退避所と闇の中
《蛇神の腹下し》によりぐらぐらと山全体が揺れ、壁が割れて小石が降り注ぐ坑道を、アーロはケルクとアビゲイルの先導に従い進んでいた。
「なぁアビィ、退避所ってのはどれくらい安全だ?」
「少なくともボクらが通ってるここよりは! 狭いけど柱で天井を支えてるし、保存食もあるよ!」
もし万が一出口が崩落などによって塞がれ閉じ込められたとしても、中で生活可能な環境が整えられており粘ることができるようだ。二人と二匹は揺れが続く坑道を退避所目指して進む。
大きな震動により、坑道はところどころで壁が割れて崩れたり天井が崩落しているが、もとより広い通路のような道だ。土砂を押し退けてなんとか通り抜けたり、時には岩石を削岩機によって打ち崩して道を開いていく。
途中までは緑色の蛍石が点々と置かれていたのだが、さすがに先発の男衆は退却しつつ奥地まで蛍石を目印に置いて行く余裕は無かったのだろう。ある地点からは坑道の暗闇が広がっていた。しかしアビゲイルによれば、途切れてから退避所までは一本道とのことだ。
明かり用のゴーグルを失ったアーロは暗い視界に苦労しつつ、ケルクの鳴き声とアビゲイルのゴーグルが照らす光を頼りに道を進んだ。
「見てあそこ! 退避所だよ!」
そして暗闇のなかに漏れる光を指し、アビゲイルは喜びと安堵の声を上げる。
退避所にはおそらく蛍石が備え付けられているのだろう。暗闇にぽっかりと口を開けた光の先には部屋のような空間があった。
「よかった! 入ろうよ!」
「いや……待て」
揺れによる崩落から逃れられるという安心感からだろうか。駆け寄り、退避所へと飛び込もうとするアビゲイルをアーロは腕を取って止めた。
ケルクが退避所の入口を睨み、姿勢を低く構え、ぐるると唸り声をあげている。
「アーロ……? ケルク……?」
「……借りるぜ」
訝しむアビゲイルをよそに、アーロはその顔を覆うゴーグルを剥ぎ取る。露になった素顔から、何をしているのかという抗議の視線が発せられるが受け止める。
牙を剥いて唸るケルクの背を一撫でしてから、アーロはゴーグルを退避所の入口から中へ放り込んだ。
途端。薄暗い退避所の中に転がったゴーグルへ、細長い影が殺到した。
「あぁっ!」
「岩蛇か!」
そう。退避所の中で待ち構えていたのは、大小様々な岩蛇であった。
アーロが放り投げたゴーグルへと四方から飛びかかり締め上げる姿が、埋め込まれた蛍石の明かりに照らされる。それだけでなく、硬質なものに牙を立てるカチカチという音が複数響く。
アビゲイルが何の注意もなく飛び込んでいれば、おそらく襲われていただろう。小さな体は締め上げられ、麻痺毒を持つ牙に噛まれてからはゆっくりと餌になるのだ。
しばらく前から大移動を行っていた岩蛇の群れ。それはこの《蛇神の腹下し》を何らかの方法によって感じとり、安全な場所へ身を潜めるためだったのだ。
「アビィ! 後ろにいろ!」
アーロはアビゲイルを後ろに庇い、腰から戦鎚と片手斧を引き抜いて構え、腰を落として退避所へと踏み込んだ。
壁際には石を積んで柱が立てられ天井を支えており、その天井には蛍石が備え付けられ光を放っている。部屋のような空間の端には乱暴に食い散らかされたように散らばる何かと木箱。おそらく保存食だろう。
明かりに照らされる退避所の中には、放り込まれたゴーグルへ群がる他にも多数の岩蛇が蠢いていた。
蠢く岩蛇はアビゲイルの腕ほどの小さく細いものから、アーロの胴ほどの太く大きいものまで。複数の眼が蛍石の明かりに照らされ爛々と輝いている。
ゴーグルへ牙を立てていた岩蛇らはアーロたちを次の獲物と見なしたのか、口を開きシューシューという威嚇音を立てて前方から一斉に飛びかかってきた。
「おぉぉぉぉっ!」
アーロが気炎を吐き、その身が《守りの力》の白銀の煌めきに包まれる。
手にする武器を白銀の燐光を散らして振るえば、飛びかかる岩蛇は次々と片手斧で両断され、戦鎚を叩きつけられて身が弾け飛ぶ。
数匹の岩蛇がブーツや腕に取りついてその牙を立てるが、革鎧や纏う白銀の燐光に阻まれて無駄に終わる。動きが止まったところを握り潰され、また振り散らされてから頭を踏み潰されて絶命する。
さらに、ケルクがぐるると唸り声を上げて前へ出る。地を這う岩蛇を押さえつけ鋭い爪で引き裂き、頭を噛みちぎって放り捨てる。小さな岩蛇の牙はケルクの深い毛によって体まで到達はしなかった。
「えーい!」
リリも背負っていた小刀を抜いて飛び立ち、小さな岩蛇の頭部を頭上から突き刺して仕留める。が、小刀が抜けずに踏ん張っているところを別の岩蛇に噛みつかれ、そうになったところをアーロに救われた。
「ひゃっ! お兄さん!」
「リリ! お前は隠れてろ!」
リリを狙った岩蛇の頭を踏み潰して殺したアーロは、掴んだリリを自分の首もと、外套の中へと押し込む。危険であるし、戦力的に心もとないためだ。
妖精一匹が戦線に加わっても多勢に無勢という状況に変わりはなく、気にして戦うよりはよっぽど楽であった。
「ボクは戦うよっ!」
アビゲイルは腰の短刀を抜き、後方から素早く投擲した。
闇を切り裂き複数の短刀が飛び、岩蛇の頭部を貫いては岩肌へと縫い止めていく。
「やるなっ!」
「当然! 鉱夫だからねっ!」
胸を張り啖呵を切るアビゲイル。
岩蛇の胴部を噛みちぎったケルクがばうっ! と呼応するように鳴く。
揺れは大きく足場がぐらつくが、それをものともせずに二人と一匹は小さな岩蛇のほとんどを殺し尽くす。そして次は数少ない大きな個体がのっそりと動き出した。
人の胴ほどの太さを持つ長い体。開かれる顎は腕程度ならば容易に呑み込み噛み切るであろう。賢いのか、群れの中で序列などがあるのかは不明だが、強敵の予感。
「そんなに俺を喰いたいかぁ!」
そんな太い岩蛇の一匹めがけ、アーロは振りかぶった片手斧を投げつける。
風を切りびゅんびゅんと音を立てて飛ぶ片手斧は大きな岩蛇の顔面をかち割り、身を半ばまで断ち切りやっと停止した。
「アビィ! 借りるぜ!」
そのままアーロは腰帯に戦鎚を仕舞うと、背負っていた削岩機を手に取り構え、魔晶機関を始動させた。
ぎゅいぃぃぃぃん!
「おらぁぁぁっ!」
唸りを上げる魔晶機関。
アーロは一気に駆け込み、太い岩蛇目掛けて回転する削岩機を突き出す。
大口を開けて迎え撃とうとした岩蛇の口内に突き立った削岩機が口内部の柔らかい肉を削り、そのまま頭部を突き破って岩蛇を挽肉へと変える。
普段は回転力と鋼鉄の突起によって硬い岩や鉱石を破砕する削岩機だ。岩蛇の骨や肉や皮などは敵ではない。
「こいつ! なかなか使えるな!」
「ちょっと! ボクの削岩機を汚さないでよっ!」
「無茶言うな!」
アーロは汚れた削岩機を振り回し、岩蛇の血肉は即座に回転によって辺りに振り撒かれる。
数匹の大きく太い岩蛇を瞬く間に肉塊へと変えれば、唸る魔晶機関に恐れをなしたのか、岩蛇たちは一旦距離を離した。ずりずりと後退り壁に張り付き亀裂に身を隠す。
その様子を見て魔晶機関の出力を落とし、アーロは人心地つく。岩蛇へ投げつけていた片手斧を拾い上げ、腰帯に仕舞う。
ひとまず切り抜けたか。
アーロがそう感じたその瞬間。
山が、一際大きく震えた。
ずず、ともずが、とも聞き取れる不気味な音を立てて退避所の床に亀裂が入り、断たれたように隙間が開いたのだ。
再度の地震と、それに伴う地割れ。
開いた隙間は人が通れるほどで、さらに断面の双方は離れ、地割れによる暗闇は大きく開いていく。
揺れと違和感を足元に感じたアーロやアビゲイルは咄嗟に横へ飛び退いて難を逃れた。しかし退避所の中に、きゃいんと鳴き声が一声響く。
「ケルク!」
狙いすましたかのように脚付近に地割れが現れたのか、犬精霊のケルクは飛び退いたところで脚を滑らせ、かろうじで断層の片方の岩肌へしがみついていた。
だが、掌ならばともかく犬の手は物や壁を掴むようには出来ていない。崖の下には口を開けた真っ暗闇の虚空。そこから逃れるようにもがくが、 次第に体はずり落ちていく
そして、ケルクのその身が虚空へと投げ出される寸前。
「ケルクー!」
駆け出して断層の手前まで滑り込んだアビゲイルがその前脚を掴んでいた。
「じっとして! すぐ引き上げるから!」
主人の言葉を理解しているのか、前脚が引き伸ばされる辛い態勢でもケルクは体の動きを止め、くぅん、と小さく鳴く。
「アビィ! 離すなよ!」
「頑張って!」
まとめて引き上げるべく、遅れてアーロもアビゲイルの元へと駆け寄る。手にした削岩機を放り投げてだ。そして這うようにしてケルクを保持するアビゲイルの身を掴もうとした時。
無情にも、再度大きな揺れが皆を襲った。
「く、そっ!」
「あっ──」
かつてない大きな横揺れにアーロはたたらを踏み、寝転がるようにして断層の絶壁に身を乗り出していたアビゲイルの小さな体は虚空へと、地割れによってぽっかりと口を開けた縦穴へと投げ出されていた。
「アーロ……!」
空中に投げ出された態勢でもケルクをしっかりと抱き寄せたアビゲイルは、ただ驚いた顔をしていた。
「アビィ! 手を──!」
咄嗟にアーロが伸ばす手は届くはずもなく、空を掴む。
それを眼にしたアビゲイルは、ふっと優しく微笑んだ。
「……ありがとう」
そのままアビゲイルは、ケルクと共に真っ暗闇の穴へと落ちていった。
「アビィーッ!」
態勢を立て直したアーロは慌てて断層の断崖絶壁から下を覗き込むが、何も見えるものはない。ただ大きな揺れによって崩れた岩石が次々と縦穴へ落下していくのみだ。
しかし、暗闇を見つめるアーロの背中、小さな妖精が声を上げる。
「お兄さん! 追って!」
「リリ!?」
「早くっ! 飛ぶの!」
外套のフードから顔を出したリリは、その布地をばんばんと叩きながら怒鳴った。追え、飛び降りろと。
そして叩かれた外套からは、きらきらと光る燐粉が舞い上がる。
「お兄さんなら飛べる! だから追ってっ!」
肩から身を乗り出したリリは、アーロの眼を見つめて言い放った。その眼は真剣だ。
視線は交差し、迷いは一瞬。そして──。
「──信じたぁっ!」
燐粉が舞い散る外套を翻し、アーロは虚空へと身を踊らせた。
一瞬の滞空。浮遊感。そして落下。
その後頭部にしがみついたリリは四枚の羽根をはためかせ、暗闇に煌めく燐粉がきらきらと舞う。
「いっけえぇぇぇ!」
地割れに伴い山全体の揺れは強くなり、退避所の壁は崩れ天井は崩落する。岩の隙間などに隠れていた小さな岩蛇が、崩れた岩石と共に断層の縦穴へ吸い込まれるようにして落ちていく。
その大小の岩石に紛れるようにして、アーロとリリの姿は地割れの暗闇の中へと消えていった。
雑感
妖精を背負っての、いっけぇぇ!
いただきました。
さてさてこれからどうなってしまうのか?!




