中篇1
結局、職に就けた。
単調な事務作業で低い賃金だが、職に就けただけでも安心できた。世にいうブラック会社ではないだけでも、運がよかったのだろう。
朝の八時に出社して、十七時に退社する。家に仕事を持ち込むこともないし、わたしにとってこの仕事は合うかもしれない。
家に帰って、ふとあれを思い出す。
それはあの機械だ。
もう一か月ほど前の話で、あの日以来、機械について頭になかったものだから、すっかり機械の行方が分からなかった。
探してみることにした。
すぐに見つかった。
タンスの角にぴたりとはまって置かれていた。
それを手に取る。ほこりが少しかぶっていて、わたしはその機械のレバーが『ON』のほうに向けられているのを認めた。いつ『ON』にしたのか、と思い出そうとしても、その記憶はなかった。
この一か月間を振り返ってみる。特別幸運にありつけたと感じていないが、しいて言うなら就職できたことくらいだろう。
もしかしたらこの機械のおかげで、職に就けたのかもしれない。一瞬だけそう思ったが、やはり信じられなかった。非現実的なのだ。
それをタンスの上に置く。
わたしは日常に戻る。
*
休日に、ふとコンビニ弁当が食べたくなった。弁当を買うためにコンビニへ行くと、久しぶりに昔の同級生である渡辺に出会った。
渡辺がこのあたりに住んでいることは、渡辺から教えてくれていたので分かっていたが、会うこともなく連絡もしていないので、今まですっかりと忘れていた。
学生時代は八年前に終わっていた。八年も経つとみんな風変わりしているものだと、三年前の別の同級生の結婚式で思ったのだが、渡辺に関していえば、少し痩せたところ以外変わっていなかった。
「オオちゃん」
渡辺は驚いた顔で呼んだ。
オオちゃんと呼ばれるのは二年ぶりだったか。わたしの苗字が『大野』なのでそう呼ばれている。このあだ名で呼ばれたのは、久しぶりに友達と集まったとき以来だ。
「おお、カッちゃん、久しぶり」
わたしも驚いた。こんなところで会えるとは思わなかったからだ。
渡辺の下の名前は『克樹』だから『カッちゃん』というあだ名だった。わたしはそのあだ名をよく使っていた。
「げ、元気にしてた?」
久しぶりに会って緊張しているのか、渡辺の身体は少し縮こまっていた。
「まあ。カッちゃんは?」
「ぼちぼちかな」
渡辺は昔のような朗らかな笑みを浮かべていた。
「あ、ちょっと俺、用事あるから……。それじゃあ、元気でな」
と渡辺はそそくさとコンビニを出た。
渡辺と久しぶりに話した。
それだけで、なぜか少しだけ幸せな気持ちになった。
もしかしたらあの機械のおかげかもしれない。
わたしは弁当を購入し、帰宅した。
*
結局、渡辺とは二度と会うことはなかった。
いや、会えなくなったというほうが適切かもしれない。
渡辺はその数日後、トラックに撥ねられて死んだ。ニュースで少しだけ取り上げられ、運転手によると、渡辺はトラックの目の前に飛び出てきて、轢いてしまったそうだ。
わたしは仕事を早めに終わらせてから、知らない親戚が亡くなったとき以来着ていなかった喪服で、渡辺のもとへ行った。
黒く短い参列に並んで、焼香をあげた。その中にはわたし以外、同級生はいなかった。
ふと、あのころを思い出した。
渡辺は中学生時代、非常に嫌われていた。小学生のころは場に馴染んでいたのだが、中学生になったとたん、その変にひょうきんな性格が仇となって、孤独と化したのだった。それが起因して、性格は暗くなった。
高校生になると、わたしと渡辺は別々の道を歩んだが、以降、どのようになったのかは分からない。若い人がいなかったので、以降も孤独だったのだろう。
数日前に出会ったばかりなのに、突然いなくなってしまうと、どうしてか消失感というものがない。
渡辺の顔は見ることができなかった。損傷がひどいらしい。なおのこと亡くなったという感覚を持てなかった。
気分が優れなくなって、帰宅した。
喪服は焼香の匂いがした。
とたんに虚しくなった。
無性に悲しくなった。
だけど、なみだは出ない。
*
渡辺は結局、自殺として処理された。
わたしは消失感を得るために渡辺の実家に行った。家には渡辺の母親しかいなかった。その母親は痩せ細っていて、わたしの前で時折、茫然自失していた。
母親はわたしに「これを」と日記を差し出した。わたしは目を通す。
精神科に行ったとか、鬱病だと診断されたとか、最近調子がいい、などの内容が書かれていた。
そして渡辺が亡くなる数日前、久々に出会う一日前、こんなことが書かれていた。
『カネがつきそうだ。
どうすればいいか考えたら、強トウするしかないと思った。
うまくいけばカネが手に入って、悪くても刑務所に入れられて、どちらにせよとりあえず生活できる。
明日、強トウを決行する』
強盗を決行する日。その日が大野と出会った日だ。その日のことも日記にしたためられていた。
『久しぶりにオオちゃんに会った。
オオちゃんは昔とそんなに変わらなかった。
強トウしようと決めたのに、なんだかなえてしまって、あきらめて帰った。
今思うが、やはりしなくてよかった。
強トウなんてしたら、母さんやオオちゃんにも迷ワクがかかる。
やめておこう。
二人にはオンがある。
別の手段を考えよう』
そして読んでいくごとに、あの日に近づいていくごとに、陰鬱な文章なっていく。
そしてその日の前日。
『お母さんへ
迷惑をかけます。ごめんなさい。
オオちゃんへ
友達になってくれてありがとう。
渡辺克樹』
それが渡辺の最期の言葉だった。
耐えきれなくなって帰宅した。まさかあのひょうきんな人物が自殺を図るとは思えなかった。いくら孤独でも、自殺するわけがないと勝手に思い込んでいた。
渡辺の家を出るとき、渡辺の母親がわたしに「ありがとう」と言った。正直なところ、何に対する感謝なのか分からなかった。
わたしは彼に対して何もしなかった。友達だと思ったことは一度もなかった。
渡辺は、どういう思いで道路に飛び出したのだろうか。
わたしには、他人の感情に深く入る術はなかった。
また、日常は戻ってくる。
あまりにも、無慈悲に。
*
何事もなく時間は進んでいく、と言ってしまうと、そこには語弊がある。
例えば幸福な出来事があった。ある人は長年好きだった人と結婚できた。ある人は患っていた難病が寛解した。ある人は絶望から救われた。
例えば不幸な出来事があった。ある人は長年好きだった人と離婚できた。ある人は患っていた難病で死亡した。ある人は幸福から堕落した。
しかし、
それは幸福なのか。
それとも不幸なのか。
その人にしか分からない。
*
幸福が訪れると、それは機械のおかげだと思うし、逆に不幸が訪れると、それもまた機械のせいだと思うようになった。
機械は心のよりどころになっていた。つらいときも悲しいときも、これのせいにすれば、なんだか心が軽くなる気がした。
正直、これによって幸福が増えたとは思えない。
だからといって、不幸が増えたとも思えない。
前とそんなに変わらなかった。
幸不幸変換機に出会って、もうすぐで半年が経つ。
わたしは今もなお平穏な生活を続けている。
この半年でさまざまなことがあった。
例えば前にテレビ番組で人間ドックの特集を偶然観ていて、ふと人間ドックを受けてみたくなったので受けてみた。すると、小さな悪性腫瘍が見つかった。早期発見だったため、簡単な手術で事なきを得た。
それと一度交通事故に遭いそうになったことがある。道端を歩いているとき、車がわたしの背後の電柱に突っ込んだのだ。負傷者は酒気帯び運転を行った運転手だけだ。
これは奇跡だと言っていいだろう。
このような幸運があって、わたしは今も生きている。
しかし、そこには確かな不幸が存在している。
わたしがこうして生きているのも、いくつかの不幸が募った結果だろう。
その不幸の中には、もしかしたら渡辺の死があるかもしれない。
分からなかった。
わたしには何も分からなかった。
いったい何が幸福で、何が不幸なのか。
渡辺の死はどちらだろうか。
本人からしたら、幸福なのかもしれない。つらく苦しい日々から抜け出せたからだ。
しかし、渡辺の母親はひどく苦しんでいる。これは不幸だと解していいだろう。
幸不幸変換機はどちらだろうか。
あの老婆は『おのれに降りかかってくる幸せと不幸せを変換する』と言った。
本当なら死ねないままだったのか? 渡辺が生きているから、渡辺の母親は幸せだったのか?
本当に自身の幸不幸を入れ換えるのだろうか。
実はすべての幸不幸を入れ換えるのだろうか。
わたしには、分からない。