鍛造
ゴンゴンと、鋼を打つ機械槌の音が地下に響く。
魔晶石を原動力とする魔晶槌が機構運動を続け、赤熱する金属を叩き、板状に伸ばしていく。
板材が冷えてしまう前に魔晶炉へ突っ込み、熱する。しばし待ち、温度の上がった板材を再度取り出して叩く。火花と共に不純物が飛び、板材を鍛造鋼鉄へと変えていく。
そんな過程を、アーロは静かに見守っていた。
主として機構の操作を行うのは鍛冶神。
アビゲイルは説明を聞いているのみだ。
「あったわよー!」
わふ! という鳴き声と共に犬精霊のケルクと、その背に捕まったささやき妖精のリリが駆け込んでくる。ケルクが咥えていた塊を離せば、ごろりと転がるのは蒼色がかった岩石の塊だ。
アビゲイルはケルクを一撫で。石を拾い上げ灯りを当てて確認し、頷く。
「蒼鉄の鉱脈を見つけたみたい。掘りに行ってくるよ」
「ああ、気をつけてな」
「任せてよ。こんな骨董品の道具は御免だけど……」
「ツルハシもいいもんだろうが」
「まぁ……ね。アーロもお大事に」
微笑み、アビゲイルは蛇鋼で作られたツルハシを手に、ケルクを伴って洞窟の奥へと消えていく。
さらに背には、鍛冶神が持ち込んでいた鞄が背負われている。
彼女はこれから犬精霊のケルクが匂いで見つけ出した鉱石、その名前の由来にもなっている好物、蒼鉄を採掘しに行くのだ。
「お兄さんの方はどう?」
「ああ。コツは掴んだ」
残されたリリが周囲を飛んで尋ねるが、応えるアーロもまた、胡座をかいたまま宙に浮いていた。
身につけた外套からは燐粉が零れ出し、端は僅かに風を受けてはためいている。妖精の外套と愛のスカーフの相互作用により、風を掴み身体を宙に浮かせて制御しているのだ。
「もう扱える。不発や制御不能はないだろうな」
「よかったわ! 外套なんて、粉つけるの苦労したんだから!」
鍛冶神の作業を眺めつつ、アーロは自身の装備の扱い方を探っていた。最初こそ鍛冶神からアドバイスを受けたが、慣れればすぐだ。土壇場では既に使用もしている。
黒蛇神との対話から戦闘へ発展し、負傷したアーロは鍛冶神によって助け出された。
抱えられて戻ってきた血だらけボロボロの姿にアビゲイルは驚き、ケルクはきゅうんと鳴き、リリはすぐさま妖精水を用意し、安静にしろと怒鳴った。
「濃いの出しといたから! お兄さんのために!」
とのことだが、効き目は抜群でみるみる傷は治っていった。だがしばらくは安静に。お馴染みの妖精の腕を喰い、水を飲む。アビゲイルとケルクが獲ってくる小さな岩蛇の肉だけがまともな食事であった。
大怪我の対価として行った黒蛇神ディグニカとの対話だが、ある成果を得た。
あの狂神は如何なる手段でも抑えられないこと。
近い将来、どの世界にとっても驚異となること。
そして、今のアーロがどう逆立ちしたところで敵いはしないこと。しかし、力をつける前に殺らねば手がつけられなくなること。
ここで思考は堂々巡りだった。
危険で、看過できない。
だが力は強大で、抑えようがない。
故に、取れる手段は限られてくる。
「……石を喰う。寄越せ。黒蛇神と戦う」
アーロは静養して寝かされている際、遂に覚悟を決めた。
「異世界の戦士よ。いいのか?」
「構わん。事はもう俺にも無関係じゃない。世界を救うだの何だのと格好つけるつもりはないが、帰る家を、家族を守るためだ。石喰うくらいどうってことないさ」
「……助かる」
かくして、二級神ワールグランズの骨。神の骸。ワールグラン鉱はアーロに手渡される。彼は白磁のように滑らかな手触りの小石を眺め、懐に納めた。その懐が、胸元が、首元がぼんやりと熱を発する。彼はそれぞれに手を当ててた後、拳を握る。
「やるだけやるさ。ダメなら、死なば諸共だ」
黒蛇神と戦う覚悟は決めた。
だが、覚悟の他にもう一つ。
アーロにとって重要な事があった。
「黒蛇神を殺るには、武器が必要だ」
武器。
人が獣に打ち勝つために造り上げた暴力装置。
だが今回の相手は獣ではなく、神だ。
「神を殺せる武器がいる。粘り強く強靭な、大物殺しが。頼めるか?」
「それこそオレの本領ダ。希望には答えよう。如何なる得物ガ必要か?」
どんな形の武器がいいかと尋ねられたアーロは、悩んだ末に大剣を注文した。
鈍器でも、槍でも、斧でも、それらを組み合わせた槍斧でもない、巨大な剣。
戦いの基本は観察と推測だ。それが出来ない冒険者は三流で止まるか命を落とす。異世界であれど、戦いの場では同じである。
アーロはケルクとアビゲイルが時折狩って来る岩蛇の革を剥ぎ、よく観察した。
魔晶石と鉱物を含む岩を呑んで育つ岩蛇は、年月と共に鉱物を取り込み鱗の堅さを増していくという。岩蛇を祖とする黒蛇神も例外では無いだろうという見立てだ。
実際、彼が黒蛇神へ片手斧を打ち当てた際、鱗は堅牢であった。鈍器の類いが効果的かもしれないが、堅牢過ぎて弾かれる可能性があった。
そして、あの巨体。鈍器というのはもともと鎧の外側からぶち当て、内部の肉体、内臓などへ打撃力を与えるものだ。硬い鱗とその下の強靭な筋肉質を突破し、内部の臓腑を破壊することは難しいように思われた。
相手は巨体故、槍や槍斧も選択肢から外した。
槍は点の攻撃だ。鎧を貫いて内臓を突き刺す、リーチを活かして突き殺すための武器である。だが黒蛇神の分厚い鱗を貫いて内臓へ刺すために、どれ程の長さが必要か。頭部は巨体に反して小さく、六つに分かれた眼は一つ一つが小振りで狙いにくい。突くのはあまり現実的ではなかった。
アーロは多いに悩んだが、結局は大剣という選択に落ち着く。長く鋭く分厚い、人よりも巨大な大型生物を殺すためだけの剣。
その鋭い切っ先は鱗の隙間に突き立てることができる。長く太い刀身は折れず、身に差し込むことができるだろう。腕の力だけでなく回転力や剣の重さも利用でき、破壊力を上乗せする。その持ち手すらも、全てが武器となる。
希望の重さや長さを伝え、製作は任せた。
「首尾はどうだ? 鍛冶神」
「話しかけるな、気ガ散る」
「……すまん」
いつになく神経質な鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツは振り返りもせずに述べた。その視線は鍛造されている鋼材に注がれ、手元の機構の操作を忙しく行っている。
やがて魔晶炉へ鋼材を再度突っ込み、鍛冶神はやっとアーロへ向き合った。
「慢心するな。精進しろ。鍛練ガお前の神殺しの成功率を押し上ゲるのダ」
「言われなくてもわかってるよ」
「ならバ、善し。直に強靭な蛇鋼ガ出来上ガる。あとは蒼鉄を混ぜて合金に変える」
「今打ってるのは武器本体じゃないのか?」
「まダダ。こんな小さな牙デは、奴には勝てん」
「……まぁ、任せるが」
「ああ。十全に。抜かりなく造ろう」
短く返し、鍛冶神は炉の鋼材を確認する。赤熱した頃を見計らい炉から取りだし、再度鍛造を行っていく。
ガンゴンと打ち付けられた鋼材を眺めて頷いた鍛冶神は、傍に置いていた白い小石を掴み、握る。
自動鎚から外した鋼材の上で鍛冶神が拳を開けば、砂のように細かな白粒がきらきらと舞い、鋼材に落ち、混ざっていく。
「これデ、善し」
深く頷き、鍛冶神は冷めてきた鋼材を掴み、炉へ押し込む。
その後はお互いに言葉を発することはなかった。
神経を集中させていたアーロの耳元にたどり着いたリリは、耳たぶを掴んでこしょこしょと囁いた。
「ねぇ……お兄さん。本当にあの神と戦うの?」
「ああ」
「どうして? こう言っちゃなんだけど、きっとまだ時間はあるわ」
「なぜそう思う?」
「あの地下の檻ってのは強力な結界よ。森林世界の森で迷わせる神秘とはわけが違うの。まだあの黒蛇神は、破れない。今は破るために力をたくさん使っちゃうから。だから待ってる。力を蓄えてるわ」
「良い見立てだ、リリ。だが、いつだ?」
「……分からない。神様の感覚は独特なの。数年後か、数十年後か、数百年後だって不思議じゃないわ」
「へぇ……気の長い奴等だな」
ふわりと浮きつつ、胡座をかいたアーロ。
金色の片目を開いた彼が返したのは、面白がるような声色だった。
彼は、神に挑み、大怪我を負わされて弾き返されたと思えぬほどに落ち着いていた。
「ねぇ、お兄さん……逃げない?」
「おいおい、自分の宣言破って逃げるわけにいくか。馬鹿いうな」
「冗談じゃないわ。本気よ。頼んではいるけど、逃げてもきっと鍛冶神様は何も言わない。お兄さんの寿命が尽きる前に檻は破られないかもしれないし。それにあの黒蛇神が他の世界に渡ったら、きっとその世界の神様が自衛のために戦うと思う」
「俺たちは脅威を見て見ぬ振りして、尻尾巻いて逃げ出すってか」
「そんな道もあるってこと。この迷路みたいな坑道で迷子だけど、私がいる。いつか出られると思う」
「魅力的な提案だが……」
アーロはふと何かを考えるように視線を巡らせ、胸元に触れ、首元に触れた。
「たとえ今じゃなくても、可能性はある。俺たちや知り合いの子孫がその矢面に立つことになるかもしれん。子孫に背負わせるには、奴は過ぎた重荷じゃないか?」
「……いないじゃない。子孫」
「いやいるんだが……」
「あっ。そうね……。そうだったわね……チッ」
「いや、はははっ。まぁ。だが、今後どうなるかも分からんだろう? もしもあの黒蛇神が暴れだして、世界の驚異になったとき、誰かが貧乏くじを引かなきゃならん。それは未来の誰かか……」
「もしくはお兄さんだって?」
怒りか、呆れか、諦めか。
苦い顔をして返したリリの頭を、アーロはぽんと撫でた。
「……貧乏くじはお前もだな、リリ」
「ふふん……。本当ね。失礼しちゃうわ」
「すまん」
「いいのよ。私とお兄さんの仲じゃない!」
「嫌なら付き合わなくていいぞ。アビゲイルと一緒に出口を探せ」
「嫌よ。一緒にいるわ。お兄さんには腕まで喰わせたさせられたセキニンを取ってもらわなきゃ」
「……すまん」
「こういう時は、ありがとう、なのよ」
「……ああ。助かる」
「ええ。助けるわ。なにがなんでも」
竹を縦に割ったようなすっぱりとした性格のリリは、苦難を笑い飛ばす強さを小さな体に持っていた。
まるで熟年夫婦のようなやり取りだったが、結局リリの説得は実を結ばなかった。
「やるだけやってみるさ」
「お兄さんはいつもそうね。行き当たりばったり」
「柔軟に対応を変える、臨機応変と言え」
「……はぁ」
神妙な顔をしたリリがアビゲイルの様子を見てくると飛んで行く。
気を付けろよと声をかけ、アーロは自身の装備の鍛練、というより瞑想に戻る。
カンカンと硬質な金属音が響く薄暗闇のなか、鍛錬と鍛練は静かに続けられた。




