S-7-1『ン・カイで眠るもの』
東の地平線から太陽がのっそり顔を出し始めた
「クトゥルフさーん」
事務用デスクに突っ伏して眠る明紫髪の少女を、エレンが起こしにかかる
「クルールーさーん」
呼び方が変になってきた
「クルウルウさーん」
「んがっ…?」
揺すりまくった所でようやく目を覚ます
寝ぼけ眼で時計の針を確認し、目をこすりながら上体を起こした
「ぅー…?」
「離陸準備、整いましたよ」
そう言って、ようやくこんな所で寝ていた理由を思い出したらしい
眠気を一気に吹き飛ばし、パンパンに膨れた登山リュックを肩にかける
「では行くぞ、留守を頼む」
「はーい」
早足に外へ
家の目の前に、双発の輸送機が停まっていた
本来は車が走るべき道路に翼を降ろし、離陸を待ち兼ねている
「最大速度だ。予定ポイントまで急行してくれ」
「了解」
エンジンの回転が一気に上がり、機体は急かされたように動き出した
「それで、平野での着陸は可能か?」
「ちょっとタイヤがもちそうにない感じだったね、下手をすれば脚が折れるか。やっぱそういうのは小さい単発機の専売特許だよ」
20代前半あたりだろう、操縦桿を握る女性は言う
茶色い短髪で、終始優しく微笑んでいた
ここに来る前に、平原で機体を転がしてもらったのだが、徒労に終わったようだ
話している間に、輸送機は地から離れた
「目的地に変更は?」
「無しだ、その後は追って指示する」
「何と言うか、君も苦労してるんだね、意外と」
「一言余計だ」
できるだけ早く
こんな所で失う訳にはいかない
「腹減った」
「ほれ」
フィリーネの膝に、茶色い物体が乗せられた
軍用救命糧食、とどがつまりは非常食
カンパンを大きくしたような形状をしている
付けられた名前は『アーミーブレッド』
冗談抜きで歯が欠けるほどの硬さが特徴だ
「…………」
「まぁ、それは冗談として」
シグルトはそれを回収し、代わりに板チョコレートを差し出した
「なんでそんなもん持ってんですか」
「よくぞ聞いてくれた。いいか、レーションといえばチョコレート、チョコレートといえばカロリーの塊だからだ」
ちなみにレーションとは『市販でも何でもいいので長期保存の聞く食料を1食から3食分にまとめた軍用のご飯パック(コンバットレーション)』だ
ぶっちゃけて言えば、カロリーメ〇トもレーションと言える
シグルトが持っていたのはエマージェンシーレーションというタイプで、"限りなく小さい容量にどれだけ大量のカロリーを詰め込めるか"をコンセプトとした、完全なる非常用だ
「……ま、それはいいとして。今日も張り切って歩きますか」
「おー」
同じくレーションに入っていたビスケットをかじりながら立ち上がる
フィリーネも、なんとかという感じだが立ち上がった
「お…?無理すんなよ?」
「この状況でいつまでも迷惑かけてらんないし……」
「いやそんな迷惑じゃないけど…」
軽いし、とか言う前に、ライフルから声が上がった
「きっと背中に当たる柔らかい感触が恋しいんですよ」
「んな……」
言われてから、そういえばと気付く
昨日背負ったときの感触を思い出し
「いや、残念ながらつるぺただった」
ボッゴーーン!!
「ちょっともう一回言ってみぃやコラぁ…」
「本っ当…すいませんでした……」
ガシャッコンとスライドが往復し、アトラクナクアから空薬莢が排出される
シグルトの背後で、巨木が倒壊した
自然破壊はよろしくないのだが
「…いや、いい目印になったみたいですよ?」
バキバキバキという倒壊音が収まると、航空機のエンジン音が聞こえてきた
かなり近い
というか、近すぎる
「…………皆の衆」
「はい?」
爆音に掻き消されそうになりながら、シグルトの指が下を示す
「伏せ」
上空10メートルを、双発の輸送機が突っ切った
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!?」
輸送機は何かを落とし、機首を上げて再上昇する
落ちた何かはジェラルドの頭を掠り、大地を盛大に削って着地
「よう、元気か?」
ライトパープルの髪を腰まで伸ばした、身長140台の少女だった
背中に巨大なリュックを背負っている
「ようやく来ましたかこのクソババァ」
「ふ……」
突如現れたクトゥルフはまずジェラルドからライフルを奪い取り、先端を地面にどすどす刺し始めた
「ほれほれほれほれ」
「痛い痛い痛い!!」
痛覚あったのか
トドメとばかりにネアを思い切り突き刺し、直立させてから他3人に向き直る
「無事だったようだな」
「まあ…なんとか」
クトゥルフの背中にあったリュックが外され、ジェラルドへと放られた
「なんだ、怪我しているじゃないか。背負ってやらんのか」
「いや…昨日は背負ってたんだが…」
フィリーネを見る
どうもまだ不機嫌らしく、顔を逸らされ
「つるぺたを背負うのは嫌だって」
「貴様ぁーーッ!!!!」
「誤解だーー!!!!てか誤報だーー!!!!」
考えてみればクトゥルフも体格に見合ってまっ平らだ
素早くネアを抜き取って1.4メートルを叩き付けてくる
無論受ける訳にはいかないので、1.65メートルのヨグソトホートで防御
「いっっっでぇぇぇぇぇぇっ!!!!」
ネアが叫んだ
すまん、刃の部分で防御しちまった
「…………まぁ、冗談はこのくらいにしておいてだ」
「その前に何か謝る事はねーですか…!?」
無視して話を続ける
「さっさと歩くぞ、先は長いのだからな」
最寄りの町まで歩かねばならないのは変わらなかった
大陸の北の方
というか、北の端っこ
巨大な大陸なので、南部との気温差は東京とロシアの都市ウラジオストク程度ある
毎年冬には流氷が港に押し寄せてくるが、今は冬じゃないのでただちょっと肌寒いだけの場所である
そんな場所を、少女は1人、歩いていた
摂氏20度を下回っているにも関わらず、Tシャツ1枚にノースリーブのカーディガン?と、短めのスカート
が、腕には何か赤色の布を巻いていて、さらにロングブーツを履いているので問題無しだ
『素直に厚着しろよ』ってツッコミが方々から聞こえてきそうだが、無視して話を進めることにする
ちなみに髪は赤色、膝下まである長髪を左耳の上でひとつにまとめている
そんな目立つ外見のせいか、すれ違う通行人がちらちら見てきていた
少女はこの町に住んでいる訳ではなく、ただ行く宛も無く旅している訳で
未亡人とか言えば聞こえはいいが、とどがつまりは移動型ホームレスである
定職も無ければバイトもしていない
ニートだ
そのニート少女に、道端で魚売ってたおっちゃんが話しかけた
「嬢ちゃん、今夜は魚なんかどうだい?」
ニートでホームレスという事実を知らなくとも、見た目は10代後半か20代前半の女性だ
声かける客を全力で間違っている
「……お金がない」
当たり前だ
「そうかい?じゃあしょうがねえな……」
とは言いつつ、露店に寄っていってしゃがみ、魚を見る
サバ程度の中型な魚がメインだが、自分で釣ってきたのを並べているだけのようで統一性がない
最後に海産物を口に入れたのはいつだったか
「……1匹持ってくか?」
雰囲気に負けたらしい、おっちゃんが言ってきた
「…いいの?」
「おう、どうせ趣味だしよ」
並べられた魚のうち一番大きいのを引っつかみ少女へ突き出してくる
なかなか豪快だ
「ありがとう」
それを受け取り、ぽつりとお礼
「いいんだよ、釣る方を楽しんでんだから」
そして小遣い稼ぎをすると
「魚好きか?」
「……しばらく食べてない」
4、5ヶ月ぶりだろうか
最後に食べたのは、ああ、ブラックバスだ
あれも元を正せば食用である
「ふぅん、普段は何食ってんだよ?」
「……熊とか」
「は……?」
「クリプトンの社屋から、買ってくれた愛しい貴方のもとへ」
「……歌飽きた」
ひでぇ
「あれぇ……?計画段階じゃー私はこんな空回りキャラじゃなかったはず……」
「馬鹿な事を言ってないできりきり歩け」
到着予想は今日の夜だ
墜落地点から10kmは歩いたとして、残り40kmの内訳はジャングル20kmに平原20km
できれば日が沈むまでにはたどり着きたい
「そんな長距離、描写しきれんですか?」
「できないから某赤髪ニートの登場予定を早めてお茶を濁してるんだろうが」
「何の話……?」
こちらの話です
ナタを振り回して道を開くクトゥルフへついていくシグルトだが、背中には昨日と同じくフィリーネを背負っている
片足引きずって歩く様を見ていられず無理矢理背負った次第だ
おかげで相変わらず不機嫌だが、痛みに負けておとなしいので問題無し
「つーか、あんたらいつから知り合い?」
「む?」
クトゥルフとネアに聞く
何と言うか、常識から完全に逸脱している2人である
いや、1人と1丁
「んー、まぁ正確な年数で言うと(ピー)年前ですけど」
「いや言ってねえよ、放送禁止用語に引っ掛かったみたいになったよ」
「『お察し下さい』が『お察し下さい』して『お察し下さい』だった頃だ」
「察せねえよ情報がひとつもねえじゃん」
「ていうか何で私は倉庫で放置されてたんでしたっけ」
「お前が家の『禁則事項です』を『Nice boat.』したからだろう」
もう駄目だこいつら
「……足大丈夫か?」
「…………」
昔話を始めた明紫髪とライフルからマトモな話を聞くのを諦め、背中のフィリーネに声をかけるが、返事は無く
まだ不機嫌のようだ
「そろそろ機嫌直したらどうですか?お嬢様?」
「……別に、機嫌悪い訳じゃないし…」
ぽつりと言って、顔を伏せた
見かけによらず、自己嫌悪中だったか
「何回も言うが、別に迷惑じゃないし、そもそも怪我人は助ける義務があるんだからな」
「…………」
再び沈黙
代わりに、首に巻かれた腕の力が強くなる
出歯亀を蹴って追い払い、変わらずナタを振り回すクトゥルフを追従
「……これで出るもん出てたら良かったんだけどなぁ…」
腕が巻き付きから締め上げに変わった