鍛冶神
異様の者は鍛冶神、ガンツ・ガンズ・ガンツと名乗った。
その名を聞いた一瞬の後、アビゲイルは片手斧を取り落とし、地面に膝をついて頭を垂れていた。
なぜか、それは分からなかった。だが『この眼前にいる相手は信仰の対象だ』と心が理解していた。
「ボク……いえ。わ、私は地を食う者。ゲルナイルとフィルヘイルの子、アビゲイルです」
つっかえながらも、何とか言葉を絞り出すアビゲイル。
格式ばった表現のため滅多に使われることはないが、己の出自を名乗るのが地を食う者の正式な名を告げる流儀であった。
「あぁ。そんなにかしこまらなくていい。面を上ゲろ」
そう告げられれば、心を縛るような重圧は消える。
恐る恐る顔を上げるアビゲイルが眼にしたのは、顎に手をやりやや落ち着かない様子の鍛冶神であった。
毛に覆われていてわかりにくいが、つぶらな瞳が中空を彷徨い、やがて合点がいったように細められる。
「そうか。アビゲイル。【未熟なる鍛え手】か」
「は、はい……」
さも、今しがたアビゲイルのことを知ったような口ぶり。
どういった情報を持っているのかは不明だが、相手は三級神だという。何らかの手段で知覚したのだということを、アビゲイルは感覚で理解した。
「あ、あの。あなたはいったい……?」
疑問はたくさんあった。
三級神、鍛冶神とは? なぜ地下深くに? そもそもここはどこなのか?
だがそれらを尋ねる前に、鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツは手で制す。
余裕を持って。寛大に。そして紡ぐ声は包み込むように。
「まズは挨拶をしようジゃないか。精霊に、そこの小さいのと、その者」
と、毛に覆われた指先でケルクとリリ、寝台で横になるアーロを指差した。
わう! とまずケルクが吠えれば鍛冶神は鷹揚に頷く。
「三級神ガンツ・ガンズ・ガンツ様。急な訪問と謁見をお許しください。私は森林世界エールバニアの妖精、リリと申します。そして神眼世界アガレアのアーロ・アマデウスです。この度はお招きいただき、感謝いたします」
お座りをしたケルクの背から飛び上がったリリはにぱっと嬉しそうに笑い、服の裾を摘み優雅に一礼した。
◆◆◆◆◆
山岳世界に統べる者はいない。
正確に言えば、動物も植物も全ての世界を呑み込んだ二級神ワールグランズはその身を大地へと変え、一級神ヨームガルドは姿を消した。
神は己の力を分け与え、配下となる下級神を創り出す。
一級神が消えたため二級神も生まれず、その配下たる三級神もまた創られない、はずであった。
だが頭部どころか体を引き裂かれた二級神ワールグランズは未だ生きている。この世界のどこか、大地に隠された心臓が存在する。
大地に埋もれた二級神ワールグランズが己の力を分け与え創造したのが三級神。なかでも鍛冶神は、地を食う者の持つ信仰によって形作られた神だ。
というのが膨れた鞄を背もたれにして腰を下ろした鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツの語るところである。
車座になってアビゲイルとお座りしたケルク、その頭に乗っかったリリとが話しをしているのだ。
ちなみにアーロは石の寝台の上に寝かされ、未だうなされている。
「地を食う者の……?」
「そうダ」
信仰など特に身に覚えがないため、アビゲイルは小首を傾げる。
「お前たちは古くから地を掘り鉄を鍛え、生活をさらに良くしようと研鑽を続けて来た。鍛えた鉄は鍛冶場の祠に一晩捧ゲるダろう? 大いなる存在に自らの手腕を見せ、次もより良いものを作れるように祈る……。あれも信仰の形ダ」
「……確かに、そう、ですね」
思い返せば今まで幾度となく繰り返した鍛造の行為のひとつに、鍛造した品を祠に奉る手順がある。
単に打った鋼を馴染ませるための期間かと捉えていたし、そもそも何に奉ずるのかも定かでは無かった。大いなる火か、大いなる業か。師である親か、またはその祖先かともアビゲイルは考えていた。
永き時を経て忘れ去られてしまったもの。
いや、より良き物を作りたいという絶えぬ想いを得て存在し続けていたとも言えるのかもしれない。
その相手は信仰の対象として確かに存在していた。
「ここは神の住処。神域ダ。異世界の戦士を呼んダ折、一緒に付いてきてしまったようダな。地を食う者と会話をすることは久しく無い」
「……つまり、貴方があの地割れを?」
ギリ、と拳を握り締め、アビゲイルは尋ねた。
相手は神だという。そして呼んだと話した。あの地震と地割れ、蛇神の腹下しとは何らかの関係があると見てよかった。そして久しく無い。その言葉は遠い過去に幾度かあったということだ。
今回は恐らく自分達以外は残らず避難が出来ただろう。だが過去何回も発生している蛇神の腹下しでは死者や行方不明者が多数出ている。
災害とも言えるものの発生原因ともなれば、いくら大いなる存在とはいえ物を申したくなったのだ。
「アビィ」
いつの間にかリリが傍らにおり、その固められた拳にそっと触れた。
それ以上は何も言わなかったが、この妖精の言いたいことは伝わった。
「……ボクらを。いえ、アーロを呼んで何を? そもそも何故?」
「当然の疑問ダ。ダガ今語る事デはない」
アビゲイルは真剣な眼差しで三級神を見つめ、問うた。
だが三級神はふいと視線を逸らす。その先には、寝台に横たわるアーロの姿があった。
「異世界の戦士ガ目覚めれバ、その折に語ろう。いましバらく猶予はある」
「猶予……?」
「それも追々ダ」
つまりアビゲイルに話すことは無く、アーロにしか用が無いということであった。
あまりにも身勝手。そして相手に意図を伝えるつもりがない様子に、信仰の対象として畏敬の念を感じつつ、少しだけアビゲイルは憤った。
これではどこぞの妖精と同じだ。そんな気持ちを込めてさらに視線の険を強めると、降参したかのように鍛冶神は手を上げた。
「分かった、分かった。そんなに睨むな。何も座して待てと言うわけデはない。この地下に落ちた事ガ益となるよう計らおう」
「ボクはどうでもいいです。それよりアーロを助けてください」
「ふむ、無欲。そして献身……ダナ」
「……命の恩人なんです」
毛に覆われた腕を顎に当て、面白そうにアビゲイルを眺める三級神。
見透かしたようなその言葉を受け、彼女の心はさざ波が立つようにざわついた。
「心配せズとも。既に治癒は始まっている。異世界の戦士は時ガ経てバ目覚めるダろう」
「やったわね!」
「そう……。よかった……」
三級神の見立てがどれほど有効かは不明であったが、妖精特製の抗毒血清がひとまずの効果を発揮していそうだ。
その事をリリもアビゲイルも喜び、ケルクは嬉しげに鼻を鳴らして尻尾を振った。
「さて、それよりも……」
どっこらせ、と鍛冶神ガンツ・ガンズ・ガンツは立ち上がり、今まで背もたれにしていた大きな鞄の口を開く。
ぱんぱんに詰まったその鞄から、黒っぽいごつごつした塊が転がり落ちる。
「地を食う者。【未熟なる鍛え手】アビゲイルよ。お前に益を授けよう」
ぼとりと落ちたその塊を拾い上げ、鍛冶神は続いて鞄の金槌を手に取った。




