2話後編 『始まり、それから』
「あら? ちゃんと逃げずに来たのね」
休日の真昼間の公園。
元気に走り回る子供たちの姿や、それを見守りながら談笑するママ友たち。
そんな微笑ましい光景の中、出会い頭、俺に軽い挑発をぶつけて完全に浮いてでるように見える彼女の名はさとちゃん。
今日は黄色のワンピースに麦わら帽子を被り、持ち前のキレ味のあるツリ目でしっかりこちらを射抜きつつ嘲笑することも忘れない。
「俺の辞書に不戦敗って文字はないんでね」
「あらそう」
「ついでに言えば、敗北については絶賛その概念を消し去ろうと日々、頑張ってるところだよ」
彼らの会話は朗らかな本来の公園の雰囲気とは表裏一体であり、まるでなんの予兆もなく起きた富士山の噴火の様だった。
ピリピリとした雰囲気の中、聡が口を開く。
「さてと、時間がもったいないし、早く移動しましょうか」
「ここじゃないとは思ってたけど、どこに行くんだ?」
「私の家の庭よ。そこで勝負するの」
「なるほど……」
……女の子の家に行くとか初めてなんですけど!?
え、まって、俺の初女子の家のきっかけが勝負ってウッソだろお前。
やべ、緊張してきた……神崎に見繕ってもらった服をそのまま着て来て良かったぁ……
安堵する俺を横目に聡が突如口を開いた。
「セバス!!」
聡がそう叫び、顔の右横で両手をパンッと鳴らすと、いつの間にか彼女の右斜め後ろには直立不動で佇む、まるで岩を思わせるような高齢の男性が立っていた。
しかも、黒の執事服に立派なヒゲという今の日本にはおおよそコスプレ以外では存在しないであろう珍妙な服装に新崎はおろか、周りにいる小さな子供やその母親たちさえ視線を釘付けにされていた。
「お呼びでしょうか? お嬢様」
いわゆる味のある声とでも言うのか、ともかく見た目に反して威圧感のない、温和な口調でセバスと呼ばれる執事は聡に要件を尋ねる。
「車の用意を。あと、一応客人へのもてなしも」
「かしこまりました」
恭しく一礼すると、セバスと呼ばれる執事はその場を立ち去る。
「……こんな俺でも一応はもてなしてくれるんだな、ノブレス・オブリージュってやつか?」
「まあ、当たらずとも遠からずってとこかしら……ひとついいことを教えてあげるわ。上に立つ人っていうのは大概、まず何よりも見た目の美しさを求めるの。ダイアモンドの原石よりも腐った金。本当に――」
「お嬢様」
その声を聞き、もしやとは思ったがやはり、いつの間にやらセバスと呼ばれる執事は彼女の右斜め後ろで仁王立ちしていた。
「お車のご用意が出来ました」
「……そう、ありがとう。さてと、行きましょうか」
「お、おう」
彼女に先導され、あとをついて行く。
すると、見えてきた車はやはり普通ではない。
一言で言えば、長い。
一般乗用車の二倍はあるだろう。
そしてなんと言ってもこの黒塗り! ツルツルピカピカ! 絶対に衝突したくないね。
「お嬢様、どうぞ」
そう言ってセバスが車の扉を開ける。
そして、さも当然のように彼女は中に入る。
「何してるの? 早く入りなさい」
本物の大金持ちの常識に圧巻され、多少気後れしていた俺に彼女が行動を促す。
「ああ、悪い。えっと、失礼します」
聡から見て二、三個左にずれた席に座る。
外見からもある程度の予想はついていたが、やはり豪華な内装だ。
テーブルもあるのでここにシャンパンでも冷やしてあったらもう完全に極道ものの映画だろう。
パタンと扉が閉められ、セバスは運転席に着く。
車は発進したようだがまるで揺れを感じない。
運転手がいいのか、車がいいのか、いやきっと両方か。
おかげさまで一切の雑音がない、妥協なしの静寂が続く。
そこでふと、先程の話を思い返す。
「なあ、さっきの話――」
「あれは忘れて」
暗く、重いトーンで食い気味に返事をされたのでこれ以上は踏み込めそうにない。
そして、再び車内に静寂が訪れる。
外の景色を見ようにも車窓には全てカーテンが付いており、勝手に開いていいものなのか悩んでしまう。
この状況だと尋ねるのも躊躇っちゃうし……べべべ別にコミュ障ってわけじゃないんだからねっ!!
謎の弁明もほどほどに目の端に捕える程度に聡の様子を伺うと、力なく頭を右に流しているような状態だった。
うーん、寝たフリしよ。
全身の力を抜き、なるべく違和感のないように瞳を閉じることこそが寝たフリの重要なポイントだぞ!! ボッチのみんな覚えとけ!!
ハッ、一体俺は誰に向かって…………
「……着いたわよ」
あれから十分程度してその声が聞こえた。
「ん? 着いたか」
座った状態で両手を後ろに思いっきり伸ばす。
すると、ところどころからポキッポキッと破裂音が鳴り、頭も少しスッキリする。
既に車を降りようとしている聡に続き、俺もドアへ向かう。
そして、車から降りた瞬間、眼前に広がるのは……グラウンド?
「おい、なんだこれ」
「何って……グラウンドよ」
「……これがおまえの家の庭なのか?」
「まあ、正確には庭の余りってとこかしら。お父様がようやく今度ここをテニスコートにする、とお決めになさったから、余りではなくなるけど」
「あーなるほど」
桁違いの金持ちってことは分かった。
辺りを見渡した感じ、下手したらそこらへんの高校よりも敷地が広いかもしれない。
「そういえば、まだ勝負の内容を言ってなかったわね」
不意に聡が口を開く。
謎の緊張感が辺りを覆う。
なぜか耳元がザワザワしてくる。ザワザワ……
「今回私たちがするのは……3000メートル持久走よ!!」
「じ、持久走……!?」
まあ、グラウンドの白線の形からだいたい予測してたんだけども、とりあえず驚いておこう。
「ちなみになんで持久走なんだ?」
「フフッ、そんなことも分からないの? しょうがないわね。特別に説明してあげるわ」
なぜか上機嫌になる聡。
「ひーちゃ――か、神崎くんが運動嫌いなことはもちろん知ってるわよね?」
「いや、知らん」
「は?」
いや、そんな威圧感出されても……
「……そういや、あいつ体育休むこと多い気がするな」
「そういうこと。つまり、今回の勝負はどちらがひーちゃ――神崎くんに相応しいかを決める闘い。よって、彼の欠点を補えるものこそ勝者となるに相応しいわ!!」
「あーそれで持久走?」
「その通り! 神崎ちゃ――神崎くんに足りない運動能力を試すことこそがこの競技の目的よ!!」
あー惜しい。今の一発で言えそうだったのに。
にしても、こいつはこういう恥ずかしい事を言ったり、毎日手作り弁当を手渡したりするのは平気なんだからすごいよな。
そのくせ、自分から告白するのはプライドが邪魔してできないとかそんなとこだろう。
分かりやすい弱点だこと。
「さてと、着替えましょうか」
「着替え? 持ってきてないぞ、そんなの」
「分かってるわよ。こっちで用意したからそれを使いなさい」
「どこで着替えんの? 車の中?」
「ええ、先に着替えなさい。セバス!! 服の用意を」
車の中に入るとテーブルの上に極一般的な体操服が綺麗に折り畳まれた状態で置かれていた。
……いつの間に置いたんだろうか。
こうして、男と女で男を取り合うというよく分からない勝負の幕があけるのだった――……