神を殺す依頼
再開します。
とりあえず一区切りつくまでは書いてますので。
三級神を、巨大な岩蛇を、殺す。
鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツより発せられたその言葉は、地下峡谷の中に不思議なほどよく響いた。
あまりにも荒唐無稽で、想像すらしていなかった言葉に、その場の誰もが反応できなかった。
そして一番初めに反応を返したのは、アーロでもアビゲイルでも、リリでもケルクでもなかった。
地下峡谷の谷底で、黒い蛇がゆっくりと頭を上げる。
その長い胴体の先にあるのは縦に裂けた六眼。地下の暗闇に不気味に光る紅い瞳は、溶岩の赤を反射しているせいではないだろう。
紅色の六眼を持つ黒い蛇は地下渓谷の底で頭を振り、アーロたちを見上げ、短剣の如く鋭い牙の生えた口を開いた。
『無駄な足掻き、と伝えておこう。弱き神よ』
「なっ、に……?」
「喋ってる? 岩蛇が?」
「奴め、ついには知恵まデつけたか」
『何を驚く? 意思疏通の言語など遥か昔に修めている。ただ弱き神を相手に発する必要が無かったのだ』
驚くほど流暢な言葉遣いで黒い岩蛇、黒蛇神ディグニカは語る。
否。
口から言葉が発せられているわけではない。ただ時折ガラガラという岩の転げるような音が喉元から響いていた。
『貴様が何を企もうと、結果は変わらない。弱き神は消え、強き神が残る。いつか貴様が行った所業と同じことよ』
「黙れ。異質物め」
鍛冶神が憎々しげに吐き捨てれば、黒蛇神は嗤う。
ガラガラと岩同士をぶつけあうような嘲笑が地下渓谷に響き渡り、紅色の六眼が薄暗闇に爛々と輝く。
『何が異質か、我は我よ。それ以外の何者でもない。貴様の傲慢さと変化を認めない頑なさには頭が下がるぞ』
「黙れ。お前は失敗作ダ。もう一度造り直す」
『残念だが貴様が好む鍛冶のようにはいかない。貴様では我に勝てないのだ。既に勝負は見えている。が、産みの親、弱き神の最後の足掻きだ。此度は付き合ってやろう』
「……傲慢さは身を滅ボすゾ」
『否、これは強者の余裕というもの。寝起きの戯れには丁度よい。我はいささか眠りすぎたようだ。存外にここは暖かく、小腹が満ちれば眠気を覚えるというもの……』
黒蛇神ディグニカは首を巡らし、とぐろを巻いた体躯の近くに転がっていた岩石をくわえ、そのまま丸呑みにする。
アーロ一人では抱えきれない程に大きな岩石は、峡谷の天井から剥がれて落ちて来たのだろうか。地下峡谷の谷底にいくつも砕けながら散乱していた。
それを二個三個と続けて丸呑みにしてから、黒蛇神ディグニカは再度とぐろを巻き、紅色の六眼を閉じた。
残されたのは沈黙と、苦々しい顔をした鍛冶神。
そして事態が呑み込めないアーロたちであった。
「なぁ、神さんよ。話が見えないぞ」
「……道中で伝えよう。見せたい物はこれだけではない」
肩を落とし、地下峡谷を一瞥してから洞穴へと歩き出す鍛冶神。
それを追うべきか、アーロは迷った。
地下峡谷で再度眠りについたと思わしき黒い岩蛇。
突如現れたもう一柱の神を名乗る存在との意思を通わせたくもあったためだ。
「アーロ……」
「お兄さん、今は……」
だがアビゲイルは静かに首を振り、リリは彼の服の裾を引っ張って追従を促し、ケルクは立ち止まった彼らを不思議そうに見つめていた。
「……追うぞ」
仕方なく、アーロは鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツの後を追い歩き出す。
ひとまず、問答は後回しであった。
◆◆◆◆◆
「異世界の戦士よ。お前は蛇蟲というものを知っているか?」
「じゃこ?」
「蟲毒と言い直してもいい」
「あぁ、ずいぶんと悪趣味なやつな」
蟲毒。
古くから呪術に使われる手法で、飢えさせた多くの生物を閉鎖空間へ閉じ込め、共喰いをさせて残った一番力の強い個体を生み出す方法である。
生き残った生物は虫ならば蟲毒。蛇ならば蛇毒となる。
生き残った個体は呪術的な要素を備えるようになり、もっぱら呪いや怪しげな儀式に使われるという。
「悪趣味とは随分な言い方ダな。強いものガ生き残る。単純明快ダろう?」
「分からんでもないが、その話と俺にどんな関係がある?」
「大いに関係ガある。まぁ、聞け」
鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツはアーロとアビゲイル、リリにケルクを伴い、地下峡谷に通ずる道とは別の洞穴を進んでいた。
「この世界に一級神はいない。かつて配下から反逆を受けた一級神ヨームガルドは消え、二級神ワールグランズの朽ちた体からオレのような三級神が造られた」
「なんだ。神話の続きか裏話か?」
「そのようなものダ。オレは永き時を経て神格を高め、二級神へ成り上ガろうとしていた。ダガある時気ガついたのダ。三級神デも配下を造り出す事は可能ダ、と」
「配下……」
「特別に眼を掛ける生物ダ。力を分け与え、より強くする。奴もそうダった」
苦々しい表情で『奴』と鍛冶神が称したのは、地下峡谷に鎮座していた岩蛇のことだろう。
黒蛇神ディグニカ。
「強き生物は、言い換えれバより多くの神秘を内包しているということダ。育てた強き生物を喰らえば、オレはより高みへと登れる。そのための実験ダった」
話は分かる。
だがいまいち状況が掴めていないアーロは、無言で続きを促す。
「二級神ワールグランズと同ジく反逆の因子を持つ蛇。地盤を掘り進み岩を喰らう者。奴を配下として創造する際には十二分に注意をした……。その筈ダった」
「問題があったのか」
「大いにあった。奴は異質物ダ。配下として致命的な誤作動ガ存在した。奴は、創造者たるオレの管理を受け付けない」
「どこかで聞いたような話だな……」
しばらく前に聞いたような話だ、とアーロは歩きながら首を傾げる。斜めに傾いた視線の先には、森林世界の妖精であるリリの姿があった。
世界の理から外れ、上位者の管理を受け付けず、暴れまわる厄介な生物。そのような存在には心当たりがあった。
「『下位神格者からの攻撃減衰』『上位神格者への反逆禁止』……。神が定めた決まり、その全てを奴は受け入れない。当初は問題ガ無かった。オレの方が強かったのだ。ダガ奴は成長した。愚直に、ひたすらに他者を喰らい、神格を上ゲた」
「あんたよりも?」
「神の格デ比ベれバ、そうダ。オレは三級神ダガ戦う力は無いに等しい。故に奴を地下へ閉ジ込めることにした。檻で囲い、餌を与えて眠りにつかせ、その間に打開策を練ろう、とな。そこに異世界と繋ガる機会ガ転ガり込んダ。思わズ飛ビついたよ。強き者を寄越してくれと願った」
「俺を地下に呼び込んだのは、神を殺させるため、か?」
金色と蒼色の瞳でじろりと鍛冶神を睨み付けながらアーロは腰へと手を伸ばした。念のため全ての装備は身に付けており、腰には片手斧と戦鎚があった。
「身勝手に過ぎる。俺たちは死にかけたぞ」
「そうは言うガな。異世界の戦士よ、オレは助力をしたゾ。それにあの程度デ死ぬならバ、所詮それまデ。神へ挑むには力不足も甚ダしいというもの」
「お前の都合で振り回すなと言いたいんだ。驕るな。どう考えても人にものを頼む態度じゃないだろ?」
「……それは。すまない」
「分かればいい」
神といえど、意思疎通を行う存在。不敬だ何だという前に、それなりの態度を示せということだ。
素直に謝罪をした神に対して、アーロはいくらか溜飲を下げた。
「それに、お前、ウェインも呼んだな?」
「……お前の機転デ回避されたガ、な」
「二人揃って呼んで、試して、戦わせようってか? 他力本願も呆れるほどだな」
アーロは己の武器を握り締めるが、抜きはせず、肩の力を抜いた。
リリが聞いた声の手配、そして地下の小部屋。確かにこの神は手助けをした。それは事実だ。
加えて、自身に戦う力がないと言ってはいるが、相手は三級神。戦ったとしても、勝てるイメージはまったくと言っていい程沸かなかった。
「すまないな、異世界の戦士よ。しかし、お前の相手はオレデはない」
「……あんたが嘘を言ってないのは分かる。だが、何故だ? 奴が野放しになるといったいどうなる?」
鍛冶神に敵うとは思えない。ということは、より強大とされる黒蛇神にアーロが勝てるとも思えなかった。
人の身である彼を、いったいどうやって神へ挑ませようというのか、彼は神の真意を図りかねていた。
「……黒蛇神ディグニカ。奴の狙いは神への反逆デは済まない。神を喰らい、世界を喰らい、一級神へと神格を上ゲる。その結果は、神話の再現ダ。山岳世界の全ては奴の腹に納まることになる」
歩きながら深刻な表情で告げた鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツは立ち止まり、両手を広げる。
一行がたどり着いたのは洞窟の行き止まり。大人数人が両手を広げられる程度の空間は、今度こそ先の無い袋小路になっていた。
「奴は収まることの無い飢餓感に抗おうと、大地を喰らい、生きとし生ける者を喰らい続ける。近い将来、山岳世界は全て奴の腹に収まり、破滅を迎えるだろう」
袋小路にて、くるりと踵を返してアーロたちに向き直る鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツ。
彼の背後、洞窟の岩肌には、白い何かが露出していた。
壁に半ば埋まったような白い塊。
大の大人が一抱えしても届かない巨大な塊は、見えているほんの一部だろう。
表面は白磁のように滑らかで、しかしアビゲイルの持つ蛍石の灯りに照らされる表面はぎらつき、時折薄く発光する。
「これ……っ」
白い塊を眼にしたアビゲイルが息を呑んだ。
その所作に構いもせず、岩肌に埋もれた不思議な塊を前にして、鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツは腰を折り、今度は深く頭を下げた。
「異世界の戦士よ。お前の力ガ必要ダ。黒蛇神を殺し、山岳世界を救ってくれ」
◆◆◆◆◆
岩食族、地を食う者にはある伝説が伝えられている。
かつて世界の全てを喰らい、腹に納めた二級神ワールグランズ。その身体は一級神によって千々に千切られ、山岳世界中にばらまかれ、天地創造の礎となった。
だが、二級神ワールグランズはまだ命を紡いでいる。肉も骨も一切合切の区別なく体を千切られようと、大地のどこかに埋まった心臓は動き続けている。
その埋まった心臓を見つけることこそ、岩食族の種をかけた命題である。
『大蛇神ワールグランズの心臓は地下に埋まり、今もなお生きている』
その物語は、決して夢想やお伽噺などではなく、とある根拠に基づいている。
世界中に飛び散った二級神ワールグランズの『骨』と思わしき物体が、地下深くにて発見されているのだ。
地下最深部、蛇神の神髄の地層にてのみ発見されるその骨は鉱石のようでいて、白磁のように白く、埋まっている塊は巨大。不可思議に硬く、岩食族のいかなる道具、機械をもってしても傷つくことがない。
よって、産業への利用例は無い。塊を掘り出したとしても鍛冶には使えないのだ。
坑道堀りの最中、ひとたび骨が発見されれば周囲に大蛇神の心臓がないか徹底的に掘り返されるが、収穫なしと見込まれると坑道は記録の後に放置される。
当然、骨もまた放置され、いずれ再生する岩肌に埋もれていく。そんな骨が地下深くには、それこそ数え切れないほど確認されている。
その不可思議な物質は二級神の骨が鉱物へ成ったものとして、こう呼ばれている。
《ワールグラン鉱》と。
そのようなことを、壁に埋もれた白い塊を前にして鍛冶神は語った。
同席していたアビゲイルも否定はしなかったことから、おそらく話は真実なのだろう。
「すべて説明しろ。返答はそれからだ」
殺神の依頼に対してそう返したアーロは、長くなるが、と前置きされた上で鍛冶神よりさらなる説明を受けていた。
もともと洞穴の道中から話をしろと言い続けてはいたが、いくらか聞いても状況把握に進展は全くなく、話の内容も要領を得なかったためだ。
「んで? その石だか骨だかが凄い代物ってのはわかったが……」
「凄いなんてもんじゃないよ! 激レアだよ! お宝だよ!」
鍛冶神の話をふんふんと頷きながら聞いていたアビゲイルは、たいそう高揚した様子だった。
話が一段落つけば立ち上がり、壁に埋まった白い鉱石を舐め回すようにして眺め、恍惚とした表情で撫で回し、おっかなびっくりながらコンコンと軽く叩いてもいた。
ちなみにリリは長話が始まると速攻で寝息を立て、ケルクはリリのベッドと化して丸まっている。
「舐めるなよ」
「舐めないよ! でも、あぁ……。ワールグラン鉱だよワールグラン鉱。蛇神の神髄まで落ちた甲斐があったかも……」
「ただの石か骨だろ。縁起でもないこと言うな」
「ただの!? そんな軽いものじゃないってば! 持ち帰って調べられないかな。破片でもあれば分析して、自慢して、飾って……」
「不可能ダろうな。地を食う者デは、神の躰を傷つけることはデきん」
「ですよね……。でも本当がどうか試したくなるっていうか! 神の身体、神話の鉱物、神成鉱石、ワールグラン鉱だよ!」
「待てアビィ。また話が逸れてる」
「わ、分かってるってば。ごめん……。鍛冶神様、続きは?」
時既に遅いのだろうが、重度の鉱物マニアであるアビゲイルの血が騒がないようにアーロは釘を刺す。
放っておけば本当に壁とワールグラン鉱を舐め回しかねない程に、彼女は珍しい鉱物に興味津々であった。
「よい。それに、あなガち間違いデもない。異世界の戦士よ、鎚を持っていたな?」
「あぁ。あるが。どうするんだ」
「ワールグラン鉱に打ち付けよ」
「……いいのか?」
「構わん。しなけれバ話ガ進まんからな」
促されたアーロは立ち上がり、腰帯から戦鎚を取り出して構える。
岩壁に露出した白い塊のどこへ鎚を打ち付けようかと思案する様子を、アビゲイルがまたも興味津々な様子で見つめている。
「全力デやってくれ」
「……傷つかないんじゃないのか?」
「何事もやってみなけれバ分からんデはないか。異世界の戦士よ、何を戸惑う」
「そりゃあ、不敬だとか、大切な物にぶち当てていいのか、とかな」
「構わない、と言った」
「そうかい。じゃあ、失礼して」
アーロは下腹に力を込め、その身体からは燐光が溢れだす。いくらか自分の意思で扱えるようになった燐光を、腕に、握る戦鎚へと纏わせていく。
両手で握り、真上に大きく振りかぶり、塊に対して正面からぶち当てるように振り下ろす。
ギンッ!
と、アーロの予想よりも硬質な音が響き。
戦鎚を叩きつけられたワールグラン鉱は、一欠片も砕けはしなかった。
「……なんだ、こりゃ?」
アーロは全力で、砕くつもりで振るったが、硬く、それでいて粘りのような感触を受ける白き塊に衝撃を受け止められたのだ。
「アーロ、戦鎚……」
「うおっ」
彼の手にした戦鎚の先端、金属の鎚部分が割れ、バキバキと砕けるように崩れていく。奇妙なことに、破砕と崩壊は内側から発生していた。
崩壊していく鎚、そして柄を取り落とせば、もはや武器として使い物にならなくなった、戦鎚だったものは甲高い音を立てて地に落ちた。
二人が砕けた戦鎚を見て驚くと同時に、打撃を受け止めたかに思えるワールグラン鉱にも変化があった。
ピシリと軽い音を立て、表面が剥離するようにして、指の先ほどの大きさの石が剥がれ落ちたのだ。
白い塊から落ちた小さな石ころは、二つ。
「……どうなったの?」
「わからん」
いったい何が起こったのかと警戒しながら見つめる二人をよそに、鍛冶神ガンズ・ガンツ・ガンズは剥がれ落ちた石ころを拾い、しげしげと眺める。
「素晴らしい。さすガ、異世界の者よ……」
そして小さな石ころをじっくりと眺めた後、口惜しそうに視線を外し、アーロへと向き直る。
「異世界の戦士よ……」
鍛冶神は手の平にある白い小さな石ころのうち一つを摘み、アーロへ向けて差し出す。
毛むくじゃらの指に摘まれたワールグラン鉱は、傍目にはただの小石のようにも見えた。
「これを食え」
「誰が食うか! 石っころを!」
差し出された石ころを持つ鍛冶神の手をアーロは思い切りはたき落とした。
復活祝いに評価感想などいただけると大変嬉しいです。
エタらないおまじない。




