真実の鏡の殺意⑴
私は、S国を治める王である。
王様の業務というのは、決して楽なものではない。
政治に正解はないにもかかわらず、少しでも人々の生活が不安定となれば、私の責任問題となってしまう。
いざ外国と戦争することになれば、一睡すら許されない極限状況の中、重大な判断を任されることになる。
そんな激務の中で、常に国民に対して笑顔を振り向かなければならない。
人間社会は、魔物の社会と比べて、はるかに複雑であり、気苦労が多い。トロールである私にとって、人間に化けて生活すること自体がすでに楽なことではない。
ましてや国王に化けて生活するだなんて、我ながら物好きだと思う。
それでも、私はS国の国王となったことを一度たりとも後悔したことがない。
権力で人を従わせ、権威を振り翳せるから、ではない。
私は、この国を、そして、この国の民のことを心から愛しているからである。
結局のところ、私は魔物として生まれながらも、魔物として不適格なのである。
繊細な心を持った私には人間社会の方が性に合っている。
国王の業務に関しても、下手な人間よりもはるかに向いていると思う。
現に、私の統治に対して文句を持っている国民は皆無である。
私にとって、国王は「天職」なのである。
今、私は毎日幸せな日々を送っている。
今日の私があるのは、魔物にしては過度に神経質であることを心配し、私に人間社会へと同化することを勧めてくれた両親のおかげである。
同時に、今日の私があるのは、「あの日」の危機を無事乗り越えたからである。
その日、S国に訪れた勇者は、王族に対し、あるものを寄贈した。
鏡である。ただし、ただの鏡ではない。
その者の真実の姿を映す「真実の鏡」である。
どういうわけか勇者は、王族の中に魔物が混ざっていることに気付いていて、この「真実の鏡」によって、私の正体を明かそうとしたのである。
人間社会で平穏に暮らしていた私にとって、それは「人生」最大の危機であった。
もっとも、私は、上手く機転を利かせることによって、その危機を回避した。
もう何年も前になるが、その日のことを回顧してみたいと思う。
……
「私たち王族の中に魔物が混ざっている!? そんなバカな話はないわ!!」
ヒステリックに叫び、両手でテーブルを叩いたのは、アガレスである。
アガレスは国王の妻、つまり、王妃である。
アガレスがヒステリックになるのは珍しいことではない。お城に住む者にとってはお馴染みの光景である。
彼らはそんなアガレスの様子を見て呆れることが多かったが、今回ばかりは繰り返し頷き、アガレスに同意する者が多かった。
「王妃様の言う通りです。こんなバカな話はありません。これは由緒正しき我々王族への挑戦です。断固として立ち向かわなければなりません」
起立し、そう発言したのは、アガレスの弟であるブネだった。
強気な性格を買われた彼は、この国の護衛兵を指揮する立場にある。
「とはいえ、勇者様の進言です。無下にはできないでしょう」
アガレスの三男であるディアマトが、淡々と話す。アガレスとブネに対しても同じように落ち着くように諭すように。
「勇者の功績を否定するつもりはない。とはいえ、いくら勇者がすごい奴だと言っても、彼がこの国を訪れたのはつい昨日じゃないか。彼がこの国の何を知っているというんだ?」
すかさず兄弟に異議を出したのは、次男であるバルバトス。
「たしかに勇者様といえども、さすがにこの国へのリスペクトが足りないよね。ハッキリ言って、失礼じゃない?」
次女であるブエルがそれに次ぐ。
「私は嫌だよ。鏡の前に立たされて正体を吟味されるのは。別に私の正体は魔物じゃないけど、疑われること自体が屈辱じゃない?」
「俺もブエルに賛成だ」
「私も」
今まで発言のなかった者も含め、多くの参加者が、拍手をし、ブエルに賛意を示した。
私も同様に拍手をした。
王族による会議は、このような緊急事態でない限り、滅多に開かれることはない。そのため、意思決定のプロセスについて明確な決まりはなかったが、仮に多数決であれば、すでに軍配が上がっている。
また、もしも王族内での地位が高い者によって判断されるのだとしても、会議の出席の中で一番偉いのは私であるから、やはり結論は出ている。
決して表情には出さなかったが、私は内心ホッとしていた。
真実の鏡は、私をターゲットにした踏み絵なのである。
しかし、アガレスの長女であるグシオンの発言が、会議の流れを一転させた。
「皆さん、この国の歴史を忘れたんですか?」
拍手は一瞬にして止んだ。
誰しもが、グシオンの言おうとしていることを即座に理解したのである。
「今から300年前、この国の王政は腐敗していました。政治は賄賂によって行われており、官僚の出世は縁故で決まり、国民は理不尽な重税に苦しめられていました。そこでクーデターが起き、『王族』が交代しました。国民の代表だった私たちの先祖にね」
グシオンが説明した歴史を知らない者は、この会議はおろか、この国にだって一人もいない。
「今回、勇者からの提案を断ることは何を意味するでしょうか。すでに国民は、勇者からの提案について知悉しています。この国に訪れた勇者が真実の鏡を持っていて、それによって王族に紛れ込んだ魔物を炙り出そうとしていることは、すでに国民の知るところなのです。それにもかかわらず、王族が身体検査を拒否したらどうなるでしょうか。国民は到底納得しないでしょう。私たちに対して要らぬ疑念を抱かれかねません」
「……それもそうね。グシオン、あなたの言う通りね」
王妃アガレスが態度を翻したことで、風向きは完全に変わる。
「私たち王族の中に魔物がいるだなんて、そんなバカげた考え、一瞬で吹き飛ばしてしまいましょう。勇者の持ってきた鏡の前に立つ。私たちの信頼は保つためにはたったそれだけでいいのよ」
「王妃様に賛成です。我々には疾しいことなど何もないんですから、堂々と身の潔白を証明すべきです」
ブネはアガレスの風見鶏である。
つい先ほどは「断固として立ち向かう」などと言っていたのに、なんて白々しい男なのか。
私は心の中で毒付いていたものの、会議場ではブネの発言に対し、再び拍手が巻き起こっていた。
先ほどよりも大きな拍手だ。
――このままではマズイ。
この場で一番偉いのは私である。
私が、勇者の提案を断るべきだ、と発言すれば、私の意見が通る可能性がある。
とはいえ、リスクも大きい。
この流れに棹をさすことは、自分の正体が魔物であることを明かすことになりかねない。
ブネの言う通り、「疾しいことなど何もない」のであれば、鏡の前に立つことに反対する大きな理由もないのだから。
他の王族達の視線が私に集まる。
ここで悪目立ちするのは得策ではない。
私は、表情を読まれないように顔を下げたまま、ゆっくりと拍手をした。