旅立ちの日の殺意⑴
「レオン、起きて!! ……『……ムニャムニャ、もう春かい……』じゃないの!! あなたは冬眠中のクマじゃないし、季節はもう初夏よ!! 早く起きて!!」
栗毛の少女は僕から枕を取り上げると、その枕で僕の頭をバシバシ叩き始めた。
「いててて。ミーシャ、何するの? 朝から癇癪起こしてないで、リラックスしようよ」
「そんなのんびりしてる時間なんてないの!! もう!! レオン、今日は何の日だか分かってるの?」
「君の様子から察するに、今日は女の子の日かい?」
「バカ!!」
ミーシャは、枕を僕の脇腹に投げつけることによって空いた手で、僕の頬を思いっきりビンタした。
「痛!! ほらやっぱりイライラしてるじゃないか!!」
ミーシャがさらにもう一度平手で振りかぶったので、それを制するついで、僕はようやくベッドから上半身を起こした。
「ねえ、レオン。本当に今日が何の日か分からないの?」
先ほどまで夢の世界にいたため、まだ頭が現実世界にシフトしきっておらず、ミーシャの意図する答えがすぐには出てこなかった。
ちなみに、紹介が遅れたが、ミーシャは僕と同い年の幼馴染である。
家もお隣さんで、生まれた日もわずか3日違い。
そのあまりに近い距離感に、ミーシャの方は、僕のほっぺたは自由にはたいても構わないものだと勘違いしているらしい。
さてさて、僕は何を訊かれてたんだっけ? そうだそうだ。今日は何の日か、だ。
「ちょっと待って。えーっと、今日はたしか……。ああ、思い出した!! 今日は『旅立ちの日』じゃないか!!」
「旅立ちの日」。
それは僕らの住む街にとっての一大イベントであるだけではない。
僕らの住む世界全体にとってもとても大きな意味合いを持っている。
「そうよ。今日は大事な『旅立ちの日』よ。主役であるあなたが寝坊してどうするの?」
僕に軽蔑の眼差しを送るミーシャから一旦視線を外し、僕は壁の掛け時計を見遣る。時刻は7時ちょうど。
「なるほど。僕がなかなか起きないことで君がイライラする理由は分かったよ。とはいえ、旅立ちの儀式は8時半からだろ? あと30分は寝れるじゃん。おやすみ」
「ちょっと!! 毛布に潜り込まないで!! そんなのんびりしてる場合じゃないの!! だって、レオン、あなたは今日の主役なんだから!!」
「さっきから、『主役』、『主役』って言ってるけど、今日の主役は僕じゃないよ」
今日の「旅立ちの日」の主役は、僕ではない。
僕の父親だ。
僕の父親であるアレックスの職業は、勇者である。決して誰にでもなれるものではない。
自称「勇者」は腐るほどいるが、正真正銘の勇者は、この世界にただ一人。彼だけなのである。
そして、ここから先は説明するまでもないかもしれないが、アレックスの旅の目的はただ一つ。
魔王討伐である。
15年前にアレックスが討伐したはずの魔王が、昨今再び邪悪なる力を取り戻し、この世界の平和を脅かしている。
今日、アレックスは、世界の期待を一身に背負って、生まれ故郷であるこの街から旅立つのである。
それを祝した、街中を巻き込んだ壮行会こそが「旅立ちの日」と呼ばれるパレードなのだ。
「たしかに僕は父さんの一人息子だから、『旅立ちの日』のキーパーソンであることは間違いない。スピーチの1つや2つくらいはするつもりさ。ただ、主役じゃない。脇役だ。バイプレイヤーだよ」
「違うわ。レオン、今日の主役はあなたよ。何度も言わせないで」
我が幼馴染は元来頑固な性格ではあるが、なぜそこまで固執するのか。
「一人一人が主人公」などといった、小学校の教室に貼ってありそうな標語に今更感銘を受けたのだろうか。
「レオン、聞いて。勇者はあなたのパパじゃないの」
「は? 何を言ってるんだい? 父さんは高貴なる勇者の血を継ぐ正真正銘の勇者だよ。父さん以外には勇者は誰もいないさ」
「いるわ」
「誰?」
「あなた」
「え?」
「レオン、あなたが勇者なの」
先ほどからミーシャは一体何を言っているのか。
もしかして、僕はまだ夢の中にいるのだろうか。その割には頬にビンタの感触がまだ残っているが。
「は? ミーシャ、正気か?」
「ええ。だって、あなたは勇者の息子なんだから、あなただって当然に勇者の血を引いてるでしょ?」
「それはそうだけど、父さんが生きてる限りは、勇者は父さんだから。父さんが生きてる限り、僕に役目は回って来ない。それまでは僕はただのパンピーだよ」
ミーシャが大袈裟にため息をつく。
「レオン、物分かりが悪いわね。聞いて。あなたのパパは殺されたの。だから、レオン、今はあなたが勇者なの」
……え?
なんかすごいサラッと、とてもすごいことを言わなかったか?
「……ミーシャ、今、なんて言った?」
「今日の明け方、あなたのパパは、胸にナイフが刺さった状態で、遺体で発見されたの……どう? のんびり2度寝してる場合じゃないでしょ?」
マジでそう。
というか、ベッドの上でこんな茶番をしている場合でもない。
この幼馴染、絶対イカれてるだろ。
頭痛がしてきた。