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中篇1

 結局、職に就けた。


 単調な事務作業で低い賃金だが、職に就けただけでも安心できた。世にいうブラック会社ではないだけでも、運がよかったのだろう。


 朝の八時に出社して、十七時に退社する。家に仕事を持ち込むこともないし、わたしにとってこの仕事は合うかもしれない。


 家に帰って、ふとあれを思い出す。


 それはあの機械だ。


 もう一か月ほど前の話で、あの日以来、機械について頭になかったものだから、すっかり機械の行方が分からなかった。


 探してみることにした。


 すぐに見つかった。


 タンスの角にぴたりとはまって置かれていた。


 それを手に取る。ほこりが少しかぶっていて、わたしはその機械のレバーが『ON』のほうに向けられているのを認めた。いつ『ON』にしたのか、と思い出そうとしても、その記憶はなかった。


 この一か月間を振り返ってみる。特別幸運にありつけたと感じていないが、しいて言うなら就職できたことくらいだろう。


 もしかしたらこの機械のおかげで、職に就けたのかもしれない。一瞬だけそう思ったが、やはり信じられなかった。非現実的なのだ。


 それをタンスの上に置く。


 わたしは日常に戻る。


 

 


 休日に、ふとコンビニ弁当が食べたくなった。弁当を買うためにコンビニへ行くと、久しぶりに昔の同級生である渡辺(わたなべ)に出会った。


 渡辺がこのあたりに住んでいることは、渡辺から教えてくれていたので分かっていたが、会うこともなく連絡もしていないので、今まですっかりと忘れていた。


 学生時代は八年前に終わっていた。八年も経つとみんな風変わりしているものだと、三年前の別の同級生の結婚式で思ったのだが、渡辺に関していえば、少し痩せたところ以外変わっていなかった。


「オオちゃん」


 渡辺は驚いた顔で呼んだ。


 オオちゃんと呼ばれるのは二年ぶりだったか。わたしの苗字が『大野(おおの)』なのでそう呼ばれている。このあだ名で呼ばれたのは、久しぶりに友達と集まったとき以来だ。


「おお、カッちゃん、久しぶり」


 わたしも驚いた。こんなところで会えるとは思わなかったからだ。


 渡辺の下の名前は『克樹(かつき)』だから『カッちゃん』というあだ名だった。わたしはそのあだ名をよく使っていた。


「げ、元気にしてた?」


 久しぶりに会って緊張しているのか、渡辺の身体は少し縮こまっていた。


「まあ。カッちゃんは?」


「ぼちぼちかな」


 渡辺は昔のような朗らかな笑みを浮かべていた。


「あ、ちょっと俺、用事あるから……。それじゃあ、元気でな」


 と渡辺はそそくさとコンビニを出た。


 渡辺と久しぶりに話した。


 それだけで、なぜか少しだけ幸せな気持ちになった。


 もしかしたらあの機械のおかげかもしれない。


 わたしは弁当を購入し、帰宅した。





 結局、渡辺とは二度と会うことはなかった。


 いや、会えなくなったというほうが適切かもしれない。


 渡辺はその数日後、トラックに()ねられて死んだ。ニュースで少しだけ取り上げられ、運転手によると、渡辺はトラックの目の前に飛び出てきて、()いてしまったそうだ。


 わたしは仕事を早めに終わらせてから、知らない親戚が亡くなったとき以来着ていなかった喪服で、渡辺のもとへ行った。


 黒く短い参列に並んで、焼香をあげた。その中にはわたし以外、同級生はいなかった。


 ふと、あのころを思い出した。


 渡辺は中学生時代、非常に嫌われていた。小学生のころは場に馴染んでいたのだが、中学生になったとたん、その変にひょうきんな性格が仇となって、孤独と化したのだった。それが起因して、性格は暗くなった。


 高校生になると、わたしと渡辺は別々の道を歩んだが、以降、どのようになったのかは分からない。若い人がいなかったので、以降も孤独だったのだろう。


 数日前に出会ったばかりなのに、突然いなくなってしまうと、どうしてか消失感というものがない。


 渡辺の顔は見ることができなかった。損傷がひどいらしい。なおのこと亡くなったという感覚を持てなかった。


 気分が優れなくなって、帰宅した。


 喪服は焼香の匂いがした。


 とたんに虚しくなった。


 無性に悲しくなった。


 だけど、なみだは出ない。





 渡辺は結局、自殺として処理された。


 わたしは消失感を得るために渡辺の実家に行った。家には渡辺の母親しかいなかった。その母親は()せ細っていて、わたしの前で時折、茫然(ぼうぜん)自失していた。


 母親はわたしに「これを」と日記を差し出した。わたしは目を通す。


 精神科に行ったとか、鬱病だと診断されたとか、最近調子がいい、などの内容が書かれていた。


 そして渡辺が亡くなる数日前、久々に出会う一日前、こんなことが書かれていた。



『カネがつきそうだ。


 どうすればいいか考えたら、強トウするしかないと思った。


 うまくいけばカネが手に入って、悪くても刑務所に入れられて、どちらにせよとりあえず生活できる。


 明日、強トウを決行する』



 強盗を決行する日。その日が大野と出会った日だ。その日のことも日記にしたためられていた。



『久しぶりにオオちゃんに会った。


 オオちゃんは昔とそんなに変わらなかった。


 強トウしようと決めたのに、なんだかなえてしまって、あきらめて帰った。


 今思うが、やはりしなくてよかった。


 強トウなんてしたら、母さんやオオちゃんにも迷ワクがかかる。


 やめておこう。


 二人にはオンがある。


 別の手段を考えよう』



 そして読んでいくごとに、あの日に近づいていくごとに、陰鬱な文章なっていく。


 そしてその日の前日。



『お母さんへ



  迷惑をかけます。ごめんなさい。




 オオちゃんへ



  友達になってくれてありがとう。



            渡辺克樹』



 それが渡辺の最期の言葉だった。


 耐えきれなくなって帰宅した。まさかあのひょうきんな人物が自殺を図るとは思えなかった。いくら孤独でも、自殺するわけがないと勝手に思い込んでいた。


 渡辺の家を出るとき、渡辺の母親がわたしに「ありがとう」と言った。正直なところ、何に対する感謝なのか分からなかった。


 わたしは彼に対して何もしなかった。友達だと思ったことは一度もなかった。


 渡辺は、どういう思いで道路に飛び出したのだろうか。


 わたしには、他人の感情に深く入る術はなかった。


 また、日常は戻ってくる。


 あまりにも、無慈悲に。





 何事もなく時間は進んでいく、と言ってしまうと、そこには語弊がある。


 例えば幸福な出来事があった。ある人は長年好きだった人と結婚できた。ある人は患っていた難病が寛解(かんかい)した。ある人は絶望から救われた。


 例えば不幸な出来事があった。ある人は長年好きだった人と離婚できた。ある人は患っていた難病で死亡した。ある人は幸福から堕落した。


 しかし、


 それは幸福なのか。


 それとも不幸なのか。


 その人にしか分からない。



 幸福が訪れると、それは機械のおかげだと思うし、逆に不幸が訪れると、それもまた機械のせいだと思うようになった。


 機械は心のよりどころになっていた。つらいときも悲しいときも、これのせいにすれば、なんだか心が軽くなる気がした。


 正直、これによって幸福が増えたとは思えない。


 だからといって、不幸が増えたとも思えない。


 前とそんなに変わらなかった。


 幸不幸変換機に出会って、もうすぐで半年が経つ。


 わたしは今もなお平穏な生活を続けている。


 この半年でさまざまなことがあった。


 例えば前にテレビ番組で人間ドックの特集を偶然観ていて、ふと人間ドックを受けてみたくなったので受けてみた。すると、小さな悪性腫瘍(しゅよう)が見つかった。早期発見だったため、簡単な手術で事なきを得た。


 それと一度交通事故に()いそうになったことがある。道端を歩いているとき、車がわたしの背後の電柱に突っ込んだのだ。負傷者は酒気帯び運転を行った運転手だけだ。


 これは奇跡だと言っていいだろう。


 このような幸運があって、わたしは今も生きている。


 しかし、そこには確かな不幸が存在している。


 わたしがこうして生きているのも、いくつかの不幸が募った結果だろう。


 その不幸の中には、もしかしたら渡辺の死があるかもしれない。


 分からなかった。


 わたしには何も分からなかった。


 いったい何が幸福で、何が不幸なのか。


 渡辺の死はどちらだろうか。


 本人からしたら、幸福なのかもしれない。つらく苦しい日々から抜け出せたからだ。


 しかし、渡辺の母親はひどく苦しんでいる。これは不幸だと解していいだろう。


 幸不幸変換機はどちらだろうか。


 あの老婆は『おのれに降りかかってくる幸せと不幸せを変換する』と言った。


 本当なら死ねないままだったのか? 渡辺が生きているから、渡辺の母親は幸せだったのか?


 本当に自身の幸不幸を入れ換えるのだろうか。


 実はすべての幸不幸を入れ換えるのだろうか。


 わたしには、分からない。

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