出会いの酒場の殺意⑷
今まで私が「体験」していたことがまるで悪夢だったかのように、私は、ふかふかのベッドの上で目を覚ました。
もっとも、ここは私の家ではない。
民家ではあるが、私の知っている場所ではなかった。
やはり、あれは悪夢などではなかったのだ。
物置小屋の中で死体を発見したことも、トーラスに見つかり、気を失ってしまったことも。
だとすれば、なぜ私は殺されずに生きているのか。
トーラスは、なぜ気絶した私をベッドに寝かせたのか。
きっとその方がトーラス達にとって都合が良かったからに違いない。
つまり、その方が、人喰い鬼である彼らが、最終的に私を美味しくいただけるのだ。
一見すると、ここは普通の寝室であるが、おそらく燻製室か何かなのである。
生き延びるために、私にできることはただ一つ、ここから逃げることだった。
私は、まず、ベッドから起き上がる。
なぜ縄で拘束されていないのだろうか――今は、そんなことは気にしてられない。
そして、ドアノブを捻り、ドアを開ける。
なぜ鍵がかかっていないのだろうか――これも後で考えればいい。
「燻製室」は、リビングのようなスペースへと繋がっていた。
その中央にはテーブルが置かれており、例の3人組が囲んでいた。
「おや、お目覚めかい」
トーラスが、まるで子猫に話しかけるように柔らかい声を出した。
私は悟る。
物置小屋で見つかった時から、生殺与奪はすでに彼らに握られている。
今更私がどのような行動を取ろうが、結果は変わらない。
ゆえに慌てる必要はない。
私はどうせ死ぬのだ。
そう考えると、不思議と冷静でいられた。
「美味しかったですか?」
「何がだ?」
「イリスさん、ジョーダンさん、サイモンさんです」
真剣な表情の私を見て、3人組は一斉に笑った。
酒場でも笑顔を見せるようなことはなかったのに、一体何がそんなに面白いんだろうか
「なあ、言ったとおりだろ」
「ああ、トーラスの言ったとおりだ」
「この子は勘違いしてる」
「ちょっと待ってください」
私は、3人組の会話を遮った。
「勘違い? 私は一体何を勘違いしているんですか」
「君、俺らのこと何だと思ってる?」
「……人喰い鬼」
3人組はまたドッと笑った。
「それが勘違いなんだ。俺らは決して人喰い鬼なんかじゃない」
トーラス達が人喰い鬼ではない?
だとすると、あの物置小屋の死体は何だったのだ?
あれはイリス、ジョーダン、サイモンの死体ではないのか?
「ところで、君のあの酒場での立場はなんだい? ただのバイトかい?」
「……はい。まだ働いて1ヶ月です」
「了解。じゃあ、君を信頼するよ」
単なる駆け出しであることがなぜ信頼する要素となるのか。
私にはさっぱり分からない。
しかし、トーラスは、私に対して真実を語り始めた。
「イリス、ジョーダン、サイモンが魔物に殺されたというのは真っ赤な嘘だ。彼らは3人とも元気に生きてる。生まれ故郷の村でね」
君にとってはショックな話かもしれないけど、と言って、トーラスは続ける。
「君は俺らのことを『人喰い鬼』だと勘違いしていたけど、俺らからすると、本当の『人喰い鬼』は君の働いている酒場の方さ。正確にいうと、酒場の背後にある組織なんだけど。彼らがやっていることはこういうことだ。まず、近隣の村から若者を連れ去る。それは借金のカタとしての場合もあるし、身寄りがない者を誑しこむ場合もあるし、単なる拉致の場合もある。そうして手に入れた若者を訓練所に何年間も閉じ込め、『戦力』になるように鍛える。そして、『出会いの酒場』を仲介役とし、最終的に冒険者達に売却し、莫大な利益を上げる」
それは完全に人身売買ではないか。
私が憧れて働き始めた「出会いの酒場」にそのような役割があっただなんて、私は知らなかったし、想像もしたこともなかった。
「イリスもジョーダンもサイモンも、数年前にある村から連れ去られ、鍛え上げられて『商品化』させられていたんだ。そして、彼らの生まれ故郷の村は、俺らの生まれ故郷の村でもある。だから、俺らは、彼らを救い、生まれ故郷の村に返すために、一芝居を打ったわけだ。冒険者として、『出会いの酒場』に訪れ、まずはイリスを『購入』した。そして、イリスを村に返し、代わりにイリスの『腕』を酒場に持ち込み、彼女を死んだことにした」
「その『腕』は一体誰のものなんですか? まさか、イリスさんを救うために、別の、何の罪もない女性を殺したんですか?」
物置小屋の中には、間違いなく人間の死体があった。そして、気を失う直前に確認をしたのだが、その死体はいずれもパーツが欠損していた。
女性の死体には腕がなかった。あの死体がイリスのものではないとすれば、他の誰かの死体ということになる。
「まさかね。俺らは冒険者なんだから、どんな理由があれ、人間を殺すことはしないよ。そんな不正義をはたらけば、刑務所に行くだけでなく、二度と冒険者として旅に出ることが許可されなくなってしまうしね。君が物置小屋で見た死体だが、あれは人間の死体ではない。人喰い鬼の死体だ」
たしかにムーランも言っていた。
人喰い鬼は、「人間と見た目は何も変わらない」、と。
トーラス達は、人喰い鬼を殺し、そのパーツを、人間のものに見せかけて酒場に持ち込んでいたのだ。
「人喰い鬼と人間を区別するのは困難だからね。『人殺し』と勘違いされないように、人喰い鬼の死体を処分するのには神経を使うよ。だから、現状、物置小屋に放置してしまっているわけだが。ちなみに、人間と人喰い鬼を見た目で区別できる唯一の方法は、牙の有無だ。人喰い鬼には鋭い牙がある。もし俺の言うことが信じられないのならば、後で物置小屋に言って、死体の口を開けてみるといい」
私は、大きく首を横に振る。
トーラス達の言っていることは嘘ではない。
その最大の証拠が、今、私が殺されずに生きていることなのである。
「私、トーラスさん達のこと信じます。私を騙していたのはトーラスさん達ではなく、酒場の方だったんですね……。トーラスさん達はこれからどうするんですか?」
「どうする……って何の話だ?」
「『出会いの酒場』をです。トーラスさん達は、あの酒場が『悪の組織』の一員だと知っています。あの酒場を潰すんですか?」
「どうやって潰すんだ?」
「……分からないですけど」
トーラスはフッと笑う。
「まさか、そんな野暮なことはしないよ。俺らの目的はあくまで同郷の者の救済だ。同郷から訓練所に連れ去られたのは、イリス、ジョーダン、サイモン、さらにサイモンの後に連れ帰ったグリーリスの4人だけだ。もう俺らの目的は完全に達したんだ。それを超えて酒場に対してどうこうするつもりはないよ」
それは本当に「野暮なこと」なのだろうか。
酒場の存在を放置していれば、違う村でも同じ被害が起きるのではないだろうか。
酒場を放っておくわけにはいかないのではないか。
私が意見を口にする前に、それに、と言ってトーラスは続ける。
「君の仕事を奪うわけにはいかないしね。まあ、もしかすると、この話を聞いてしまった以上、君はあの酒場とは距離を置きたいと思うかもしれない。君が酒場でのバイトを続けるかどうかは君次第だ。君の人生についてのことだからね」
トーラスから真実を聞いた翌日、私は、手書きの辞表を持って酒場に出勤した。
もっとも、ムーランの考えも知りたかったので、辞表はとりあえずポケットにしまったまま、開店準備時間を使って、彼女に、トーラスから聞いた話について説明した。
大事な話だというのに、ムーランはいつもどおり興味なさげに、終始チラチラと時計を確認しながら聞いていた。
「マスター、私がトーラス達から聞いた話は真実ですよね? この店は『人身売買』の仲介役なんですよね?」
「ああ、そうだよ」
ムーランは驚くほどに呆気なく認めた。
「マスターは、この店がやっていることは悪いことだと思わないんですか?」
「思うよ」
「じゃあ、なんでやってるんですか?」
「仕事だからね」
答えになっていない、と私は思った。
「仕事だったとしても、もしそれが悪い仕事だったら辞めればいいじゃないですか」
「でも、私が辞めても、組織はやめないよ。また次の主人を新しく雇って同じようにビジネスを続けるだけさ」
「そうかもしれないですけど……」
なんとなくムーランに上手く言い包められているような気がしたが、かといって、どう反論すればいいのか分からなかった。
仕方なく、私は、他に気になっていたことを訊くことにした。
「マスター、本当に気付いていなかったですか?」
「何に?」
「死体が偽物であることに、です」
それが人喰い鬼のものである、とまでは気付けないとしても、持ち込まれた腕や脚が紹介した者のものではないことには気付けたのではないか。
少なくとも、疑うことはできたのではないか。
「ああ、気付いてたよ」
ムーランはこちらも呆気なく認めた。
「最初は半信半疑だった。トーラス達の狙いにちゃんと気付いたのは、イリスの『交換品』として、彼らがジョーダンを指名したときだね。イリスは僧侶だから、イリスの代わりには同じく僧侶を選ぶのが普通だろう。しかし、彼らは魔法剣士であるジョーダンを選んだ。僧侶と魔法剣士ではまるっきり役割が違うでしょ。そして、私は、イリスとジョーダンが同郷であることを知っていた。もちろん、サイモンとグリーリスについても同郷だと知っていた」
「トーラスさん達が、『戦力保証』制度を悪用して、メンバーを解放しようとしていたことに気付きながら、あえてそれを止めなかったということですか?」
「ああ、そうだね」
そういえば、ムーランは、トーラス達がグリーリスを連れ帰った時点で、「もうトーラス達はうちの店には来ないから」と断言していた。
これは、彼女が、トーラス達の狙いに完全に気付き、かつ、同郷の者を連れ帰るというトーラス達の狙いが実現していたことを知っていたがゆえの発言だったということか。
「なんでですか? なんでトーラスさん達を止めなかったんですか?」
「だって、野暮じゃないか」
「野暮」。トーラス達も口にしていた言葉だ。
「私は淡々と私の仕事をするだけさ。トーラス達が一定の『証拠』を示した以上、私の仕事は、契約書どおり『戦力保証』に応じるだけだよ。組織のことも、トーラス達の狙いも私には関係ない。私は、私に関係ないことに首を突っ込まないのさ」
--ああ、そうか。そういうことか。
腑に落ちた私は、ポケットの中に手を入れると、辞表をぐしゃりと握り潰した。
「ミナちゃん、紹介するよ。これ、彼女」
私は、バーボンに入れる氷を割りながら、目の前に座った2人を見比べる。
一方は浅黒い肌の男で、もう一方は、対照的に、厚化粧で肌が真っ白な女だ。
「ジダルさんの彼女ですか?」
「ああ。可愛いし、器量も良くて、俺にぴったりな彼女なんだ」
「へえ」
妻子持ちなのに「彼女」とは一体どういうことだろうか。
こんな正々堂々と不倫をし、それを酒場の女の子に嬉々として紹介してくるのはなぜだろうか。
本当に理解し難いし、許し難い男である。
しかし、そんなことは私には関係がない。
「お二人、とてもお似合いですね」
「だろ?」
ジタルは満足げに女の肩を抱く。
私は、なるべく不自然にならないように気を付けながら、笑顔を作る。
野暮なことで興を冷まさない。
酒場とはそういう場所である。
意表を突く「人喰い鬼」の使い方が肝となる作品でした。バラバラ死体という本格風のギミックに対し、ファンタジーならではのトリックで決着をつけてみました。
序盤に持ってくる話にしては難解過ぎたかなと反省しているところですが、体力のない作者が1万4000字弱を無事書き切れたことに安心しています。
最後のオチについては、セクハラを容認しているようにとられてしまったらどうしようとビクビクしながら書きました(ただでさえ、「旅立ちの日の殺意」の「女の子の日」の下りをリア友に注意されているのに……)
次の「真実の鏡の殺意」は、もっとシンプルで、ワンアイデア勝負、という感じの作品です。それなりに自信作なので、ぜひお目通しください。