歓迎の宴と素晴らしき世界
「アーロっち。馬鹿だね~」
細目の青年、ウェインはそう言ってアーロの鼻頭にぺたりと薬湿布を張り付けた。
「すまん。生エルフを見たらつい体が動いてしまった」
「まぁ気持ちは分からなくはないけどさ」
ウェインが心地よく二度寝から目覚め、朝日を浴びようと外に出たらアーロが気絶して転がっていた。慌てて天幕へ運び込み、介抱を行い意識を取り戻したのはつい先ほどである。
容体を見てとりあえず大事はなさそうだと判断し、吹き出た鼻血やらを拭くために長耳族から水を分けて貰い、その後に自分達の体を拭いて汚れを落としていた。
今しがた綺麗に洗った顔と側頭部に薬湿布を張って、処置は完了である。
「しっかし、やられたね。あのエリーって子、暴力的だから苦手なんだよね」
「拳はいくらでも防げる自信はあったんだがな。ちょっとした格闘戦になるとは思わなかった」
いきなり手を取ったりと失礼があったのはアーロの方なので、振りほどいてからの反撃は自衛の範疇と捉えていた。
なので打ち払ったりもせず受け止め、やり過ぎたことを謝罪しようと止めの姿勢に入ったのだが、頭突きとそれからの回し蹴りは予想外であった。
どちらも顔面や側頭部といった急所を狙う攻撃であり、あのエリーという女性はそこを狙うことに一切の躊躇はなかった。守衛の一族出身の戦士というのは伊達ではないようである。
「はぁ。それより、長耳族にはあんまり『エルフ』って言わないこと。古い言葉で美しい君とか愛する人とかなんとかを指す言葉なんだよ」
「知らないとはいえ、やっちまったな。確かに初対面のやつにそんな事言われたら怒るか、怖いわ」
僕も知らずに何十人かに言っちゃって困ったことになってるんだよねぇ、と笑うウェイン。
それを聞き、アーロは昨夜のマガ長老の面白がるような、困ったような微妙な顔を思い出していた。
「もしかしたら俺たち丸耳族って、誰にでも甘い言葉をかける色ぼけ種族だと思われてるかもな」
「あり得るね。というか仮に世界同士の交流が始まったら確実にそういう奴らだと捉えられるね。十人中九人は長耳族を見て『エルフ!』って言うと思う」
「それは……そうだな」
二人は長耳族がアガレアの民衆の前に姿を現す場面を想像し、確信を持った。誰かは確実にエルフだと叫ぶだろう。
特に冒険者連中は英雄譚や物語に出てくる空想の存在としてエルフを信仰している節がある。そんな者たちが、見た目がまさにエルフな長耳族を目にした瞬間どんなことが起こるだろうか。あるものは歓喜のあまり涙を流し、あるものは魂が浄化され昇天し、またあるものはアーロのようにただただ神に感謝し祈りを捧げるだろう。
「やばいな。確実に気味悪がられる。無事に国交結んだ後に断絶なんて笑えねぇ」
生エルフを見て一時期は仕事のことが頭から吹き飛んでいたアーロだが、あれは初めて長耳族の女性を目にした際の過剰反応のようなものと感じていた。
今は仕事や責任を意識できる程度には落ち着いていたし、最初の衝撃は過ぎたので再度長耳族の女性を見ても同じようなことにはならない、はずである。
「まぁ後のことは置いておいて。長耳族との国交が結べるかは僕たちの一挙一動にかかっているね」
「俺より問題起こしてそうなウェインに言われると釈然としないが、その通りだな」
「なんだいそれ。僕はアーロっちに先んじて異文化交流してるんだからね。とりあえず何か行動する時は僕に言うこと」
おうおう。とアーロが軽く答えると納得したのか、ウェインは立ち上がりうんと伸びをした。
「さて、水を貰ってきたときに聞いたけど、なんか歓迎の宴があるみたいだよ」
「あぁ。昨日長老に会った時にそんなこと言われたような気がするな。いきなり衆目に晒される舞台じゃねぇか」
「歓迎会なんだから仕方ないよ。ここじゃ丸耳は目立つからねー。一人増えたことを集落中に周知しないと混乱するんでしょ」
「ボロは出さないようにするよ……。フォローしてくれ」
「はいはい。何でも知ってるウェイン先生に任せなさい」
ウェインが話しながら手早く身支度を整えて天幕の外に出るのに倣い、アーロも自らの持ち物を整えていく。
旅装の外套は畳み、人造闘装も外す。歓迎会なので戦う装備は必要ないだろう。それらを背負い鞄に詰め込んでいく。昨夜に長老に贈り物の織物を渡したので、内容量にいくらか余裕が出来たのだ。
そして背負い鞄を担ぎ、ウェインに続いて天幕を這い出す。
アーロが気絶していた間に、既に日は高く昇っていた。遥か頭上に位置する巨大な樹の枝葉にいくらかは遮られてはいるが、木漏れ日が集落全体に明るく降り注いでいた。
「行くよー。アーロっち」
「おう」
アーロはパンと頬を叩き、気合を入れる。
これから、楽しい異文化交流会である。
◆◆◆◆◆
丸耳族の客人を出迎える宴の会場は、やはりというか集落の中心にある巨大な樹木の下であった。
巨大な樹木の根元、広場のようになっている一帯には多くの長耳族が集まり、輪になって談笑したり酒と思わしき飲み物の杯を空けていた。そこかしこの果物や木の実が皿に盛られているが、肉類の姿はない。それどころか火も焚いておらず、焼いたり煮たりする料理は皆無であった。
宴の場や料理にも火を使わないというのが、森に生き樹上で生活する長耳族の生活様式を現しているのだろう。長耳族の多くは男女ともにすらりというよりも線が細い体形で、太っている者は見受けられないのはこの植物性の食生活によるものだろうか。
そんなことを思考の隅で考えながら、アーロはマガ長老と歓談を行っていた。昨夜のような堅苦しい挨拶の場ではないためか、マガ長老はやや砕けた口調であり、この宴を楽しんでいるようであった。
「長耳族と丸耳族、エールバニアとアガレアの交流を祝し、乾杯じゃ!」
「乾杯!」
本日何度目かの乾杯の音頭とともに飲み干されるのは、植物性の発酵酒である。
かすかに甘みのある酒精が喉をするりと抜け、胃を熱くさせる。飲みやすいが度数は高そうだ。と既に酔いが回り始めた頭でアーロは分析していた。
ちなみにウェインはアーロが粗相がしないようにか、やや遠巻きに長耳族と談笑しながらも様子を気にしてくれている。しかし異種族の男はやはり珍しいのか長耳族の女性たちに囲まれているので、アーロは少しだけ羨ましく感じた。
「朝から鼻に何をつけているのかと思えば……。里の若い者が申し訳ありませぬ」
「私の方こそ。同じ丸耳族のウェインから聞きましたが、年頃の女性にはまずいことを言ってしまったようです」
マガ長老との今の話題はアーロの鼻面と側頭部に張り付けられた薬湿布の件である。
何事かと尋ねられたため、朝の出来事をマガ長老に語って聞かせていた。そうして文化の違いによるものだとしても、知らないこちらが悪いという姿勢を崩さずに接する。
「エリーというのは守衛を担う部族の娘でしてな。まだ若くはありますが素質のある者です。ただ少し、その、加減を知らぬところがあるようですな」
言いにくそうに告げるマガ長老に、アーロは気にしていないという風に笑ってみせる。
そもそも非があるのはアーロの方であるし、これから交流を行おうという時に文化の違いによる軋轢をそう取り沙汰したくはないだろうという思惑からである。
「そういった文化の差異を知るために私が来ているのです。よい前例となりますよ」
「そうですな……。そういうことにしていただけるならば、何も言いますまい」
詫びの気持ちなのかは不明だが、手ずから酒をなみなみと杯に注ぐマガ長老。
アーロも注ぎ返し、お互いに掲げてから一気に飲み干す。
「ふぅ。長耳の酒は口に合いますかな?」
「えぇ。これは美味い酒ですね。果物から作られているように思いますが、甘すぎない」
「異世界の住人にも褒められると、いつも飲む酒でも悪い気はしませんな」
この長老、好々爺という雰囲気からは想像がつきにくいが、相当の酒飲みのようである。
「そういえば、やはり長耳族は火を嫌うのですか? 室内の照明も火ではなかったですし」
「全く使わないというわけではないですが、頻度は少ないですな。あれは地面を痛め樹を燃やします」
「なるほど。森と生きる種族ゆえに、ですね。肉もあまり食べないのですか?」
そう言いながらアーロは自らが座っている毛皮を撫でる。ふかふかで巨大な獣の毛皮である。この大きさならば食べる肉質がないことはありえないだろう。
アーロがマガ長老と酒を飲み交わしているのは、地面よりも一段高くなりふかふかの毛皮が敷かれている上等な座敷のような場所だ。座の周りでは同じように長耳族の老若男女が酒を飲み、果物や木の実を食べながら楽しそうに話をしていた。
「肉は口にしますが機会は少ないのです。我らは糧を森から分けていただいていると考えており、むやみに獣を狩ることはしないのですよ」
この毛皮は森の獣たちと取引をして遺体から譲り受けるものですな。とマガ長老も敷かれた毛皮をさらりと撫でる。
長耳族と共生する妖精たちは獣とも意思疎通ができ、間に入ってもらうことで食料や毛皮などを交換することがあるのだという。
その話を聞き、アーロは妖精という生き物についてさらに興味がわいた。人を助ける救済者、森の一員同士の衝突を避ける調停者、多くの役割を持つ生き物である。
「むやみに命を奪ったり闘争をしない、よい共生関係ですね」
「ほっほ。ですが、我らにも天敵はおりますぞ」
そう言ってマガ長老は頭上を見上げて眼を細める。アーロもつられて頭上へ視線を巡らすが、特になにかが見えるというわけでもなかった。
「……? 天敵ですか。どういった種なのですか」
マガ長老はアーロに向き直り、「火噴き鳥ですな」と言った。
いくらか酒を飲んではいるが、その眼は少しも濁ってはいない。その瞳の奥に激しい炎がぎらぎらと燃えているような錯覚をアーロは覚えた。
「我らの古き言葉でもその名を指す言葉があるほど長い間柄の天敵で、巨大な鳥ですじゃ。奴らは翼を持ち空から襲いかかり、火を吐き森を焼くのです。奴らから身を護るため、我らは《王樹》の根元に集落をつくるのですよ」
まったく想像がつかない単語がいくつか出たため、アーロがはぁとあいまいな相槌を打つと、マガ長老はいつの間にか厳しくなっていた相貌を崩し、にこやかに解説をしてくれた。
アーロたちが今まさに眼にしている、集落に覆いかぶさるように枝葉を伸ばす巨大な樹は《王樹》という。
長耳族の古い言葉で《王樹》。妖精を介して意思疎通が可能な知的生命体で、古き時代から長耳族と共生関係にある植物種族らしい。
長耳族の集落はどれも《王樹》の根元に作られており、森の各地に点在する。一定の間隔が保たれていて、食料採集などで森の恵みを取り過ぎてしまわないように調整されているのだという。
空を覆う巨大な枝と葉により頭上から襲い来る火噴き鳥を防いでもらう代わりに、《王樹》の下に入り込む火吐き鳥を撃退する、長耳族と王樹では古き時代からそんな取引が交わされている。長耳族はそのほかにも集落周辺の自然環境の整備や《王樹》の種を集落から離れた地域に運んで埋めるなどの『繁殖活動』の手伝いをするのだという。
その説明を聞き、アーロは自らの世界にいる動植物を思い浮かべていた。小さな生物が大きな生物の体の汚れなどを食べることで天敵から襲われないようにしていたり、植物が虫に甘い蜜を与える代わりに自らの種子を運ばせるなど、同じような生態の動植物は無数に存在する。
この世界ではそれがたまたま大きな植物と人型の生物だというわけだ。異世界というのはかくも面白い、とアーロは酒精に酔い楽観的になった頭で考えた。
「この《王樹》の種と実というのはまた不思議でしてな。栄養価が高く、病や怪我の時に食べるとたちまち治してしまう癒しの効果があるのです。鳥のやつらもそれを分かっているので、きちんと埋めておかないと掘り返されて食べられてしまうのですよ」
天敵が鳥という点で、長耳族と《王樹》の利害は一致しているように思われた。
長耳族は頭上から不意に襲い来る鳥類がいては安心して生活できないし、《王樹》は種や自らを狙われており、その防衛のために長耳族に協力をしている。
さらに、火噴き鳥がその名の通り火を噴くとすれば、森に棲む植物や獣にとっての天敵である。
「長耳族の生態系は森の生き物との共生で成り立っているのですね。素晴らしい世界です」
アーロはマガ長老の眼をまっすぐに見つめ、そう感想を告げた。
生息圏を広げるために森を切り開き、生物から糧を奪い続けて発展している自らの世界とは全く違う。 過去から脈々と続くそうした発展の恩恵を享受し続けているため、それが悪いことだとは言えない。しかし、このエールバニアのような無暗に奪わず分け合い協力し共存する関係は美しい。そんな心からの言葉であった。
「我らにとってはそれが普通なのですが、異世界の方から見て褒められるということは、悪くありません。先ほどの酒と一緒ですな」
マガ長老もまた、組織の上に立つ者特有の、不思議な落ち着きのある顔に親しみやすい笑顔を浮かべた。
そして自らの杯に酒を注ぎ、アーロの杯にもまたなみなみと注いだ後、杯を掲げた。
アーロもそれにならい、杯を掲げる。
『我らの出会いに――乾杯』
マガ長老と酒飲み友達になりました。
《王樹》
見上げるほどの巨大な樹木。
長耳族や他の生き物との守護と共生関係を結ぶ、れっきとした知的生命体。
《火噴き鳥》
どこからか飛来しては森の生き物を襲う巨大な鳥。
火を噴くと言われる。