4話中編 『踊る阿呆に見る阿呆、助する天才、荒ぶるお嬢様』
ズゥゥゥゥ――……ゥゥゥ……
何の変哲もない木目基調のドアに付いた銀色の取っ手がこれほどまでに重厚的でまるで四面楚歌になるような感覚を持つとは、今日まで一度たりとも考えたことは無かった。
思えばインターホンを押す時も、階段を上ってすぐ左側にある神崎の部屋に向かう時も、ずっと心音が収まることは無かった。
意を決し、ガチャっという起動音からゆっくりと扉を奥へ奥へとねじ込んでいく。
そして、それに呼応する向かい風のように内側から聞きなれた嫌味とからかう様な声が響いてくる。
「あら、誰かと思えば遅崎じゃない。久しぶりね」
「五分遅刻だよー新崎くん」
「……ああ、悪い。ちょっと野暮用でさ。あと、遅崎じゃねえよ」
極めて自然な雰囲気を意識しつつ、ゆっくりと落ち着いた足取りで部屋のフローリングを踏みつける。
白を基調としたその部屋は入った瞬間から緩やかな風の流れが感じられ、とても風通しがいいことがわかる。
それにベッドやテーブル、クローゼットといった最低限の家具は簡潔に纏まった印象を感じ、ある意味、神崎らしさを感じる部屋だった。
中央に位置する少し大きめの丸型テーブルの上にはおそらく聡の物と思われる赤いペンの後が目立つノートや教科書、学校配布のワークなどが雑多に広げられていた。
開始五分でよくもまあ……こんなに汚くできるな、と関心しつつ俺もとりあえず丸テーブルの傍に座って肩掛けカバンから個別で買った教科書と自由帳を取り出す。
そして、黙々と教科書に綴られた単語とその解説を自由帳に書き写し始める。
テーブルを挟んだ反対側では神崎がヘッドフォンで何かを聴いており、そこから少しだけ離れた左側では聡が頬杖を付きながらチラチラと神崎の方を見つつペンを走らせている。
その後、暫く部屋の中は雨に晒された公園のような静かで落ち着いた空間となった。
しかし、俺にはそれが嵐の前の静けさにしか感じられなかった。
やがて四十分もした頃だろうか、神崎がヘッドフォンを外し、おもむろに口を開いた。
「そろそろ休憩しよっか。お菓子取ってくるね」
「ん、わかった」
何の気なしに部屋を後にする神崎。
しかし、俺にとってこれはまずい、非常にまずい。
それは主に後ろで『圧』という一文字をただひたすら放ち続けている彼女のせいなんだが……
あぁ……胃が痛い。
「さぁて、新崎。私の言いたいことわかるわよねぇ?」
あぁ……やっぱり姉妹だわぁ。
「……わかってるよ……手伝わなきゃダメなんだろ……?」
俺の答えを聞き、フッとわざとらしく鼻を鳴らしてほくそ笑む聡の姿は言葉にするよりも明確に俺との上下関係を体現していた。
「そうそうその通り。それがわかっているのなら……何か考えてきてるんでしょう?」
中途半端なニヤケ顔に変わり、期待感を露わにして、まるで恋バナをする高校生がごとく目で急かしてくる。
彼女は当然、神崎から自分が来ることは伝えられており、準備万端の状態でここに来ているんだと思っているだろう。
だがしかし……お前が今日ここに来ることを知ったのはついさっき!! しかも、バッティングという最悪のプレゼントを添えて!!
という訳でまだ、何も思いついてなどいない。
神崎……早く帰ってきてくれ……!!
「どうしたの? まさか……?」
聡の声音がオレンジのような明るいものからブラッドオレンジのような影を落としたものへと一転し始める。
「あー!! あー!! あー俺ちょっと神崎手伝ってくるわ!!! じゃ!!」
「あ、こら!!」
俺に残された時間は少ない。
こうなったら仕方ないよな……
早足で階段を駆け下り、そのまま台所へ疾走。
お菓子を吟味する神崎の元まで駆け込む。
「あ、新崎くん。ごめんね、もうちょっとま――」
「神崎、ここだけの話なんだが聞いてくれないか!?」
表裏一体の温度差など気にもとめず、駆け寄った勢いそのままで若干オーバー気味に神崎に詰め寄る。
「え? う、うん」
そんな、俺の様子に困惑しつつも取り敢えず話を聞いてくれる体制に入ったようだ。
「これはさ、もしもの話なんだ。現実じゃなくてフィクションだ。おっけー?」
「えっと、うん」
「男の子……仮にA君としよう。彼はとある女の子……えーじゃあBさん! の恋を手伝っています。ここまではいいな?」
「うん」
「だけど、彼はやむを得ない事情でBさんの邪魔をしなければいけない立場にもなってしまうんだ」
「ふむふむ」
「どちらの立場も守らなきゃいけない……そんな時、神崎だったらどうやり過ごす?」
「うーん、なんだかリアリティのある話だなぁ……実話だったりして? なーんて」
「うん!? そそそそんな訳ないよ!!?」
「……? それでえっと穏便にやり過ごす方法だっけ? うーん、難しいなぁ……僕、色恋沙汰は苦手だし、解決策は出せそうにないかな」
「そうか……」
頼みの綱もダメか……
「あ、でもこれは答えじゃなくて僕の希望というか要望になっちゃうけど……僕はなるべくその恋が成就するようなやり方で穏便に済ませたいな。多難だろうけど」
「……おっけー。サンキューな」
「うん、どういたしまして。先に上がっといて」
「おう……」
最終的には幸せに出来るように持っていきたい……か。
そんな都合のいい解答がこんな矛盾した問題にあるわけないよな……そんなもの……
――いや、ある。
「神崎!!」
「ど、どうしたの!?」
「やっぱお前ってすごいわ!!!」
「え? あ、ありがとう」
ますます困惑の色を深める神崎を傍目に昂る感情のままに階段を上がり、神崎の部屋にいる聡の元まで戻る。
「あら、随分と息が切れてるじゃない。どうかしたの?」
「ハァッハァッ……琉蓮司、さっきの話の続きだ。教えてやるよ、とっておきの作戦を!!」
少し強めに吹いた風で髪が揺らめく。
木々のザワつきはまるで闘いを盛り上げるBGMがごとく騒々しく騒ぎ立てるのだった――……
ドラゴンボール並に引き伸ばして書きます。