出会いの酒場の殺意⑴
「ミナ、人喰い鬼の話は聞いた事あるかい?」
一度聞いたら忘れられない独特なハスキーボイス。これまで数多の殿方を魅了してきた蠱惑的な声は、同性の私にとっても耳触りが良い。
酒場のマスターであるムーランは、黙り込んでいる私に、「聞こえてるかい?」とさらに問い掛ける。私が、ただ彼女の声にうっとりしているだけであることには気付かずに。
「……は、はい! 聞こえてます!!」
私は慌てて返事をする。
しかし、そこから先が続かない。
はて何の話だったか。
「聞いてなかったみたいね」
「……す、すみません……」
「いいや、目の前の仕事に夢中になるのは殊勝なことさ」
私は、ただムーランの声に聞き惚れていただけなのに、カウンター内での洗い物に気を取られていたものと解釈されたらしい。
私は、止まっていた手を動かし、慌ててスポンジを泡立てる。
「別に大した話じゃない。単なる世間話だよ。ミナ、人喰い鬼の話は聞いたことあるかい?」
「人を喰う鬼ですか……?」
「そうそう。文字通りさ」
ただし、とムーランは続ける。
「『鬼』と言っても、見た目は人間と何も変わらない。人を喰う人、のようなもんだよ。人間の姿で、人間を騙し、信用させ、油断させたところを喰らう」
「それは怖いですね……そんな恐ろしいモノが本当にいるんですか?」
「ああ」とムーランは深く頷く。
「ミナ、やっぱりアンタは遠くの国からの出稼ぎだから知らなかったか。この地域にはいるんだよ。人間の姿形をした人喰い鬼が。昔からね」
全然知らなかった。
私は、そんなことなどつゆ知らず、憧れのムーランの下で働けるということ、それから、高い時給に釣られ、まんまと危険な地へと降り立ってしまったわけだ。
「アンタは素直で純朴で、すぐに騙されそうだから、気を付けな。知らない人とは2人きりにならない方がいい」
「……はい。そうします」
「鬼だけじゃない。アンタは男にも気を付けな。最近は、アンタ目当ての客もちらほらいるみたいだから」
それも全然知らなかった。
この酒場で働き始めてまだ1ヶ月で、客の視線など気にする余裕がなかったからかもしれない。
否、私が飛び抜けて鈍感なだけか。
だからこそ、ムーランは私のことを心配し、声を掛けてくれたに違いない。
はて、ムーランが指摘した「私目当ての客」とは一体誰のことだろうと、ここ1ヶ月で出会った男性客の顔を思い出しているうちに、カランカランとドアベルが鳴り、本日最初の客が入ってきた。
カウンターの背後にある掛け時計を見ると、開店時間の20時ちょうどだった。
「いらっしゃいませ」
最初の客は男性3人組だった。見たことのない客だ。
3人とも若く、そして、背が高い。
バスケットボール部の同窓会かしら、などと勝手に想像する。
迎えの挨拶に対し、3人組のうち、先頭に立っていた男のみが、私に一瞥をくれた。
三白眼で少しキツイ印象を受けるが、女性のように肌が白く、美男子の部類に入るだろう。
一瞬身構えたものの、彼らは「私目当ての客」ではなかった。
ムーランの目の前の席に座ると、それから私に見向きもしなかった。
私はホッとしたような寂しいような複雑な気持ちになった。
3人組は、私目当てでもなければ、ムーラン目当てでもなかった。彼らが求めていたのは「出会い」だった。
ムーランが経営するこの店は、通称「出会いの酒場」という。
いわゆる「出会い系バー」の類ではない。
提供しているのは、話し相手でも一夜を過ごす相手でもなく、一緒に旅をするパーティーメンバーなのである。
どのようにしてパーティーメンバーを斡旋しているのか。
その「仕組み」について、実際にこの店で働き始めるまで、私は少しも理解していなかった。そして、働き始めた今でも、さほど理解は進んでいない。
唯一分かったことは、ムーランが斡旋できるのは予め紹介リストに名前が書かれている者に限られること、そして、そのリストに名前が書かれている者は、いずれも特定の訓練施設で戦闘を学んだプロフェッショナルである、ということだけである。
要するに、ムーランは、適当な人物を紹介しているわけではなく、強者だけを厳選して紹介しているわけである。
紹介者のクオリティの高さこそが、この店のブランドとなり、この店の名を世界中に轟かせているのである。
まあ、実際に来る客の大半は単に飲みに来ているだけ、もしくは、美人マスターのムーラン目当てなのだが。
しばらく次の客が来なかったので、私は、洗ったグラスをクロスで拭きつつ、ムーランと3人組の会話を横から聞いていた。
入店の際に私と目が合った三白眼の男が、3人組のリーダーであり、名前はトーラスといった。
彼らは、幼馴染同士で最近パーティーを結成し、この周辺のダンジョンをしらみ潰しに攻略しているらしい。しかし、どうしてもクリアできないダンジョンがあり、戦力を強化するために「出会いの酒場」を頼ったとのことだ。
「ダンジョンで稼いだんだ。決して楽な仕事じゃなかったぜ」
そう言って、トーラスは、ドンという音を立てて布袋をカウンターテーブルの上に置く。
留めていた紐を解くと、ジャラッと大量の金貨がテーブルに広がった。
「へえ、やるじゃない」
そう言うと、ムーランは一度カウンターを離れ、控室から1枚の用紙を持ってきた。
これが「紹介者リスト」である。
彼女は、興味本位の客や、実際にパーティーメンバーを雇うだけの資力のない客に対しては、リストを見せないようにしていた。トーラスのパーティーは無事ムーランのお眼鏡にかない、斡旋を受ける権利を得たのである。
トーラスのパーティーがリストに目を通している最中に、別の客が来店した。
飲み目当ての常連だ。
私がその客に対応し、愚痴のような自慢話のような、いずれにしても時給が発生していない限りは聞きたくないような話に耳を傾けているうちに、トーラスたちは新たに迎え入れるパーティーメンバーを無事決めたらしく、契約書にサインをし、酒場を出て行った。
一両日以内には、ムーランが紹介した屈強なメンバーがパーティーの元に送られることとなる。