蛇神の洗礼
あらすじ
アーロ:どく まひ
アビゲイル:こんらん
リリ:かくせい
毒。
アーロが岩蛇の毒を受けた。
岩蛇の神経毒の主な症状は四肢の麻痺と高熱。それに伴う筋肉の痛み、吐き気、内臓機能の低下、意識混濁などだ。
高熱は長く続き、場合によっては命に関わる。
だがそれは、子供の頃から何度も岩蛇に噛まれた経験のある山岳世界の住人の場合である。
全く別の世界から来た者が毒を受けたとして、果たしてどれほど重い症状になるのか。アビゲイルには想像もつかなかった。
焦りを圧し殺し、彼女はできることから始めようとする。
「ケルク! 運ぶの手伝って!」
まずは倒れこんだアーロを安静に寝かせることだ。
この地下空間──アーロやリリは神域と呼んでいた──には幸いにも生活空間がある。硬そうな石のベッドだが、岩肌よりましだ。
わふっと返事をしたケルクと共にアーロを引きずり、苦労して持ち上げて石のベッドへと寝かせる。
地面を引きずられても、うっかり寝台の角に体をぶつけても、アーロは文句も言わない。意識を失っているのか眼は閉じられており、息は荒く薄暗いなかでも分かるほど顔は赤い。熱があるのだ。
ひとまずアビゲイルは倒れ伏すアーロの武装を外し脇に置く。赤いスカーフは少しだけ迷ったが、緩めて外す。さらに、どこまで重症化するかは不明だが、万が一麻痺した舌が気道を塞がないように体を横向きにして寝かせた。
介抱を始めるアビゲイルの様子をケルクは心配そうに見つめ、リリは周囲を飛び回りながら問いかける。
「ねぇアビィ。毒って、岩蛇の毒よね?」
「そうだよ。獲物の動きを奪って丸呑みにするための神経毒。僕らは子供の頃から何度も受けてて慣れてるから利きが鈍いし、誰かが倒れても解毒薬があるんだけど……」
「無いの?」
「普段からは持ち歩いてないよ。ボクらはこんなに早く症状がひどくならない。退避所か休憩所には解毒薬の備蓄があるし、最悪道中で倒れても犬精霊に取りに行ってもらえる。けど、今がどこかも分からないし……!」
不覚だった。とアビゲイルは唇を噛む。
現在地が分かったならば。 大規模な《蛇神の腹下し》によってところどころ崩落はしているだろうが、 道を辿り退避所なり休憩所なりを見つける可能性も無くはない。
しかし今の居場所は検討もつかない。病人並みに弱るであろうアーロをあちこち連れて歩く訳にもいかず、さりとて洞窟へ一人置いていくことも出来ない。
準備不足であった。異世界の者であれば、生まれも育ちも違う。当然、毒に対する抵抗力なども持ち合わせていない可能性の方が高かった。
異世界の者という異物故の問題。そしてアビゲイル自身が憧れの鉱山に入ることに浮かれていたこともあるが、無様な失態である。
後の祭りと後悔するアビゲイルに対して、リリは辺りをひゅんひゅんと飛び回り、さらに問いかける。
「岩蛇って、この世界の生き物よね?」
「うん。地下か、山奥とか湿地とかにいるよ」
「ふぅん……。生まれとか伝承は?」
「えぇ、と。たしか、大蛇神ワールグランズの朽ちた肉から生まれた化身だよ。ボクら《地を食う者》の同胞、《這いずる者》」
「なるほど! ということは歴とした神造生命体ね!」
「しんぞう……なに?」
「それならどうにかなりそう。ううん、なんとかするわ!」
リリは何かを納得したようにうんうんと頷いているが、アビゲイルには理解不能であった。
地下に落ちてから賢くなった、とアーロは評していたが、妖精がおかしな事を言っているという印象があるアビゲイルには、いったいどこが変わったのかを知る術はない。
「ケルクを借りるわよ! アビィはお兄さんの様子を見つつ、この部屋の周りの確認をしてて!」
「ちょ、ちょっと! 離れないでよ!」
「大丈夫よ。ケルクがいるから離れても匂いで分かる。ね?」
リリが問いかければ、ケルクは任せろとばかりにわう! と吠えた。
颯爽とその背中に掴まり、毛を巻き込んで手足を固定したリリはケルクを駆り、部屋から繋がる通路へ。薄く光る洞窟へと消えていった。
「……なんなのさ」
取り残されたアビゲイルは、ぽつりとつぶやく。
「なんなのさ! もう! ちゃんと説明してよ!」
一人合点で意味不明な事を言い、好き勝手に行動する。
リリもそうだがアーロもそうだ。大した確証もなく理由も確かでない状況で、命を懸けて助けに来た。
無謀と言う他ない。異世界の者は皆こうなのか。
だが、とアビゲイルは己の拳をぎりりと握りしめる。
その視線の先には、石の寝台に横たわり荒い息を吐くアーロの姿。
自分勝手で行き当たりばったりだが、助けに来た。
その無謀さを勇気とするならば、彼の勇気に命を救われた。
アーロの額の汗を拭い、アビゲイルは立ち上がる。
ここで叫んでいても事態は好転しない。
ならば、できる限る足掻き、動くべきだ。
「……待ってて。ボクにも何か、できるはず」
アビゲイルは言葉に決意を込め、意識のないアーロへ告げ、立ち上がった。
「必要になるのは、現在地の確認。水と食料。安全な住環境……」
再確認のため、思いつくものをひとつひとつ挙げていく。この地下には足りないものが多すぎる。
思えば、リリは去り際に部屋を調べろと言っていた。
この部屋のような空間がどこにあるかは不明で、神域とやらがどんな場所かは分からないが、寝台や棚といった家具や天井の照明から、小振りな休憩所や退避所という線もある。
棚や箱、用途の分からない設備も多数あるため、中に保存食や解毒薬が配置されている可能性も捨てきれない。
さらに、出口がないということはあり得ないだろう。どこかの坑道に繋がっていれば、解毒薬や備蓄食料、道を辿ることでの脱出の芽はある。
「……よし!」
考えがまとまり、やるべき事も定まった。
状況は絶望的だが、やれることをやるだけだ。
自分のためではなく他人のため。誰かのために動く時こそ人は力を発揮するというが、まさにそれだ。
一人では折れかけていた、そして一度は諦めた心が立ち直る。誰かのためになら必死になることができる。
「今度は、ボクが助ける」
めげないように希望を口にし、アビゲイルは小部屋の探索を開始した。




