穏やかで平凡なこの田舎町ではしかし、うららかな背景には不釣り合いな出来事
もうやめてと叫ぶ少女を尻目に殴打の音を鳴り響かせる彼女の友人
床に叩きつけ1発、また1発と拳を振り下ろせば赤い飛沫が飛び跳ねる
人目のつかない狭い路上で倒れる学ラン姿の男達
内一人に彼女、佐村一香は拳を振るう
金髪のガラの悪そうだったその面はもう面影もないほどに歪みきって、その凄惨さや一香の苛烈さを見事に物語っていた
他の2人も同じくらい、いや下手すればそれ以上に悲惨な状態だ
腕が曲がらない方向に曲がっていたり耳から血が垂れていたりと
もはや正当防衛どころか過剰防衛という言葉すら生ぬるい現状を鑑みるに障害の一つや二つ残してやろうとする意図があったのは明確だ
筆舌に尽くしがたいその光景にすっかり腰を抜かしてしまった舞がヘタリと座り込んだところでようやく一香の気は治った
最後に1発口から吐瀉物が噴き上がるほどの力で腹を蹴り上げたが
今の舞にはこの他校のdqnへの恐怖がすっかり消え去ってしまうほどに一香が恐ろしかった
突如絡んできた3人組
腕を引っ張り、抵抗したらリーダー格の金髪の男が大声で叫ぶ
未解明なものや対話が通じないものが恐怖の根源であるように獣のような彼らはまさしく舞にとって恐怖であった
恐怖し萎縮すれば声を上げることも抵抗の意志もなくなる
思考が停止する直前、一香が割ってきた
取り巻き二人が獣の声を上げる
しかし、咆哮は直後悲鳴に代わる
獣の暴力など意に介さない圧倒的且つ単純な力の差
華麗とは真逆の荒々しく且つ機械の如くながれるような体捌きは二人の瞳孔から脳に伝達して処理させる時間を与えない
脳が機能を停止させたからだ
リーダー格の男はすぐさま舞を離して叫びながら一香に飛びかかった
筋骨隆々なその体躯から見て取るにかなりの修羅場を潜っているのだろう
そう、舞が今日で何より恐ろしかったのがここだ
取っ組み合いになった
体格差は圧倒的
男は気持ちの悪い笑みを浮かべるがすぐさま笑みは消え文字通り顔面が変貌の一途を辿ることになる
全力を尽くしても動かない
どころか押し返されているような感じ、いや確実に押されている
男にはすぐに理解出来なかった、いや認められなかった
絶対にありえないと
だが片足が膝をついた時には嫌でも理解させられた
単純に膂力で負けていると
まるで巨大な機械の歯車に抵抗している虚しさを感じた時には体よりも先に心が粉々に壊れた
獣すら無慈悲に潰す化け物を前に男らにも舞にも恐怖が叩き込まれたのだ
舞は知っていた
一香のことはなんでも
彼女の本質も
知っていてなお、彼女は一香にやはり恐怖した
それでも、座り込んで動けない舞を優しく起こしてくれる一香はやっぱり嫌いになれなかった
一香は少し後悔した
だが、それでも自分を嫌わない舞のためにも私は...
こんな過去を思い出した原因は今自分の目の前にある
穴から抜けたらまた前と同じような空間が広がっていた
薄暗い床、岩の壁、天上から降り注ぐ謎の光
だが、今回は祭壇のような盛り上がりはない
本当にただの広い室内のようだ
そして過去を思い出した原因
部屋の真ん中に人のような者が立っている
ような、とはつまり人間と断定できないからだ
そいつの体は赤い
ボディペイントや全身タイツでも履いているのかと思ったが光の反射を考えるに自前の赤のようだ
手足は暗い緑
そして顔は仮面でも被っているかのような白い顔面に謎の模様が赤く描かれている
腰には藁のようなものを束ねてミニスカートのように巻いている
身長は150ないくらいか
出立は見ようによってはどこぞの部族にも見えるがその右手には巨大なナタのような刃物が握られており一層怪しさと不気味さを醸し出している
何者かはわからない、が敵か味方かで言ったら7割敵だろう
手の刃物が大幅に加点している
しかし、こいつは自分が穴から出てくるのを知っていたかのようにこちらを向いていた
それともずっとここに立っていたのか
まあ、今はコイツを暫定敵認定しよう
疑問と猜疑心が交差する頭を諌めるように警戒心
を強めながらゆっくりと向かっていく
奴はこちらを向いたままじっと動かないが一香は一挙手一動作を見逃すものかと集中する
ジリジリと近づき距離およそ10mくらいまで踏み行った刹那、奴が物凄い速さで突進してきた
走り寄るというよりは飛び込んだと表現した方が正しいか
奴の体重がどのくらいかはわからないが、ともかく10mの距離を瞬時に詰めるその脚力は並々ならぬものであろう
だが、一香の脳内では奴が動作し正に飛びかかろうとした直前には既に対象を暫定敵扱いから敵認定へと切り替えていた
張り詰められた矢の如く飛んできた敵は一切の躊躇なく獲物を叩き下ろすがしかし刃は空を切る
否、切り終わる前に一香の拳が敵の顎あたりに叩き込まれていた
首が捻じ曲がり足がモタつく
すかさず一香は足を引き上げる
背筋からつま先、全身の筋肉をバネと化し渾身の力を瞬時に溜めて放たれる強烈なフロントキックが敵の腹を蹴り上げる
まるでサッカーボールのように敵は飛んでいき岩の壁に叩きつけられる
その光景がまるでアニメの戦闘シーンのような現実離れした吹っ飛び方で、大袈裟なものだと何故か滑稽に思えた
しかし、あんなに飛ぶのであれば恐らく敵の体重はかなり軽いのだろう
せいぜい10kgあるかどうか
なんにせよ人間でないことは確かだ
その事実に一香は少し安堵した
本来より疑問が湧いて怖がるのが普通なのだろうか
しかし、体が戦闘体制に移行しアドレナリンやら脳内麻薬やらが発生したためだろうか、未知への恐怖感はあまりなかった
あんなに派手に壁にぶつかっては暫くはまともに立ち上がることさえ困難だろう
最悪死んでいるかもしれないが化け物なら罪悪感もない
一応まだ警戒は解いてないが彼女の興味は敵よりもこの部屋の様子へと移行していた
入ってきた時も確認した通り、祭壇以外は前の空間と変わらない
壁4面、内一つは入ってきた穴
他に穴は空いてなさそうだ
中央部にも何もない
そう、入って来るまで敵が立っていた所
敵が、立って...
敵が立っていた
叩きつけられた壁から崩れた土砂を払おうともせずにこちらを向いて立ち上がっていたのだ
流石に驚いた
あれ程激しく叩きつけられて尚平然と立ち上がるのか、それでいて最初と同じように全く衰えず飛び込んでくるとは
その感想が出終わった時には敵のナタが頭上に差し迫っていた
今度はカウンターを決める余裕はない
大地を素早く且つ力強く蹴りつけて後ろへ飛ぶ
強く蹴りすぎたのかかなり距離を離したがお陰で呼吸を整えるだけの猶予は稼げた
三度敵が飛び込む
同じ手は危険と判断した一香は直前で体を横に捻って敵の側面に回り込む
ナタが空を切り地面にガンと叩きつけられる
音からして腕力も相当だ
地面が深く切りつけられるがそのせいでナタが浅くだが突き刺さってしまう
ごく一瞬の隙だが一香は見逃さない
再び顔面顎あたりに鉄拳を叩き込み今度は回し蹴りをお見舞いする
またもや鞠のように飛ばされて壁にぶつかるが即座に体勢を整え飛び込んできた
今度は大振りではなくナタを振り回してきた
がむしゃらに振っているものでないことは一香自身直ぐにわかった
腕ではなく体を使った振りは最小限、太刀筋も良くなによりひたすらに距離を詰めて来るので息をつかせない
時折当身を織り交ぜて来るなど戦い慣れした知性的な戦法だ
ならばと一香は腰の刀に手をかける
鍔を親指と人差し指で押さたまま攻撃を捌き切る
ついぞ捌ききれなくなり敵の凶刃が身に迫るその刹那、刀を鞘ごと抜き出し敵の顔面に刀の頭をぶつけた
怯んだら最後、またも一香の蹴りが敵を吹き飛ばす
そしてやっぱり立ち向かって来る
ここまでやってようやく一香も覚悟を決める必要性が浮上してきた
即ち、奴を刀で斬り殺す覚悟だ
できれば岩に頭でもぶつけて気絶か即死かわからないような状態になってくれれば気も楽だったのだが、成程この刀はそのためにか
或いは刀を手に入れたのは偶々だったのか
こんな時に考え込めば当然動きが疎かになり敵に隙を与えてしまえば即死の凶刃が眼前に迫っていた
既の所で振り下ろされるナタを握っている腕を掴み勢いそのまま敵を投げ飛ばす
間一髪の出来事を脱して一息つける暇が与えられたがそれよりもその時、一香はある違和感を覚えた
確かに一香は力が強い
だが流石に10kgと50kgの重さを同一に見れるほど鈍感な彼女ではない
そう、敵を掴んで投げた時明らかに50kg程度の重量は感じたのだ
体重50kgの人間が女の子に蹴られて漫画の如く吹っ飛ぶだろうか
わからないことだらけと執拗に命を狙う敵によって一香の内心にはいい加減怒りが湧いてきた
もういい、わからないことなんて今はもうどうでもいい
ここにきて初めて、彼女の内心に明確な殺意が湧き上がってきた
ムカつく野郎はぶっ殺す
その感情は、あの日舞に絡んできた3人組に向けて物と似ているような気がしなくもない
投げ飛ばされ尚も立ち上がった敵の前に、遂に刀を抜いた一香が立ちはだかっている
それでも敵は飛び込んで来る
刀を青眼に構えた一香は打ち込んで来る敵にある姿を連想させた
面!
けたたましく叫ぶ声の主はしかし、叫んだ言葉の意味が自分に降りかかっていた
高校1年生夏
剣道部夏の地区予選大会準決勝戦
皆が剣に青春と情熱を捧げる中、一香はすこぶる機嫌が悪かった
一香の高校は部活動が強制であり彼女ももれなくスポーツに青春を捧げることを強いられていた
それならばとせめて自分の得意なことをしようと考えるのは自明の理であり渋々剣道部へ入部した
一香は高校に入学した時には既に師匠であり師範の祖父の腕を優に超えており祖父も十分にそれを認めていた
だが彼の道場は剣術道場であり剣道ではない
一香は剣道には興味がなかった
あの重そうな面や胴はダサくて付けたくもなかったし剣道自体も実用性など全くなくスポーツチャンバラの劣化版と見下していた
彼女の機嫌が悪いのはその彼女の見識が一香に置いては全く当てはまってしまったからだ
嫌いながらも何かしら学ぶことはあるだろうと入部当初は少しは期待してそれなりに真面目に打ち込んでいたが、いかんせん全くもって何も学ぶことがなかった
強いて言えば動いている相手を頭、胴、手に限定してぶっ叩けるということぐらいか
それも彼女にとっては全く張り合いがなかった
それ程までに一香は強かったのだ
今日の大会も馬鹿みたいに奇声を上げながら突っ込んで来る相手の頭をペシリと叩くだけの簡単なお仕事
ダサいしつまらないから声なんて上げない
別にルール上声を上げなくても有効打なら一本になるのだがどうも大人どもは高校生のこういった儀式めいた行為を神聖視しているのか声を出さなければ一本を認めてはくれない
それならお好きなだけやるだけだ
面、胴、小手、突き、おっと突きは高校剣道じゃ禁止だったか
いや忘れたしどうでもいいや
べしべしべしと気怠げな態度で一方的に有効打をもいでゆく様は、相手としては酷く惨めだろう
可哀想だが悪いのは私じゃないから許してくれよ
なんて考えながら礼をする
さっさとこのクソみたいな防具を外したい、できれば帰ってアイス食べながらゲームしたい
顧問や部員が何か言っているが耳に入ってはこない
どうせ、やれまじめにやれだのやれ礼儀がどうだのつまらないお説教だ
喧騒を尻目にぶっきらぼうに防具を外す
自分の番が終わればこっそり抜け出して応援に来てくれた舞と観光でもしようか
そんな事を考えていた彼女の前に一人の女が寄ってきた
面識はなかったが顔つきから察するにまあ好意的な用事ではなさそうだ
どうやらさっきの相手校のOBだそうだ
剣道へのリスペクトがないだの礼儀作法がなってないだのちょっと強いからって自惚れるなだの散々言い散らかしてくれる
好きでやってるわけでもなく辞めることもできず八方塞がりなこちらの事情も鑑みて欲しいものだが、そんなこと言ったってこのクソ真面目そうな頭に柔軟性なんて存在しそうにないし言ったってそれがルールだから従えなんて高圧的かつ権威主義的な正論で一蹴してきそうだから黙っていた
しかし30分くらいずっと叫んでるし幾ら慣れているとは言えずっと正座は流石にキツい
足を崩して胡座を描いて見せればまた怒る
胡座が良くなかったのなら今度はガバッと足を開いてペタンと座る
火山が爆発した
おもしれーなこの女などと思っていたら来なさいと言われた
何処へと尋ねてみれば稽古をつけてやるだと
成程ここで1発かまして指導兼見せしめ、自校への慰めという訳か
しょうもないと呆れていたが顧問にも行けと強く言われては癪だが仕方ない
会場の人々も女の声がでかかったのか皆んなこちらを注目している
防具をつけて竹刀をもち向かい合う
審判の始めの合図で蹲踞から立ち上がり試合開始
凛とした掛け声とともに中々の太刀筋で面を打ち込んで来るがそれでも一香の眼にはスローモーション再生しているが如くゆっくり隙だらけで飛び込んで来るように見えた
難なく首元に軽く片手突きを放ってしまえば試合終了
女は面の奥から瞳をぱちくりさせていた
しかし審判は一本を与えない
突きが甘いのと声がなかったからだそうだ
立ち直ってもう一度
しかしこの女、これで5段というから驚きだ
あの程度の打ち込みでそこまでの腕があるはずがないと一香には確信できた
剣道の黒い噂は一香も聞いたことあったがこいつもその一人か
そもそもOBだなんて高校の大会に出張って弱い年下相手に威張ってるだけじゃないか
それでマナーやら礼儀作法やらと御高説を不愉快な金切り音で喚き散らす
こんな連中のせいで舞とのデートもご破産だ
だんだんムカついてきた一香は竹刀を青眼に構え再び打ち込んで来る敵を迎え撃つ
そうして渾身の一刀両断をお見舞いしてやったら相手はその場にぶっ倒れてピクピクと痙攣してたっけ
そうこんなふうに
ちょっと違うのはこんなド派手に血飛沫は吹き出してなかったことぐらいか
元から赤かった体はその血でより鮮明に赤く染まっていた
人間のような血をぶちまける敵だったものをみて若干の後悔のような罪悪感が産まれかけたがすぐに消えた
これは人間じゃない
あれだけ何度も激しく体を打ち付けて平然と立っていられる生物などそうそういてなるものか
その死体を確認する気にもなれなかったが
人間ではないただの化け物だ
害獣を駆除したのと同じことだ
そう言い聞かせてやっと彼女の顔にへばりついた血を拭った
気がつくと壁に穴が開いていた
入ってきた穴がではないもう一つの穴
舌打ち一つのくれてやったら死体を尻目に彼女は進む
舞に寄り添いながら帰路に着こうとする一香に一つの感想が思い浮かんでいた
私って喧嘩強いんだ...