鍛造工房での約束
コーンコーンという音が、岩食族の村に響いている。
その音を遠くに聞きながら、アーロは静かにアビゲイルの様子を見つめていた。
二人がいる小屋もまた、岩食族が仕事をこなす音が響いている。しかしそれは外のものよりも近く、キンキンという甲高い金属音である。
二人は今、工房とも呼ばれる狭い小屋にいた。
岩食族の家には必ずある、鉄を鍛え物を作り出すための空間だ。
見つめられることを気にしていないように、アビゲイルはただ静かに鎚を振るう。何度も何度も。手元の赤熱した鋼鉄を叩く度に火花が飛び散り、薄暗い小屋の中を少しだけ照らす。
はぁ、という彼女の呼気さえ聞こえるような静かな空間。鉄と向き合う時間。幾度か鎚を振り下ろし、赤熱する鋼鉄の温度を感触で確かめてから、彼女は鋼鉄を炉に入れた。
そして炉にて熱される鋼から眼を離さずに、彼女はふと思い付いたように口を開く。
「昨日はごめんね。ボク、つい夢中になっちゃって。鉱山に入る機会なんてなかなかないからさ」
そのつぶやき声が己へ向けられているとはすぐに気がつかず、アーロは反応が少しだけ遅れた。
「あぁ。気にしなくていい。夢中になるものは人それぞれだし、いいことだと思うぜ」
森林世界で長耳に夢中になり同じように人の話を聞かず暴走した経験があるアーロとしては、理解できる感覚だ。
アビゲイルはそれを聞くとほっとしたように息を吐き、また眼付きを鋭くして熱される鋼鉄を睨む。
先日に入った鉱山にて手に入れた鉄鉱石は、ひとまず精錬所へと提出された。そこでは男衆が鉱山から掘り出してきた鉱石を女衆が運び込み、巨大な溶鉱炉でもってさまざまな純塊へと精練しているのだ。
女衆も不要な金属製品を再度利用するために溶鉱炉で溶かしたり、アビゲイルのように変わり者が鉱石を見つけてきては精練してくれと頼むのだが、不公平を避けるために溶かす素材の量や質によって一定量の純塊を先に受けとる仕組みになっている。
主にウェインやアビゲイルが掘り出した鉱石は今朝に提出してすぐに査定が行われ、受け取った鉄純塊が山のように小屋の脇に積まれている。しかし今まさにアビゲイルが鍛造して仕上げているのはもとの素材が別の物である。
「ボクら女衆は、鍛冶が仕事さ。男衆が掘り出してきた鉱石を溶かし、道具に変える。あとは修理とか改造も仕事の一つ。男衆は一度山に入るとなかなか出てこないから、適度にやる家事以外は日がな一日こうやって鎚を振るってる時もあるよ」
アビゲイルは炉に入れた鋼鉄の光り具合で温度を見極めると、引き出して再度鎚で叩き始める。
鎚が叩きつけられる度にキーンという澄んだ音を立てて火花を散らす赤白い鋼鉄と、炉の炎と飛び散る火花に照らされるアビゲイルに、アーロはしばし見入る。
無言で真摯に鉄と向き合う姿は、そのまま彫刻や絵画に納めたくなるくらいに幻想的であった。
「……これはもともと、ボクが小川で見つけた鉱石を集めて受け取った鉄なんだ」
アビゲイルが口を開くのは、鋼鉄を炉に入れて温度を上げる間だけだ。それ以外は無言で鋼を見つめては鎚を振るっており、話しかけるのもためらわれる程に真剣である。
彼女がこれ、と指すのは今しがた打っている鋼鉄のことだろう。既に完成間際のそれは、反りのない短剣、いわゆる短刀のような形をしていた。アビゲイルが腰に下げていた物と同様の形である。
「磁鉄鉱……磁石で砂鉄を集めたり、ケルクと一緒に探しては集めて地道にね。純塊一つ貰うのにも一苦労なんだ。だから昨日はあんなに鉱石が掘れて興奮しちゃって」
「岩食族の女衆は皆、鉱石を探すのか?」
「まさか。夫が掘ってくる物を受けとるか、独身のうちは父親や親戚が掘った分を分けてもらうんだよ。ボクはほら……。父親とちょっとあってさ」
あはは、と空元気のように笑うアビゲイルによると、父ゲルナイルと彼女の仲はあまり良くないらしい。
女でありながら鉱山仕事を志す変わり者。それが岩食族の村でのアビゲイルの印象だという。
あまりにも頑固で鉱山で仕事がしたいと考えを曲げないため、ある時に父ゲルナイルから「ではお前を男として扱う」と宣言され、自分の使う鉱石は自分で手に入れろ、と分けてもらえなくなったのだ。掘った鉱石を分け与える娘ではない、ということである。
そして女衆としての仕事、鍛冶の腕前も鈍らせることは許さないと厳しく言われている。
なのでアビゲイルは鍛冶の修練の間を見つけては山に続く小川で鉱石を探し集め、素材に換えてはまた鍛冶の腕を磨いているのだという。
「親父さん、厳しすぎないか?」
「そうかもね。案外、ボクが折れて諦めるのを待ってるのかも。頑固者だからさ、お互いね」
薄暗い小屋のなかでアビゲイルは寂しげに笑う。
しかしすぐに表情を引き締め、炉から赤熱した鋼鉄を引き出してまた叩き鍛える。
「ボクも頑固だから、考えは曲げないよ。いつか認められるくらいに鍛冶の腕を上げて、そのうえで鉱山仕事もやってみせる」
「そうか……。じゃあ、今のうちに鉱石をたくさん掘らないとな」
「ん……。そうだね。明日もよかったら鉱山へ入ろう」
よろしくね、とアビゲイルはそこでやっと笑った。
その後はお互いに無言である。キーンという鎚を振るって鋼を鍛える音だけが小屋に響く。
「……よし」
やがて、アビゲイルは小さく頷くと鋼鉄を炉に戻す。そして炉の炎の温度を見つつ、魔晶石を数粒掴んで中へと放り込んだ。
一瞬で火力が増し、薄暗い小屋の中が少しだけ明るく照らされた。
「それ、魔晶石はよく燃えるんだな」
「言ってなかったっけ? 食べる以外にも燃料に使えるんだ。昨日の魔晶機関の内燃機関も魔晶石のおかげだよ」
「あぁ。ウェインは魔晶石中の自然エネルギーが放出される際に起きる構造崩壊と分裂反応がどうのこうのと騒いでたな」
「なにそれ……。ボクらが魔晶石を食べて動くと暑くなるのと一緒だよきっと」
軽く言ってのけたアビゲイルはさらに炉へ魔晶石を投入し、その火力はどんどんと上がっていく。
高温によって赤熱というよりも白熱し始めた鋼鉄を眺めながら、アビゲイルは再度思いついたように口を開く。
「そういえば、ウェインは?」
「あいつは朝からお向かいの、なんとかって女の人と楽しそうに削岩機を分解してたぜ」
「あぁ、きっとマルフェイルだね。彼女は特に削岩機とか機械工学に詳しいから適任かも」
「アビィは違うのか?」
「ボクは何でも手を出してる感じかな。鉱山仕事するために削岩機の修理も覚えたし改造したりもするけど、専門じゃないんだ。恥ずかしいけど、器用貧乏と言うか……」
「……いいだろ。それも個性だぜ」
「ふふ。ありがと」
可笑しそうに笑うアビゲイルは白熱した鋼鉄を炉から取り出すと、桶に入れた琥珀色の液体へと一気に沈めた。反りが出来ぬよう、垂直に入れる。
気泡が発生しては消えるじょぼじょぼというなんとも言えぬ音が鳴り、水分が飛ぶきゅーという奇妙な音も小屋に響いた。
「熱した鋼鉄は蜂蜜に入れて急冷する。焼き入れ処理だよ」
「ほう……蜂蜜か」
「これは食べられないからね。よし、と」
焼き入れ処理によって硬度を増した鋼鉄を取りだし、アビゲイルは丹念に眺める。
まだ粗研ぎもしていない黒い板のような鋼だが、真っ直ぐ打ち鍛えられたそれは不思議な頼もしさを備えていた。
「割れなしひびなし歪みなし。ふぅ」
急冷したとはいえまだまだ温度の高い鋼鉄をアビゲイルは小屋の隅まで運び、一角にある小さな祠のような台に乗せた。
「これで自然に冷めるのを待てば終わりだよ」
「ここまで長くかかるんだろ? お疲れさん」
「鋼材からの鍛造だからね。母親に相鎚を貰っても時間はかかるよ」
「凄いもんだな。ほら、この鎚も重いんだろ?」
「あっ!」
アーロは何気なく置かれていた鎚を手に取ろうとするが、指が触れる寸前でアビゲイルによって阻まれ、その小さな手によって指が握り込まれる。
「触らないで。その、悪い気が道具に入るから」
「お、おう。すまん」
「……ごめん、説明してなかったね。ボクら岩食族は鎚に想いを込めて道具を作るんだ。だから皆自分だけの鍛冶具を持ってる。込める想いがばらつかないようにね」
「想い……」
「そう。ボクらは創るものに想いを込める。剣ならよく切れるように。鎧なら人を守るように。機械なら壊れないように。そして強い想いを込められた物には命が宿るんだ。この命っては生命じゃなくてもっと概念的な──」
「ふむふむ」
アビゲイルから鍛冶について何らかの説明が成され、それを聞いてはいたが、今ここに限りアーロの関心は別にあった。
日常的に鎚を握るとは思えない程に柔らかい彼女の手のひらに包まれた感触に感心しつつ、むにむにと手を揉んでいたのだ。
「──あっ。手、手を離してよ……」
「ん、あぁ。すまん」
饒舌に話すうち、自らがアーロの手を握っていた事、そして揉まれていたことに気がついたのだろう。アビゲイルは慌てて手を離すと照れを誤魔化すように腕をぶんぶんと振った。
「もうっ! ボクの話聞いてた? ちゃんと文化とか調べてよねっ!」
「聞いてた聞いてた」
「ほんとかなぁ……」
少しだけ赤い顔をしたアビゲイルが胡散臭げに見やるが、そこで小屋の扉が勢いよく開かれる。
そして、背丈の小さな女性がひょいと入り込んできた。
「アビィ。調子はどうかしら?」
その少女のような人物は、アビゲイルの母親フィルヘイルであった。
アーロは彼女とはこの工房に来る前に一度顔を合わせている。やたらと明るく元気な印象があった。
薄暗い小屋の中で向かい合い何やら話し込むようなアビゲイルとアーロを眼にしたフィルヘイルは、しまった、と小声でこぼし顔を綻ばせた。
「あらあら、お邪魔だったわね?」
「そ、そんなことないよっ!」
「そう? お母さん出直そうか? その間に二人で共同鍛造作業みたいな? うふふ。私も昔を思い出すわぁ」
「お客さんを前に変なこと言わないでってば!」
根がお喋りなのか、勝手に話し出してアビゲイルに口を閉じろと押さえられるフィルヘイル。二人は親子であるはずだが、背丈や見た目の年齢は同程度に見え、傍目には少女が二人じゃれ合っているようにしか見えなかった。
「アーロさんもありがとうね。この子ったら昨日は鉱山での出来事に興奮しててずっと話しっぱなしだったのよ。うふふ。きっといいことがあったのね?」
「鉱石のことだよっ! それよりっ! 鍛造が終わったよ!」
恥ずかしげなアビゲイルが誤魔化すように声を荒げれば、フィルヘイルは笑顔のまま眼をすっと細める。
「見ましょう。どれ?」
「……こちらです。お願いします」
鍛造品の品定めを行うのだろう。二人ともが纏う雰囲気が、変わった。
背丈は小さいが熟練の職人のような雰囲気を醸し出すフィルヘイルは示されたもの、小さな祠のような所に置かれた出来上がったばかりの鍛造品、短刀を様々な角度から眺めた。
やがてふぅむと腕を組み、期待を込めて答えを待つ娘に対して残念そうに告げた。
「三点」
「うっ」
「十点満点で三点です」
「……はい」
「筋は悪くないわ。私の娘だもの。だけど想いが足りません。もっと使う人の事を考えて打ちなさい」
「わかりました……」
点数を聞けばアビゲイルは眼に見えて落胆し、それでもフィルヘイルは追求を止めなかった。
「分かってないわね。アビィ。あなたはこの鋼に何を込めたの?」
「それは、壊れないように。折れないように。です」
「使う人の事は? 何も考えてないでしょ?」
「それは……。使う人の事なんて、分からないです」
アビゲイルは俯き、小さな体はさらに小さくなる。
誰もボクの物なんて使わないし、という消え入るようなつぶやきが漏れたことを、アーロは聞き逃さなかった。
「……もっと考えなさい。強い想いは鋼に命を宿すわ。それができたら一人前よ」
「……はい」
「さ、これでおしまい。次も頑張りなさい」
ひとしきり助言めいた事を告げたフィルヘイルは、場の雰囲気を変えるように明るく告げた。そして、仲良く片付けなさいよーと笑いながら工房を後にする。
薄暗い小屋には、アーロとアビゲイルが残された。
「この短剣。どうするんだ?」
「ん……。研いだらボクが使うよ。頑張ったんだけどなぁ」
「ふむ……。俺に貰えるか?」
「え?」
アビゲイルは驚いたように顔を上げる。
「本気? 三点だよ? ただの鋼だよ?」
「点数はどうでもいいだろ。ちょうど短剣か懐刀が欲しかったんだよな」
「えぇ、そんな……。だめだよ……」
なにやら急に慌てふためくアビゲイルは、やがて決心を決めたように背筋を正し、アーロの眼を真っ直ぐに見つめて告げる。
「ごめん。これは渡せない」
「……そうか」
「だけどもう一振り、打つよ」
見上げるアビゲイルの瞳は、決意に満ちていた。
「少し待ってて。ちゃんとしたやつ。アーロの体格に合わせた短剣を作るよ。自信はないけど、やってみる」
「そっか。ぜひ頼むな」
「まっかせてよ! それならまずは形とか決めようか。大きさや用途も欲しいな!」
「おぉ、そうだな。肉厚で頑丈、適当にぶん回しても折れないやつ」
「なるほど……それなら──」
武器の事になるとこだわりだすアーロと、何かしらを作るという事に一切妥協しないアビゲイル。
二人は楽しげに工房で図面を引き、鍛造する武器の形状はどうするか、握りはどうするかなど細かな事について夜まで話し込んだ。
ちなみにアーロはフィルヘイルから夕食に誘われたが、硬すぎて噛めない岩石芋の丸ごとサラダと強烈な苦味が特徴である洞窟人参の揚げ物に岩蛇の串焼き、質の良い魔晶石というメニューを聞いたため、心を鬼にして辞退した。
苦を労せず食べられる物、または美味しくいただける物が岩蛇の焼肉しかなかったためである。
こうした食生の合わない世界もあり、交流に苦労することもあるのだ。
〈工房での約束〉イベントをこなしました。
アビゲイルの好感度が2上がりました。
雑感
鍛冶屋のお約束ということで、イベント発生です。
あまり鍛造について詳しくするとボロがでるのでこのへんで……。
銀のバングルを鍛造しようとした事はありますが、心が折れました。金属って超硬いんですもん。
錫での鋳造はなかなか上手く出来るんですが、この技能は人生において有効活用する機会がないですね。




