出会いの酒場の殺意⑵
翌々日もまた、私はムーランとともに「出会いの酒場」の開店準備をしていた。
「マスター、聞いてくださいよ!」
カウンター内同士の至近距離でそれなりの大声を出したというのに、ムーランはビクリともせず、ワンテンポ置いてから私の方を振り返り、
「……どうしたんだい?」
といつも通りの低い声を私に投げ掛けた。
「ジタルさんって分かりますよね?」
一昨日の閉店間際に店を訪れ、私に粘着してきた客である。
「ああ、最近よくうちの店に来るね。ちょっと肌が浅黒い……」
「そうです! あのチャラ男です!! アイツ最悪ですよ!!」
「ミナ、どうしたんだい? そんなに興奮して……。……ジタルにお尻でも触られたのかい?」
私は頬を膨らませて、大きく首を横に振る。
「違います。あのチャラ男、私に、女の話ばっかりしてくるんです。最近デートしたとか、ホテルに行ったとか……」
「ふーん、あの男、なかなかモテるんだね」
「そういう問題じゃないです」
「どういう問題なんだい?」
「私、ジダルさんに訊いてみたんです。『特定の彼女はいないんですか?』って。そしたら、アイツ、信じられないことに、既婚者なんですって!! しかも、小さなお子さんまでいるらしくて!!」
「へえ。それで?」
「奥さんが気付かないのをいいことに浮気ばっかりして!! 本当に許せないですよね!! だから、私、アイツに言ってやったんです!! 『奥さんの気持ちも考えたらいかがですか』って!! そしたら、なんて答えたと思います!?」
「さあね。……なんて答えたんだい?」
「『妻は俺に惚れてるからいいんだよ』って!! 信じられませんよね!!」
「ほお……」
言葉に出せば出すほど熱くなっていく私とは対照的に、ムーランの方は徐々に冷めていくように見えた。
「マスターは許せますか!? 女の敵ですよね!?」
「許すも何も、他人の生き方は他人の自由だからね……」
「自由過ぎるんです!! 奥さんが可哀想!! 今度店に来たら出入り禁止を言い渡そうかしら」
「ミナ、アンタにそんな権限あるのかい?」
たしかに私はアルバイトの立場に過ぎない。しかも、まだバイトを始めて1ヶ月である。
「それはそうですけど……」
「アンタ、いくつだっけ?」
「今年で23歳ですけど」
「ふーん、10代かと思ってたよ。大人になれ、とは言わないけど、年相応にはなりな」
「どういう意味ですか?」
まさかムーランが本気で私のことを10代だと勘違いしていたはずはない。履歴書も見ているはずだし、第一、この店で私が客と一緒に酒を飲んでいるのを見ている。
足りない頭でムーランの言葉の真意を考えているうちに、ドアベルが鳴り、今日の最初の客が来店した。
一昨日の夜同様、トーラスのパーティーだった。そして、一昨日の夜同様、時刻は開店時間ちょうどである。
「いらっしゃいませ」
私の迎えの言葉に反応しないのも、一昨日同様だ。
そして、トーラスを先頭とした3人組なのも一昨日同様――
待てよ。おかしい。
トーラス達は、この「出会いの酒場」で新しいパーティーメンバーを迎えたはずだ。
なぜ4人組ではないのか。
ムーランも私と同じことを思ったのだろう。怪訝な目でトーラス達を見ていた。
もっとも、トーラス達はそれを意に介さず、一昨日と同じく、ムーランの目の前に座った。
「マスター、とりあえずビールを一杯ずつ」
「待て。トーラス、イリスはどこにいるんだい?」
「イリス」というのは、一昨日、トーラス達に紹介した僧侶である。
「イリスは死んだ」
トーラスは、あまりにも呆気なくそう告げた。
「そんなに強い魔物相手じゃなかった。ただ、彼女はあまりにも実力不足だった」
「そんなことないはずだよ。訓練所でちゃんと鍛えてあるから」
「だとすると、実戦不足だ。訓練と魔物との実際の戦闘は違うからな。それより早くビールを」
ムーランは反論したそうではあったが、黙って頷くと、私にビールを注ぐよう指示した。
「それで、トーラス、今日は何しに来たんだい? 飲んでイリスのことを忘れるためかい?」
「マスター、それもあるが、それだけじゃない。契約の履行を求めに来たんだ」
そう言って、トーラスは、皮のカバンの中から、一昨日イリスの紹介を受けた際に交わした契約書を取り出した。そして、それをカウンターテーブルの上に広げる。
「第13条に規定がある。読み上げるぜ。第13条【戦力保証】 紹介したパーティーメンバーが戦力とならなかった場合には、紹介後8日以内であれば、別のパーティーメンバーと交換いたします。なお、紹介したパーティーメンバーが、加入後8日以内に死亡もしくは重大な負傷をした場合も含みます」
トーラスが読み上げた条項は、私にとってははじめて見聞するものだった。
少なくとも、私がバイトを初めてからこの条項の適用を求めてきたパーティーはいなかった。
「マスター、契約書にこう書かれている以上、イリスを別のメンバーと交換してもらえるんだよな? もちろん無料で」
「……ああ、そうだね」
「不服そうにしないでくれよ。別に俺が入れた条項じゃないんだ。俺は、ここの店が用意した契約書に言われるままサインしただけなんだから」
「分かってるさ……」
ただ、とムーランは続ける。
「証明はしてもらわないとね。イリスが本当に死んだことを証明しておくれ」
ムーランの言う通りだ。
戦力保証の条項が存在しているとしても、その要件を満たしていることが証明されなければ、条項を適用することはできない。
酒場として1人分の料金で2人を紹介するわけにもいかないし、そもそも、この世界のルールとしてパーティーメンバーの上限は4人と決まっている。
もしかするとイリスは生きていて、単に店の外で待っているだけかもしれない。トーラス達はそのことを隠し、新たなパーティーメンバーを詐取しようとしているのかもしれない。
「マスター、証明するというのは、死体を見せろ、ということか?」
「そうさ」
心情的にはムーランに寄っていたが、それはさすがに無茶なのではないかと思った。
イリスが魔物との戦闘で死亡したのだとすると、死体は綺麗な状態ではないだろう。そして、冒険の最中、わざわざ死体を拾い、帰りまで持ち歩くというのも現実的ではない。
しかし、トーラスは、
「そう言われると思ってたよ」
と言い、皮のカバンの中から、何か長細いものを包んだ風呂敷を取り出した。
「最初に断っておくが、イリスの死体全ては回収できなかった。魔物によって引き裂かれ、バラバラにされていたからね。でも、一部については、証明を求められたときに備えて持ち帰ったんだ」
トーラスが広げた風呂敷に入っていたのは、人間の片腕だった。
肘より先で切断されているが、指は5本とも揃っている。血を拭き取った跡だろうか、所々に黒いシミのようなものが付いていたが、肌は白っぽく、その細さからも女性の腕に見えた。
私は叫び声を上げる直前だったが、ムーランは淡々と、
「それだけかい?」
とトーラスに尋ねた
「ああ。これだけさ。これ以外のパーツに関しては、跡形もなかったからね。マスター、これ以上は勘弁してくれ。俺らにあまり重い立証責任を課すべきじゃないだろ。おたくが事業者で、こっちは消費者側なんだから」
ムーランは、しばらく黙ったままで、トーラスから提示された「証拠品」を近くで見たり、持ち上げたりしていた。
果たしてムーランは紹介対象者に過ぎないイリスと面識があるのだろうか。たとえ面識があったとしても、腕だけを見て、それがイリスの腕と判断できるのだろうか。
私には、ムーランが一体何を吟味しているのか分からなかったが、彼女は、しばらく「証拠品」と睨めっこしていた。
2分ほどの吟味の後、ムーランはふうとため息を吐くと、
「了解。それじゃあ、新しいメンバーを選びな」
と言って、トーラス達に例のリストを提示した。