覚悟
殺神大剣の調整が完了した。
鍛造され、武器としての切っ先と刃を備え、何度もアーロに振るってもらい、身体に合うよう握りを調整した。
最後に任された微調整を終えるまで、アビゲイルは一切の妥協をしなかった。相手が何を望むかを考えに考え抜き、武器に反映し、寝食を惜しんで調整に取り組んだ。
そこまでの熱意を彼女に与えたのは、自らの造り出した物で相手の生死が決まる、という事実であった。
今までアビゲイルには、自らの鍛冶の成果物を与えるような存在はいなかった。造ったものを自らで使う程度だ。
岩食族は年頃、想い人ができた際には、想いを伝える方から装備や道具の鍛造を依頼、または願い出て、それを相手が意思により受ける。
男衆が調達してきた鉱物を分け与え、女衆が鋼を打ち、出来たものを男衆が身に付ける。
己の命を預けても良いと思える相手に託し、相手は想いに応える。アビゲイルの母フィルヘイルもそうであり、父ゲルナイルもそうであった。確かな信頼関係で両者は結ばれていた。
故に、アビゲイルもまた、誰かの為を想って鋼を打つ事に感慨深さと責任を感じていた。
それは知識として知っているとは言い表せない、感覚的な事象であった。
大剣の調整のため、アビゲイルは静かに鍛練を行っていたアーロと何度も言葉を交わした。
この度に心の奥底に生まれる妙なむず痒さと、不安、焦燥感。相反する感情に彼女の心は揺さぶられていた。
だが数日、十数日一緒に過ごしていく中で、アビゲイルの感情は負に傾いていた。
なぜなら……アーロの眼を見てしまったからだ。
薄暗闇の中でただひたすら鍛練を続けるアーロ。その眼差しは近くを見ているようで、どこか遠くを見ているようにも感じ取れていた。
アビゲイルが邪魔にならないよう、鍛練の合間に少しだけ会話を試みても、アーロはその眼差しを変えなかった。
端的に言えば、傍にいるアビゲイルを見てはいなかった。
それは無視とも、無関心とも違う。
応対もするし、視線も向ける。
だが、心ここにあらず、といった様子であった。
もともとが柔和そうな眼元をしていた彼は、日を増すごとに視線の鋭さを増していた。
異世界調査団員としての男から、神に挑もうという戦士の顔つきへ変わっているやもしれぬと思えたが、あの眼。あの眼差しの理由はそれだけではない、とアビゲイルは勘づいていた。
アビゲイルが戦う理由を尋ねた時、アーロは守るために戦うと語った。彼はその対象を想い描いているのか。守るべき対象に自分もおそらくは入っているのだろうが、何故だか、心がざわついた。
いや、知らぬ振りをしたところで無駄であった。
理論理屈を好むアビゲイルでも分かる。感覚で理解をしている。
彼女は、アーロに確かな好感を抱いていた。
地下に落ちてからの事を思い返せば納得がいく。
それは新たな環境で出会った相手への好奇心か。はたまた共に危機と苦難を体験していることでの共感か。不安と心細さを打ち消すための依存心か。それとも命を救われた事への感謝か。
人の感情とは一枚岩ではない。今のアビゲイルの中にはとにかく色々な感情が混じり、溶け合い、荒れ狂っていた。
しかし。
『自身はこんなにも悩んでいるのに、アーロは!』
遠くを見ているような眼差しで、アビゲイルの知らない相手を想い、心を研ぎ澄ましている。
悔しさ、嫉妬と片付けてしまえば簡単だが、その感情の制御は容易ではなかった。
煮えたぎる溶岩のようにドロドロとした感情が口から出そうになり、アビゲイルはほの暗い感情を幾度も飲み干すようにして抑えた。
『もっと、もっとボクを見てよ!』
アーロとの応対中、アビゲイルは何度も叫び出しそうになり、その度に堪える。
構ってもらえない子供の癇癪のように怒鳴ったところで、お互いに気分を害するだけだと分かってはいた。今はそんな駄々をこねている場合ではないと分かってはいた。
分かってはいたが、それで納得できるほど彼女はできた人物でもなかった。文句は言わないがなんとなく気に入らない。微妙な心持ちでずっと過ごしていた。
しかし不貞腐れていても手は抜かない。むしろ、アビゲイルも据わった眼で黙々と作業を進めた。
そんな彼女と作業を続けていた鍛冶神は居心地を悪そうにしていたが、最後まで何も言わなかった。
やがて最後の調整を終え、殺神大剣は完成する。
アビゲイルの身の丈をゆうに越える長い刀身。折れぬ分厚い刃。蒼鉄の蒼と蛇鋼の銀のコントラスト。神と人が打ち、様々な想いが混ざり合った合金。
「鍛え手アビゲイルよ。この剣はお前から渡せ」
「ボクから……」
「この剣には、お前の想いガ存分に籠っている。お前から手渡されたいと、そう願っているようダ」
「それは……いいものですか?」
「想いに良いも悪いも関係あるまい? 想いは有るか、無いか、ダ」
「……はい!」
「鍛冶師の、いい顔になった。お前ガ造り出す品は神へと捧ゲるに相応しい逸品。神貢品よ」
鍛冶神からは嘘か真か、打った鋼には十分に想いが籠っていると伝えられる。受け取った大剣は手に取る際、一度だけ淡く発光したように感じられた。
アビゲイルは最終調整を終えた殺神大剣を手渡すべく、アーロの眼の前に剣を捧げ持つ。彼女の腰には、同時に渡すべく妖精の短剣も据えられている。
「アーロ」
「おう」
アビゲイルは、多くを語らなかった。
ただ静かに剣を掲げ、アーロが受け取る事を促そうとした。
「……ねぇ」
だが、アーロの手が伸ばされたところで、我慢ができず口を開く。
「ボク。頑張ったよ」
「だろうな。見れば分かる」
「見ただけじゃダメ。触って、使って、感じて。この大剣だけじゃない。短剣だってアーロのために造った。気持ちを籠めたよ。使いやすいようにって、アーロを守れるようにって……」
一度口から言葉がこぼれれば、止まらなかった。
アビゲイルは眼を反らさずにアーロを見つめる。
「約束して、絶対、生きて帰ってくるって」
いつか、鍛冶神は語った。
重要なのは尊重だ、と。自分がではなく相手の為を想うとき、人は力を発揮する。と。
アーロもそうであった。自分の為ではなく、相手のため、アビゲイルの為、他の誰かの為に戦おうとしていた。
そしてアビゲイルもまた相手の為を想い、無事を願い、鋼を打った。
ならば戦士の想いが籠められた身体は強くなり、鍛え手の想いの籠められた剣もまた、強くなる。
アビゲイルの想いは、彼女の中でまだ整理がついていなかった。
だからこそ時間が必要であり、その為には、アーロを害するであろう障害を討ち滅ぼさねばならなかった。
「約束して。ボクの剣で神を殺すって」
しかと眼を見て、アビゲイルは願う。
その言葉にアーロは一瞬驚いたように眼を開き。
「あぁ。約束する」
確かに応え、アビゲイルの手から殺神大剣を受け取った。




