真実の鏡の殺意⑵
善は急げ、というよりは、嫌なことは早く済ませたいと思ったのだろう。
会議の決定事項は、城下町をぶら歩きしていた勇者に直ちに伝えられ、身体検査の集合時間はそのわずか1時間後に設定された。
私の「人生」のリミットはほとんど残されていなかった。
このわずかな時間の間に、勇者を、そしてお城の者の目を欺く妙案を思いつかなければ、真実の鏡によって私の正体が照らされる。
私は今までこの国で上手くやってきたものの、一度トロールの醜い姿を晒せば、そんなことはお構いなしに、私は抹殺される。
さて、どうしたものか――
身体検査が始まる前に、このお城から抜け出し、S国での生活を捨て去る、ということならば可能かもしれない。
そう思い、私は、お城を出て、城門の方まで歩を進める。
しかし、私の考えはあまりに浅はかだった。
勇者パーティーの一員である戦士が、すでに城門の前で立ち塞がっていたのである。
私は彼と目が合う前に、慌ててUターンをする。
勇者パーティーの実力は本物である。
いくら正体が魔物であるといえども、数年あまり戦闘から遠ざかっている私が、戦士を打ち負かすことができるとは思えない。
仮に戦士とやり合えたとしても、追っ手に囲まれたら終わりである。
魔物であることがバレてしまえば、城中の者、いや、国中の者が私の敵になるのだ。
お城から逃げることはできない。他に私に残された手段はないのだろうか。
真実の鏡に照らされたら終わりなのである。
なんとかして、真実の鏡の前に立たずに済む方法はないか。
たとえば、病気のフリをして、身体検査を逃れるというのはどうか。
――上手くいくはずがない。
ベッドで寝込んでいるところに鏡を持って来られてしまえばそれまでだ。
勇者は、王族の中に魔物がいる、と断言している。
王族である以上、早かれ遅かれ必ず鏡の餌食になるのである。
ゆえに、たとえ、病気で寝込んでいたとしても――
――そのとき、私の頭に、あるアイデアが浮かんだ。
逆転の発想である。
真実の鏡から逃げるのではない。
むしろ、真実の鏡を積極的に利用するのだ。
時計を確認している時間すら私には残されていない。
私は、すぐに準備に取り掛かった。
「ゴホ……ゴホッゴホ……」
大広間の扉をゆっくりと開けた私は、さも病人らしい深い咳払いをした。
「お父様!」
会場に遅れて登場した私に、グシオンが駆け寄る。
「お父様、ご体調が悪いならばご無理はされないでください!」
「……いや、平気だ。……ゴホゴホッ」
「お父様!!」
少しよろけて見せた私に対し、グシオンが腰に手を回して介助をする。
他の王族の面々も、一斉に私に心配の眼差しを向けている。
誰も私の演技には気付いていない。
私は心の中でガッツポーズをする。
「親父、こんなイベントのために無理をしなくてもいいんだぜ」
「いいや、バルバロス、これは大事なイベントさ……ゴホ……」
私は、グシオンの手を振り払うと、大広間の中央で、真実の鏡を抱えて待っている勇者の元へと歩を進めた。
「勇者殿、よくぞ我々の国まで来てくれた。私はこの国の王であるルシフェルだ。挨拶が遅れてすまない」
そう言って、私が半ば倒れ込むようにして勇者の前に跪き、王冠を外し、深く頭を下げた。
同時に、私は鏡の方を確認する。
勇者は鏡を裏向きにして抱えていたため、現在のところ、私の姿は鏡には映っていない。
「国王様、丁重にお迎えいただきありがとうございます。ただ、ご家族も心配されています。体調が優れないのでしたら、ベッドで休まれていたらどうですか? 国王様の検査は後回しにし、最後にお部屋まで鏡を持って伺いますから」
「そんな不甲斐ないことはできないよ……ゴホゴホ……さあ、その鏡で私のことを照らしてくれ……ゴホッ……」
「国王様、大変恐縮ですが、まだ王族の方が全員揃っていないそうなんです。証人が多いに越したことはないので、全員が揃うのを待ちましょう。えーっと、王妃様、誰がまだ来てないんですっけ」
「アザゼル。私の長男です」
「ご長男のご体調は?」
「悪くはないはずです。先刻の会議にも参加していましたし」
「……ゴホッ!!」
私は、今までで一番大きな咳をすると、その場に倒れ込み、うずくまった。
「お父様! 大丈夫ですか!!」
「グシオン、大丈夫だ。その場にいろ……。勇者殿、すまない。思ったよりも私の体調が芳しくないようだ。ゴホッ……ゴホッ……。我儘は承知でお願いするが、アザゼルを待たず、私の身体検査だけでも早く済ませてくれないか?」
「勇者様、私からもお願いします。お父様を早く休ませてあげたいんです」
勇者は、少しだけ悩んだ後、
「それならば仕方ないですね。ご長男を待たずに始めましょうか」
と言い、鏡を裏向きで抱えたまま、数歩後ずさりをした。
私との距離を取るためである。
距離が近過ぎれば、私を上手く照らすことはできない。
私は、うずくまる姿勢のまま、神経を研ぎ澄まし、その瞬間を待つ。
「それじゃあ、いきますよ」
勇者が、真実の鏡をゆっくりと裏返す。
鏡に、王冠を被ったトロールの姿が映し出される。おぞましい、緑色の化け物の姿が。
広間全体の空気が固まる。
――よし、今だ。
隙は今しかない。
「うおおおおお」
呻き声を上げながら、私は立ち上がると、王冠を頭から取り、真実の鏡に向かって思い切り投げつけた。
見事に王冠が鏡面に激突し、パリンと音を立てる。
「国王の正体はトロールです!! 皆さん、捕まえて下さい!!」
勇者が叫ぶ。
勇者は腰に差している剣を抜いたが、間合いの外にいる私に咄嗟に斬りかかることはできなかった。
これが準備の差である。
真実の鏡が割れたことを確認すると、私は、今度はポケットから黒い球を取り出した。目を瞑った状態で、床に向かって叩きつけた。
「きゃあ!!」
閃光玉である。
眩い光が、短時間であるが、大広間にいる者の視野を潰してくれる。
私は、目を押さえてもがく人々の間をすり抜け、大広間を脱出した。
作戦大成功である。
私は、誰もいない廊下を駆けながら、真実の鏡の恐ろしさに改めて思いを致す。
私の見た目はルシフェルそのものなのに、鏡には緑色の化物として映っていた。
そして、それは間違いなく、魔界で生活していた頃の、本来の私の姿だった。
トロールの持つ高い変身能力をもってしても、真実の鏡は騙すことはできなかったのである。
しかし、そのことを含めて、私が考えた通りの展開だった。
――さて、これでもうおしまいだ。
私は、ついにこの国での安寧を手中に収めたのである。
私は、お城にある自分の部屋へと駆け込むと、扉を閉め、最後の仕上げを行った。
……
あの日、閃光玉によって目を眩まされた勇者たちは、視界を取り戻すと同時に、ルシフェルを追って大広間を飛び出した。
臣下も含め、城の者はみな大広間に集められていたから、廊下やそれ以外の部屋に警備をする者はいなかった。
唯一見張りとなっていたのは城門を守る戦士だったが、彼は何も目撃していなかった。
つまり、ルシフェルは城の中のどこかに隠れているはずだった。
勇者とお城の者は手分けをしてルシフェルの捜索を開始したが、結論から言うと、ルシフェルは、あまりにも簡単に発見された。
彼は、自分自身の部屋にいて、ベッドに横たわっていたのである。
それは客観的に見ると、ただの病気で伏せている国王であるが、ルシフェルを発見した護衛兵にはそのようには見えるはずがなかった。
護衛兵は、ルシフェルに刃を向けると、有無を言わさずに急所を襲った。
こうして、国王ルシフェルはこの世を去ったのである。
全て私の思惑通りだった。
私は、人間社会においてアザゼルに化けている。
アザゼルは、ルシフェルとアガレスとの間の長男、つまり、皇太子であった。
国王であるルシフェルが崩御すれば、アザゼル――私が新たな国王となる。
勇者が「真実の鏡」を持ち込んだとき、ルシフェルは重い病を患っていて、終始ベッドで寝ている状態だった。
そのため、彼は王族の緊急会議に出席することができなかった。ゆえに、緊急会議においては、皇太子、つまり、次期承継者である私が一番偉い立場にあった。
身体検査を目前にした私は、病気と嘘を吐くことによって鏡の前に立つことを回避できないかと考えた。
それ自体は愚かな発想だったが、そのとき、ふと、病に伏しているルシフェルのことを思い出し、これが閃きに繋がった。
私は、彼に変身し、彼になりすますことを思い付いたのだ。
トロールである私が、自在に人間に変化できることについては、アザゼルに化けて生活している私が一番よく知っている。
身体検査のときだけ、アザゼルの姿を捨て、ルシフェルに変身するのだ。
もちろん、単にルシフェルの姿になるだけでは不十分であり、病気に侵されている様子までもを真似る必要があった。もっとも、日頃より、魔物であるにもかかわらず人間を演じている私にとっては、それはいとも容易いことだった。
そして、ルシフェルになりきった私は、あえて真実の鏡に映る。
そうすれば、トロールは私ではなく、ルシフェルであるということになる。
そのことを皆に知らしめた上で、真実の鏡を割り、再検査を阻止する。
トロール=ルシフェルを固定するのだ。
あとは、その場から逃げ出し、最後の仕上げとしてアザゼルの姿に戻れば、完璧である。
真実の鏡はもう破壊されているのであるから、もう私に火の粉が及ぶことはない。
しかも、この作戦の出来過ぎているところは、ルシフェルを「トロール」として抹殺してもらうことによって、皇太子である私が、国王の座に昇格できることである。
まさに一石二鳥である。
私は、愛するこの国のために、より多くの仕事ができるようになったのだ。
こうして、あの日、私は最大の危機を乗り越えると同時に、最大の栄光をつかんだのである。
カッコつけてもしょうがないので、正直に言いますが、これは自信作です。
トロールが他者に化けるという入れ替えトリックと、皇太子が国王を承継することを利用した倒叙トリックとのシンプルな組み合わせで、わずか7000字弱で読み手を騙す。
僕が目指す理想の短編ミステリー。
鏡側には何ら細工をしなかったあたりもいぶし銀だなと自画自賛してます。もちろん、読者様の反応はわからないので怖いところではありますが、自分的には満足しています。ミステリーファンの方には刺さらないですかね?
次の話は、なろうでウケるミステリーって感じの作品で、タイトルは、「『死の呪文』の殺意」となります。