崩落後
時間が少し飛びます。
《蛇神の腹下し》発生から3日後です。
山岳世界ヨームガルドの鉱山にて発生した《蛇神の腹下し》から三日目。
野良猫商会の印である猫と肉球のシンボルが押された大きな天幕の室内は重苦しい雰囲気に包まれていた。
「それじゃあ。始めるか」
「……うん」
「よろしくニャ」
天幕の中にいるのは三人。異世界調査団のボルザ、ウェイン、そして野良猫商会のトラである。
ボルザとトラは山岳世界の鉱山での崩落事故発生の報告を受けて急いでやって来ていた。これから生き埋めになったアーロが発見されるまで居座る心積もりである。
真面目な顔をしたボルザが仕切り、朝の会議が開始される。
「まずウェイン。経過報告を頼むぜ」
「うん。今までの状況から。目標とする鉱山の地下への坑道は広範囲に渡って崩落してる。現在は岩食族の男衆が穴を掘り返してるところだよ」
「進捗はどうニャ?」
「芳しくないね。岩食族の男が通れるくらいまで穴を拡げることが必要なのと、崩れた岩石を取り除く作業は単純に手間がかかってる。発破っていう話も出てたけど止めたよ。崩落が広がりそう」
いつも柔和な笑みを浮かべているウェインはその細眼を開き報告を述べる。いつもの飄々とした様子は成りを潜め、真剣な表情である。
その右脚は怪我をしており、包帯によって処置されているが未だ微かに血が滲んでいた。
ウェインの報告を受け、ボルザはうぅむと唸り腕を組む。
「岩食族は力はあるが、体のでかさも考えるとそれほど穴掘りが早いわけじゃねぇな」
「でもあの削岩機はすごいパワーだニャ」
「そうだけどさ。掘っても岩の除去が人力だからね……」
「ま、今日にでも神眼世界からも救助隊が出発してるはずだ。鉱山の暗闇は昼も夜もねぇ。朝昼夜三交代制で掘り進むぞ。アーロの野郎を助けてやらねぇと。今ごろ日の光が恋しくて泣いてるぜ」
ボルザが冗談めかして言うが、二人はにこりとも笑わなかった。
トラはうにゃうにゃと大きく頷き、ウェインは自らの脚の怪我を見つめて拳を握りしめた。
「……鉱山でアーロっちが助けてくれた。あの時僕を助けなかったら、分断されなかったはず」
「よせよウェイン。言っても仕方ねぇ」
「そうだニャ。未来のことを考えるニャ」
「分かってるよ。だけど、助けられたのは事実さ。今度は、僕が助ける」
ウェインの静かな決意。燃えるような感情。
それを感じ取ったボルザもまた、決意を込めて頷いた。
「助けてやろうぜ」
「……うん」
「それで、食料の状況は?」
「もう試算を出してるニャ」
次の話題は食料についてだ。
ぴょこんと猫耳を立てたトラが、持参した紙を広げて皆に見せる。そこには野良猫商会から仕入れた携帯食料の量と、ウェインからの聞き取りによって消費した食料の残量と試算が記されていた。
「もともとは野良猫商会から仕入れ、[小鞄]に入れて単純に三十日分くらいの食料を持ち込んでたニャ。そのうち消費したのが二人分を五日で十日分。残り二十日分は鞄に入ってるはずだニャ」
「ウェイン。[小鞄]の様子は?」
「まだ、何も減ってない。壊れたか、落としたかはわからないけど、取り出されてはないよ」
ウェインは背負っていた[小鞄]を取り出す。彼の持つ[小鞄]とアーロの持つ[小鞄]は内部が繋がっており、どちらからでも中身が取り出せるようになっている。
地下に閉じ込められたアーロが飢えないようにと食料や飲料水が詰め込まれているが、三日経つ今でも中身が取り出された形跡はない。また、何か生存を示す痕跡が新たに入れられた形跡もまた、ない。
ウェインらはアーロが[小鞄]を落として無くしたか、強い衝撃等によって破損した可能性もあると予測している。
「くそ……。水は持ってるな?」
「[夢幻の泉]なら、アーロっちはいつも腰帯に着けてたはず」
「それも壊れてない事を祈るか…」
「うニャ。頑丈といってもただの水筒ニャ。ひしゃげたらもう役に立たないニャよ」
「あの水は野良猫商会の貯水槽から引き出されるんだろ? 減ってるのか確認できねぇのか?」
「うニャ。水筒の魔術具の持ち主全員に連絡取ってから野良猫商会を断水するくらいしなきゃ無理ニャよ。現実的じゃないニャ」
うぅーん、と皆が唸り、腕を組んで考え込んでしまう。
なにしろ、連絡手段がないため状況が掴めない。唯一繋がっている[小鞄]の魔術具も反応がなく、そもそも無事かどうかも分からなかった。
そして食料が無ければ人は生きられない。地下に野性動物がいないわけではないが、それで食い繋ぐのも限界があるように思われた。
「もし、もし仮に、万が一のことだが」
重苦しい空気のなか、ボルザは静かに口を開く。
誤解を生まないようにか、その前置きは長い。
「アーロの野郎がくたばってるとしたら、どうする」
「……」
「……ニャ」
しばし、沈黙が天幕に満ちる。
「岩石流と崩落は今までにないほど大規模ってぇ報告があった。それに押し潰されてたら、生きちゃいねぇ」
「……それでも、やることは変わらないよ。なんとしても見つける。それだけさ」
それでも助ける、ウェインはそう言い切った。
「森林世界でも似たような状況になったよ。どうしようもなくて、それでも僕らもアーロっちも諦めてなかった。そして結果的に助けることが出来た」
「ニャ。そうだニャ。助かると思ってなかったら助からないニャ」
「……ま、そうだな。二人の言う通りだ。前向きに捉えてくれててよかったぜ」
救う方が救えると思わなければ、助かるものも助からない。少々無理はあるが、要するに考え方次第ということだ。
天幕で悩んでいても仕方がない。今はただ、無事を祈って掘るしかないのだ。
「心配しなくても、あいつが簡単にくたばるかよ。俺ぁ冒険者時代から知ってるが、奴はしぶとい。木の柵しかねぇ辺境の村を怪物の大群から村人の被害無しで乗り切ったこともある」
「不思議な安心感はあるよね。森林世界で腕を切られて森をさ迷ってたら、腕が生えて敵の親玉も倒したし。その後神に会ったとか」
「……それだけ聞くとちょっとした英雄か冒険譚みたいだニャ」
トラが呆れたようにうニャ。と息を吐くが、ウェインはまさかぁと笑い、ボルザは鼻で笑う。
「アーロっちが英雄? 似合わないね」
「はん。違いねぇ。あいつはいつも泥だらけ傷だらけだ。英雄ってのはもっと小綺麗に解決すんのさ」
「そうかニャ……。まぁ、なんにせよ今は助けが必要ニャ」
トラの言葉に二人は頷き、立ち上がる。
会議は終わりだ。これからは現場作業である。
「おっし、掘るか。アーロの奴が岩食族の娘さんに手を出さないうちにな」
「……もう遅いかもね」
「なにぃ!? いや、暗い所に閉じ込められて二人きり。寄り添う肩、助け合い自然と近づく心。いつしかお互いに芽生える感情……。やべぇ、やべぇぞ」
「ボルザっちってかなりロマンチストだよね」
「外見との落差が激しすぎるニャ」
「うるっせぇい! というかウェインてめぇもだ! 出張先では女に手を出さずに真面目に仕事しろい!」
「仕方ないじゃん? 自然とそういう感じになるんだから」
「だぁからそれを回避しろっつぅの!」
「ニャ……。異世界調査団はすけこましばっかニャ」
ぎゃあぎゃあと口論しつつ、三人は天幕を出ていく。目指すは、鉱山だ。
どこか気の抜けた彼らこそ、異世界調査団の団員を助けるために結成された救出部隊の指揮官である。
◆◆◆◆◆
「我々はぁ! 常にお客様のためを思いぃ! 安全かつ清潔にぃ! 職務を実行することを誓いまぁす!」
「誓いまぁす!」
「すべてはお客様の幸せのために!」
「すべてはお客様の幸せのために!」
山岳世界の岩食族の村から少し離れた鉱山の前、ボルザやウェインが設営した天幕の横、少しだけ開けたそこに数十人の男たちが唱和する声が響いていた。
「なんだぁ、こりゃ」
「すごい声だニャ」
天幕から出たところで集団を眼にしたボルザが訝しげに顎をこすり、トラが耳をぺたんと傾げるのも無理はない。大声をあげる男たちは普通の体格をしており、神眼世界の者である。
彼らを遠巻きに見つめる岩食族の面々も、装備の点検作業などの手を止めて何事かと眺めていた。
「あ、来てるじゃん。おーい!」
「おぉ! 坊っちゃん!」
ウェインが集団を眼にして声をかけると、その男たちの唱和を指揮していた者が嬉しげに応える。
四十代前半の、日に焼けた黒い肌とたくましい身体が特徴のごつい男だ。
「坊っちゃんはやめてってば」
「なるほど。では若と」
「どっちもやめてほしいけど、とりあえずいいや。着いたんだね。挨拶して」
笑いながらそう返しつつウェインは男に対して、隣に控えたボルザヘの挨拶を促す。
大きく頷いた日焼けした男はボルザヘと向き直ると、腰を折って丁寧な礼をした。
「お初にお眼にかかります。私、ムラクモ鋼業のジョン・ムラクモと申します」
堂に入った挨拶とお辞儀。
日焼けした男の、粗暴ともいえる見た目からは想像もつかない物腰にボルザはほう、と感心した。
スキンヘッドの筋骨隆々の大男と、日焼けした体格の良い男、二人は並び立ち向かい合う。
「この度、神眼世界からの救出部隊として皆を率いて来ました。お見知りおきを」
「これはご丁寧にどうも。あんた、有志の派遣人員の元締めか?」
「ええ! こちら、異世界立ち入りの許可証です。ご査収ください」
「おぉ。……確かに。ムラクモってぇと、ウェインの知り合いか?」
「そうだよー。僕の叔父さん」
「まぁ、それほど大それた人物じゃありませんよ。坊ちゃん……若の知り合いに声をかけて集めた者たちの尻もちですな」
異世界立ち入りの書類を取り出して手渡す日焼けした男、ジョン。
有志の救出部隊のまとめ役にしてウェインの親族だという彼は、しかし胸を張って背後に並び立つ人々を示した。
「我ら、異世界での友の窮地を助けたいという若の願いに賛同し立ち上がった者です」
「よろしくおねがいしますッ!」
ジョンの手振りに反応し、一斉に頭を下げる者たち。
有志の救出部隊というわりには一糸乱れぬ挨拶であり、統制が取れている様子が窺えた。その様子を見たボルザは何の気なしに尋ねる。
「……なぁウェインよ。こいつら正規の手段で通したか?」
「ボルザさん、それ聞いちゃダメなやつニャよ」
「やだなぁ二人とも。この非常事態に何悠長なこと言ってるの。アーロっちの危機だよ? 無理やりねじ込んだに決まってるじゃん」
「若の情熱が皆を動かしたのですな。苦労しましたぞ」
あははぁと笑うウェインに、ジョンも追笑する。誤魔化さないところだけは褒められる部分か。
ボルザやトラは思わず頭を押さえ、聞かなかったことにしたいと呻いたが、このタイミングでの救出部隊の増員は値千金である。
しかも有象無象ではなく統制のとれた一個の技術者集団であり、指揮官付きだ。こういった危険で急を要する現場作業においては喉から手が出るほど欲しい人材であった。
少々無理やり通したらしいとはいえ、異世界入りの申請は受理されて通っている。それを確認したボルザは思考を切り替えた。
「まぁ、いい。やる気があるのは結構だし、人手も欲しい。今回に限っては働いてくれれば文句はねぇ」
「もちろんですとも。若の想いに応えるとしましょう。それに仕事場での評判は我らの沽券に関わりますからな」
ジョンは不敵に笑い、右手を差し出した。
ボルザもその手を握る。がっしりとしていてごつく、タコが無数にある働く者の手だ。
「我ら、ムラクモ鋼業の従業員を中心とした【技巧神】ジギル・ジルガを奉ずる鉱夫、地質学者、それに薬師。必ずや役に立つと約束しましょう」
「あぁ、頼む。地下に埋められた調査団員を救出してくれ。まずは岩食族の統率者と相談してシフトを決める。よろしく頼むぜ」
「うんうん! 話がまとまってよかった。さぁ、仕事だよ!」
ウェインが声を張り上げると、有志の救出部隊の面々はおぉーと呼応して声を上げる。
士気は十分。そして技術を備えた応援。心強い味方である。
「よし! では現場に入る前に、創業理念と経営理念と社訓と就業規則の唱和を行うとしましょう」
「いや時間ねぇから。はよ掘るぞ」
「……そうですか」
ボルザが冷たく言い放つ言葉に、ジョンだけでなく融資の救出部隊の皆は残念そうな表情で肩を落とした。
「……異世界調査団だけじゃなくて、その近辺も変人ばっかりかニャ?」
《ムラクモ鉱業》
ムラクモ商店(登記上はムラクモ商会)を母体とするグループ企業。
採掘事業から鋼材の生成販売を一挙に手掛ける巨大企業である。
《ムラクモ氏(またはムラクモ家)》
遠き昔から鍛冶屋の一族として名を馳せていた一派。
現在は鍛冶品の販売だけでなく、鋼業や製薬業などの産業分野において多大な影響力を持つグループ企業を多数傘下に加えた巨大組織。
ムラクモ鋼業、ムラクモ製薬、ムラクモ建機、ムラクモ通商など、まさに群雲のように多角的な商売形態を採っている。
ちなみにムラクモ通商は野良猫商会に完全にお株を奪われており、事業提携と言う名の職務委譲を行っている。
《三級神》
神眼世界を治める一級神の下には三柱の二級神と六柱の三級神がいる。
工業を司る神【技巧神】ジギル・ジルガ
商売を司る神【商売神】ニャールズニール
などが今のところ提示できる情報である。
雑感
やっと出ました三級神。
プロローグの長ったらしい世界観設定もここでやっと報われるというものです。
また、ウェイン君の実家も出ました。彼はブルジョアです。
そしてガテン系企業であるムラクモ鋼業の理念唱和は念入りに成されます。




