S-9『血肉を貪り狂乱を紡ぐ滅びの大蜘蛛』
※このサブタイトルに意味はありません
夜
もうすぐ夕飯時になろうかという時間帯である
「…………」
にも関わらずシグルトは何もせず、カーペットの上に座ったままじっとしていた
そういえばこのマンション、ごく普通と見せかけて玄関で靴を脱ぐという東洋建築である
やや面倒だが、床で寝転がれるという利点がある
いやそんなことはどうでもいい
目下の問題は、銀髪を括ってエプロンを装備し台所を占領するお嬢様にある
高級食材を従えてシグルトの部屋に侵攻してきたフィリーネがあの態勢を取ってから、かれこれ30分
いつものような作業手順の大幅簡略はやっていない
それどころか、牛肉に下味を付けるという手の入れよう
そのへんはほぼ間違いなくエレンの入れ知恵だろうが、ガサツとぶっきらぼうの申し子たるフィリーネが何の省略も無しに実行するというのもおかしな話だ
「その……あれか?偽者とかか?」
「…………」
これ以上無いくらいメンチ切られた
うん、本物だ
「……はぁ…」
自分でも異常性はわかっているのか、はたまた別の何かか、溜息を吐き出して作業に戻った
フライパンを火にかけ、温まるのを待ってから油を敷く
程なくして、牛肉が踊り始めた
「なんか変な事でもあったか?」
「別に」
別にじゃないだろう
何と言うか、動きに落ち着きがない
真剣にフライパンを凝視する様は、前回のとても残念なカレーからは想像だにしなかった
やはり偽者か、それとも熱でもあるのか
いや
「そうか!これは夢か!」
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「いっぺん痛い目見れば現実ってわかってくれるのかしら……?」
「オーケー、夢じゃないってのは理解した、だから包丁突き付けるのはやめよう、マジで危ない……」
モーションゼロで眼前に迫られるとは思わなかった
なんというチート移動
「さっきからうだうだうだうだ私だって好きでこんな事やってんじゃないのよ!!」
「じゃあ何でやってんだよ!?」
「だ ま れ !!!!」
「とりあえず包丁降ろせーーーッ!!!!」
凶器はシグルトの眼前から離れ、生命の危機は脱した
「っ…………」
頭が冷えたのかどうかは知らないが、フィリーネ嬢は右手の包丁を見つめ
「はぁーっ…………」
深い溜息
「なんでこんな……なのに……」
「…あの……お嬢様。自己嫌悪中に申し訳ないんだが、コンロの火…」
台所を見る
そこには火にかけられたままのフライパンがあり、さらにその上には高級そうな牛肉が乗っている訳で
「とても不吉な黒い煙が……」
「………………ッ!!!!!?」
黒焦げの何かが完成した
「…………」
フィリーネはそれを目の前に茫然としている
「あー……うん、何と言うか、すまん」
結果的とはいえ原因を作ったのはシグルトなので、とりあえず謝っておく
「いや…いい…………いや…………」
どっちだ
というか目が死んでいる
「これ…最終手段の埋め合わせ……」
「へ…?…何コレ……」
「エロゲー」
神速で解放された窓から、やけにでかいパッケージは夜空へと消えていった
「た…高かったのに…!」
「16歳の女性があんなもん買ってんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇッ!!!!!!!!」
話がぶっ飛びすぎている
なぜ料理に失敗して埋め合わせがあれなのか
発案者は、1人しか考えられない。明日にでもあのライトパープルの髪をツインテにして『何だよ何しに来たんだよ帰れよ!!』とか言わせる事にしよう
「……で?何がどうなってこういう行動に及んだんだ?」
「何って、そりゃ…まぁ……」
理由を聞いただけなのだが
なぜか言い澱んでいる
それはともかくとして、フィリーネの服装
Tシャツジーパンにエプロンだが、その格好でもじもじされると何故か攻撃力がバカ高い
まるでこう、フラグ点灯直後の幼なじみを相手にしているような
「結構、迷惑かけたし…1回くらいはマトモな物作らないととか思って……」
いや
マジでフラグ点灯中のようだ
「フィー」
「何……」
「抱き締めていいか?」
「だ…は……」
意味を理解するのに10秒ほどを要したらしい
5秒あたりから顔に驚きが混じり始め、8秒あたりで頬が赤く染まった
「はあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!?」
「おま…近所迷惑……」
「いきいきなり何言って…!!」
「いや本能的に」
「この『禁則事項です』が!!!!」
「酷!!!!」
凄まじい勢いで放送コードに引っ掛かるような罵倒だった
隣近所から苦情が来ないかと心配していると、叫んでいたフィリーネは急に大人しくなり
「どうした?」
「……やるなら早くしなさいよ…」
「…………」
冗談だったんだけどな
でもなんかもうそういう空気だし
やっちゃっていいかな
やっちゃっていいよね?
「じゃ、行くz…………」
ガチャリと
玄関のドアが開きクトゥルフが入ってきた
「うぉーい、胃薬持ってきたぞー。大丈夫かー」
バッゴォォォォォン!!!!!!!!
「……大丈夫か?」
「なん…とか……」
ゼロコンマ2秒で足払い&背負い投げを喰らいフローリングの床に沈んだシグルトを見、クトゥルフはそう一言
「…はぁ……」
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「それでは第1回シグルト・チェンバース料理教室を始めます」
「「おー」」
返事をする生徒2名、片方が銀髪で、片方が明紫髪だ
「今回は基本からという事で肉野菜炒めを作っていこうと思います」
「「おー」」
冷蔵庫に残っていた豚肉を出し、フィリーネが持ってきた野菜類に足す。牛肉で成功していたらこれで何か作るつもりだったのだろう
「まずすべて一口大に切ります、口が小さければより小さい方がいいでしょう」
「相手が口裂け女だったらどうするんですか?」
「逃げてください」
慣れた手つきで包丁をまな板へ落としていく
やがてすべて切り終え、フライパンを火にかけた
「ここですぐに油を入れず、温まるまで待ちます」
「1時間ですか?2時間ですか?」
「1分から2分です」
サラダ油を適量足らし、まんべんなく広げてから、まず豚肉
「基本的に硬いものから入れていきましょう」
「先生!ニンジンの方が硬いです!」
「肉と野菜の違いについて一から勉強しなおしてください」
少しずつ感覚を置いて全部入れ、更に炒める
野菜の水気がなくなり、しおしおになってきた
「肉にきつね色が付いてきたら醤油、みりん等を適量落とし、よく絡めます」
「ドレッシングは入れても大丈夫ですか?」
「犬のエサにしたいならどうぞ」
軽く炒め直して完成
フライパンから皿に移し、カメラが撮りやすいよう前面へ
「完成でーす」
「「わー」」
ガァン!!!!
「何やらすんじゃぁぁぁ!!!!」
「いや、もうお前が作った方が手っ取り早いと思って」
「当初の目的はどうなった!!」
「…………」
クトゥルフは無言でシンクを指差す
黒焦げの何かがあった
「……もういいや…」
飯食おう
と思ったが、残りの材料でフィリーネ嬢が何かやっている
今の料理教室もどきでやった事を実践しているようだ
「……痛っ!!」
はいやった
絆創膏絆創膏……
雑貨屋で買ったのがあったな
「見せてみ」
「へ……」
手を取る
僅かに血が滲んでいる箇所を見定め、どピンクの花柄絆創膏を貼付けた
「…っ………」
フィリーネはそれを見つめている
露骨に嫌そうな顔で
「……息子よ、その甲斐性は認めるがもう少し相手を弁えたらどうなんだ?」
「いや特に何も考えてないよ母さん」
そうか、駄目だったか
次は水玉でも見つけてこよう
「…はぁ……」
諦めたとばかりに本日4度目の溜息を吐き、フィリーネは台所から離れていく
「食う」
「ああ…そう……」
片付けくらいやれよ
今夜は満月
明かりがなくともある程度は視界がよく、何も無い砂浜はそれに拍車をかけていた
水平線には駆逐艦クラスの艦が1隻
そこから出てきたであろうボートは、静かに砂浜へ到着した
男性が10人前後。全員がSMGで武装している
計器故障で漂流してきた、とは言えそうに無い
1人が時計を確認し、ほとんどの人間が布団に入る時刻である事を確認してから、行動続行の合図を送る
不備は無し、住民に見つかる可能性は無いだろう
付近に人影も無し
が、砂浜を半分渡り終えた所で隊長格のSMGが吹っ飛ばされた
「づッ!?」
肝を冷やしながらも敵がいると判断し、急いで武器を拾う。損傷はあるが使用可能
恐らく長距離からの狙撃、弾がSMGに命中したのは外れたからか、狙ったのか
とにかく広い場所は不利、物影に隠れるべく砂浜を走る
「ごッ!!」
後ろで一人が呻き、倒れた
狙撃にやられたのか
いや、違う
見るからに仲間ではない人影が増えている
膝下まである長い髪、月明かりでは色までわからず、だがシルエットからして女性だろう。武器は拳銃2丁、発砲音がしなかったあたり、今のは打撃か
「ッ…撃て!!」
こうなった以上、作戦は失敗だ、早々にあれを射殺、ないし捕縛して撤退しなければならない
合計11のレーザーポインタが女性を睨み付けた
引き金を引くのは躊躇わない、そういう訓練を受けてきた
が
「なっ…!!」
女性が消えている
代わりに9mm拳銃弾の発砲音が2つして、味方が2人減った
どう移動したのかわからないが、一瞬で後ろに回り込み、両手の拳銃を撃ったようだ
急所は外されたらしい、砂浜に倒れた2人の呻きが聞こえる
「…………」
怯まず女性を包囲する残り9人を見て
女性は僅かに、笑った気がした
「ぬ…!!」
全方位からの銃弾を易々と避け、男2人の間に潜り込む
乾いた銃声、また2人減った
追ってくる弾幕を軽くあしらいながら走り、左手の拳銃が発砲、残り6人
「何をやっている!!」
拳銃とSMG、どう考えても連射できる方が有利だろう
にも関わらずこの醜態
今度こそ仕留めるべくSMGを向ける
「ッ!?」
そうしたら、女性のエモノは拳銃ではなくなっていた
明らかに長い、60センチはある。弾倉が突き出ていないあたり、小銃か、散弾銃
発砲音が2つ続き、また2人倒れた
「ち…!!」
残り4人のSMGが火を噴く
今度は手応えがあった
鈍い音、弾丸が肉をえぐる感触
しかし、死体は出来上がらなかった
「え…?」
気付けば残り1人、さっきまで両隣にいた味方が倒れ伏せている
「チェックメイト」
地に這うように、男性がいた
女性ではない
ギリギリ短髪と言える髪型、身長は低く、それに見合った体格
女性と間違えても無理はない容姿だったが、総合的には少年と言える
「つぅ!!」
SMGを向ける前に、少年の短剣が走り
それで男の集団は全滅した
「さぁて……」
合計12人を片付け終えた少年は満月を見上げ
「神に逆らう覚悟はおありですか?ミスター?」
それだけ、呟いた