魔王城の殺意⑴
ガンガンガンガンガン……
金属同士がぶつかり合うあまりにも耳障りな音が、部屋全体に振動として伝わる。
時刻は深夜2時半。
はめ殺しの窓の外は真っ暗である。
ベッドで横になっていたメタルスライムは、その耳障りな音によって目を覚ますと、露骨に不機嫌そうな顔をする。
とはいえ、彼はこのお城の守衛であり、今まさに仕事中なのであるから、二度寝をするわけにもいかない。
「は〜い、今行きま〜す」
腑抜けた返事をすると、メタルスライムは、ベッドを飛び出し、ドアの方へと向かった。
彼が口を器用に使ってサムターンを回すと、部屋に雪崩れ込んできたのは、鋼でできた2体の鎧だった。
「うろつくよろい」というモンスターである。なるほど。彼らがドアを叩いていたのであれば、このような騒がしい音になるはずである。
「……うろつくよろいさん達、一体こんな時間にどうしたんですか?」
メタルスライムが重いトーンで尋ねる。
うろつくよろいは、魔王城の護衛である。
2体揃って、お城の最深部にある魔王の間の扉を見張っている。要するに、彼らは魔王城の心臓部分を護衛している。
彼らに、こんな時間に守衛室に訪れなければならないような緊急事態があったのだとすれば、それは魔王にとっても緊急事態である可能性が高い。
案の定、うろつくよろいが口にしたのは最悪の事態だった。
「……魔王様が殺されたかもしれない」
「え!!??」
魔王の崩御――それはモンスター族の終わりを意味する。
この世界では、モンスター族と人間族とが共存している。共存、と言っても、決して同化しているわけではない。むしろ人間族はモンスター族を「敵」として認識し、この世界から排除しようとしている。この世界の歴史は、人間族とモンスター族との戦いの歴史なのである。
もっとも、お互いが滅ぼされることなく、今日まで「共存」できていたのは、お互いの力が均衡していたからである。その背景には、モンスターを統べる者である魔王の絶大な力がある。
魔王が殺されてしまえば、長年続いた均衡状態が崩れてしまう。
この世界からモンスター族が排除され、駆逐されてしまう。
「……今回の勇者が『最強』だったというのは、単なる噂ではなかったんですね……」
「……そうかもしれないな」
人間族には「勇者」と呼ばれる、魔王討伐を使命とした者がいる。
これまでの歴史において、モンスター族の必死の抵抗により、勇者が無事目的を達したことはない。いずれも魔王城に到達する前に志半ばで倒れ、次の勇者に役割を引き継いでいる。それなりの犠牲はあったものの、モンスター族の「最後の砦」は守られ続けていたのである。
しかし、今回の勇者は今までとはレベルが違う、という噂が流れていた。
今回の勇者――オズワルドは、過去最強の勇者であり、魔王討伐を果たすほどの実力があるだろう、と噂されていたのである。実際に、すでにモンスター族の拠点がいくつも、あっという間に破壊されてしまっている。
ゆえに、魔王城の護衛であるうろつくよろいも、守衛であるメタルスライムも、Xデーはそう遠くないと覚悟はしていたはずである。
しかし――
「でも、早過ぎませんか? だって、オズワルドはまだ『さいごのカギ』を入手していないはずです」
さいごのカギ――それは魔王の間に入るために必須のアイテムである。
すなわち、魔王城の最深部にある魔王の間の出入り口は1箇所しかない。
そして、その唯一の出入り口の扉は固く閉ざされており、さいごのカギを使わない限りは開けられないのである。
では、そのさいごのカギはどこにあるのかというと、魔王城から数キロ離れたところにある、「絶望の洞窟」と呼ばれるダンジョンで保管されている。
ダンジョンの最深部には吸血鬼の王がいて、彼を倒さない限りはさいごのカギは手に入らない仕組みである。
そして、吸血鬼の王が倒されると、その下僕であるコウモリ達によって、魔王城まで、さいごのカギが入手されてしまったことが知らされる仕組みとなっている。
しかし、その知らせは未だに魔王城に届いていない。
「オズワルドが魔王の間に入れるはずありません!! さいごのカギはまだ絶望の洞窟にあるんですから!!」
「そうなんだよ。だから、魔王様が殺された、とまでは断言できない。最初に言っただろ。『魔王様が殺されたかもしれない』って」
「……どういう意味ですか?」
「俺と相棒の2体は、魔王の間の扉を護衛している。とはいえ、メタルスライムの言う通り、まださいごのカギは入手されていないはずだから、油断していたんだ。少しの間、2人揃って眠り込んでしまった。そうしたところ、魔王の間で、激しい物音が聞こえたんだ」
「物音……ですか?」
「ああ。武器と武器をぶつけ合うような音だ。魔王の間で戦闘が始まったんだよ。そして、しばらくすると、魔王様の悲鳴が聞こえた」
「悲鳴……」
「ただの悲鳴じゃない。あれはまさに断末魔の悲鳴のようにも聞こえた」
「そんな……でも、ちょっと待ってください。さいごのカギがないんですから、オズワルドは魔王の間の扉を開けられないはずですよね? オズワルドだけではありません。さいごのカギがなければ、誰も扉は開けられないはずなんです。魔王様を襲った何者かは、一体どうやって扉を開けたんですか?」
魔王の間は常時閉ざされている。また、お城に宿っている特殊な魔力によって、壁を壊すとか、床を壊すといったこともできず、扉以外に出入りの手段は存在しない。
魔王を襲った犯人は、必ず扉を開けて入ったはずである。
「分からない。俺と相棒が気付いた時には、すでに扉は閉まっていて、中には入れない状態だったんだ。だから、魔王様を助けるために戦いに加勢することもできなかった」
先ほどから話しているうろつくよろいとは別のうろつくよろいが、頻りに首を縦に振る。その度にガシャンガシャンと金属がぶつかる音がする。
「魔王様の悲鳴が聞こえてから、その後はどうなったんですか?」
「……それも分からない」
「どうして分からないんですか?」
「俺たちは魔王様の悲鳴が聞こえた途端、これは大変なことになったと思い、慌ててここに駆けてきたんだ」
「それはマズイですよ」
「何がマズイんだ?」
「だって、魔王の間に侵入した何者かを取り逃がしてしまうじゃないですか。魔王の間は密室なんですよ? うろつくよろいさん達がそのまま扉の前で見張っていれば、魔王様を襲った者は必ずその扉から出てくるはずですから、捕まえられたかもしれませんよね? 今まさに犯人は逃走しているかもしれませんよ?」
「……たしかにそうかもしれない」
ただ、とうろつくよろいは続ける。
「魔王様が殺された後に犯人を捕まえるよりも、魔王様が殺される前に扉を開ける方が大事だろ?」
うろつくよろい達は自分達の判断が正しいことを疑っていないようであったが、実際にはそれは誤った判断である。
メタルスライムもうーんと唸ってしまっている。うろつくよろい達はある大きな勘違いをしているのである。
「ここは守衛室で、メタルスライム、君はこの魔王城の守衛なんだろ?」
「ええ。そうですが」
「じゃあ、さいごのカギの合鍵もここで管理されてるんだろ?」
やはりそうか、と呆れたように、メタルスライムは大きなため息をつく。
「残念ながら、さいごのカギの合鍵など存在しません。魔王の間の扉は特殊な魔力がかかっていて、さいごのカギそのもの以外によって開けることは断じてできないのです。ですので、当然、この守衛室にもそのようなものはありません」
「そんな……」
うろつくよろい達が守衛室に駆け込んだ理由は、さいごのカギの合鍵目当てに違いないということには、話の途中から薄々勘づいていた。
もし戦力的な助けを得たいのだとすれば、もっと他の屈強なモンスターに声を掛けるべきであり、メタルスライムや私に助けを求めるのは間違っている。
メタルスライムが、部屋の片隅にいた私に声を掛ける。
「ゴースト」
「……はい」
「手分けをしよう」
やはりうろつくよろい達は今まで私の存在に気付いていなかったようで、まるでお化けにでも会ったかのように慌てて後退りをする。
まあ、たしかに私はお化けの魔物なのだし、存在感は極めて薄いからやむを得ないが。
「ゴースト、君は今から魔王の間に行って、中の様子を見て欲しい」
「了解」
「僕は、だいぶ時間はかかるけど、今から絶望の洞窟に行ってくるよ。そこで、吸血鬼の王と会って、さいごのカギが無事かどうなのかを確認してくる」
「了解」
「ちょっと待ってくれ」
私が浮き上がろうとしたところ、うろつくよろいが声を掛ける。
「君達が二手に分かれるならば、俺達も二手に分かれてついて行くよ。もし途中で犯人に遭遇したり、戦闘に巻き込まれたりしたら、君達じゃ対処できないだろ? 用心棒代わりさ」
メタルスライムは少しだけ考えた後、
「それもそうですね。よろしく頼みます」
と、うろつくよろいの提案に乗った。
「ようやく魔王の間につくね」
私が話しかけても、うろつくよろいは返事をしなかった。
守衛室に駆け込んできた2体のうち、喋っていたのは一方だけであり、もう一方はずっと黙りっ放しであった。その無口な方が私の護衛役だったのである。
内気な性格なのは結構だが、さすがに一言も口をきかないというのは、お化けのようで不気味である。
だから、というわけではなく、そもそも私はうろつくよろいが護衛としてつくことには内心反対だった。
なぜなら、彼が一緒だと、魔王の間につくまで遠回りをしなければならないからである。
正確に言うと、それは遠回りではなく正規ルートなのだが、私単独ならば大幅なショートカットができるはずだった。魔王様の緊急事態なのだから、私の身の安全よりも迅速さの方が大切だろう。
しかし、メタルスライムが承諾してしまった手前、従うほかなかった。
くだらない話だが、守衛歴は彼の方が長い。
もっと言うと、私は最近この城に派遣されたばかりの見習いだから、彼が決めた方針に異を唱えることなどできなかったのである。
魔王の間の扉は、やはり閉まっていた。
うろつくよろいがドアを押したり引いたりしてもビクともしない。
直接開け閉めしたことはないが、メタルスライムから聞いた話によると、オートロックのような仕組みとなっており、扉を閉じると自然と鍵がかかる仕組みらしい。
ゆえに、扉の鍵が閉まっているからといって、侵入者が魔王の間からすでに出ているのか、それともまだ中にいるのかは判断ができない。
ここで私の出番である。
「ちょっと待ってて。今、部屋の中を確認するから」
相変わらずうろつくよろいは返事をしないため、彼が私の言葉をどのように受け止めたのかは分からなかったが、おそらく意味は分かっていないものと思う。
私の特殊能力について理解している者は、この城でもメタルスライムくらいである。
城の主である魔王ですら、新入りの私については、かろうじて存在を知っているくらいなのである。
私は、うろつくよろいに目に物を見せてやる、くらいのつもりで、その能力を披露した。
他者を驚かせることが好きなのは、私が生来有している本能である。
私は、魔王の間の壁に向かってスーッと進んでいくと、そのまま通り抜けた。
私の特殊能力は、壁をすり抜けることである。
どんな壁でもすり抜けることができる。
特殊な力により、頑丈で壊すことができない魔王の間の壁であろうともだ。
守衛室でよく喋っていた方のうろつくよろいが「悲鳴を聞いた」と言っていたため、私は、魔王の間で何かしらの異常事態が発生している可能性があるとは思っていた。
とはいえ、半信半疑だった。
「悲鳴を聞いた」後の出来事についてはうろつくよろいも分からないと話している。
そして何より、さいごのカギが入手されていない以上は、魔王の間は完全密室なのである。
自分のような特殊能力を有しているならまだしも、そうでない何者かが魔王の間に侵入し、魔王を襲うなど、物理的に不可能なのである。
そのため、壁をすり抜けた先に見えた光景は、私にとって驚きだった。
「……ま、魔王様……」
魔王の間の中心に敷かれた赤い絨毯の上で、魔王がうつ伏せで倒れていた。
私は、魔王と直接会って話したことまではないものの、魔王の間の外で、一度だけ魔王を見かけたことがある。
私の目の前で倒れているのは、間違いなくその魔王であった。
そして、魔王は、単に倒れているだけではなかった。
魔王は死んでいたのである。
それは一見して明らかであったが、念のため近付いて呼吸の有無、脈の有無を確認したところ、やはりいずれも無であった。
なお、部屋の中には、魔王以外には誰もいない。
――これは大変なことになった。
このことを、いち早く誰かに伝えなければならない。
私は、大急ぎで、魔王の間から脱出した。
その際、部屋の内側からカギを開けて扉から出る、ということもできたのだが、咄嗟の判断で、私は、入ってきた時と同じように壁をすり抜け、部屋の外に出た。
「うわあ」
突然白い光に包まれ、私が絶命したのは、魔王の間を出たのとほぼ同時だった。