第3話 『―――見つけた』
*卑猥な表現注意*
やはり記憶を司る脳を失っているからだろうか―――思念体の動きはどこかぎこちなくゆらゆらと左右に身体が揺れている。それでも彼らは生前の身体の記憶を頼りに動き始めるが、どうにも動きが不揃いで、一部は動いたと同時に消えていく思念体もあった。
そんな様子に樹は眉を寄せると、花を振り返り、声を掛けようとした瞬間にそれより早く花のほうが、樹の言わんとすることを察知して、仏頂面をして口を開いた。
「記憶を司る脳がない上に、時間が経ちすぎたのですよ。身体の記憶だけでこれだけの思念体が現れてくれただけでも、奇跡に近いくらいなのです。もっともそれだけ身体に刻まれた記憶が強烈だった証拠でもあるのです」
花はそう言うと、僅かに瞼を伏せた。
身体に刻まれた記憶が強烈だったということは、よほど強い想いをそこに残したということだ。いや、残されたというべきか。そして大半の人間は負の感情によるものが多い。恨み憎しみ、哀しみなどだ。これほど悲惨な現場だ。それも仕方のないことだし、そのおかげで花の能力が生かされたのも事実だ。ただ彼らの無念を思うと、やるせない感情が胸を占めたのも確かだ。
樹は花の表情で、花の後半部分の言葉の裏を正確に捉えることができたが、声を掛けることはなかった。自分が何を言ったところで、この現状が変わるわけではない。それを嫌というほど樹も花も、そして大地も判っていた。
花から視線を思念体のほうに移すと、思念体は先ほどと変わらず動き自体はスムーズではなかったが、徐々に彼らの身に起こったことを逆を追って再現していく。
それはとても幻想的で、けれどとても凄惨な光景だった。
一人また一人と何者かによって生きながらに脳みそを切り取られたようで、姿は見えないが、その何者かがいたであろう場所を基点に動いている―――まるで舞を舞うようにぎこちなくも美しい思念体の動きだった―――その思念体の動作で犯人は単独犯だということが明らかになった。そして同時に彼の者がかなり上級ランクの能力者であるだろうことも―――。あくまで思念体しか顕現していないので、犯人がどのような能力を持っているのかは今の時点では判らないが。
『―――見つけた』
胸中はそれぞれに、四人はおそらく犯人が立っていたであろう場所付近を見つめていたが、突如声はそこから聞こえてきた。
樹は目を見開き、花のほうへ駆け出すと、視線は向けずに大地の名を叫んだ。
「―――大地ッ!!」
瞬時に大地は樹の声に反応して、隣に立つ鹿島の腕を掴み強引に地面に引き倒して、その上に覆いかぶさるようにして大地も伏せた。
その間にも樹は花の前に辿り着き、自分の右腕と自身の身体で囲うように抱きしめ、もう一方の腕の掌を広げ、先ほど四人が見つめていた場所に向かって突き出す。途端に樹の掌から蒼い炎が生き物のように現れ、樹たちと大地たちの目前に彼らを護るように炎の障壁を築き上げる。
ほぼ同時に樹たちが視線を向けていた場所を中心に、全てを薙ぎ払うかのような突風が捲き起こり、炎の障壁と激突した。
炎壁と疾風が生んだ爆風の衝撃が彼らの髪や服を舞わせ、轟音が樹たちの鼓膜を打つが、幸い炎の壁が疾風の威力をほぼ吸収したおかげで、身体を吹き飛ばされることはなかった。
「花、怪我はねぇな」
「樹のおかげで私は平気なのです。それより大地君はッ!?」
樹の身体に視界が阻まれ、大地たちの様子が判らない花は焦ったように声を上げる。そんな花を落ち着かせるように、その背中を撫でる。しかし視線は険しく砂煙で視界が遮られている疾風の発生場所を睨んでいた。その視界の端に大地と鹿島が、砂煙で汚れた服を払いながら起き上がるのを確認する。
「大地なら大丈夫だ。それより花。あれは何だ!?」
徐々に晴れつつある砂煙の隙間から、見え隠れするそれは花の能力で創り出す思念体のようなものに樹には視えたが、それは先ほどまで花が遺体から顕現した思念体とは違い、淡く金色に発光していた。
樹は腕の中の花にその存在を訊ねるが、返答がない。
怪訝に思い、意識は金色の思念体に集中しつつ、花の様子を窺うとそこには胸を抑え、自身も思念体よりも更に淡い光で金色に発光した花が顔を赤らめ、まるで何かに抗うような表情を浮かべていた。
「―――花っ!?花、大丈夫か!?おいッ!!」
「……ふぅ…っ、…やぁ」
咄嗟に苦しそうな花の負担にならないように、首の後ろに腕を回し、上半身だけを起こす形で地面に横たわらせると、樹は花に呼びかけるが荒い呼吸しかその口からは返ってこない。
『ああ、今夜はなんて素晴らしい日だろうな。まさか彼の御方の能力に間接的にとはいえ接触できるなんてさ。とても甘美でこのまま僕で全てを満たしたくなるよ』
こちらの様子に気づいたのか、大地ともう一人鹿島とかいう刑事がこっちにやってくると、ほぼ同時くらいに先ほどより若干濃い金色に発光した思念体から状況に似つかわしくない弾んだ声がした。辛うじて人間と判別できる思念体ゆえに表情はまったく判らないが、おそらく恍惚とした表情を浮かべて言ったのだろうと思わせるくらい、口調が嬉しそうだった。
最も樹にとっては不快以外の何ものでもなかったが―――奥歯を噛み締めて、花を気にしつつ思念体に顔を向け、押し殺したように声音で、声を上げた。
「お前…、花に何をした……」
『他にも人がいたのか。ということは、君ら三人も彼の御方の眷属か?』
しかし思念体は樹の問いには応えずに、花の周りにいる三人の存在を今しがた気づいたようだ。
こちらの望み返答がないことに樹は苛立ち、無意識に全身から蒼い炎を発する。近くにいた大地は気圧されつつも鹿島に炎の気が当たらないように、自分の後ろに庇うほどに樹の炎はその苛立ちを表すように舞い上がっている。
その様子を視てだろう―――思念体は納得したように首を縦に振った。
『なるほど。その炎は間違いなく君も《そう》なんだ。やはり東京にいたんだな』
「おいッ!!いい加減にしろよッ!!花をどうしたんだって言ってんだッ!?」
顔どころか素肌の見える範囲をますます紅潮させ、呼吸の激しくなった花に我慢ならずに樹は叫ぶと、全身に纏っていた炎を思念体に向かって発した。
だが、炎は思念体をすり抜けて後ろの瓦礫に当たる。
『残念だけど、僕はここにはいない。攻撃は無意味だ。まあ、そんなこと判ってるんだろうけどさ。でもそうだな。その花っていったかな―――別に彼女に危害は加えていないさ。僕たちにとって大事な大事な身体なんだからさ』
一旦、言葉を切り花のほうに首を向けた思念体は、卑猥な口調で言葉を続けた。
『彼女の身体中を優しく愛撫して犯してるだけだ。彼女も身体を赤くして感じてるだろう』
その言葉に、大地も鹿島も絶句する。
いくら花の容姿が人形めいて整っているにしても、小学生の少女を表するにしては卑猥すぎる。
『精神と能力だけでこれだけ美味しいのなら、生身を犯したらどんなに良いんだろうな。早く会って僕を彼女のナカに挿れて、どろどろにし―――ぐッッ!?お前……』
今まで饒舌に語っていた思念体が突如苦痛な声を上げたかと思うと、蒼い炎に包まれていき金色の光も弱まり、存在自体が希薄になっている。それでもまだ人の形を取っているそれの顔は、樹とその腕の中にいる花に向けられていた。
思念体の視線の先を追うように、鹿島も樹と花のほうに視線をやり、目を瞠る。
そこには小学生の花するには明らかにおかしいだろうと思われるほど、深く激しい口付けをする樹の姿が目に入った。
時間にして30秒ほどだろうか―――樹は意識を失った花の唇と自分の唇から唾液の糸を引きながら離れると、お互いの唾液に塗れた花の唇を優しく親指で拭い、ほぼ消えかけている金色の思念体を睨みつけた。
「―――花は俺のモノだ―――奪う奴は全て殺してやる………」
それは淡々とした決して大きくはない声だったが、樹のただならぬ気配がそうさせたのか―――重く辺りに響き、思念体にも届いたのか、彼は消える一瞬、口を開き何かを言ったようだったが、生憎それは声にならず、そのまま完全に姿が見えなくなった。