第1話 「触るな」
春先とはいえ、夜ましてや真夜中という時間帯はまだまだ冷え込む時期。冷たい風が都会のビル群の間をすり抜け、あるいは駆け抜けていく。
そんな都会の真ん中のビル群の隙間に、警察によってバリケードテープが張り巡らされた廃墟があった。
数十年前まではラブホテルだった建物はコンクリートがむき出しで、所々罅が入っており、いつ倒壊してもおかしくなく、数年前から立ち入りが禁止されていて、一ヵ月後には解体が決まっていた。そんな場所で数十人の警察の人間がそれぞれ忙しなく動いていた。だが、そのほとんどは顔色が悪く、なかには今にも倒れそうだったり、口元を押さえて吐きそうになっている男たちもいた。
それもそうだろう。彼らの足元には複数体の遺体が無造作に横たわり、どれも額から上が鋭利な刃物か何かで切られており、みな脳みそが抜き取られていた。その数およそ五十体。辺りには血の臭いが充満していて、これで気分の悪くならない人間はそうそういないだろう。この場にいる人間は仕事柄、いろいろな遺体を見てきているが、ここまで酷い現場はつい最近まではなかった。そう、つい最近までは……。
彼、鹿島志信は遺体の一つの傍近くに屈み遺体を検分しながら、横に立っている部下の男、馬場を見上げた。
「前の二件と手口は一緒みたいだな」
「……はい。被害者も共通して、先日軽罪で捕まった囚人たちを護送中の警察車両です。手口から見て犯人は同一人物。十中八九、能力者だと思われます。単独犯、複数犯かは不明です」
「前二件があって、護送車両も対能力者用警備を強化してたにもかかわらずこれか。ッくそったれが!」
吐き捨てるように言うと、鹿島は立ち上がった。
大柄な体躯の警察関係者の中でも、鹿島はこの場において一際、体格がよく、目立つ。強面の顔も相まって、その手の輩に間違われることもあるが、基本気持ちの良い中年男であった。ちなみに38歳で、いまだ独身で、恋人もいない。
部下の馬場はそんな鹿島とは対照的に痩身で、銀縁眼鏡を掛けた柔和な顔の優男だ。そのせいか自分にないモノを持っている上司の鹿島を尊敬していた。無論、鹿島の性格も含めてである。
そんな尊敬する鹿島の目線の先に、警察官の制服を着た者たちの遺体が、数十体あった。自分たちの同業者の遺体がやるせない。私服の遺体は先日軽犯罪で捕まった護送中の囚人たちのものだろう。やはりそのどれもが脳みそがない。おそらく今回も前回同様、現場の損壊が激しく犯人の有力な手掛かりが掴めないだろう。特に特殊能力者が犯人の場合は、事件解決は困難を極めることが多い。
奴等は各々、異なる能力を持ち、能力、ランクによっては厄介極まりない存在だ。
「鹿島警部。一度署に戻られ……ッ」
「だから言ったじゃねえか。俺たちが戻るまで、狙われるのが判っている囚人たちの護送を控えろって」
遺体をじっと見ていた鹿島に声を掛けていた馬場は、突如背後から聞こえてきた場違いな声に口を閉ざした。鹿島も遺体から目を上げ、背後を振り返り、絶句した。
そこには三人の若い人間がいた。そのうち二人は明らかに子供だったからだ。
一人は20歳半ばの青年で、綺麗に整えられた髪は銀髪で、吊り目のなかの瞳は、珍しい紫色だ。顔はかなり整っており、一見冷たい印象を受けそうだが、彼の穏やかな表情が見事にそれを相殺している。まさに理想的な女性の彼氏像だろう。
服装も薄い水色のシャツに白いジャケット、白いスラックスで爽やかな雰囲気を醸し出している。
もう一人は彼より更に若く都内でも有名な小中高大一貫の名門私立校の高等部の制服を着ていることから、高校生だと判る青年だ。白いブレザーとズボンに黒いシャツは名門校特有の上品さがあったが、大分着崩されており、見る影もない。赤いネクタイの色から高校二年生だろう。
顔立ちは前述の青年にそっくりで、違うのはこちらは髪がすこし短く漆黒で、瞳がルビーのような紅色をしている。二人はその容姿から、身内だろうを思われる。身長は青年より若干低いが年齢差によるものだろう。ただこちらの青年は爽やかとは程遠い雰囲気で、悪ガキがそのまま大きくなったような感じだ。先ほどの声の主も彼だろう。
その高校生の彼の腕には、この場にもっとも場違いであろう少女がいた。そう―――少女だ。
美しく艶のある銀髪は少女の腰まであり、その髪で可愛らしい猫耳が表現されている。瞼は閉じられていて瞳の色は確認できないが、顔立ちは非常に可愛らしい。規則正しい呼吸音から寝ているのだろうと判断できた。
色白の肌にはシミが一つもなく陶器のようだ。華奢な身体を覆っているのは、高校生の彼と同じ学校の初等部の制服だ。胸元の青いリボンの色から少女が、小学5年生だと判るが、同年代より身体は幾分小さい。
顔はまったく似ていないが、髪の色だけ見れば少女もまた青年たちの身内なのかもしれない。
「さてと、さっさと始めるぞ。大地、花を起こせ」
「僕に頼まないで、樹さんが起こせばいいっす」
「絶対に嫌だ」
高校生の青年―――東宮樹が、もう一人の青年―――神凪大地に腕の中の少女を押し付けた。それにハッと周囲の誰よりも早く我に返った鹿島は、三人の傍によると少女を抱えた大地の肩を掴んだ。
「お前らどこから入ってきやがった!ここは殺人現場だぞ!ってゆうか、外の警備の連中は何してや―――痛ッ! うわっこら何をする」
大声で怒鳴った鹿島の腕に、その声で目を覚ました少女―――神凪花は大地の腕の中から思いっきり噛み付いてきた。開いた瞼の奥の瞳は紫水晶のように煌めいているが、その眼光は寝起きのため半眼で鋭く、しかも無表情。せっかくの可愛らしい顔が台無しだ。
ガシガシガシガシッと漫画ならそんな音がしてそうな噛み付き具合だ。腕を振って自分の腕を少女の口から外そうとしたが、少女の口を傷つけそうで、鹿島はどうしようか迷っていた。決して一心不乱に自分の腕に齧り付く少女に、臆したわけではない。断じてない。
そんな花の後頭部を呆れた表情を浮かべた樹がチョップして、すぐさま少女を大地の腕から下ろした。そのおかげで鹿島の腕も、花の口から解放された。
「ったく、誰彼構わず噛み付くのやめろ、アホ。変な黴菌が入ったら大変だろうが」
「……黴菌…どうでもいいのです……。私の眠りを妨げる極悪非道な奴は……噛み殺されなくてはならないのです!」
「なッ!俺は汚くねえし、極悪非道な発言をしてるのは、そっちだろうが!」
花の口周りの涎を己の制服の袖で拭いながら失礼なことを言う樹と、理不尽に恐ろしいことを真顔で言い放った花に、鹿島は額に青筋を浮かべる。
いきなり噛み付かれた挙句、謝罪どころか黴菌やら噛み殺すだの極悪非道呼ばわりだ。鹿島が怒るのも無理はない。むしろ、当然の権利だとも言える。
「本当にすみませんっす。別に樹さんも花ちゃんも悪気はないっす。ただ正直なだけで」
最後のほうはボソリと声を小さくして、二人の代わりに頭を下げたのは大地だ。だが、彼も大概失礼である。まあ、後半の言葉は鹿島には聞こえなかったみたいだが。
「だああ、ンなことはこの際どうでもいい!それよりここは立ち入り禁止区域だ。すぐに出て行け!おいッ、お前らこいつらを今すぐ摘み出せ」
少し離れたところでこちらの成り行きを見守っていた馬場以外の部下たちに顎を動かし、指示する。
彼らは鹿島に言われて慌ててこちらに寄ってくると、三人をここから連れ出すために腕を掴もうとしたその時、
「触るな」
場の空気が一気に冷え込むような声だった。
その一声で、場が支配されたような錯覚にさえ陥り、鹿島たちは動きを止めた。
そんな周囲の様子に何の感慨も受けることなく声を発した主―――樹は胸ポケットから、黒い手帳らしきものを取り出し、鹿島たちの前に突きつけた。
「警視庁特殊能力課警視、東宮樹だ」
「同じく警視庁特殊能力課警視の神凪花なのです」
「同じく警視庁特殊能力課所属、神凪大地っす」
樹と同じように二人も黒い手帳―――警察手帳を飾す。
「ただ今をもって、本件ならびに前二件の事件は、俺たち特殊能力課に移行した。俺たち三人以外はこの現場から、速やかに退去しろ」
偉そうな口調で告げる樹の言葉が、廃墟に木霊した。