魔王城の殺意⑵
雨は混じっていないものの、嵐といえるような風の強い夜だった。
僕は、絶望の洞窟へと続く高原を、うろつくよろいと並走していた。
得体の知れない恐怖心からうろつくよろいに護衛を頼んでしまったのだが、それが正しい判断だったかどうかは今となってはよく分からない。
むしろ、メタル系である僕の持ち前の素早さを使って、ピューッと絶望の洞窟まで行ってしまった方が良かった気がする。
うろつくよろいは、一生懸命走っているようであったが、お世辞にも足が速いとは言えず、現状は、用心棒というより完全な足手まといである。
とはいえ、この不安な状況の中、誰かと一緒にいられるということはありがたいことではあった。
冷たい夜風が興奮を醒まし、落ち着けば落ち着くほど、事態の最悪さが身に沁みて分かってきたからである。
話し相手がいなければ、平常心など到底保てない。
「魔王様は無事なのでしょうか……?」
「……さあな。分からない」
「無事を信じるしかないですね」
「そうだな。俺らにできることは、魔王様の無事を信じること。そして、さいごのカギを一刻も早く入手することだ」
「ですね」
魔王の安否確認に関しては、パートナーであるゴーストに頼んである。
彼は非力であるため、戦闘に巻き込まれてしまうと少しも役に立たない。
しかし、壁をすり抜けられるという特殊能力を持っているため、現状、魔王の間の内部を確認することができる唯一のモンスターなのである。
もしも、彼が魔王の間に侵入した結果、魔王が無事であることが分かれば、今回の騒動は単なる「ボヤ騒ぎ」のようなものだったということになる。
単にうろつくよろい達が護衛の途中で居眠りし、寝ぼけて幻想を見ていただけということだ。
そうなれば、今絶望の洞窟まで駆けていることも無駄足に終わるのだが、それに越したことはない。
もし、魔王の身に何かがあれば、まさしく一巻の終わりなのだから。
「本当に人間は非情ですよね」
思わず僕は愚痴をこぼす。
「……どういう意味だ?」
「そのままの意味です。だって、彼らは、僕らモンスターの見た目が醜い、というそれだけの理由で、僕らの命を奪い、この世界から排除しようとしているんですよ」
「……それだけの理由じゃないだろ」
「いいえ。それだけの理由です。僕らモンスターから積極的に人間を襲うことなんてないんです。僕らの見た目を恐れた人間が先に攻撃をしてくるか、もしくは人間が僕らの住処を荒らそうとするから、僕らは正当防衛として戦っているだけです。うろつくよろいさんはそうじゃないんですか?」
うろつくよろいは何も答えなかった。彼の役割はお城の護衛なのだから、彼のやっていることは「正当防衛」の典型だと思うのだが。
しばらく待ってもうろつくよろいの返事はなかったので、僕はさらに話を続ける。
「僕は、本来、モンスターと人間は共存すべきだと思っています」
「そんなことできるのか?」
「ええ。人間が僕らのことをちゃんと理解し、僕らの話にちゃんと耳を傾けさえすればですけど」
「俺は無理だと思うな」
「たしかに人間を信用するのは難しいです。でも、いずれは僕らと人間との間にあるわだかまりがとき解され、モンスターと人間が和平する日が来ると思います」
「そんなの理想論だろ」
たしかに理想論かもしれない。
しかし、そうするほかに僕らモンスターが生き延びる道はないように思える。
僕らモンスターは、今まで何度も勇者の「侵略」に立ち向かい、耐えてきた。しかし、正直、もう限界だ。あまりにも多くの犠牲を出し過ぎた。まともに戦えるモンスターなどほとんど残っていない。
その中でのオズワルドの登場である。
仮に今回の件がうろつくよろい達の妄想だったとしても、近々白旗を振らなければならない状況であることには変わりがないのだ。
「魔王様だって、僕と同じ考えでしたし」
「……魔王様が?」
「ええ。うろつくよろいさんはご存知ないですか? 魔王様は、一貫してずっと和平派です。はるか昔になりますが、もう少し人間が穏健だった頃には、魔王様の方から人間のトップに対して話し合いの場を持ちかけたこともあるんですよ。にべもなく拒絶されましたがね」
またしてもうろつくよろいは黙ってしまった。
僕の考え方は、モンスターの中では多数派なのだが、彼は少し違う考えを持っているのかもしれない。
彼は、人間を恨み、敵視しているのである。
その考え自体を否定する気はさらさらない。
今まで人間から受けていた仕打ちを考えれば、そのような気持ちになるのは致し方ないからである。
結局、絶望の洞窟に到着するまで、1時間ほどかかった。
もっとも、それで無事「ゴール」とはいかない。
僕らの目的であるさいごのカギは、ダンジョンの最深部で保管されている。
絶望の洞窟の内部は入り組んでいるので、決して土地勘があるわけではない僕とうろつくよろいが最深部付近に辿り着くためには、さらにもう1時間くらいの時間を要した。
絶望の洞窟の最深部に向かう細い抜け道。
そこは深緑色の扉によって塞がれていた。
「さて、ここで僕の出番ですね」
最深部へと至る扉を開けるためには、さいごのカギとはまた別のカギ――あくまのカギが必要である。
これは、勇者に簡単に魔王の間に侵入されないための「二重の防護」だ。
魔王と戦うためには、勇者はさいごのカギを入手する必要があるが、そのさいごのカギを入手するためには、あくまのカギを入手しなければならないのである。
守衛室でうろつくよろい達に話したとおり、さいごのカギは決して複製することができない。
しかし、あくまのカギは違う。
今、この場で僕が複製できる。
「メタルスライム、カギはどこにあるんだ?」
うろつくよろいは、僕が手ぶらであるため、一体どこからカギを取り出すのか、と疑問に思っているようである。
しかし、そうではない。
カギは僕自身なのだ。
僕は深緑の扉に向かって跳ね上がり、ちょうど鍵穴があるところへとぶつかる。そのまま扉に張りつき、鍵穴に、金属でできた自分自身をドロリと流し込む。
鍵穴がみっしり埋まったところで、身体を硬直させる。
そして、そのまま捻る。
ガチャリ。
扉のカギが開いた。
僕自身を合鍵にして。
ガシャン、ガシャンと金属音を立てながら、うろつくよろいが拍手をする。
「すごいな」
「大したことないです。この能力でもさいごのカギにはなれませんしね」
「メタルスライム、ありがとう」
「いえいえ。大事なのはこれからです。早く吸血鬼の王からさいごのカギを預かりましょう」
「いや、君の仕事はもう終わりだよ」
うろつくよろいの発言の意味を理解する前に、僕に凶刃が向けられた。
「わあっ!!」
僕は、うろつくよろいが振り下ろした剣によって、弾き飛ばされ、岩壁に強く打ち付けられた。
そのまま、ずり落ちるようにして、地面に倒れ込む。
「さすがメタルスライム。防御力は一級品だな」
「……うろつくよろいさん、一体何をするんですか……?」
「もちろん君を殺すんだ。君はもう用済みだからね」
うろつくよろいが剣を握ったまま、一歩一歩僕との距離を詰める。
間違いなく本気である。
逃げなければ殺されることは明らかだったが、先ほどの一撃で痛手を負った僕の身体は、少しも言うことをきかなかった。
「……どうしてこんなことを……?」
「君に教える義理はない」
うろつくよろいがゆっくりと剣を振り上げる。
「……僕を殺したらどうなるか分かってますか……?」
「たくさん経験値がもらえる」
「……違います。僕を殺したら……」
「黙れ。命乞いするな」
「違います。命乞いなんかじゃ……」
「黙れと言ったはずだ」
うろつくよろいが剣を振り下ろす。
その瞬間、よろいの中の彼と目が合った。
――ああ、無理だ。彼には話は通じない。
その目を見ただけで、僕は悟った。
それくらいに彼の目は暗澹とし、濁りきっていたのである。