(上) 私は王家の聖獣 ~ミカ視点~
王家の聖獣として、私は現代の日本から異世界へ転生した。
聖獣といっても、普段は茶色の髪に、緑の瞳をした子供の姿をしていた。
ある日、聖獣の宿る大樹の下に、真っ白いおくるみに包まれて赤子の私がいたらしい。
神殿の神官達は、私を見て、王家に遣わされる聖獣と認定した。
聖獣の徴が、私の左胸に刻まれていたからだ。
実は聖獣は私だけではなく、他にも二人いる。
第一王子には背に大きな翼を持つ獅子の聖獣、第二王子には、水の加護を持つ水竜の聖獣。
そして、病弱でいつも床についている第三王子には……
薬に化身できる聖獣たる私だった。
薬に化身と聞いて、私も第三王子フェルトも耳を疑った。
「え、薬って……あの、飲み薬とか粉薬とか、そういう奴ですか?」
水盤の前に立ち、水盤を覗き込んでいた大神官は、額に汗を掻きながら答えた。
「そうです」
水盤に映し出されていたのは、小さな瓶に入ったピンク色の錠剤だった。一粒だけの錠剤。
「これが、あなたの化身したお姿です」
「それって化身と言わないんじゃないかと」
フェルト王子と顔を見合わせると、大神官はため息をついた。
「いいえ、その身を化えるという意味では、化身なのです。ミカ様は、間違いなく化身できる聖獣です」
無機物に化身……
私とフェルト王子は、じっと小さな瓶に入ったピンク色の錠剤の、その姿を凝視していた。
こんなことになるとは、想像していなかった。
第一王子の聖獣の、獅子の聖獣は超かっこいい。背中に翼がはえているから、その背に第一王子をのせて、空を駆ける姿は、見惚れてしまうくらいだった。彼は王子を背に乗せたまま、魔獣討伐に向かって活躍しているらしい。
第二王子の水竜の聖獣も、気高く美しく、その銀色の目で見つめられると、人ならざる者であることを強く感じる。彼女は、水を操り、航海の安全には欠かせない存在になっていて、第二王子と一緒に港町に暮らしているらしい。
そして、第三王子の聖獣たる、私、ミカはピンク色のかわいい錠剤に変身します!!
かつてない聖獣だね!!
うん、まったくもってあり得ないから!!
床に両手をつけて、衝撃にうずくまっている私に、フェルト様は優しく言った。
「きっと、神様は僕の身体が弱いから、ミカを薬の化身にしたのだと思う」
「…………」
それは、確かにそうだ。
生まれつき、フェルト様は身体が弱くて、床についている方が多かった。
この十五の年まで、生きていることが不思議だと医師達に言われているくらいだった。
だから、きっと彼を癒すために、私は薬に……
そこではたと気が付いた。
「大神官様、私、フェルト様に錠剤として口にしていただいた後、その後はどうなるんでしょうか」
普通、薬は体内で消化吸収される。
そうなると、フェルト様の血肉になる?
あっさりと聖獣人生は終わってしまうのか?
そう言われて、大神官は慌てて水盤をスクロールしていた。
おい、パソコンみたいにスクロールできるのか。
流れる解説を目にした大神官は、私にこう言った。
「胃の中で三時間、小腸で五時間、排泄されるまでの四十時間経つまでの間に脱出できれば……」
排泄?
え、排泄ってこの大神官言ったよね?
聞き間違えかな?
「排泄された後もお姿は顕現できますが、それはお薦めしないと注意書きに書いてあります。細菌感染の可能性があると」
私の引きつった顔を見て、大神官は小さな声で教えてくれた。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
私は叫びながら、大神官のいる神殿の部屋から走り出した。
「ミカ、待って」
後ろからフェルト様が追いかけてくる。神殿の庭に面した廊下で、私は彼に捕まった。
彼は私を後ろから抱きしめて、耳元で囁くように言った。
「ミカが嫌なら、化身なんてしなくていい。僕のそばにいてくれればいいんだ」
ぎゅっと抱く腕が強くなる。
「フェルト様……」
フェルト様は私のことが好きだった。そして、私もたぶん、フェルト様が好きだ。
幼い頃から、彼のための聖獣として一緒に育てられた。
聖獣と人間が恋に落ちることは多い。実際、第二王子と彼の水竜の聖獣は女性で、港町で夫婦同然に暮らしているという。それ以外にも、過去の王家の歴史の中では、枚挙にいとまがなかった。
彼は私を抱きしめたまま、咳き込み始める。
「フェルト様、大丈夫?」
「ゴホッ、ゴホッ……大丈夫だよ……ゲホ」
顔色が悪い。すぐに彼の護衛騎士達が現れ、フェルト様を抱き上げて王宮に戻る。
馬車にのった私は、フェルト様の額に手を当てて、彼に熱があることに気が付いて、馬車を急がせた。
「ごめん、ミカ」
彼は目を潤ませて、私を見る。
私は首を振った。
「いいのよ、喋らないでフェルト様」
咳き込み、苦し気に息をするフェルト様。
そんな彼が可哀想で、私は心の中で決意した。
薬に化身しよう。
彼の苦しみを、少しでも癒してあげるのだ。
それが、神様から私に与えられた、きっと使命なのだから。
王宮の居室で、寝台の上で眠っているフェルト様の額にそっと手で触れた。
従者のキルクが音もなくそばに近寄って来て言った。
「ミカ様、私も神殿でのお話を聞きました。お薬に化身できるというお話で」
キルクはフェルト様の乳兄弟だった。彼も幼い頃からフェルトに仕え、そして彼を敬愛している。
「そう。だから、フェルト様に化身した私を飲ませて欲しい。私はきっと彼を癒す薬になる。でも」
私はキルクの手を掴んで、両手で握り締めて言った。
「お願い、三時間以内に吐き出させて。そうしないと私、私」
下から出ることなるから!!
そんなことになったら、彼に対してほのかに抱いている恋心もきっと粉々に砕けてしまう。
ああ、絶対にいや、そんなことになったらもう、正面から彼の顔なんて見ることができなくなる。
「……わかりました」
キルクも固く決意した表情で私を見つめて言った。
「必ず、三時間以内にお救いします、ミカ様」
「キルク……」
私と従者のキルクが見つめ合っていると、寝台で横になっていたフェルト様が目を覚ました。
「フェルト様、大丈夫?」
フェルト様は私とキルクが手を握り合っている姿を見て、一瞬眉を寄せる。だが、すぐにいつもの微笑みを浮かべた顔になった。
「大丈夫だよ。……それで、ミカとキルクは何を話し合っていたのかい?」
「私が薬に化身するので、フェルト様に飲ませてほしいとお願いしていたの。フェルト、私はあなたを必ず治す薬に変わるわ」
「ミカ……君が嫌ならいいんだよ。僕は今でも大丈夫だから」
そう言いながらも激しく咳き込む彼の背を慌てて、さすった。
そして、彼の耳元で言った。
「私はそれが役目なのだもの。でも、フェルト様も約束して。私を三時間以上体内に留めないことを」
「……わかった。ありがとう、ミカ」
彼はそう言って微笑み、キルクと手を取り合っていた私の手を外して、そっと握り締めた。