勝利のファンファーレ
《……黒蛇神の絶命を確認。
周囲の脅威を確認……感知できません。
おめでとうございます。我々の勝利です。
警告。神秘が枯渇しています。
武神戦闘機動を強制終了します。
思考しています……。
神体内部に呪いを確認。
警告。神体に深刻な汚染が発生しております。
神体の治癒……失敗。
呪い検索……失敗。
再試行……失敗。
再試行……失敗。妨害されました。
山岳世界の管理者権限により、電子精霊のアクセスが拒否されています。
この問題の解決には上位権限を持つ神眼世界管理者への問い合わせをお願いいたします。
……警告。神秘が枯渇しています。
これ以上のサポートは神体への悪影響を及ぼす可能性があります。
神眼世界霊的記憶庫との回線切断。
電子精霊のサポートを終了します。
……貴方の旅路に幸あらんことを》
「……ん。おう」
矢継ぎ早に言葉を紡いだ無機質な声に、アーロはなんとも言えず言葉を返した。
そして、ブツリと耳障りな音を立てて、それきり沈黙が続く。アーロの脳裏に響いていた無機質な声は、登場と同様、唐突に消えた。
「……ふむ」
結局、脳裏に響いたあの不可思議な声は何だったのか。
登場は唐突にして言動は奇怪。意味不明な言葉の羅列に、神を殺すためにあつらえられたかのような回復や力の補助といったサポート。あの声がいったい何者なのか、アーロは内心で首を傾げ、思い当たる節が無さ過ぎたために思考を放棄した。
世の中は、不可思議に溢れている。学の無い自身に分かる事などたかが知れており、ましてや二級神ワールグランズの骨を口にしてから聞こえてきたものだ。十中八九、神の御業の関与するところだろう。
神の意図を察することは難しく、考えるだけ時間の無駄である。そうアーロは経験から判断した。
そしてじっと眼を凝らし、黒蛇神を観察する。謎の声は黒蛇神が絶命したと言っていたが、その眼で確認しなければ安心はできなかった。
呪いを発したと思わしき黒蛇神の頭部。六眼のうち二つは弾け、二つは腐り落ちて眼孔を晒し、残り二つの眼球は濁り、紅色の輝きを失っている。
さらには頭部の内側から妖精の短剣が飛び出したため、頭蓋を貫いたらしき大穴が空いていた。かつてアーロを鋭く睨んでいた眼に力は無く、短剣のような牙が並んだ口はだらりと開かれ、舌が垂れ下がっている。
もちろん呼気による頭部の揺れも無く、黒蛇神はすっかり生気を無くしていた。
仕留めた。
そう確信したアーロは強張っていた身体から力を抜いた。脚を損失し、両の腕も焼けただれている。立ち上がる事もままならず、頼みの綱であった武器も彼方。もはや彼は身を守る術を持ち得ていなかった。
もう一手、何かが残されていれば、自分も死んでいた。互いに死力を尽くし、辛くも勝利を手にしたのだった。
「勝った、な。とはいえ……」
安堵の息を吐きつつ、アーロは自身の状態と置かれた状況を観察する。
視線の先には、石のようにざらついた質感を照り返す両の脚。彼の脚は、共に太ももの中程から先が石のように硬化し、砕け散っていた。
視線を首元に巡らせれば砂のような細かい粒と化したスカーフの成れの果てがあり、さらに胸元に提げていた結魂証にヒビが入っていた。三枚ともだ。
背から地面に垂れた外套は輝きを失い、燐粉の煌めきは見受けられない。
彼と黒蛇神の間には、点々と溶けて崩れた塊、妖精の短剣だった泥が積もっている。
全ての持ちうる力、手段と引き換えに得た勝利。
まさに総力戦であった。
そして最後に、黒蛇神の怨み、妬み、怒りを打ち消した、あの柔らかな光。
アーロの身から立ち上った燐光と形作られた姿。
神の死力を振り絞った呪いに対抗したのは、人の想いであった。
守ろうとした者たちに、彼は守られたのだ。
その事実に、彼は満足げに頬を緩ませた。
「さて。帰るか……」
ひとまず彼は身を捻り、もぞもぞと地を這うようにして動き出す。
神を屠った者にしてはあまりにも無様な様相に、受けた呪いは『這いずる定め』か、とアーロは自嘲気味に笑った。
◆◆◆◆◆
アーロと黒蛇神ディグニカの戦いに決着がついたことは、すぐに知れた。
黒蛇神の骸から溢れだした神秘に反応し、地下渓谷全体が蛍石の発する淡い灯りに照らされたのだ。
地下渓谷の入り口でまんじりともせず待っていた鍛冶神やアビゲイルたちは、変化を感じ取り一も二もなく戦場へと駆けつけた。
そして地下渓谷の奥地で果てた黒蛇神と、両脚を損失したアーロを発見し、すぐさま介抱を行った。
幸いにアーロの精神は健常であり、目立つ外傷を除けばいつも通りの様子で笑い、勝利を告げた。
それから先は大騒ぎであった。
絶命した黒蛇神ディグニカはさておき、石となって砕けたアーロの両脚を拾い上げたアビゲイルは、生きていることの喜びとも、激闘の末に脚を無くしたことへの後悔ともつかぬ声を上げて泣き喚き、リリと共に怒りの形相でどうにかしろ、何としても治せと鍛冶神へ詰め寄った。
鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツもまた、安堵と喜びの表情から一転、石となり砕けた脚を見て苦渋の表情を浮かべた。
「これは強力な呪いダ。奴め、なんと面倒な置き土産を……」
「治るの! どうなんですか!」
「早くくっつけるのよ! 妖精水でどうにか…」
「無理ダ。その程度の神秘デは太刀打ちも出来ん」
「だったらさっさとどうにかしなさいよ! 一人だけ落ち着いてるんじゃないわよ!」
「うむ……待っていろ」
かんかんに怒って金切り声を上げるリリにせっつかれ、鍛冶神は慌てて黒蛇神の死骸へと駆け寄り、爆散した心臓から殺神大剣を引き抜く。
そして心臓の肉片を苦労して切り取り、アーロへと差し出した。
「異世界の戦士よ。これを喰え」
「生で、肉が、喰えるか!」
「む……。すまん」
冗談言うなと本気で怒鳴られた鍛冶神は取って返し、溶岩溜まりへ向かい、ごうごうと煮えるように燃える溶岩の熱で肉を焼いた。鍛冶神の毛は溶岩程度ではちりりとも燃えなかった。
そうして用意された黒蛇神ディグニカの肉を、アーロは食んだ。
「ドうダ?」
「……旨いな」
「そうじゃなくって!」
「お兄さんまでふざけないでよ!」
わふ!
黒蛇神の肉、おそらくは多大なる神秘を内包する神の身体をアーロは食べ、身に取り入れた。焼けただれていた両腕は見る見るうちに癒され、動くほどに回復したのだが、石となった脚は元の生気のある肌に戻る気配も、石化した断面から生える気配も見せなかった。
いかに神の肉といえど、強力な呪いを打ち消す力は無い。ましてや黒蛇神自身がかけた呪い。効果は見込めない。
今のところ、アーロの喪失した両脚を治す術は、元に戻す術は無い。そう鍛冶神は告げた。
「すまない。オレの神秘は奴に及ばない。呪いや結界ならバ得手なのダガ、今回はそもそも奴自身ガ呪いの塊ダ。解決デきる見込みは薄い」
「……ま、命があるだけ儲けものだ」
「そんな……お兄さん……」
「だめだよ! そんな簡単には……」
「いいから。負傷は俺の不手際だ。それに……」
鍛冶神へ対してなおも声を張り上げようとしたアビゲイルとリリを、アーロは制した。
「守ってくれたんだろ?」
「……うん」
「私も! 私も!」
やはり、何かを感じたのか。
アビゲイルは神妙な顔つきで頷き、リリは手を上げ肯定を示した。
「俺が、俺たちが、黒蛇神に勝ったのさ。それで、いいじゃないか」
「……わかった」
「そう言うなら……」
本人がもう良いと言っているのだ。二人は何も言えなかった。なにより、アーロが満足げに失った脚を眺めていたこともある。
ひとまず傷は癒えた。失った物は大きかったが、この問題は棚上げされ、場は治まった。
「戻ろう。安静にせねバな」
ひょいと軽快にアーロの身体を担ぎ上げた鍛冶神は、絶命した黒蛇神へ一瞥を向け、しかし何も告げる事無く歩き去った。