S-7-3『ン・カイで眠るもの』
「…………」
爆撃機墜落地点から東に50km
サイビアからは200kmほどあるだろうか
名も無き町がある
いや、実際は立派な名前があるのだろう
だから、正確には『名前を忘れた町』だ
町、というよりは集落に近い
十数の家屋が集まって牧畜を営んでいて、外部への連絡手段といえば、舗装されていない小さな滑走路と復座の単発航空機が1機、それと長大な街道のみ
しかし今に限っては、陸軍兵士を100人は詰め込めるようなでかい軍用輸送機が、滑走路脇で翼を休めていた(※あくまで『詰め込む』のであって実際の定員は20に満たない)
「…………」
その輸送機の操縦席で、パイロットはぼーっと天井を見上げていた
ここにタイヤを停めてからまだ半日
雇い主の到着予定まで、もう半日
「……寝るのも飽きたな…」
ぼーっと半目を開いたままのパイロットが呟いた
性別は女性。操縦桿引っ張ったりラダーペダルを踏みまくったり、意外と力仕事な航空機パイロットとしては珍しいが、モノが輸送機なのでそう難しいものではない、身長さえあれば
一応だが戦闘機も動かせる
明るい茶色の短髪に黒のカチューシャを付け。まぁ、寝起きなので乱れ放題ではあるが。目も同色の茶色。深緑のパイロット服を着込んでいる
推定、身長166cm、Dカッ……げふんげふん
「……まだ来ないか」
次からは何か暇潰しになるものを積んでこよう
本とか
まぁしかし、今は何も無いので仕方ない
散歩でもしようと思い、軽く髪を直して席を立つ
機外に出ると、澱みようの無い綺麗な空気が肺まで入ってきた
「……あれ…?」
クリーム髪のロン毛男が家畜の豚と戯れている
いや、体育座りしてる所に豚が数匹寄ってきたのだろう
その光景を見て僅かに微笑み、話しかけるべく歩を進めた
「いつも思うんだけど、その瞬間移動はどうやってるんだい?」
「んぁ…?」
ここにいるはずの無いハスターは顔を上げ、真上から見下ろしている女性を視界に納める
誰かを判別してから、顔を戻した
「どうもしてねえよ。ただちょっとイタカに運んでもらってるだけで……」
そこまで話して何かを思い出したらしく、顔を伏せて静かに泣き始めた
「うーん……」
それは"周囲10メートルほどが火炎放射でも喰らったかの如く焼け焦げている"のと何か関係あるんだろうか
頭に手を乗せていい子いい子しながら、何が起きたかを考える
町民はほぼ全員が畑にでて芋掘り中だ。関係無い
「赤い髪の女に……気をつけろ……」
ハスターが呟いた
「あぁ!」
ポンと手を打つ
謎が解けた
「タクシー乗り逃げされたんだね!」
「うん……ごめん。ボクが悪かったからとりあえず泣き止もう…?」
しく×20くらいの勢いで泣き続けるハスターの背中を、苦笑いしながらさする
赤い髪の、ね
条件にぴったり当てはまる少女が、数km先で草原に寝転がって昼寝しているのが微かに見えているのだが、言わない方がいいだろう
「メイ・F・リヒトホーフェン……」
「うん?」
名前を呼ばれた
「めーちゃん……」
「何年前のあだ名かなそれは」
「瑠紫羽さ……」
蹴り飛ばした
ツァトゥグアーの亡骸が見えない場所まで移動し、レジャーシートを広げる
「ピクニックか」
「まぁまぁ座れ、雰囲気は大事だ」
じゃあもっとサバイバルっぽい雰囲気出せよ
シートの上に座り込みつつ、シグルトは思う
風による巻き上がり防止にネアを置き、ジェラルドも上がった
フィリーネはどうにか自立歩行可能なまでに回復したようて、屈伸やら何やらやっている
「ほれ、弁当」
クトゥルフが昼食を投げてよこした
「投げ…?……ぇ…」
それは縦18cm、横9cm、高さ4cmのボール紙で作られた箱だ
塗装も何もしていない茶色い箱に、印刷されているのは黒い字が数行
CrossFront Army
Oneman Field Ration
Menu.1 beef
※訳
クロスフロント陸軍
個人用戦闘糧食
献立1、牛肉
「言ったろう、雰囲気は大事だと」
つまり、気を紛らわせと
箱を開ける
緑一色の缶詰、ビスケット2種類、チョコレート、角砂糖、レモンパウダー、紙ナプキン、缶切り、ガム
内容物はそれだけだ
「……せめて鍋持ってこいよ…」
「この中で誰か料理できる奴がいるのか?」
「俺が……」
「男の料理など食って何が楽しいというのだ」
「…………」
もう何も言わない事にしよう
鉄の破片を繋ぎ合わせたような缶切りの爪を立て、缶詰を開ける
サイコロ状の牛肉が出てきた
うまそうだが、意外とまずい
そしてビスケット。名前とは裏腹に甘くなく、その正体はクラッカーである
ジャムをくれジャムを
「ちょ…チョコでけえ…www」
「ん…?」
ネアが言ったので、チョコレートを手にとる
縦5cm、横2cm、高さ1cmの紙箱にみっちりと固形チョコレートバーが詰まっていた
内容が少ない割にカロリーが高いのは、半分以上がこいつの仕業である
シグルト常備の緊急用はこれの2倍でかいのが2つ入っているのだが、確かに毎食これと思うと巨大だ
「食うか?」
「そうですねぇ、口があったら頂いたんですけど」
銃口に突っ込もうにもそれ自体が無い
お、マズルブレーキの排気口があった
「すいません、それどっちかってーと鼻に近けーです」
「ああそう……」
つまらん
赤
視界に映るものすべてが赤い
棚も、机も、手に持った包丁も
なんでこんなに染まっているんだろう
なんでこんなに染めてしまったんだろう
「……なんで…………」
真っ赤な包丁を握ったまま、エレンは天井を見上げる
ああ、そこだけは赤くない
さすがにそこまでは飛び散らなかった
手元には"食べられない肉"がある
これ、どうしようか
いや、それよりも、なんでこんなことになったんだろう
状況に関わらず、薄く笑い
「なんで……台所の棚に赤ペンキの一斗缶が……?」
頭からかぶってしまったエレンは、呟いた
「そりゃペンキまみれになったら魚肉も食べられないわな」
「何の話ですか?」
「あ…いや……」
ほのぼのと草原を歩く一行だが、シグルトだけは違うビジョンが見えていたようだ
無駄に期待してしまった読者様はケータイもしくはマウスを投げ捨てないように
Sサイドは基本ボケ倒しでいきます
「ふ…………」
どうやらクトゥルフも同じものを見たらしい
真っ赤になった自宅の台所に思いを馳せている
「意味わかんない事をやんないで……って…!」
「おっと」
バランスを崩したフィリーネに手を差し延べる
それを掴んで、転倒は回避
「やっぱまだ無理じゃねえの?」
「だ…から…大丈夫だって…」
大丈夫には見えないから言っているのだが
また無理矢理背負おうか
「エスコートしてやれ、エスコート」
「は?」
『エスコート』
日本語で『護衛』という意味。しかし日本では貴族の晩餐会やパーティー会場、タイタニック号の上などでよく耳にする言葉であるため、『黒いスーツを着たイカした男がドレス姿の美女を捕まえ、手を取って連れ回す』という意味で扱われる事が多い
その場合でのエスコートの仕方は、まず会場の入口で待機し、目当ての女性が入ってきた瞬間にその目の前にしゃしゃり出る。この動作に5秒以上かけてはいけない
次に、前もって考えておいた歯が浮くような甘ったるいセリフを吐き手を差し延べる。断られても追いかけてはいけない、追いかけたら周囲の紳士さん達に白い目で見られます
女性がOKし、差し出した手に自らの手を乗せてきたら、濡らさないよう甲にキスをし、空いているテーブルへ連れ込
「いやそうでなく!!!!」
「何がっすか?」
「あ…いや……」
また違うビジョンが見えてしまった
フィリーネを支えたままの右手を見る
確かに体勢としてはそれに近い
「…………お手を?」
順序が逆だが、聞いてみた
「…っ…………」
そうした所、フィー嬢は数秒ほど挙動不審な動きを見せ
「お…?待て待て」
シグルトの背中によじ登ってきた
「あー、なんか今日暑いっすねー」
「すぐ近くに春でも来てるんじゃないかな」
「ジェラルド、座布団1枚」
意味がわからない
豚
豚豚
豚豚豚
「野豚をプロデュース……」
「古すぎるよ」
ついでに野豚でもない
なぜか体育座り状態のハスターに寄ってくる豚さん達である
動物的体臭が充満してきたため、メイ・F・リヒトホーフェンはそこから少し離れていた
時刻は、4時を回ろうとしている
そろそろ到着するんじゃないだろうか
「ハスター」
「あー…?」
「うちの主人、そろそろここに来るけど」
立ち上がった
「じゃあ俺は帰るぜ次会う時は敵としてだなHAHAHAHA…のおぅっ!?でえぃ離れろ貴様ら!!!!」
走って逃げようとしたハスターに、ピンク色をした豚肉の壁が立ちはだかる
「……見てて飽きないなぁ…」
次から次へと予測不可能な事をあのおバカさんは
あ、押し倒された
まずい、ハスターの貞操が
「おーい、大丈夫ー?」
「もががげぐげ~~!!!!」
助けて欲しいというのはニュアンスで伝わった
少し考え、輸送機まで歩いていく
操縦席に座り、鍵穴に鍵を突っ込んで回す
2基の大型エンジンが盛大に爆音を撒き散らし、驚いた豚達はハスターを踏み付けながら逃げていった
「おごっ…!!」
蹄が鳩尾を直撃
「大丈夫?」
エンジンを切って戻り、再度聞いてみる
「お前よぅ…もうちょっとなんかやり方あったんじゃねえの…?」
「うーん、何だろうね。面白おかしくなる最善の方法を選ばないといけない気がしたんだ」
「……さすがは性転換ネ…」
鳩尾に追い打ちをかけた
「お……」
反対側から、誰かが歩いてきた
女性で、シグルトと同い年くらいだろうか。Tシャツにノースリーブのカーディガンだかジャケットだかよくわからないものを合わせ、下はミニスカート。膝の下まで足を覆うロングブーツを履き、腕には何か赤色の布が巻かれている
「ふむ……」
それを見たクトゥルフが声を漏らす
両者共に、進路の変更は無し
道も何も無い草原だが、一直線に近付いていた
見事なまでに赤い髪
サイドテールにされたそれは、燃えているようにも見える
「この先に行っても森しか無いぞ?」
会話ができる範囲まで接近したあたりで、クトゥルフが立ち止まって言った
「…………そう…?」
「ああ、交通インフラのある町まで出たければ東だ。まぁ、徒歩だと3日ほどかかるがな」
3日と聞いて、無表情だった赤髪少女が僅かに眉を寄せた
あの野郎、みたいな顔だ
「……何か乗り物は、無い?」
「輸送機が1機あるな。公共のものではない……というか私の私物だが。歩けというのも酷だろうし、どうしてもというなら乗せてやっても……ん…?」
不意に、クトゥルフはネアを見た
ライフルからはまったく声は出ていない
が、その沈黙している様を見て、なぜか微笑み
「…………」
数秒足らずで激しくSな顔に変わった
「いや、いい、乗っていけ、命令だ」
「…いいの?」
「ああ」
ガチャンと音が鳴る
「?」
いきなり外れたネアの安全装置を、ジェラルドが元に戻した
「よし、行くぞ」
目的地は既に見えている
今日の夜には帰れるだろう
カシャ
「??」
中央下部からせり出てきたレーザーポインタを、またジェラルドが押し戻した
「なんだかなぁ……」
僅か2、3kmの行程だったが、赤髪の少女と歩く事になり
「何」
「空気が微妙じゃねえ?」
まずクトゥルフ
ぱっと見はいつも通りなのだが、よく観察すると、何か腫れ物を扱うように少女へ対応している
壁があったら吹き飛ばして進むような人間が何を恐れているのか
あとネア
他人がいるからかどうかは知らないが、さっきから沈黙しっぱなしでジェラルドに担がれている
まぁ本来ならそれがライフルとしては正しい姿なのだが
「???」
と、ジェラルドが振り返ってネアを降ろした
「どうした?」
「いや…なんか駆動音が……」
バッゴォォォォォン!!!!
意図的に暴発しやがった
「…………ぉー……」
耳がキンキン鳴っている
被害報告
まずジェラルドは失神した
背中のフィリーネ。爪を立てて顔を押し付けてきているが、鼓膜は大丈夫そうだ
クトゥルフと例の少女は離れていたため被害は少なそうだが、それでも不快そうな顔をしている
「おいどうしたんだよ…?」
「…………」
ネアはやはり沈黙
ただのアンチマテリアルライフルを貫き通している
「何……?」
「……暴発しただけだ、気にするな」
早足で歩み寄ってきたクトゥルフがネアを持ち上げ、地面から生えていた大きめの石へ
「こうすれば直る」
叩き付けた
「あぎゃっ!!!!」
「……あぎゃ…?」
「何か聞こえたか?ならきっと空耳だろう」
ネアを放る
ジェラルドの顔面に直撃し、目を覚ました
「あ…あれ…?ここは…?はぐれメ〇ルの群れは…?」
「どんな夢見てたんだよ……」
とにかく移動を再開する
「そういえば名前を聞いていなかったな」
「ん……」
無表情の顔を少しだけキョトンとさせた
「クトゥグア」
少女はそう名乗る
「テルノアでも可」
意味がわからない
「ではテルノアと呼ばせてもらおう」
しかもそっちを採用するのか
町まであと1km
既に駐機されている輸送機がはっきりと見え、向こうでもこちらを確認したのか、僅かにエンジン音が聞こえていた
「あれで東海岸まで飛ぶがいいか?」
「うん、大きい町ならどこでも」
放浪の旅でもしているのだろうか
家はどこにあるんだろう
そんなもの存在しない事を知らないシグルトである
------------
「……大きい…」
輸送機を目の前にしたテルノアさんが呟いた
そのセリフに「すごく…」を付けるかどうか本気で悩んだ作者は自己嫌悪乙でいいとして、胴体中央のドアが内側から開けられる
「待った、すごく待ったよ」
「まぁそうだろうな」
茶髪カチューシャのパイロットスーツが中から出てきた
「おや?」
予定に無い顔が混ざっているからか、メイは不思議そうな顔をし
それは数秒で消え、すぐに微笑が貼付けられた
「どうぞ、お嬢さん」
「……あざとーす」
ありがとうございますと言いたかったんだろう
早口で言おうとして万物の王となっていた
全員が乗り込み、最後にシグルト
適当な席にフィリーネを降ろし、シグルトは座らずジェラルドの席へ
「ちょっとそいつよこして」
「え?」
返事を待たずにネアをひったくる
そのまま機体の一番後ろに隠れた
「おい、さっきのは何なんだよ」
「…………いいんですよ……どうせ私なんてたかがライフルなんですよ……」
声が震えている
泣いているようだ
「あの子となんか関係あんのか?」
「だから……図書館でも何でも行って調べて下さいって言ってるじゃないですか……」
いかんせん声だけだが、酷く落ち込んでいるのはよくわかった
「……どうすりゃ落ち着く?」
「……抱きしめて…」
「…………」
両腕で包んでみる
「…あったかい……」
「そうか、お前はゴツゴツしてるな」
「しばらく…こうしてていいですか?」
「……俺なんかでよければ」
いつまで続ければいいんだろう、この三文芝居