怒りの採掘
「もうっ! 訳わかんなぁぁぁぁいっ!」
ガヅッ! とつるはしを一振り。
「なんだよもう! なんなんだよ! みんなして知った風な事言っちゃってさぁ! いちいち会話に間を取らないでよ! 息苦しいんだよ! 説明も良くわかんないし! 人に分かるように喋ってよ!」
ガンッ! と岩肌への一撃。
「ボク置いてきぼりじゃんか! 神も何も話が唐突過ぎて訳わかんない! ボクなんて所詮アーロのおまけだって!? 知ってるよ! バーカ!」
ガギィッ! と食い込んだつるはしは岩石を砕き、剥がれ落ちた岩がゴロゴロと転がった。
アビゲイルが渾身の力で振るうツルハシは岩肌の鉱脈にガッチリと食い込み、岩を砕く。狙いは的確で、その小さな体から繰り出されるとは思えない一撃は次々に鉱石を砕いて転がす。
つるはしを時代錯誤の骨董品だと捉えている節のある彼女だったが、今はむしろ鬱憤をぶつける格好の相手だ、という暴力的思考により、つるはしを岩石へと力一杯叩きつけていた。
「鍛冶神様も勝手だよ! 神と戦えって? 殺せって? 無理だよそんなの! あんなの誰だって敵いっこない! 里のみんなが束になったって……!」
里のみんな。アビゲイルの父ゲルナイル、そして里の男衆が束になってかかったとしても、黒蛇神に敵うとは到底思えなかった。
しかし仮にこの後放置したとして、力をつけた黒蛇神が地上に這い出た時。アビゲイルたちとしては襲われれば戦うしかない。
だが挑んだとして……死屍累々と横たわる死体の山を想像したアビゲイルは、嫌な予感を振り払うようにしてツルハシを鉱脈へ叩きつけた。
ケルクが発見した蒼鉄の鉱脈から鉱石を採取する。それがアビゲイルの仕事であった。
彼女は己の役目を存分に果たしていた。少々、思うところを吐き出してはいたが。
「あんなのがいたら山岳世界が滅ぶのも分かるよ! 今なんとかしなきゃってのも! でもどっちみち酷いことになるよ! なんだよその二択! 受けるアーロもアーロだよ! 人の話を聞きもしない勝手で! 一人でふらっと行っちゃって! 話すって言ってたのに戦ってて! ボロボロじゃんか! ボロ負けじゃんかッ! 勝てないじゃんか……ッ!」
血を吐き腹部を押さえながら戻ってきたアーロの姿を思い出したアビゲイルは息を詰まらせた。すぐさま安静にし、リリのおかげで治療は出来たが、少しでも状況が違えば命を落としていても不思議ではなかった。
「はぁ、はっ、はっ……」
長々と続いた叫びと重労働に息を切らせるアビゲイル。
ふらりと立ち眩みを感じた彼女は思わず頭を抱え、うずくまる。からん、と手を離れたツルハシが地に落ちた。
叫びツルハシを振るう主人の姿に怯え尻尾を丸めて離れていた犬精霊のケルクが、アビゲイルの様子がおかしいと感じたのか慌てて寄ってくる。
「……ケルク。ごめん。大丈夫」
くんくんと鼻を鳴らして様子を窺うケルクを撫でたアビゲイルは気を取り直し、辺りに散乱した蒼色がかった岩石を拾い、鍛冶神から借りた鞄へと入れていく。
「武器があったって……勝てるのかな……」
手を動かす間にも、思考は止まらない。
アーロは神を殺す装備が必要だと注文し、鍛冶神も応えるだろう。今まさに自分がやっているのもその材料集めだ。
だが果たして、武器があるだけであの黒蛇神に勝てるのか? 自問の答えは分かりきっていた。
あの黒蛇神の神秘の風、威風を彼女も感じたのだ。身を震わせたのは激しい怒りと憎悪、そして暴力的なまでの飢餓感だ。
並々ならぬ神秘を纏った岩蛇の神。敵は強大だ。
「きっと無理だ、武器だけじゃ……。だからアーロは石を、ワールグラン鉱を……」
神の骨。神成鉱石。ワールグラン鉱。
アビゲイルも話にしか聞いた事のない、珍しいもの。
最初こそ、その存在に心をときめかせたが、続く状況で浮わついた気持ちはすっかり冷めていた。神の骨を喰らう。そんなことをすればどうなるのか検討もつかない。
地を食う者の伝える長い歴史の中で、ワールグラン鉱を、神の骨を見つけたという事態は時折発生する。その度に大騒ぎとなり、骨の周辺を丹念に掘り返す。塊より離れた小石や元々小さな欠片も、数点ではあるが回収されているらしい。
アビゲイルも話には聞いたことがある。性質を検査しようにもどんな熱でも溶けず、どんな薬剤にも反応を示さない。安定しているとも取れるその性質も、神の話を聞けば納得であった。
岩食族は、地を食う者は魔晶石を食べる。長い歴史の中で、ワールグラン鉱を食べた者はいたのだろうか。猛者か、あるいは愚者かもしれない。
だが何も情報が口伝や知識として残っていないことから、特に効果は得られていないのだろう。消化も吸収もされずに出てきた。そんなところではないだろうか。
「神の力を得る? そんなもの口にして無事で済むの……いや、無事で済ますつもりがないのかも。だとすると危険? 止めさせた方が……」
「そんなのっ! 無理に決まってるじゃない!」
「うわっ!」
思考が回りかけたアビゲイルの独り言に応える声があった。リリだ。
「お兄さんは逃げないのよ。戦うと決めたら絶対にやる。それで勝つの。今までもそうだったわ!」
おそらくは小部屋から飛んできたのだろう。姿を見てわふわふと嬉しそうに鳴くケルクの頭に腰かけた妖精は肩をすくめた。
だがその顔は全く笑っていなかった。
「今までも……? ねぇ、リリ。アーロと出会ったのって……」
「ちょっと前よ!」
「──ダメじゃんかっ!」
アビゲイルは盛大に頭を抱え、突っ込んだ。
短い。関係が短すぎる。山岳世界で出会った自分とも良い勝負かもしれない。とさえ思った。
だが彼女が思わず発した言葉は、妖精の癇に障ったようだ。
「なによ!? 私とお兄さんの仲にケチつけないでよね! 私たちは戦友なんだから!」
キッ、とリリに睨み付けられたアビゲイルもまたその態度か、物言いか、アーロとの関係性か、とにかく何かが癪に障ったようだ。
先程まで壁にぶつけていたイラつきや怒りが溶岩のように煮えてくる。
「はいはい、武勇伝だ! 素晴らしい間柄だね! 僕らだってそれくらい、酒の肴に話すよ!」
「なんですって! 馬鹿にして! すっごく大きい火噴き鳥だって皆で華麗にやっつけたんだから!」
「鳥? あんなカーカー鳴いてるだけの奴らがなんだってのさ! こっちは岩蛇だよ!」
「火噴き鳥の王はすっごい大きいのよ! 蛇がなによ! あんなニョロニョロ! 確かにでかいけど! 輪切りにして喰ってやるわよ! お兄さんが!」
「君はっ……他力本願にも程があるよ!」
「ふん! 自分の尻も拭けない神様がいる山岳世界のあんたたちにだけは言われたくないわ!」
「世界とかは関係ないだろ!」
「それじゃあ何の話よ! 言ってみなさいよ!」
「今の問題は黒蛇神だよ! ボクはあんなのに挑むのは無謀だって言いたいの!」
「そんなことやってみないと分からないじゃない! 前だって絶望的だったし、泣いてチビったわよ! でも勝てたわ!」
「だからって今回も勝てる保証はないよ! あの黒蛇を見たら分かるだろ! どう考えても無理だって! 勝てっこないよ!」
「無理だったら──! あんたはいったいどうするってのよ! アビゲイル!」
「ッ!」
ケルクの頭から飛び上がったリリの怒りを孕んだ一喝が、洞窟の闇に響く。
その気迫に思わず息を呑んだアビゲイルをリリは睨み付け、目線を合わせる。
いつもお気楽な妖精の瞳は真剣で、全くおちゃらけてなどいなかった。
「無理? 危険? 無謀? そんなことはじゅうっぶん分かってるのよ! お兄さんもきっとね! だからって、逃げる訳にはいかないって! 逃げたらどうなるか分かってるの! 取り返しがつかなくなる、って!」
「それは……!」
「子供みたいに駄々こねてどうにかなるなら、私はいくらでもこねるわよ! でもそれで何が変わるってのよ! 無理無理って言うだけで、あんたはなんにもしてないじゃない! せめて否定じゃなくて意見を言いなさいよっ!」
「……くっ」
「お兄さんは駄々もこねないし文句も言わないわ! 黙って訓練してた! やるだけやってやるって! だから、出来ることを出来るだけやるの。皆でね! そうしないと、じゃないと、じゃないと……ッ!」
拳を目一杯固めたリリが、ぷるぷると震える。
歯を食いしばって堪えたリリが、やっと言葉を絞り出す。
「じゃないと、お兄さんが死んじゃう……ッ!」
その目尻には大粒の涙が溜まり、今にも防波堤が決壊しそうであった。
「私はお兄さんに死んでほしくない! 本当は神なんかと戦ってほしくない! 危ないことも嫌よ!」
思わず涙を拭おうと伸ばしたアビゲイルの指を叩き落としてから、リリは首を振って涙を散らした。
「私だって! 私だって分かってるわよ! 神様なんて勝てる勝てないじゃない! 魂の格が違うの!
でもお兄さんやるって。逃げないで戦うって! 守るためだって! だったら私は助けるわ! それしかできないもの! 全力で助けるわよ!」
「リリ……」
「なによ! 泣いてるのがそんなにおかしい!? 見せ物じゃないわよ! 手を動かしなさいよ! 鉱石取ってくるんでしょ!」
やけくそ気味に両手と体を振り回したリリは、涙をボロボロとこぼしながらも地面に転がった蒼鉄鉱石を鞄へ詰めていく。
一つ一つ。体よりも大きなものまで。
言い合いに耳をペタンと伏せて尻尾を巻いていたケルクも立ち直り、リリに倣って蒼鉄鉱石を一つ一つ咥えて鞄へと詰めていく。
その妖精と精霊の姿を眼にしたアビゲイルもまた、地面に放り出していたつるはしを拾い上げて握る。
「ボクだって……!」
両手で掴んだつるはしを大きく振り上げて、蒼鉄の鉱脈に叩きつける。
「ボクだってアーロには死んでほしくないよ!」
振り上げて、振り下ろす。
何度も何度も打ち付けて、岩を砕く。
「まだ山岳世界を案内もしてない! 仕事が残ってるんだ! 親方から任された大事な仕事が、さ! それにアーロには助けてもらった! 今度はボクが助ける番だ! そうだよ!」
「はぁっ? 今さらなに当たり前のことを言ってんのよ! 黙って手を動かしなさいよ!」
「うるさいなっ! 気合いを入れてるんだよ! いいだろこれくらい!」
「……特別に許してあげるわ!」
「そりゃどうも!」
許可が無くても叫ぶつもりだったが、アビゲイルは気合いを入れるために腹に力を込める。
「ふん! アーロは本当に考えなしで! 自分勝手で! 人の気も知らないで! ちょっとは相談してくれても、頼ってくれてもいいじゃないか!」
「──! わかるわ!」
「でしょ! きっとなんでも自分で背負い込むんだよ! だから周りが苦労するんだ! 引っ張ってるんじゃなくて振り回してる!」
「そうね! お兄さんは自分勝手で自己中心的よ! 私がどんな思いで一緒にいるかも知らないで! ほんっとにもう! どんくさいお兄さんには私がついていないとだめね!」
「む! そこは関係ないだろ!」
「あるに決まってるじゃない! お兄さんは私を守るために黒蛇神と戦うと言っても過言じゃないわ!」
「はいはい! 口より手を動かすといいよ!」
「やってるわよ! アビィこそ体が大きいんだから私よりも働きなさいよ!」
「たしかに君よりもボクのほうが石を拾えるね! 交代しようか?」
「きぃー! 馬鹿にして! じゃあ私がお兄さんのために武器作ってあげるわよ! アビィの金槌貸しなさいよ!」
「一朝一夕で出来るもんか! 鍛冶の道は奥が深いんだよ!」
「地下だけに奥が深いの? 笑えるわね! そりゃ鍛冶神様が地下にいるのも分かるわ!」
「ぜんっぜん面白くないから! 品性を疑うよ!」
怒鳴りあうアビゲイルとリリ。
どちらも、やけくそ気味であった。
しかしお互いに罵り合い怒鳴り合いながらも、動かす手は止めなかった。
ケルクはもはや吠えることもせず、言い合いを続ける二人へ視線を向けることもせず、何も聞こえていないとばかりに耳を伏せ、尻尾を丸めて黙々と鉱石を咥え、鞄へと詰めた。




