神殺し
想い描いた最高の一撃。致命の剣閃。
幾多の攻撃を掻い潜り、力を振り絞り、捨て身同然の肉薄をした見返りは得た。
神殺しは、ここに成った。
アーロは達成感に包まれながら宙を舞っていた。自身の起こした銀色の炎と爆発の余波を受け、踏ん張りきれずに吹き飛ばされたのだ。
せめて受け身を取ろうとしたが、腕も脚も動かなかった。視線を動かして見やれば、同じく爆発の余波を受け千切れ飛んだ衣服と、剥き出しの手足が視界に入った。
腕も脚も、無惨に焼けただれている。
ちょうど、あの銀の炎を纏わせていた部位だ。不可思議な力、神の力を使ったことによる副作用か。いささか無茶をし過ぎたようであった。
これは、まずそうだ。
そう思うと同時に、アーロは受け身も取れずに岩肌へと叩きつけられていた。
「ぐお……」
辛うじて動く身体をねじり、頭からの着地を避ける。代わりに背中を強打したアーロは、衝撃に息を詰まらせて痛みに悶えた。
視界に火花が散り、涙眼で顔を上げれば、胴を大きく弾けさせた黒蛇神の体が、轟音を立てて地に倒れるところであった。
胸部には殺神大剣が、肉に深々と突き刺さったまま墓標のように立つ。
同時に切り飛ばされた黒蛇神の頭部も落下し、地下渓谷に血飛沫が飛び散る音と肉が潰れる音の二重奏を響かせた。
黒蛇神の長い身体は凄惨たる有り様であった。
アーロが斬撃により断ち割ったのではなく、内部から弾けた銀の炎、守りの力により裂かれるようにして千切れ飛んだのだ。
断面は爆発したように裂け、暴散した心臓と思わしき内蔵からは黒い血が止めどなく溢れ、地下渓谷を黒く汚している。
巨躯からは鈍色の神秘が立ち上ぼり漏れだし、岩の中に含まれる蛍石を反応させ、地下渓谷全体をぼんやりと光らせる。
闇を打ち払う灯りに彩られた中で、黒蛇神ディグニカは心臓を穿たれ、死に体を晒していた。
『見事……』
否。黒蛇神はまだ生きていた。
斬り離された頭部が緩慢な動きで首を巡らせ、アーロを紅色の眼で視界に捉える。しかし、もはやそれ以上は動けないようであった。
身体を断たれ、心臓を貫かれ、死に行くまでのほんの一時、命を燃やして動いているだけであろう。
現に、地に伏した黒蛇神の長い身体も小刻みに痙攣している。
『異世界の戦士。アーロ・アマデウスよ。見事だ。鍛冶神、そして二級神の助力を得たとはいえ、神を屠るとは……』
残された二つの紅色の眼を細め、黒蛇神ディグニカはアーロを褒め称えた。
『あぁ……無様な負けだ。我の敗北だ。神格も、体躯も、溜め込んだ神秘も、積み重ねた年月も……。我の方が勝っていた……。なぜだ……なぜ貴様に……』
「格だなんだ、神秘だなんだ、難しい事は俺には分からんが。力を出し渋ったな」
『我が……』
ぼんやりと虚空を見つめたまま、黒蛇神ディグニカはポツリと呟いた。
『夢を見たか……。果たせぬ夢を』
「貴様には次があったが、俺は貴様と刺し違えても構わんと考えていた」
だからこんな有り様だ。と自嘲したアーロは身体を捻り、なんとか身を起こす。
激突した衝撃でめくれあがった岩石を背に、手足を投げ出して座り込む体勢だ。
そうして視線で手足を指し、頬をつり上げた。
彼は死兵を気取るつもりはなかったが、言葉は本心であった。抜かりなく、全力で戦い、殺す気概で挑んだ。刺し違えてでも殺し、無理でも弱らせる。
防御を捨てて力を注ぎ込んだ結果、神を屠った。しかし、自身の身も無事では済まなかった。
無惨に焼けただれた腕と脚は感覚がなく、少しも動く気配がない。神の力とやらで治癒できるのかもしれなかったが、今のところその兆候は無かった。
先の一撃で力を使い果たしたのか、脅威が無いため湧かないのか、あの不可思議な体験自体、戦いに高揚したアーロの幻覚という線もあった。
対する黒蛇神は、眼球だけを動かしてアーロを捉え、睨んだ。
『恨めしい。貴様さえ、貴様さえいなければ……。異世界などと繋がらなければ我が勝っていた! おのれ、おのれ鍛治神よ! 異世界の神よ! 貴様らはいつもそうだ。己の意に沿わぬものは異質物として排除する! すべて思い通りにせねば気が済まぬ傲慢な輩よ!』
「……」
『アーロ・アマデウス! 貴様も辛くも勝てたような顔をするな! すべてこうなる定めなのだ。最初からそういう筋書きなのだ! 貴様の苦難のため、我はここで果てる定め! 貴様の生の引き立て役として我は生まれてきたのだ! 我の怒り、我の生き様には何の意味も無いのだ! あぁ……! なんたる屈辱! なんと恨めしいことか! 貴様には、貴様のような者には分からんだろうな! 我々がどれだけ策を尽くそうが、すべては偉大なる神の掌の上よ。神に愛された子! 神に愛された男! 英雄! あぁ、なんと憎らしい! この先も貴様は勝ち続けるだろう。数多の困難が降りかかり、そのすべてを乗り越えていく! それが貴様の定め。物語の筋書きなのだ! 苦難を乗り越え、貴様は大団円を迎えるのだ、何の苦も労せずにな!』
黒蛇神は、アーロには理解し得ない事柄を憎み、怨み、怨嗟の声を発する。
死に体の無様な後悔、そして敗者の遠吠えとしてはあまりに壮絶な語り口に、アーロはつい耳を傾けてしまった。
「黒蛇神。貴様は何を言っている?」
『黙れ小僧! 知らぬまま成功を享受する不粋の徒よ! いや、何を言っても無駄であろう。貴様もまた運命に翻弄されるだけの存在なのだ。哀れ! 憐れ! ハハハハッ!』
ひとしきり嗤い、不意に、黒蛇神ディグニカは怨嗟の声を止める。
そしてぎょろりと紅色の眼を見開き、アーロの姿をしかと視界に納めた。刺し潰された眼も含めた六眼はすべて開かれ、眼は黒い血で染まっていた。
理解し得ない言葉の嵐に呆けていたアーロだが、向けられた目線にふと、黒蛇神の眼が燃えているようだと感じた。
『……もはや我に再起の芽は無いが、無様にも足掻こうではないか。奴らの思い通りになど、させてたまるか。そう、そうだ。せめて奴らの筋書きに楔を打ち込む。一手報いてこそ、我の生に意味が生まれるというもの。奴らは思い知るのだ、自らの計画を乱したものの名を。黒蛇神ディグニカの存在を!』
そうして、黒蛇神は嗤った。
ゲラゲラと、ガラガラと。
喉を鳴らして、反逆の蛇は首だけになってもなお威風堂々と、大口を開けて嗤った。
『異世界の戦士。アーロ・アマデウスよ。貴様の健闘を讃えよう。運命に翻弄されつつも立ち向かい、黒蛇神ディグニカを打倒せし英雄よ。勇気ある者よ! これから先、貴様の長き旅路に幸あらんことを! 我からの祝福を受け取るがいい!』
朗々と語るように述べた黒蛇神の六眼が、黒く染まっていく。燃えるような瞳が、闇のように深く。
『同族喰らい』
『孤独の蛇毒』
黒蛇神がぼそりと呟けば、上部の二眼が黒い血飛沫を上げて弾け飛んだ。
『這いずる定め』
『尽きぬ飢餓』
刺し潰されていた二眼が、臭気を上げて腐り落ちていく。
『反逆の眼』
『異質物化』
残っていた二眼が石のように濁り、光を失っていく。
『我は反逆の蛇。蛇毒の申し子。怒りに狂える闇。地下の巨釜で怨みを煮詰めた悪神。異世界の戦士アーロ・アマデウスよ。貴様、五体満足でこの檻から帰れると思うでないぞ』
黒蛇神ディグニカが厳かに語り終えると、六眼それぞれから鈍色の光が立ち上ぼり、尾を引いて飛び、地に倒れ伏したままのアーロへと襲いかかった。
これは、まずそうだ。
地に打ち付けられた先程よりも遥かに危険で、得体の知れない危機に襲われている。そうアーロは分析していた。
黒蛇神ディグニカの蛇眼から立ち上った鈍色の光は、一瞬だけ宙に漂った後、まるで意思を持つかのようにアーロ目掛けて飛来する。
アーロの眼が金色に光り熱を持つ。ということはなにかしらの神秘。黒蛇神の言葉尻から捉えれば祝福であったが、恐らくは呪い。それも極上の。
《肯定。
警告。回避機動を推奨……両足の機能が不良です。回避不可能と判断。
思考しています……。
防御膜の展開。可及的速やかに》
また、アーロの脳裏に声が響く。
先程の戦闘時とは違い、やや焦ったような声音だ。
迫るは怒りに燃える三級神の、出し惜しみ無しの全力を込めた呪いだ。身に受ければいったいどうなるか検討もつかない。
危険を感じたアーロは飛び去ろうとしたが、地に投げ出されたままの手足はやはり、ぴくりともしなかった。
冷や汗を流した彼の身体からも再度、銀色の燐光が溢れ出し、身を包み込んでいく。
しかし……輝きが弱い。
「クソッ!」
《守りの力の出力不安定。神秘が枯渇しています》
ほんの短いやり取りの間にも、鈍色の神秘、黒蛇神の呪いは迫る。
回避する術も無く、防御の手段も乏しい。
諦めが肝心か、と覚悟を決めて眼を閉じようとしたアーロだが……。
《……申請を承認。
闘装、疑似闘装を起動。
対呪防御を実行します》
彼の鼻腔を、新緑の香りがくすぐった。
次いで、首元に感じる暖かさ。
閉じかけた瞼を思わず見開いた彼が眼にしたのは、淡い光。そして槍を手にした女性の後ろ姿。
尖った耳を揺らし長い髪をなびかせながら、アーロの身を守るかのように立つ、戦乙女の姿を形取った燐光であった。
「エリー……?」
『任せろ』
短く告げた長耳の姿の女性は駆け、鋭く槍を振るう。
迫り来る鈍色の神秘のひとつを打ち払い、黒蛇神の呪いの一塊を霧散させた。
しかし続く一塊に撃ち抜かれ、薄く笑った長耳の姿の女性は淡い光となって消える。
アーロの首元の愛のスカーフが、砂のように朽ち果て、崩れた。
「これは……!」
『次はあたし』
アーロの胸元が熱を発し、漏れ出た燐光が鎧を纏い大剣を携えた剣士の姿を形つくる。
剣士の姿をした燐光は身の丈程の大剣を軽々と振るい、黒蛇神の呪いのひとつを切り裂き両断する。
剣を振り抜いた姿勢で、続く呪いに腹をぶち抜かれた剣士は、ひらひらと手を振りながら消えていった。胸元から、ピシリと硬質なものが割れる音が響く。
「セレーナ……!」
『大丈夫。守るよ』
『行くわよ!』『こんな呪いに!』『負けるもんか!』
そこから先は一瞬の出来事であった。
アーロの胸元から少女の輪郭を保った光が立ち上ぼり、祈りを捧げるように手を合わせ膝を折れば、迫る呪いが推力を喪失し、地に落ち弾けて消える。
「ルナ……」
背中から飛び出すようにして現れた小さな三つの光は、一丸となって呪いの一塊を押し止め、消し飛ばす。
「リリ、ララ、ルル……」
少女は笑い、小さな三つの光は勝利のポーズをフォーメーションで決め、消えていった。
胸元から再度硬質なものが砕ける音が響き、背負う外套が一瞬輝いた後にくすんだ色合いに戻る。
飛来する呪いの固まりは、残り二つ。
『ボクだって!』
黒蛇神の頭部が弾け、眼孔から飛び出た四本の妖精の短剣が恐るべき速度で飛来する。短剣は鈍色の神秘に追い付き、ひとつ、ふたつと突き刺さり、速度を鈍らせ小さく刻んでいく。
やがて残った二本から燐光が溢れ、金槌を構えた小柄な女性の姿を取り、速度の落ちた一塊を叩き潰した。
「アビゲイル……。お前も……」
四本の妖精の短剣が地に落ち、泥のように溶けて崩れる。次いで小柄な女性も、最後に残った呪いにかき消される。
しかし、飛来する呪いの数は一つ。
皆にここまで支えられたのだ、諦める訳にはいかなかった。
「お、おぉぉぉぉっ!」
《対呪障壁起動》
雄叫びを上げ力を振り絞り、全身から銀色の燐光を迸らせたアーロと、黒蛇神の呪いが激突した。
しばし、地下渓谷は静寂に包まれた。
『ククク……。ハッハッハ! ハッハッハッハ!』
沈黙を破ったのは、黒蛇神の嗤い声。
『見事なり。貴様の旅路に幸あらんことを』
短く、今度こそ心の底から相手を讃えた黒蛇神は静かに眼を閉じる。わずかにもたげていた首が地に落ち、どうと音を立てた。
次いで、地の底にピシリとヒビが入る音が響く。
「……みんな。ありがとう」
地下渓谷。その奥深く。
黒蛇神ディグニカとの決戦の地。
地の底に転がる、石化して砕け散った左右の脚。
神殺しの対価、呪いを防ぐ代償として両の脚を損失したアーロ・アマデウスがいた。
山岳世界ヨームガルド。
蛇神の神髄。その奥深く。
ここに、神殺しは成った。
黒蛇神ディグニカを打倒しました。
アーロの神格が�淵���ヨ��還���上がります。