3話 『緋色、または金色』
聡との間に起きた一悶着から数日。
今のところ、俺の日常にはなんの変化も問題も起きておらず、平穏無事を語るに充分すぎるほどだった。
勝負が終わった後にメイドの人から伝言を聞いた時は一体どれだけ振り回されることになるかと不安で不安で……毎夜、杞憂を抱き枕にして寝るような感覚だった。
まあ、何はともあれそんな中、休日明けの学校で放課後を迎え、クラス内の人数も少なくなっていき閑散とした白が目立つようになっていく中、俺はいつも通り十五分程度でちゃっちゃと今日の範囲の復習を済ませ、簡単に帰り支度を整えていた。
すると、今日は珍しく神崎がこちらに向かってくる姿が視界に入る。
普段は俺が電車であいつは自転車なので一緒に帰ることはないが、たまーに自転車の修理だったりで使えない時は一緒に帰ることがある。
なので、今日もそういう日なのかなと思いつつ神崎の方を見やる。
「神崎、どうした?」
「新崎くん、今週の土曜日空いてるかな? 期末テストまで今日でちょうど二週間でしょ? だから、僕の家で勉強会しようと思うんだけど……どうかな?」
「ああ、おっけーだ。昼からか?」
「うん。それと……あれ? そういえば新崎くん放課後、委員会じゃなかったっけ?」
「え? 委員会?」
ここで咄嗟に数ヶ月前のことが思い出される。
あれは入学式から二週間程度経った日のことだっただろうか。
六時間目のホームルームで前の時間が体育だったために半分意識が飛び、うつらうつらしながらも受けたことがあった。
確かその時、委員会がナントカカントカ言っていたような気がしなくもない。
その日は眠かったから確認もせず、さっさと帰ってしまったが……
「なあ、神崎。ちなみに俺はどの委員会なんだっけ?」
「新崎くんは修学旅行準備委員会だよ」
「Oh……」
普段、自分とは地球の裏ぐらい距離がある、もはや乖離していると言ってもいいほどかけ離れた存在の登場に何一つ偽りない素の心の声が漏れ出てしまう。
「な、何で俺がそんな所に……?」
「えっとね、誰かが推薦したんだったかな?」
推薦? 俺を? 修学旅行の準備に? バカなの? 何で?
信じられない、という様子が顔に露骨に出てしまっていたようで神崎が焦り気味に取り繕う。
「でも、確認とった時、新崎くんもやるって言ってたらしいから……」
「んな!? そんな訳……」
あったかもしれない……適当に頷いてたかもしれない……
「……俺を推薦したやつ、誰か分かるか?」
「うーん、ウトウトしてて見てなかったや。教室内もザワついてたし……女の子だったとは思うんだけど」
……忙しい委員会に推薦するってことは俺の時間を削りたいってことか? じゃあ、テスト上位にいる女子でウチのクラスのやつを洗い出せばいいか。
まあ、これはおいおい片付けるとして……
「神崎、状況はだいたいわかった。ちなみに委員会がどこでやってるかわかるか?」
基本的にうちの学校では委員会は男女一名ずつ、前期後期に別れてやるものなので今回みたいにいかにもパリピウェーイ系超卍みたいなのが相方になってそうな委員会だと一度でも迷惑をかけて悪印象を持たれたら教室に居ずらくなる……
実際問題、そういう人間からしたら普段の俺なんてたまに神崎と話してるだけの村人Cぐらいの存在だろう。 村人A以下である。
つまり、何が言いたいかって言うと普段ですら村人Cなんだから、これ以上はもう存在できなくなるってことだ。
空気になるしか道がなくなるのはさすがに避けたい。
そりゃもちろん、カースト上位にだってたまーには神崎みたいないいやつもいるけどそんなものは極少数で……何にせよ、急がないと不味いことになるやもしれん。
「えっとねー、確か三階講義室だったかな。委員会自体が長くなりそうだから前倒しで始めるって言ってたし、急いだ方がいいよ!」
「おし!! ありがとな、神崎!! ちょっくら行ってくるわ。じゃあな」
「うん!! ばいばい――あ、それと勉強会にはさとちゃんも……って行っちゃった……」
疾風怒濤の勢いで走り去る俺にその声が届くことはなかった。
勢いよくガララと開いた横引きのドアに数秒間、教室と内装はほとんど変わらない講義室にて静粛に修学旅行について説明を受けていた一学年から三学年までの生徒、三十人弱の視線が一点に集中する。
五分遅れで来た俺に対して明確な敵意を持つものはいないにしろ、このような半分四面楚歌の状態ははっきりいって精神衛生上良くない。
こういう時はあれだ……
「えっと……私用で遅れました」
ペコペコと頭を何度か上下させ適当な身振り手振りと薄笑いでなんとか乗り切る。
五分程度の遅れだったのが幸いしたのか特に気にされることもなく席に誘導される。
どうやら一番教卓に近い長机の左側がそうらしい。五人一組の椅子は両端がひとつ開けられている。ということは左側がA組で間違いないだろう。
ちなみに隣に座っているのは……オレンジに近い茶髪!! ひぇ……こわい!!
端の空いている席までゆっくりと近づいていく。
その、足取り一歩一歩がまるで自分自身が己の死へのカウントダウンを明確にする秒針を早めているような、そんな感覚だった。
覚悟を決め、一気に席に座る。
そして、隣の女子に一世一代の大勝負をする覚悟で謝りにかかろうとしたその時、正に予想外のことながらなんと女子の方から喋りかけてきたのだ。
「えっと……新崎くん? だよね。よかったぁ……あのまま来てくれなかったらどうしよってほんと焦ってたんだぁ。でも、用事だったら仕方ないもんね。あ、このプリントにさっきまでの説明だいたい書いてあるからどぞ」
「あ……ありがとう、ございます」
呆気に取られる――というよりホッとした部分の方が大きかった。
危惧していたようケバさは特にないし、派手に制服を気崩したりもしてない。
むしろ、綺麗な顔立ちや括られた髪に親しみやすさすら感じるぐらいだ。
そんな彼女と小一時間、今年の修学旅行の行き先やプログラムについて説明を受け、各クラスごとに自由時間とは別のフリーの時間にどこに行きたいか、などを検討した。
そうして、いつの間にやら時間は溶けるように過ぎていった。
「ふぅー結構、長かったね」
委員会が終わり、椅子に座ったままの状態で思いっきり身体を反り返し、凝り固まった筋肉を伸ばしながら俺に明るい口調で話しかけてくる。
彼女とこの小一時間、いくらか話してわかったが、やはり彼女はとても親しみやすい性格だった。
喋り方もどっかの誰かさんとは違って温厚だし、そもそも佇まいに威圧感がないしな……まったく、大違いだ。
「ああ、えっと……今日は遅れてごめんな」
「ううん、ちょっとぐらい遅れたってだいじょぶだよ」
「ありがとう。えっと……」
「鬼燈 緋色。覚えておいてね、新崎くん。おつかれさま!!」
最後にニコッと笑って、彼女特有の溌剌としたラムネのような印象を残し、そのまま走り去っていく。
そんな、彼女に俺も同じようにおつかれさま、と返し軽く手を振る。
にしても、良い奴でほんとよかった。
睨まれたりでもしたらヘビとカエルみたいなもんだからなぁ……こんな学校でも結構ガラの悪いやつはいるし……能力が高すぎるが故の自己中心的発想は仕方ないってことだな。
でも、まさか名前まで知ってくれてるとは……
誰もいない廊下にただ、響く――とも言えない程度の残響しか残すことの出来ない鼻歌と規則 的に深い弾みを持った跳躍をする影が一つ。
「新崎くん、初めて喋ったけど思ってたより気弱なのかなぁ? 裕翔は完璧すぎてつまんなかったけど……アハハ、新崎くんは良いかも」
彼女との出会いが新崎にどのような影響を齎すのか――それは、いずれ彼らが知る未来にのみ記されている――……
――――……まったく、大違いだ。
一方その頃、琉蓮司邸。
「ヘクチッ」
「かわいい、くしゃみですね。お嬢様、風邪ですか?」
「うるさいわね……あら? 寒気の次はなんだか無性に腹が立ってきたわ。アーシアちょっとこっちに来なさい」
「え、何ですか、嫌ですよ、嫌ですって。あ、いひゃいでふお嬢様。つねらないでくらふぁい――……」