後篇
母が亡くなって二か月が経とうとしている。
今になって、なぜ帰省しなかったのかと思う。
いくらだって母と会う機会があったはずだ。
いったい、母の姿を何年見ていなかったのだろうか。
思い出すのが難しいくらいの年月が経っていた。常に後悔はあるが、心は立ち直りつつあった。
ちなみに母親は北海道旅行には行っていなかったようだ。いつも買っている旅行の記念品やお土産などがなかった。
…………。
あれから一年が経った。
明日、フリーマーケットが執り行われる。
あの老婆に会えるだろうか。
わたしは老婆に、この機械について訊かなければならなかった。
期待を持って行くことにした。
*
機械を持ってフリーマーケットの会場に到着した。
わたしはあのときのように、あたりを見回していた。古着、おもちゃ、本、小物といった、興味がそそられないものばかりだ。
目的はそれではない。あの老婆を探さなくてはならない。
さまよっていると、見覚えのあるものを見つけた。骸骨のレプリカや虹色のハンカチや柄がデコボコした黒いボールペンなどである。そこにはあの老婆が、身動きを取らずにいた。わたしは老婆のもとに向かった。
「あの」
老婆はうつむいた顔を上げる。一年ぶりに見たその顔はまったく変わっていなかった。
わたしは老婆に幸不幸変換機を見せながら尋ねる。
「この機械、覚えていますか」
老婆はじっとその機械に目を凝らす。しばらくして言う。
「ああ、覚えとるよ」
「これって、動いているんですか?」
すると老婆はクヒヒとまばらな黄色い歯を見せながら笑い、
「あんた、幸福とはなんだい?」
唐突な質問に、わたしは戸惑った。間髪容れずに、
「あんた、不幸とはなんだい?」
「え、えっと……」
また老婆はまたクヒヒと笑い、
「そう、答えられない。それが正解さ。幸せや不幸せは、結局、誰にも分かりやしない。意味とか定義とか答えられるだろうけど、その本質なんて分かるもんか。そういうもんさ」
呆然とし、はっと思い出す。老婆はわたしの質問に答えていない。
もう一度問い直した。
「それで、これは動いているんですか? 幸福と不幸は変換されているんですか?」
「あんたは、どう思うんだい?」
「質問に答えてください」
「…………」
老婆は沈黙する。わたしは、老婆の質問に答える。
「……動いている、と思います」
「…………」
「以前、わたしの身体に腫瘍がありました。早期発見だったので何もなかったのですが、発見したきっかけが、いつもは観ない番組でやっていた特集だったんです。もしこの機械がなかったら、この番組を観たとしても人間ドックを受けにいかなかったと思います。そして以前、交通事故に遭いかけました。わたしにぶつからなかったのでよかったですが、この機械がなければもしかしたら……、今ごろ入院しているか、墓の下にいたのかもしれません……」
「…………」
「……この機械は、わたしの命を助けてくれたんです。運の悪いわたしがこんなに運がいいとは、到底思えない。この機械が動いていなければおかしいんです」
「……クヒヒヒッ」
老婆は突然笑った。
「クハハハハハッ」
「…………」
わたしがその哄笑に疑問を覚えている最中、老婆は瞬時に笑みを止めた。
「あんた、言っていること分かってんのかい?」
「……なんですか」
「それは、あんたの内面に問題があるんじゃないのかい?」
「……は?」
「ポジティブな人間とネガティブな人間の内面が違うのは分かるだろう? それぞれが同じような状況に遭ったとしても、それが幸せなのか、または不幸せなのか、その結果は変わってくるんだよ」
突然、饒舌になったので驚愕する。
「例えば、そう、テストの点数が悪かったとするよ。ポジティブな人間は、そのテストを見て『間違えが分かるなんて最高だ』と解釈して勉強に励むだろうさ。だが、ネガティブな人間は、『点数が悪かった。最悪だ』と自信を失ってしまうだろうね。つまり、その人の解釈によって、幸せか不幸せかが変わってしまうのさ」
「…………」
「だから、この機械が動いて、幸福と不幸が入れ替わっていても、結局あんたが変わらない限り、何も変わらない。あんたが信じているもんは、ただの『思い込み』なのさ」
…………。
「さっ、商売の邪魔だからどきな。どうせ欲しいもんなんかないんだろ」
わたしを手で追い払うとすぐ老婆は口を閉ざし、うつむいた。
…………。
自分の信じるものをひとつ失った。
わたしは、家に帰った。
*
途方に暮れていた。
今までの幸福と不幸は解釈によるものだと言われた。
渡辺が亡くなったのは幸福なのか? 『死ぬ』という決断に至るまで精神を追いつめて、そして死んで……。それは幸福なのか? 不幸なのか? 苦痛から解放されれば、それは幸福になるのか?
母が亡くなったのは不幸ではないのか?
解釈でそれを幸福にできるものなのか?
無理だ。そんなことできるわけない。
母の死は間違いなく不幸だ。死ぬ前まで激痛に苛まれ続けたんだ。それのどこが幸福なのだ。……いや、幸福なのか? 亡くなったことで、激痛から解放されたのだ。それは幸福と言えるのだろうか?
ふと、あの老婆の言っていたことを思い出す。
『この機械が動いて幸福と不幸が入れ替わっていても、結局あんたが変わらない限り何も変わらない』
機械で変えるのではなく、わたし自身が変わらなければならない。
わたしの中身は、わたししか変えられない。
「…………」
今の自分と、決別すべきだ。
わたしは機械を『OFF』にする。そしてそれを棚の奥にしまった。
*
それから一年ほどが経過した。
わたしの悲観的な性格を抑えてから、まるで世界が変わったように思う。
日ごろ、幸福と不幸はある。それは変わらない。
何か起これば解釈を変え、そこにある知識を吸収する。それを常日ごろ行った結果、幸福が明らかに増えた。悲観的なころと解釈を変え、不幸だと思ったことの視点を変えれば、それは幸福に変貌した。
根本的な性格は変わっていない。たまに悲観的なわたしが表に出てしまうことはある。
しかし、それでもなお、わたしは幸福になったと思う。あのときの人生から変えてくれたのはあの機械のおかげだろう。
あれから一年が経ったので、わたしはまたフリーマーケットに向かった。そこにはあの老婆の姿はなかった。わたしを変えてくれた老婆に感謝したかったが、いないのであれば諦めるしかない。
次の日、わたしは地元に戻り、まず実家に向かった。そこにはもう実家の痕跡はなく、新たな家が建てられている最中だった。
商店街を歩き回る。前と同じようにシャッター街であるが、あのとき訪れた喫茶店はもうなくなってしまい、残されたのはかすれたフランス語の看板だけだった。
帰りにまんじゅうを買うためにスーパーマーケットに寄った。驚いたのは、その周辺は住宅地になっていたことだ。もう、地元の痕跡すら失われていた。
わたしは帰宅した。今日はもうどこにも行かないだろう。
そういえば、機械はどうなっているのだろうか。
ふと、気になったので、棚の奥から機械を取り出した。
機械はほこりをかぶっていて、レバーの表面が少し錆びついていた。
一応何かのために取っておいた。
だが、もう機械の力は必要ないだろう。
わたしは棚からトンカチを取り出し、『幸不幸変換機』に目がけて思い切り振り下ろした。
レバーはへし折れ、筐体がへこんで小さな穴が開いた。
もう一度振り下ろすと、中央が割けた。
そして、気づく。
割れた筐体の中身は空っぽだった。
「…………」
ああ、そうか。
中身が詰まっているから、振っても風切り音しか聞こえなかったのだと思っていた。
実際には、中身に何も入っていないからだったのか。
あの老婆に今まで騙されていたのだと、今さら気づく。
こんなものに人生を振り回されていたと思うと、あまりに馬鹿らしくて、つい笑ってしまった。
一万円で笑い話になるんだったら安いだろう、と思った。
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