表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
慈悲深く残酷な神々の箱庭 序奏  作者: M
第1部 第1章 仏国の少年Eにまつわる挿話(姉ユディット視点)
2/23

第2話 父との対面

 扉を開けたのは、十二、三歳ほどに見える少年だった。父の小姓(こしょう)だろうか。傍仕えにしては若すぎる気がする。

 少年は私の姿を確認すると、ごく軽く一礼をして、身振りで入室を促してくる。どうやら父はここにいるようだ。捜し回ることは苦ではないけれど、気が長いほうではない父をあまり待たせたくはなかったから、一箇所目で当たりを引けたことにほっとする。


 書斎に足を踏み入れると、少年はすぐに扉を閉ざしてその脇へと直立する。

 室内へと目を向ければ、扉からはだいぶ離れた位置に(しつら)えられた書斎机に座して、書類をめくっている父が見えた。


「聞いたか」


 書類から顔を上げることなく、父が問うてくる。いつ聞いても心が震えるような、低音の美しい声。とくに張り上げているわけでもないのに、距離があっても明瞭に聞こえるのだから不思議だ。

 私にはできない芸当なので、声が届くだろう位置まで急いで歩み寄って、口を開く。


「は、はい。先ほど。お兄様が、その」

「それは当家には関係のないことだ」


 冷たい父の声色に、身がすくむ。失言だった。父が兄の除籍を決めたその瞬間から、こと父の前では兄に関する発言は厳禁だったのに。


「では……?」


 ではなぜ、私は呼ばれたのか。

 父が顔を上げる。凍てついた氷のような蒼い瞳に見据えられて、私は息をのんだ。察しの悪い私に苛立っているのだろうか。

 父の不興を買ってしまったかもしれない。そう思うと体どころか心まですくんでしまって、何も考えられなくなってしまう。


「あれを連れ戻せ」


 父の言葉に、はっとする。

 そうだ、あの子がD.C.の別邸に(とど)まる理由はもうなくなったのだ。兄が死んだ今、あの子は、弟はようやく兄の束縛から解放されて、自由の身になったのだから。


 あの子に会いたい。叶うなら、今すぐにでも。けれど私は、父の許可なくして仏国(フランス)から出国することはできない。


「わたくし、わたくしが行ってもよろしいのですか、あの子を迎えに?」

「許す。行け」


 お許しが出た。会いに行っていいのだ、あの子に。最後に会ったのは何ヶ月前のことだろう。嬉しさのあまり胸が高鳴って、息が苦しいくらいだ。


 父が呼び鈴の紐を引くと、ほどなく一人の青年が姿を現した。お仕着せではないところを見ると、上級使用人だろうか。屋敷内の使用人を把握できるほど関わりがあるわけではないので、推測するしかない。

 青年は私には目もくれずに、父のそばへと足早に歩み寄っていく。


「ユディットをD.C.へ()る。手配を」


 青年は一言も口をきくことなく、ただ父の指示にうなずきを返す。


「あ、あの、お父様」


 青年が父のそばを離れようとするのを見て、私は慌てて呼びかける。


「わたくし、早くあの子に会いたいのです。一刻も早く」


 私の意図は、父に正確に伝わったようだった。父が青年に視線を向けると、青年もまた、心得たようにふたたびうなずいてみせる。


 青年が書斎を出て行くと、父がついと手を挙げた。それを合図に、部屋の隅で彫像のように微動だにせずにいた黒服の男が、父のそばへと歩み寄る。


「これを連れて行け」


 なぜ、と思う。

 闘神の化身のような偉丈夫(いじょうぶ)の父と比べても、それほど見劣りしないような、屈強な男だ。服の上からでも、その鍛えあげられた肉体がうかがい知れる。おそらく父の護衛の一人だろう。

 ただ弟をD.C.から連れ帰るだけのことに、わざわざ護衛を同行させる必要があるとは思えなかった。

 私自身に守られるほどの価値はなく、弟は弟で、護衛を兼ねる近侍がついているのだから。


 戸惑う私を気にもせず、父は男を手招くと、身を屈めた男の耳へとささやきかける。


「必ずあれを連れ帰れ。抵抗するなら多少手荒にしてもかまわん」


 漏れ聞こえた父の言葉に、耳を疑う。


「お父様!? なにを、何をおっしゃるのです、どうしてそんな」

「あれは一度、わたしに(そむ)いている」


 ふたたび向けられた父の目に宿る(けわ)しい光に、私は言葉を失う。


「二年前のあの時、わたしはあれに命じた。枷を砕いてでも、わたしのもとへ戻れと。知っているな?」


 父の言葉にゆっくりとうなずきながら、私は震える手を胸に押し当てた。

 そうだ、二年前のあの日。兄が除籍された、あの時。

 父はあの子に命じたのだ。あの子を放そうとしない()砕い(殺し)てでも、自分のもとへ戻るようにと。


 弟はその命令には従わなかった。兄を殺すことはもちろん、見捨てることもせずに、兄が望むまま、兄が死んだ今に至るまで、そのそばに居続けたのだ。

 この二年、正確には二年と半年におよぶ期間、弟がここパリの屋敷に滞在していたのは、数ヶ月に一度、父の召喚に応じたほんの数日間のみのことだった。


 二年前のあの時に一度命じて以降、父があの子を連れ戻そうとしたことはなかった。だから父は弟のわがままを許したのだと、そう思っていた。

 だがそうではなかった。父は自分の命令に叛いたあの子を、許してなどいなかったのだ。


「ですが、ですがお父様、あの時とは事情が違います。だって今回は、あの子が帰らない理由など、ないではありませんか」


 あの子は生来、とても素直で従順な子なのだ。

 父に逆らってまで見限られた兄のそばを離れなかったのも、その優しい気質ゆえのこと。こんな大男まで伴って、脅しかけるように連れ帰ることはないはずだ。

 弟を守るべく言い(つくろ)おうとする私を、父が怪訝な目で見てくる。 


「聞いていないのか」


 何をだろう?


「あれが言ってよこした。パリ(ここ)に帰る気はないと。だからおまえを()るのだ」

「え!?」


 そんな話は聞いていない。でもそうか、そうだったのだ。

 どうして最初におかしいと思わなかったのだろう。父が私の出国を許すなんて。あの子の帰国を待つのではなく、わざわざ私をD.C.まで迎えにやるなんて。


 おそらくクロエは、父からの言付けを正確には教えてもらえなかったのだ。父の居場所もそうだが、肝心の用件を。

 帰国を拒否したあの子を連れ帰ること。私が呼ばれた理由はそれだったのだ。


 私が直接迎えに行って、私の説得にも応じないようなら、この男を使って力尽くででも連れ戻せということだったのだ。ようやく得心がいった。


「案ずるな。腕の一本、足の一本失ったところで、あれは充分に使える」


 父の酷薄な言葉に、男はくちびるの片端をつり上げて笑っている。


 本来ならば使用人が上階の住人に乱暴を働くなど、到底許されることではない。ましてや弟は、今や父にとってはただひとりの息子だというのに。


 けれど、他ならぬ父本人がそれを許可したのだ。

 あの子が少しでも抵抗するそぶりを見せたなら、この男は嬉々として弟に手を上げるのだろう。そしてそれは、父に逆らったあの子への当然の(むく)いというわけだ。


 この家で父に叛くというのは、そういうことなのだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ