十角獣館の殺意⑶
5 〜ピクシー〜
ひどい嵐に見舞われただけでも最悪の1日だったのに、まさか館の中で殺人事件が起きるなんて。
しかも、殺されたのはドラゴンだけではない。
私が部屋のベッドで横になり休んでいるうちに、執事のスライムまでもが犠牲になったのである。
スライムの死体は、鉈とともに、1階のロビーに落ちていた。
否、落とされていたのである。
スライムの悲鳴の後すぐにドンっという大きな音が響いた。
スライムが自分の頭を鉈で砕いた後に自ら飛び降りたということは考えにくい。明らかに他殺である。犯人は2階もしくは3階でスライムを鉈で殺害し、吹き抜けから1階に落としたのだ。
ドラゴンは少しキザだったがとても良い奴だったし、スライムだって、頼んだ事をコロッと忘れることもあったが、基本的には優秀な執事だった。ちゃんと寝てるか心配になるくらいに、朝晩問わずにフル稼働でこの館の雑務をこなしてくれた。
彼らはなぜ殺されなければならなかったのか。
犯人が一体何を考えているのかはさっぱり分からない。
もっとも、犯人について、一つだけ言えることがある。
それは、犯人は、オークかゴーレムかのいずれかということである。
嵐によって、無人島とこの館はクローズドサークルになっている。外部からの出入りはできない。
ゆえに、犯行が可能なのはオークかゴーレムだけなのである。
今、私は、そのオークとゴーレムと3人でテーブルを囲んでいた。
殺人鬼とこんな近くで過ごすのは私の望むところではない。
もっとも、鍵もない部屋で一人でいるよりは、例えその中に殺人鬼が混ざっていたとしても、3人一緒にいた方が安全であることも事実だった。
先ほどから続く無言の時間が耐えられなくなり、私はついに思っていたことを口に出してしまった。
「ゴーレム……あなたの仕業なんでしょ?」
「……は? 何の話だよ?」
「ゴーレム、とぼけないで。私には分かるの。こんなひどいことをできるのは、この館にあなたしかいない」
「ピクシー、お前、馬鹿なのか!?」
ゴーレムは椅子から立ち上がると、ズカズカと私に迫り、私のワンピースの胸ぐらを掴もうとした。
しかし、私に届く直前のゴーレムの手を、オークが掴み、制止した。
「おい。ゴーレム、やめろよ。これ以上暴れると犯行を自白したものとみなすぞ」
ゴーレムがオークを睨みつける。2人はしばらく睨み合ったまま、だったが、やがてゴーレムが腕の力を抜く。
「俺はやってねえよ。ドラゴンもスライムも殺しちゃいない」
「僕だって誰も殺してない。きっとピクシーだって同じことを言うだろう」
「じゃあ、誰が犯人なんだよ!?」
「残念ながら、僕には分からない。僕は犯人じゃないからね。……ねえ、ピクシー」
不意にオークに呼び掛けられ、私はビクッとする。
「ピクシー、君がゴーレムを犯人だと断定する根拠を教えて欲しい」
私は、このドラゴン及びスライムの殺害事件について何らかの推理をしたわけではなかった。
かといって、当てずっぽうでゴーレムを名指ししたわけではない。
「私、知ってるの。ゴーレムは、トレーナー時代もよく不正を働いていたわ」
「不正?? 俺が一体何の不正をしたって言うんだ?」
「よくそんな堂々としらばっくれられるわね。私、知ってるのよ。あなた、モンスターの『すり替え』をよくやってたでしょ?」
「すり替え」とは、モンスター闘技場における代表的な反則の一つである。
試合登録されたモンスターを、同じ種類の別のモンスターにすり替えて戦わせるという反則だ。
モンスター闘技場で行われる試合には、レベル無制限の戦いもあれば、レベル20以下、レベル30以下などの限定戦もあった。
たとえばレベル20以下の限定戦に、レベル20のリザードマンを事前に登録しておき、しかし本番には、そのリザードマンとは別の、レベル30のリザードマンを出場させるといった行為を「すり替え」という。
闘技場で戦うモンスターは番号付きのタグによって管理されているが、試合の直前に、そのタグを入れ替えるのだ。
「記憶にねえな」
「それは実際にやってた人の物言いよ」
「仮にやってたとして、それが今回の事件と何の関係があるんだ?」
「あなたがそういう人間だ、ということよ」
「てめえ」
ゴーレムがオークの手を振り払い、再び私に襲いかかってくる。
――殺される。
私は、すんでのところでゴーレムの拳を躱すと、館の外に向かって逃げ出していた。
嵐の中を私は土足で駆けていた。
ゴーレムから逃れたいという気持ちがあったが、それ以上に、この館から逃れたいという気持ちが強かった。
ゆえに、ゴーレムが私を追いかけるのをやめたことに気付いた後も、私は館から遠ざかろうと必死で走り続けた。
私が辿り着いたのは、無人島に一箇所だけある岬だった。
ここは、この島で一番開放感のある場所だ。
共同生活の中でストレスが溜まると、よく私はここを訪れる。
激しい風雨に打ち付けられ、目を開けていることすらできなかったが、それでも、あの館の中にいるよりはマシだと思った。
一体何分くらい岬で立っていただろうか。
もう10分以上経過しているかもしれない。
洋服から髪の先までびしょ濡れになった私は、さすがに屋内に戻らないと凍えると思い、肩を抱きながら、館の方へと振り返った。
その時、私はようやく、殺人鬼が私のすぐそばに迫っていることに気付いた。
「姫、もう気は済んだかい?」
そいつが持っていた包丁には、血がこびりついていた。おそらくドラゴンの血だ。
私は後退りをしたが、後ろは絶壁である。逃げ場などない。
「良かっただろ。大好きな岬に自分の墓標が立つんだ」
「きゃあああああ」
今、この場ですぐに気を失うことができればどんなに楽なんだろう――私の身体をメッタ刺しにしながら不気味な笑みを浮かべるそいつの表情を見ながら、私はそう思わずにはいられなかった。
6 〜オーク〜
ピクシーが館を飛び出してから、もうすでに1時間が経過していた。
雨霧の中に消えて行った彼女をほとんど追いかけることなく、ゴーレムはすぐに館へと戻ってきたから、僕はすでに1時間もの間、ゴーレムと館で2人きりだったということになる。
僕が犯人でないことは、僕自身が一番よく分かっている。
ゆえに、第三者がこの無人島に侵入してきたということがない限り、犯人は、ピクシーかゴーレムかのいずれかである。
まず、第三者の侵入の可能性はない。
この無人島には船着場が一箇所しかなく、そこには、常に館の居住人が共同で所有している船が停泊している。
その船を使うか、もしくは、その船を動かしている間に船着場に停留するかしか、この無人島に訪れる手段はない。
そのため、外部からの侵入があったかどうかを把握できるのであるが、ここ数ヶ月間、無人島への船の往来はなかった。
加えて、死んだと思われてる者が、実は生きている、ということもありえない。僕はそれぞれの死体を具に観察し、いずれも捏造ではないことを確認している。
とすると、犯行は内部の、今生きている人物によるものである。
ピクシーも指摘した通り、普通に考えれば、犯人はゴーレムだ。
ピクシーが行ったような悪性格の立証、というよりは、ナイフや鉈を使った犯行が女性によるものとは考えにくいように思える。もし被害者から反撃され、凶器を奪われたら、と考えると、自分より力のある相手に向かっていくのはあまり利口ではない。
その点、同居人の中でもっとも体格のいいゴーレムは、犯人像と合致している。
とはいえ、その程度では犯人を断定するには足りない。
ゆえに、ゴーレムと2人きりで館に取り残された僕は、警戒はしつつも、さも今朝から何もなかったかのように、居間でゴーレムと談笑したり、部屋で本を読んだりして過ごしていたのである。
結果、実際に何も起きなかった。
さらに1時間が経過した。
さすがにピクシーが戻って来ないというのは異常である。
季節は夏であるとはいえ、今日の気温はガクッと下がっているし、2時間も雨に濡れていたらかなり寒いはずである。
いくらこの館から、この現実から逃避をしたいとはいえ、さすがにそんな長時間は外に居られないはずだ。
僕は、ゴーレムにバレないようにそっと館を抜け出すと、無人島の岬へと向かった。
ピクシーがいそうな場所として真っ先に思いついたのがそこだったのである。
悪い予感は的中していた。岬には、ピクシーの他殺体が転がっていたのである。念のため近付いて確認したが、間違いなくそれはピクシーの死体であり、捏造されたものではなかった。
その瞬間、次の僕の行動は決まった。
生き残るためには、やられる前にやるしかないのである。
館に戻ると、ゴーレムは居間のソファでくつろいでいた。
「オーク、そういえばピクシーが帰って来ないな。もしかして、泳いでこの島から抜け出そうとでもしたのかな」
ピクシーを自らの手で殺めておきながら、よくもここまでとぼけられるものだ、と僕は感心する。
殺人犯というのは、おそらくそういうことが得意な人種なのだろう。
僕が護身用にポケットに入れていたナイフを突き出すと、彼の目の色が変わった。
「……オーク、お前が犯人だったのか……」
この期に及んでまでとぼける必要があるのだろうか。
僕は、ゴーレムの態度を不審に思ったが、ここで一瞬でも戸惑いを見せてしまえば、隙となる。
僕は、考えるのをやめ、ゴーレムへと突進した。
しかし、不意打ちに成功したからといって、肉弾戦では、やはりゴーレムに分があった。
彼は僕の肩を掴むと、そのまま僕を背後に押し倒した。
「てめえ、ふざけたことをしやがって!!」
ゴーレムは僕の手からナイフを踏んだくった。完全に形勢逆転である。
「ドラゴンとスライムの仇だ!!」
――こいつ、まさか本気で言ってるのか??
僕の心とは対照的に、彼の刃に迷いは無かった。
奪われたナイフで胸を一突きされた僕は、最期に下した自分の判断の正しさを検証しきれないまま、永遠の闇に意識を落とした。