抗毒血清
木箱の中には用途のよく分からない金属部品や道具が多数。別の木箱にはハンマー、やっとこなどの鍛冶道具が一式。
家具である置き棚には割れた瓶や石ころ、砂埃を被ったガラクタが多数。
希望を込めて唯一扉付きの戸棚を開けると、中から数体の茶色い毛玉、ノームが飛び出してきた。
「うわっ、と」
閉じ込められたとは考えにくい。隙間かどこからか入り込んだのか、住処や寝床にしていたのかもしれない。
飛び出したノームたちは驚いたようにぴょんと跳ねると、蜘蛛の子を散らすように岩の隙間へと逃げていった。
開けられた戸棚に期待を込めた目線を向けるが、中にはなにもなかった。
「……はぁ」
めげてはいけない、とアビゲイルは気を取り直して小部屋を観察する。
棚や箱には長らく使われた形跡がなかった。置いてあった鍛冶道具もそうだ。それに用途のよく分からない巨大な機械装置が多数。判別がつくとすれば見知った形をしている鍛冶台程度。
小部屋の家具や設備をよく見れば、例外なく砂埃が積もっていることがわかった。
つまり、長らく使われていない。 忘れ去られたか、別の理由か。この小部屋を訪れる者はないのだ。
棚や箱の中に解毒薬があるかも、という希望は潰えた。
「少し、離れるよ」
今だ倒れ伏したままのアーロへと声をかけ、アビゲイルは続いて小部屋から伸びる洞穴をおっかなびっくり進む。
リリが駆けていった洞穴とは別の道で、やや小さいそこは緩やかな下り道ではあるが、少し進んだ先で行き止まりになっていた。
だが、膝丈ほどの深さのある透き通った水を湛えている。地下水だ。
「なんでここだけ……?」
今まで通った道も小部屋も、水が滴り落ちるような場所ではなかった。少し下った場所だとしても地下水が出るなどは考えにくい。
きんと冷たいその水に触れ、ぺろりと舐めてみる。
天然の水ではあるが、地下水を飲むのはあまり推奨されない。繋がった水源に洞窟内の生き物の死骸が入っている事もあるし、鉱山では金属汚染の可能性もある。
だが、アビゲイルも岩食族の女衆として家事一切を取り仕切るための教育を受けており、そのなかには安全な水の確保の知識もあった。
少し味わえばその水質をある程度当て、有害な水を避けることができるのだ。鉱石をも食べ消化することができる岩食族の胃袋は、多少の汚染はものともしない。
「……うん。飲める、けど」
舌の痺れも無く、嫌な苦味も無い。
アビゲイルとしては飲めるという判断だが、異世界の住人であるアーロにとっては安全かどうか、判断はつかなかった。
だが、冷水だ。飲めずとも、熱を出したアーロの体を冷やすことができる。収穫であった。
アビゲイルがひとまず洞穴の先の探索を終え、小部屋へと戻ろうと引き返した時のことである。
「アビィー! いないの?」
小部屋の方からリリの呼び声が聞こえる。
どうやら、先ほど駆け出して行ったケルクとリリが戻っているようだった。
「いるよ! すぐ行く!」
応じ、アビゲイルは水場を後にする。
「ほら見て! 捕まえてきたの!」
喜色満面のリリが指し示すのは、ケルクが咥えた一匹の小さな岩蛇だ。首を半ばから噛みねじり切って絶命させたのか、その体はだらんと垂れている。
どことなく誇らしげな顔のケルクはお座りをして行儀よく見せているが、尻尾がぴくぴくと揺れている。
その横に立ち、リリは元気よく岩蛇を指し示した。
「岩蛇よ!」
「いや、見ればわかるけど。これどうするの? アーロの食料?」
地下では特に珍しいものではなく、むしろアーロを苦しめている憎き岩蛇だ。
食料にするにしても一匹では、今後の腹を満たすには到底足らない。
いまいち真意を掴みかねたアビゲイルが尋ねるが、リリは胸を張った。
「違うわ。これでお兄さんを治すの」
「うぅん? 解毒薬を作るってこと?」
「そう!」
「リリ、無理だよ……」
自信満々にアーロを助けられると宣言するリリに対し、アビゲイルは頭を振った。
「解毒薬っていうのは、作るのに時間がかかるんだよ? 蛇の毒を時間をかけて少しずつ体に入れて毒への抗体を作り出して、血を抜き取る。そしたら血が石みたいに固まって、それが薬になるんだ」
長きに渡り岩蛇の毒に悩まされてきた岩食族伝統の解毒薬の作り方は長く毒を少しずつ入れるため、とても時間がかかる。また毒の注入は人に対して行うが、対象は健全で勇気ある若者が常だ。
今から作るにしてはアーロが自然に毒に打ち勝ち治るか、そのまま死ぬかの方が早いだろう。
先ほどは何とか出来るのではと決意を固めたが事態を再確認し、もう無理なのでは。という弱気が顔を出し、アビゲイルは顔を曇らせる。
だが、リリは違った。
「まっかせなさい! 森林世界流の解毒薬の作り方を見せてあげるわ!」
そう言うや否や絶命した岩蛇の口をこじ開け、その牙を自らの腹に突き立てた。
「リリ!」
「いっ、たぁぁ!」
リリは小さな体に合わせた革鎧を着こんでいる部分ではなく、わき腹などの守られていない部分を的確に狙い牙を差し込んでいる。
突き立てるに飽き足らず、口から手を差し込み岩蛇の毒腺があると思わしき喉奥をぐいぐいと押し、毒を絞り出す。
「ぐっ。いたた……!」
「ちょ、何やってるのさ!」
慌ててアビゲイルは止め岩蛇の口を開いて外すが、時すでに遅く。
リリの体には刺し傷が二つ。不思議と血は出ていないが岩蛇の毒は確かに体内へと注入されただろう。
「これでよし! 少し待てば……あれ」
自らを傷つけ毒を注入したリリはあっけらかんとした顔で話し、そのままぶっ倒れた。
「くっ、は……。効くわぁこれ」
「リリ! もう何がしたいのか説明してからやってよ!」
自由過ぎる、そして意味不明なリリの行動にアビゲイルは頭を抱えたくなった。
地面に倒れた小さな妖精を拾い上げ、大丈夫なのかと顔色を窺う。ケルクもそんな一人と一匹の様子を心配そうに見つめていた。
「大丈夫大丈夫。しばらくしたら良くなるから。あぁ。回ってきたキタ」
「ねぇ、ほんとに平気?」
「あひっ。お兄さんの荷物にある水と……魔晶石をちょうだい。いひひっ」
「……うん」
毒が回っているのか熱に浮かされたように笑い出すリリを気の毒そうに見やり、アビゲイルは懐から二粒の魔晶石を取り出す。一粒はリリへ渡し、もう一粒はケルクへと放る。
そしてアーロの荷物から水音のする金属製の筒を探し当てると、半分ほど中身の入ったそれを開け、蓋を器代わりにして注いでやった。
「ありがと。あはっ。残りはお兄さんにあげて。ひひ。苦しそうだわ」
「そうだね……」
石の寝台に下ろしてやれば恍惚とした表情で水をちびりと飲み、魔晶石をかじるリリ。
どろんと濁った眼で時おりひきつったような笑い声を上げるその姿に、アビゲイルは戦慄を感じた。
危ないやつという以前に、身を文字通り犠牲にしてまで何かを成そうとするその気概に対してだ。
「本当にどうして……そこまで……」
意識の無いアーロの上半身を抱き起こし、口内を湿らせる程度に水を含ませながら、アビゲイルは思わず漏らす。
「愛よ」
そんな微かなつぶやきが聞こえていたのか。リリは即答した。
水を飲んだからか魔晶石を食したからか、先程よりは気分が落ち着いているようだ。
「愛……?」
「そう。まさに愛の成せる業ね。あははっ!」
本気で言って照れているのか、毒が回り熱でもあるのか、赤面したリリはその小さな身をくねらせる。
「今でも鮮明に思い出せるわ。森林世界でのこと。私たちってば、仲間なのよ! 共に戦った戦友ってやつ。燃えるわね!」
リリは恋い焦がれる乙女のように眼を閉じる。
その脳裏にはどんな場面が再生されているのか。アビゲイルには想像する他ないが、その中心に誰がいるのかは容易に予想がついた。
「あは。 でもそれだけじゃないの。でっかい敵の親玉に襲われたとき、お兄さんが私たちを命懸けで守ろうとしてくれたの。お前たちは先に逃げろ、って。あいつの相手はこの俺だ、って。絶対私たちを守るためよ。ひゅーカッコいい! あんなこと言われたらもうイチコロよ! やられちゃったわー!」
寝台の上でごろごろと転がりながらだらしなく頬を緩ませるリリ。
舞い上がっている様子を見て、アビゲイルも思わず微笑ましい心持ちになった。
どんな場所の出来事かは分からないが、それを言った者の話し方や真剣な顔はまた、よく想像ができた。
「うふふ。私たち妖精は、どこにでもいる存在よ。森の中で誰かがいなくなっても、別の誰かが間を埋める。そんな誰かもいつかいなくなっちゃう。命が軽いの。怖い奴からはすぐに逃げるし、誰かが食べられてもその隙にみんなが逃げれるって。挙げ句に根がお気楽だからあんまり悲しまないし……。長耳族だってそうよ。私たちは便利な共生者くらいにしか考えてないわ」
だけど、とリリは立ち上がる。
その瞳は薄暗い小部屋の中でも分かるほど、完全に据わっていた。
「お兄さんは違うの。私たちのために、私の為に命を張ってくれたの。だから私もお兄さんを命懸けで助ける。そのためについてきたの。毒だってなんだって、負けるもんですか」
四枚の薄羽根をはためかせ、リリは飛び上がる。
そのまま飛び、アビゲイルが抱き起こしたアーロの胸元に降り立つ。
「妖精は樹や動物のお世話が仕事。傷、疫病の治療、滋養強壮はお手のもんよ。ふん……解析完了。この程度の毒で妖精の神経焼こうなんてお笑い草ね!」
「リリ……?」
「あは。なんか緊張するわね。でも大丈夫。愛があるから。わりと適当なお兄さんなら問題なく受け入れてくれる!」
「ねぇリリってば!」
「いっくぞぉ! はぁぁ!」
アビゲイルの呼び掛けも全く相手にしないリリ。
気合いを込めればその左腕がびきびきと不気味に脈動する。やがて脈動が収まれば、そのまま自らの左腕を掴み。
片腕をぶちりと千切り取った。
「ふぬぅぅぅ!」
「わぁぁぁ!」
これに驚いたのはアビゲイルだ。
血らしき物は出ず、あまりにも綺麗な断面を見て引きちぎったのではなく切断したのだということを理解したが、理解と納得は別だ。
「なんで! 腕取るのってなんで!」
「説明は後よ! これを、食らえぇぇぇ!」
驚くアビゲイルを置いてきぼりにしてリリは少しだけ飛び上がり、千切り取った左腕をアーロの口目掛けて勢いよく叩き込む。
ちょうどアビゲイルが水を飲ませるため口を開けていたこともあり、片腕は見事に口内へとぶちこまれた。
「妖精特製の抗毒血清よ! よぉく味わいなさい!」
満足げにニヤリと口角を上げたリリは腕を引き抜き、どうだと腕を組もうとして失敗し、残った片腕で指を二本突き出した。
《恋する妖精の肉》を口にしました。
アーロの神格が3上がります。
《岩蛇の抗毒血清》を口にしました。
アーロの状態異常:神経毒が緩やかに治癒します。
雑感
本来の抗毒血清は長持ちしませんが、そこはファンタジーということで。
岩食族の血液成分が凝固し石のように変化するため長期保存が可能です。
それにしても妖精は凄い(棒読み)。




