二人と二匹は暗闇を飛ぶ
アビゲイルと手が繋がれる。アーロはぐいと引き寄せ、反動によってくるくると回転しながらも、空中で二人は抱き合う。
嬉しいのだろうか、アビゲイルに掴まれたケルクがわふっ! と大きく鳴いた。
暗闇の中、繋がれた腕を伝って流れた白銀の燐光が身を包む。それにより、アビゲイルとケルクの姿が映し出された。
「アビィも毛むくじゃらも! やったわ!」
「よう。掴まえたぜ」
「アーロ、なんで……なんで来たの!」
時は全く経ってはいないが、感動の再会。
しかし死へと落ちる暗闇の中、アーロは笑い、アビゲイルは泣きそうな顔になる。
その頭をぐしゃりと乱暴に撫で、アーロは顔を引き締める。
「助けられると思ったからだ」
「そんな……根拠は?」
「強いて言えば、こいつだな」
「この子?」
「ふふん。まっかせなさい!」
指を指され、両手を上げて存在感をアピールするリリを見て、アビゲイルは眼をぱちくりとさせた。
今まで散々お馬鹿だのなんだと言われてはいるが、この小さな妖精を頼りに、アーロは口を開く暗闇へ、地割れへと身を投げたのだ。
本気だとすれば、とんでもない信頼関係である。
それを理解すれば、なぜだかアビゲイルの心が疼く。
「……うぅん。……ありがとう」
「おう。ま、詳しい説明はあとだ。リリ!」
「分かってる!」
さて、アーロがアビゲイルを掴んだとはいえ、現在も落下中である。どうにかせねば、仲良く心中するしかない。
呼び掛けにリリが答え、再度アーロを掴んで羽根をはためかせ、その身と羽根から金色に輝く燐粉が噴き出していく。
「綺麗。ねぇ、これからどうするの?!」
「あぁ……。信じてくれよ。これから俺たち、飛ぶってな!」
「はぁ? なにそれ!」
「舌噛むなよ!」
「はぁぁぁっ?!」
困惑するアビゲイルをよそに、アーロは下っ腹に力を籠め、意識を集中させる。
すると首元の赤いスカーフがはためき、周囲の風の流れが変わる。吹き付けるような下方からの冷たい風ではなく、包み込んで守るような暖かな風。
また、アーロの纏う外套から金色の燐粉が溢れ出る。リリの羽根から噴き出すものと同様の、煌めく粉だ。
「アーロ! なんか暖かいし光る粉が出てるよ! なにこれ!」
「知らん! だがリリがこれで飛べるとよ!」
「あったり前よ! 神の衣に《妖精粉の外套》! 二つ合わさればなんでもできるわ!」
アビゲイルが驚きの声を上げるが、その現象の元が何かを答えたのはリリだ。
羽ばたく間に器用に胸を張り、自慢げにふんと鼻を鳴らす。
神の衣、天然闘装[愛のスカーフ]。
長耳族のエリーの祈りを込めた赤いスカーフに、森林世界を統べる者の加護が込められた逸品。
装着者の付近の風を操り、持ち主を護る力を持つ天然の闘装である。
さらにアーロが羽織っているのは、妖精たちによって粉をまぶされた外套、《妖精粉の外套》。
森林世界の神域にて妖精たちから受け取った神秘の外套は今やきらきらと煌めき、燐粉を噴き出すような勢いで発していた。
その燐粉がアーロやリリの体を包み、さらに腕を伝ってアビゲイルとケルクを包む。
これで皆が白銀の燐光と金色の燐粉を纏うこととなった。
「アビィも信じて! そしたら飛べるから!」
「何を信じるの! わけわかんないってば!」
「いいから飛びたいって念じて!」
「理屈で言ってよもぉぉぉっ!」
感覚派のリリと理論派のアビゲイル。
二人でのやり取りは埒があかないと考えたアーロは、アビゲイルの頭を撫で、親指で己を指差した。
「アビィ。俺は嘘は言わない。信じろ!」
眼を真っ直ぐに見つめての宣言。暗闇に輝く蒼色の瞳。それを見つめたアビゲイルは言葉を失う。
それはリリの要求と全く変わらない感覚的な物言いであり理解はできなかった。しかし何故だか、父ゲルナイルと似た雰囲気を醸し出していた。
「──は、はい!」
その勢いに押され、アビゲイルは思わず頷く。
返事を聞いたアーロは再度頭を撫で、にっと笑う。
ケルクも嬉しそうにわふっ! と鳴くと、アーロのポケットから四枚の小さな羽根が舞い上がり、ケルクの背中に引っ付いた。体に対して小さすぎるそれをぴこぴことはためかせると、ケルクの体は風を受けてふわりと浮く。
「毛むくじゃらは素直ね! 羽根はあげるわ!」
それを見てリリは嬉しそうに声を弾ませ、わふっ! とケルクが応える。
地割れの崖から身を投げた当初。リリの導きによってもアーロは飛べなかった。信じてはいたが、飛ぶということを理解していなかったからだ。
それがいま、自信を持って言える。飛ぶぞ、と。
違いと言えば耳元で小さく、『ほら。もう飛べるぞ』と優しくささやかれただけで。
たったそれだけでアーロは理解し、 [愛のスカーフ]は風を掴み、不安定だった《妖精粉の外套》は妖精の粉を噴き出した。
信じるに値する者の言葉とは、ほんの少しでも力を与えるものなのである。
アーロは森林世界で得たものに感謝し、頭上を睨み、体に力を込める。
煌めく外套から燐粉が噴き出し、はためく赤いスカーフが風を巻き上がらせる。
「よぉし! 行くぜ!」
暗闇にキラキラと舞う金色の粉が、二人と二匹の落ちる速度を表している。
頭上に流れていくものが留まり、落下速度は徐々に落ちて、頭上から降ってきた岩石は風を操りひらりとかわす。
「すごい! アーロ!」
「いっけぇ!」
「おぉ!」
声援に応え、さらに力を込めれば、落下速度はぐんぐんと遅くなり──。
「……上がら、ねぇ!」
──遂に二人と二匹は、頭上に向けて飛び立つことはなかった。
落下速度は遅くはなってはいる。金色の粉が周囲に留まるように散り、頭上からは剥離したり割れた岩石が時折降ってくる。
上がりかけているが、勢いが足りない状況。つまり。
「重量オーバーよ!」
「今気がついたのかよ!」
はっと気がついたような表情でリリは大声を上げ、下っ腹に力を籠めつつアーロは怒鳴り散らした。
その頭に頭上から降って来た小ぶりな岩石がアーロの頭を直撃し、銀色の燐光に弾かれてカーンと子気味良い音を立てる。
「くっそ!」
「ごめんお兄さんごめんって!」
「……リリ! お前もうちょっと考えてから喋れ!」
ちょっとした間違い、とでも言うようにごめんねと手を合わせるリリ。
その小さなおでこをこつんと弾き、アーロは気を取り直す。
「それより! どうするの! このままだと……」
弱気な考えが鎌首をもたげ、アビゲイルの声音は力を失っていく。
そんなアビゲイルの手を強く握り、アーロは思考する。
天然闘装[愛のスカーフ]によって風を操り、追い風を受けて急加速しつつ振ってくる岩石を飛び石のように跳ねる。一人なら可能だが、荷物がいる今は無理だ。
妖精粉の外套をアビゲイルに着せても、おそらくは使えない。仲が悪くないとはいえ、アビゲイルとリリとの信頼関係はまだ万全ではない。今でさえアーロを懸け橋として力が伝わっているのだ。
意識を思考に割けば、飛行のために風と外套による浮遊の制御が甘くなる。
徐々に勢いを増して落下し始めた二人と二匹。
このまま底まで落ちて落下死か、とアーロは眼下を見やるが、不意に左眼が熱を発し、その視界に光がちらつく。
「熱っ! なんだ?」
「……ん! お兄さん! ちょっと静かにして!」
思わず左眼をしかめるアーロ。それと同時にリリが何かに気がついたように声を上げる。
その小さな掌を耳に当て、何かを探るように眼を閉じて首を巡らす。
「……そう。呼んでる。私たちはここよ……。教えて……」
さらにささやきかけるように何事かをぶつぶつとつぶやき、リリははっとして眼を開けた。
そしてアーロの顔をまっすぐに見据え、告げる。
「お兄さん! この速度を維持して落下! 私が合図したら横に飛んで!」
「横!? 横ってどっちだ!」
「えぇっと、ええっと、あっち!」
リリが指さす先は、暗闇。
落下方向から見れば横だが、急に飛んだとしてもあるのは岩肌だけだろう。
「……あぁ。分かった!」
だが、アーロは少しだけ迷い、すぐに承諾する。
意識を飛行姿勢と速度の制御に専念し、緩やかに下降する速度を維持した。
「ちょっと! 本気?!」
「どうせこのままだと、まさにお先真っ暗だ。それにリリ、嘘は言わないよな?」
「あったりまえよ! さっきは飛べたもん! 信じて!」
「飛べてないけど……。もう! いいよ!」
ふんと胸を張るリリ。そしてその言動を信じて従おうとするアーロを眼にして、アビゲイルは思わず本気かと抗議の声を上げたが、どのみちこのまま打開策が無ければ落ちていくだけだ。
アーロが信じるならば、それを信じよう、と半ばやけくそのようにして認めた。
ケルクの前脚を持った手を握れば、ケルクはわう、と安心させるように鳴く。アーロと繋がれたその手をぎゅっと握れば、力強く握り返される。
暗闇の中でそれだけを頼りにして、アビゲイルは決意を固める。
「よし来い。舌を噛むなよ。捕まってろ」
「ありがと……」
繋いでいた手をぐいと引き、宙に浮くようにして広がっていたケルクとアビゲイルを抱え込むアーロ。
そうして二人と二匹は一塊になり、来たるべき急制動に備えた。
「リリ! 合図してくれ!」
「うん! 待ってね……」
リリは再び眼を閉じ、耳を澄まして感覚を研ぎ澄ます。
「……教えて。助けて……。えぇ、分かった!」
その耳には何が届いているのだろうか、アーロにもアビゲイルにも聞こえるのは風切り音だけだ。
しかし、何かのやり取りを行ったリリは眼を閉じたまま耳に当てていた手を離し、虚空を指さした。
「あっちよ。合図する。さん……に……」
そして。
「……いち……いまっ!」
「おうっ!」
リリの指示に合わせ、アーロは飛ぶ。
「おぉぉぉぉっ!」
「わあぁぁぁ!」
アーロは気合を入れるために叫び、アビゲイルは急な動作によってかかる負荷で悲鳴を上げる。
妖精粉の外套が再度、煌く金色の鱗粉を爆発的に噴き出し、皆の体を宙に浮かす。
[愛のスカーフ]によって操られた体に纏わせた風が追い風となり、一塊になった皆を横に飛ばす。
「そのまま真っすぐ! あ、ちょっと右!」
「んな器用にできるかぁ!」
「やってよ! いけいけぇぇぇ!」
リリが指をさす方向へ向かい、アーロは態勢を制御し細かい指示に苦心して対応しつつ、そのまま。
二人と二匹は、岩肌に口をあけた横穴へと吸い込まれていった。
天然闘装[愛のスカーフ]
森林世界を統べる者の加護が込められた闘装。
森林世界風に言えば神の衣。
装着者の付近の風を操り、持ち主を護る力を持つ。
アーロは今回、宙に浮いた状態での急制動に追い風を使用した。
地上で同様に使用すれば跳躍力が増すほか、空中での姿勢制御が可能。
妖精粉の外套
妖精たちによって洗濯された際に妖精の鱗粉をまぶされた外套。
闘装でも魔術具でもなく、ただ単に鱗粉がついた外套。
妖精の鱗粉は飛べると信じる者を宙に浮かせる力があるが、
半信半疑であったり、飛ぶことを意識していないと浮かない。
定員は1.5名分程度。
雑感
森林世界で手に入れた装備がやっとお披露目です。覚えてましたか?
エリーのスカーフへ無事を祈る願いが風を操る力となって籠ったのは、
未知の技術である弓矢などの飛び道具から身を守ってもらいたいためです。
あっさりと期待と違う使い方をしました。
また、妖精粉の外套は闘装でもなんでもなく、生き物の鱗粉がついただけです。
下手な話、異世界の草の汁がついた靴と何ら変わりません。
「信じる心と妖精の粉があれば飛べる」というのは「ピーター・パン」による創作ですが、
一般的な妖精像として踏襲させていただきました。
ご都合主義と言われればそれまでですが、妖精の粉には不思議な力があるということにしておきましょう。




