蛇神の腹下し
山岳世界ヨームガルド。
そこに生活する岩食族、地を喰うものたちには、古くから大蛇神ワールグランズが今なお生き続けていると考えられてきた。彼らは大地を大蛇神ワールグランズの体だと捉え、地下は大蛇神の体内であると考えているのだ。
しかしそのことの真偽は、今回においては関係が無いことだ。
鉱山の地下で極稀に発生する地震による崩落事故や土石流の発生は、蛇神の体内で起きることから《蛇神の腹下し》と呼ばれ、鉱夫たちにとって最も恐れられている現象である。
ずずん、と腹に響くような音と振動。
頭上から小さな石の欠片がぱらぱらと降り注ぐなか、坑道の中をアーロ達は駆けていた。
「なんか僕ら、異世界で走ってばっかりじゃない!?」
「分からんでもないが、つべこべ言わずに脚を動かせ!」
「ほらほら走って走って!」
事実だが、文句を言うウェインをたしなめつつ、アーロ自身も削岩機を背負って走る。当初アビゲイルが分解してケルクの荷帯に仕舞いこもうとしたものを、時間がないからとアーロが担いでいるのだ。
その背に陣取ったリリは削岩機に潰されないように身を乗り出して怒鳴るため、声はアーロの耳に響く。
「うかうかしてると生き埋めになるぞい!」
「《蛇神の腹下り》はすっごく珍しいんだよ! 崩落や岩石流がどわって来るんだ!」
「出口への道が埋まっちまったらどうするんだ!?」
「退避所があるよ! そこなら支柱があるからよっぽど崩れないはず!」
ばうばうと吠えるケルクが先導し、皆はひとまず岩食族の休憩所を目指している。少し歩けば到着する坑道の先端にいたので、戻るのもすくだ。
坑道で採掘していた際に危険を知らせに来た岩食族の男は、名をグルネイルと言った。
坑道を息を切らさず走りながら状況を説明する彼の弁によれば、地下にいた岩食族の鉱夫たちは山全体の振動を感じたこと、さらに犬精霊の群れが騒ぎ出したことを不審に思い、いつでも逃げられるように身構えていたのだという。
しばらくするうちに徐々に揺れは強まり、規模は不明だが《蛇神の腹下し》が発生したと判断された。親方と呼ばれ慕われているゲルナイルの指揮の元、即座に鉱山から撤収する号令が発せられたのだ。
幸いなことに、巨大な岩蛇への警戒のため《蛇神の内腑》、さらに《蛇神の神髄》区域へは立ち入りが制限されていたことから撤収が必要なのは《蛇神の表皮》にいた男衆のみである。鉱山から地上へと続く出口は複数あるため、休憩所では点呼を取りつつ順次別れて鉱山の出口を目指し出発しているとのことだ。
アビゲイルは《蛇神の腹下し》という現象の知識はあったが、体験をしたことがないため発覚が遅れた。普段鉱山で働いていない者の見聞不足がここで脚を引っ張ることとなる。
「親方が休憩所に最後まで残っておる! 合流して退却するぞい!」
「分かった! ──坑道を抜けるぞ!」
山全体を震わせる振動は、間をおかず強く大きくなっていく。
はっきりと知覚できるほどに揺れる足元や、崩れて落ちて転がる小石に注意しつつ坑道を進んだアーロ達は大きな地下空間、《蛇神の表皮》の休憩所へと辿り着く。
先導していたケルクがばうばうと吠える先に、大男が、いた。
「アビゲイル! グルネイル! 来たか!」
「お、親方!」
「連れて来たぞい! これで最後じゃ!」
駆けてくる集団を眼にして大きな声を上げるのは、鎧を着こみ大鎚を握り込んだひげもじゃ毛むくじゃらの大柄な男。ゲルナイルだ。
「お、親方、ボク──」
「このっ、馬鹿者! どこにいた! さっさと逃げんか!」
何かを言いかけたアビゲイルを遮り、ゲルナイルは銅鑼声で叱責する。
頭ごなしに怒鳴られ、思わず身を縮めるアビゲイル。
「お前も鉱夫なら一番に危険を察しろ!」
だが続いてかけられた言葉を耳にし、アビゲイルははっとして顔を上げた。
鉱夫なら、ゲルナイルはそう言ったのだ。
「──はいっ! 親方!」
すっと背筋を伸ばし元気よく返事をするアビゲイル。マスクとゴーグルにより表情は窺えないが、その声色から容易に予想がつくというものだ。
だが、鉱山全体がぐらぐらと揺れ、辺りには天井から剥離した岩石がいくつも落ちてくる。
横揺れにより思わず態勢を崩したアビゲイルをアーロは慌てて支えた。
「話がまとまったところで、そろそろ行かないか!?」
「そうそう! 崩れてきてるよ!」
「こりゃちっと規模がでかいぞい」
「うむ! 出るぞ!」
ゲルナイルの号令の元、アーロ達は出口へ向かう坑道に駆け込んだ。
その背後では一段と大きな音が響き、アーロは驚いて振り返る。休憩所の真ん中にどっかりと置かれた巨大な岩蛇の頭が、崩れてきた岩石に押しつぶされていく所であった。
「アーロッ! 急いでっ!」
「……おう!」
焦るアビゲイルの声に応え、アーロは最後尾を走り休憩所を後にした。
◆◆◆◆◆
山全体の振動はどんどんと大きくなり、ついには壁が崩れ岩石の破片がごろごろと落下してくるほどになった。
皆が駆けるこの坑道は先発隊がいたのか、一定の間隔で蛍石を使用したランタンが置かれ、さらには数が足りなくなったのだろうか、大きな蛍石が点々と置かれているようになった。しかも蛍石は赤色、緑色、白と三色に分かれている。
「この蛍石の色には意味があるのか!?」
「ある! 白は出口へ! 赤の先は行き止まり! 緑は退避所だ!」
ゲルナイルは簡潔に答え、アーロはなるほどと頷く。おそらくは先に脱出を図った男衆の置き土産だろう。後続を迷わないようにする合図。合理的だ。
揺れに連動してちかちかと強く明滅する蛍石。その光を辿るようにして、ケルクを先頭に一行は走る。
「お兄さん、横! 崩れるわ!」
「おわっ! なぁ! 《蛇神の腹下し》はいつまで続くんだ?」
揺れによって剥離したのだろう。坑道の岩壁が崩れて来たものを回避しつつ、アーロは先を走る大男、ゲルナイルに向けて尋ねる。
蛇神の腹下しと呼ばれているが、要は地震による振動と崩落、そして土砂崩れのような岩石流なのだろう。と察しはついていた。
「蛇神の気まぐれだ! 分からん!」
「腹下しって、相当悪いものを喰ったのかな!?」
「だとすると、お前さんたちかものう!」
「もう! 笑えないよっ!」
一行は冗談を交わしながら鉱山の出口を目指す。
アビゲイルの頼れる相棒ケルクが駆け足で坑道の先を進む。それを追いかけ皆が走る。
「なぁおやっさん! あんたの犬精霊は?」
「あの巨大な岩蛇に喰われた! 勇敢だった!」
「あぁ……。そいつは誇らしいな!」
「そうだ! 讃えてくれ!」
犬精霊は相棒。かつてアビゲイルはそう答えた。
それは生活の助けとなる荷物持ちでもあり、鉱山の暗闇を先導する道案内であり、そして危険を承知で共に戦う戦友なのであろう。
悲しむのではなく、讃えてくれ。勇敢だったという言葉から関係性を感じ取ったアーロは名も知らぬ犬精霊を褒め称え、ゲルナイルもそれに応えた。
「岩蛇は消化液が強いからね! 丸呑みされたら助からないよ!」
「なるほど! 調査報告書のために岩蛇の生態もまとめないと!」
「無事に帰れたらのぉ!」
調査団員として生活に関わりのある生物の生態をまとめようとするウェイン。そして無事に帰れればと冗談めかして笑うグルネイル。
喋りながらの走行でも息一つ乱さない皆はさすがと言うべきか。
そうしてかなりの距離を走った後、坑道の前方に小さな光が差す。
「見てあれ! 出口よ!」
リリが喜びを露わにしてアーロの耳元で叫ぶ。
小さな指で指し示すのは暗闇の中で漏れる光。出口の光だ。
だが。
「止まれ!」
ケルクが止まり、振り向いて吠えていたことから何かを悟ったのだろう。ゲルナイルの鋭い一声で皆が脚を止める。
そして頭上を睨む彼の言葉に従ったことは正しかった。轟音を立てて坑道の壁が崩れ、岩石流が発生したのだ。
ごろごろと巨大な岩石が転がり落ち、進路が、出口への道が塞がれ光が遮られる。さらに、揺れによって坑道の天井が剥離して崩落する。
その土砂崩れのような岩石流は、立ち止まり固まっていたアーロたちへと襲いかかった。
「うおぉぉぉぉっ!」
迫り来る岩石にゲルナイルは吼え、手にしていた大鎚を振り抜きぶち当てる。屈強な彼が握る大鎚はその威力を存分に発揮し、大小の岩石を粉々に打ち砕く。さらには岩を食い止め、押し留める。
「おらぁぁぁぁぁ!」
アーロもまた吼え、削岩機を放り出してその身を白銀の燐光で包んでいた。彼は腰の戦鎚を引き抜き前に出る。《守りの力》によって増大した力で以って岩石を砕き、また弾き飛ばした。
無手のグルネイルは大きな体でウェインやアビゲイル、ケルクへと覆い被さり、小さな岩石や砕かれた破片から皆を守る。彼が守り二人が矢面に立ったことでひとまず岩石流は食い止められ、崩落をやり過ごした。
「無事かのう!?」
「なんとかね!」
「ボクも大丈夫!」
「おやっさん! あの塞いでる岩を!」
「おう! 任せろ!」
再びゲルナイルが吼え、振りかぶった大鎚により通路を塞ぐ大岩を叩きヒビを入れていく。大鎚の数度の殴打により大岩は見事に砕かれ、坑道に光が指した。
「出るぞ!」
ゲルナイルの一声により皆が走り出そうとした瞬間。
今までにない大きな揺れが発生した。
「来るか!」
「またかのぉ!」
「いや……違うぞ!」
ゲルナイルやグルネイルは思わず頭上を睨むが、アーロは違った。その足元、地下から響く音と震動を感じとっていたのだ。
そして。
ぐばっ、と、地面が割れた。
天を向いた蛇が大口を開くように、坑道の地面が大きく割れた。揺れによる歪みに耐えられなくなった地層が断たれたように割れる現象、地割れである。
そして地割れは、固まっていたアーロたちを分断するように現れた。各々が足元を見、開いた地面、口を開けた暗闇に呑まれぬように飛び退く。
出口へと向かっていたゲルナイルやグルネイルは進行方向の前へ。アーロやアビゲイルは後ろへ。そして中間にいたウェインは、どちらにも跳べなかった。
「──え?」
「ウェイィン!」
「ちょっ! お兄さん!」
姿勢が崩れ、ぐらりと傾き落ちていくウェインの体。だが咄嗟に駆け出したアーロは地割れによって生じた絶壁から身を投げ出しつつ、ウェインを突き飛ばした。
外套を掴んでいたリリが振り回され、さらに地割れへ身を投げ出したことを正気かと悲痛な叫び声を上げた。
「ぐえっ!」
「掴まれ!」
「ほれ早く!」
加減もなにもなく思いきり突き飛ばされたウェインは、ゲルナイルらが立つ側の岩肌へ叩きつけられた。そのまま掴まれ手を貸され、なんとか引っ張りあげられる。
突き飛ばした反動により、アーロもまた背後へと飛んでいる。身を投げ出しながらウェインを押し出した彼は、そのまま四つん這いになるようにして着地を決めていた。
激しい動作によって外れたゴーグルが、地割れによって現れた暗闇へ落ちて消えていく。カーン、カーンッと数度壁に激突し跳ねるゴーグルはあっという間に闇に呑まれ見えなくなった。アーロは上半身をほぼ丸々絶壁から乗り出した形になる、ぎりぎりの着地だ。
「アーロッ!」
「お兄さん! ふぬぅぅぅぅ!」
「すまん! 助かる!」
リリがアーロの服を掴んで羽ばたき、ケルクがブーツをくわえて引っ張り、アビゲイルは上半身を持って引きずり、ずるずるとアーロを引き上げた。
礼を言って立ち上がるが、眼前には大きな空間。地下に現れた崖とも言えるほどの隔たりが、ゲルナイル達とアーロ達とを分断していた。
「毛無の! 飛べ!」
「無茶言うな! この距離を飛べるかっ!」
ゲルナイルが焦った顔をしてこちらへ飛べと促すが、地割によって現れた崖との間は遠い。今もなお地面が震動し、少しずつ距離が開いているとも思われた。
「アーロっち! アビィ! 退避所へ!」
間一髪、地割れに呑まれるところを助けられたウェインは脚を切ったかぶつけたか、怪我をしたようだ。グルネイルに支えられ片足を庇い立ち上がりながら退避所へ行けと叫ぶ。
退避所。こういった事態が起きた際に逃げ込める場所だ。
「……アビゲイル! 退避所へ向かえ! 後で助けに行く!」
「は、はい! 親方!」
ゲルナイルもまた退避所へ行けと指示を出す。揺れはまだ続いており、再度崩落や地割れが起きないとも限らない。彼らにとっては出口がすぐそこだが、アーロ達にとってはひどく、遠い。
「リリ! 向こうへ飛べ!」
「嫌よ! お兄さんと一緒にいる!」
「……そうかい!」
外套にしがみついていたリリに対してウェインの元へ飛べと言うが、聞かない。その表情から頑として動かないという意思を感じたアーロは勝手にしろとばかりに外套を翻し踵を返す。
そして放り出していた削岩機を担ぎ直し、アビゲイルとケルクに先導を依頼する。
「アビィ! 退避所へ案内してくれ!」
「この近く、えっとえっと……」
「鉱夫なら道を覚えろ! 緑色の蛍石を辿れ!」
「は、はい!」
焦りながら道を思い出そうとするアビゲイルに、ゲルナイルの叱責が飛ぶ。
「行くぞ!」
「緑、緑、こっち!」
「またのぉ!」
「みんな無事でね!」
「毛無の! 頼んだぞ!」
崩落と震動の轟音にかき消されるような声を背にアーロとリリ、アビゲイルとケルクは坑道を戻り、退避所へ向けて走り出した。
揺れは続き、坑道のあちこちが崩れ出す。出口から漏れる暖かな光ではなく、闇に浮かぶ蛍石の明かりを辿るようにして、アーロたちは地下へ潜る。
目指すは、鉱山の退避所である。




