蛇神の体内へ
山岳世界へ異世界調査団が足を踏み入れて三日目。
一行は岩食族のアビゲイルに連れられて鉱山を案内されていた。
「えらい目にあったぜ……」
「うえ。まだお腹がぐるぐるしてる」
先日食べた魔晶石によるものか、アーロとウェインは一日腹を壊して倒れていた。
山岳世界の岩食族が普段食すものは神眼世界の者には合わないようである。勧められても口にしないこと、と異世界の調査報告書へ記載されることとなるだろう。こういった食生が合うかどうかを身をもって調べるのも調査団の仕事のうちである。
「だらしないわね! あんなに美味しいのに!」
「大丈夫? 体調悪いなら出直すよ?」
反面、妖精のリリは平気そうな顔をしている。不思議生物である妖精は人とはまた違う消化器官や代謝の仕方をしているのだろう。
そして心配そうにするのは岩食族のアビゲイル、共に歩く犬精霊のケルクもきゅーんと悲しそうに鳴いている。
「いや、大丈夫だ。案内してくれ」
「もう僕らからは何も出ないよ……」
「そう……。鉱山の中には休憩所とかトイレもあるから、無理しないで言ってね」
困ったら言えと体調を慮るように話すアビゲイルに対して、アーロもウェインもげっそりとした顔で応えた。
本来であれば交流に使用するはずの貴重な一日を、天幕の床で腹を抱えながら呻いて過ごしたのだ。これ以上日を無駄には出来ないし、神眼世界の者たちが軟弱であると捉えられることは避けたかった。
それはさておき、鉱山の案内である。
アビゲイルが道すがら語る説明によると、岩食族は山に穴を掘り、ある程度拡げたら地下へ地下へと掘り進んで行くのだという。
山一つを丸々掘り崩していく露天掘りではなく、穴を掘って鉱脈を探しつつ掘り進めていく坑道掘りという堀り方だ。
世界のどこかに埋まっていると信じられている大蛇神ワールグランズの心臓を探すというその使命に従い、山々の中は縦横無尽に掘り進められて坑道は迷路のように張り巡らされているのだが、その中で迷わずに道を進むこと、さらに鉱脈を見つけ出す際に役に立つのは岩食族の相棒、毛深い狼のような犬精霊である。
彼らは鉱石、特に魔晶石を好んで食べる。さらに鼻が良く、鉱石の匂いを嗅ぎ分けることができるのだという。さらには稀に発生する有毒ガスの検知や暗闇に潜む外敵の察知まで手広くこなす。
明かりではなく匂いで物を認識する犬精霊は、もともと暗い穴倉で生活を行っていた犬種である。
今もまた犬精霊のケルクは暗い坑道を先導し、時おり立ち止まっては地面や壁の匂いをふんふんと嗅いでいた。
「鉱石の匂い、なぁ」
「なに? 信じてないの?」
「そうじゃない。変わってるな、と思ってな」
尻尾を振って先を歩くケルクの後ろ姿を眺めつつ、アーロは感心したように腕を組む。
犬は鼻が良いとは言われるが、果たして無機物である鉱石の匂いなど感じ取れるのだろうか、と半信半疑ではある。しかし異世界を経験したことで彼の思考は柔軟性を増している。そういう世界で、そういう生態なのだ、と納得するしかないことを分かってきたのだ。
「この毛むくじゃら、あの石を食べるんでしょ! 不思議ね!」
「不思議なのは妖精も似たようなもんだけどね」
「あはは。妖精さんも気に入ってくれたみたいでよかったよ。魔晶石はボクもケルクも大好きなんだ」
名前を呼ばれたためか魔晶石という言葉を理解しているのか、先を行っていたケルクが立ち止まり、耳を立て尻尾をぶんぶん振りながらわふっと鳴く。
ほらね、とアビゲイルはウインクをしながら懐から魔晶石を一粒取りだして放ると、ケルクはそれを口でキャッチしばりっと噛み砕く。満足そうにペロリと口元を舐める姿に皆は頬を緩めた。
魔晶石を物欲しそうに眺めていたリリにも一粒を手渡したアビゲイルは外していたマスクとゴーグルを装着し、待てと命じたケルクの荷帯の袋から同様の物を取り出してアーロとウェインへと手渡し、革の手袋などもついでと配っていく。
そして己は腰帯をはめ、そこに並んだ数本の投擲用の短刀の具合を確かめた。
「そろそろ装備を着けてね。男衆の子供用だけど、大きさの調節ができるから」
「これは……。マスクとゴーグルか。かっこいいな!」
「なんかわくわくするね!」
アビゲイルから手渡されたのは顎や首もとをしっかりと覆う革製のマスクと、こめかみ部分に蛍石が埋め込まれ視界を確保できる武骨なゴーグルである。
それを手にして男心が刺激されたのか、いそいそと装着する二人。
「ウェイン、なかなか似合うな。いかつい暗殺者みたいだぜ」
「アーロっちこそ、格好いい変質者みたいだよ!」
「よせよ……!」
「照れるじゃん……!」
腕までを覆う革手袋と首もとや顔全体を隠すマスクとゴーグルを装着したアーロとウェインは良く分からない誉め合いを行い、笑いながら互いの拳をぶつけあった。
「どっちもかっこいいわね! ねぇ私のは?」
「さすがに合うサイズがないよ……。キミたち、仲がいいんだね」
各々が好き勝手に振る舞う緩い雰囲気に呆れたようにつぶやくアビゲイルであった。といっても、マスクとゴーグルに遮られて表情は窺えないが。
「ほら、気合入れてよね。これから鉱山の上層……《蛇神の表皮》に入るんだから」
くぐもった声を出すアビゲイルだが、はしゃぐアーロとウェイン、リリは聞いちゃいない。
ため息をつくアビゲイルを労うように、ケルクがわふっと小さく鳴いた。
◆◆◆◆◆
山岳世界には、二つの地層が存在する。
一つはただの土、石や砂が固まって形作られた地層だ。これらは世界中に広く分布しており、山々のいくつかはただの山である。
古くから岩食族はこうした山に穴蔵を掘り生活していた。
もう一つは、蛇神の体の一部と考えられている地層だ。
この地層は驚くことに、再生する。
非常にゆっくりとした速度ではあるが、掘られた坑道などは少しずつ岩肌が盛り上がり、いつしか埋まってしまうのだという。
主に地下深くに見られる地層であり、大蛇神ワールグランズの体から作られた世界、そして大蛇はまだ生きていると信じられているのはこうした不可思議な現象によることも要因のひとつだ。
岩食族には、あらかた掘り尽くして放置され数十年間手付かずだった坑道が完全に埋まったという記録が残されている。
さらにそこを再び掘り返したところ、新たな鉱脈が存在したというのだ。
大蛇神の体、大地を傷つけて掘った穴はさながら傷を癒すように塞がり、新たな恵みをもたらすのである。
「ボクらの体が傷にかさぶたを張って治すように、傷ついた部分を蛇神は治してるんだ。その副産物にいろんな鉱脈が含まれるってわけ。かつて大蛇神ワールグランズは世界のすべてを呑み込んで腹に収めたから、その身には世界のすべての物が存在すると考えられているんだよ」
したり顔のアビゲイルの説明によれば、鉱山の上層は《蛇神の表皮》、地下深くは《蛇神の内腑》、さらに深くは《蛇神の神髄》と呼ばれており。地下深くへと進むにつれて稀少な鉱物を含んだ地層となるのだという。
さらに蛇神の心臓はずっとずっと地下深くに埋まっていると考えられ、岩食族は今もなお地下を掘り進んでいるのだ。
「でもさー。坑道は再生して埋まっちゃうんでしょ? 地下深くは危なくないの?」
「もちろん。岩が盛り上がって再生するのはとても長い時間がかかるんだ。少し狭くなったかな、って思ったら穴を拡げればいいし、ボクらは坑道の全体を把握しながら計画的に掘ってるんだ。内緒で掘った穴じゃなければ定期的に見回りして埋まらないように管理してるよ」
当然、とばかりにアビゲイルは答える。
またあまりにも軽微な傷、穴は放っておかれるかのように再生が遅いとのことだ。そうでなければモグラやミミズなど、地中に住む生き物たちが埋まってしまうことになる。
そして地下の全てが再生する蛇神の体というわけでもなく、斑のように通常の地層も点在しており、そういったところには休憩所や退避所が設けられている。腹の調子が悪ければアビゲイルが案内するといったのはそうした休憩所のひとつだ。
「さ、お喋りはこれくらいにして。行こう。ケルクが先導するからね」
「うっし。よろしくな」
「地下の探検……楽しみだね」
「大冒険よ!」
洞窟探検だとはしゃぐ一向に対し、任せろと言わんばかりにわふっ、とケルクが鳴いた。
アーロが何気なく置いた手の付近に、ウェインの放ったクロスボウの矢が突き立つ。
「アーロっち、指のとこ」
「……助かる」
機構を操作してクロスボウに次弾を装填するウェインが小声でつぶやく。矢が突き立った己の指先を見てアーロは礼を述べた。
その付近に、矢にて壁に縫い止められた小さな蛇がいたからだ。
「岩蛇には咬まれると痺れる毒があるから気をつけて、っと!」
アビゲイルが喋りつつも腰帯に留めた鞘から短刀を抜いて投擲すれば、アーロの脚を掠めて足元に忍び寄っていた岩蛇が貫かれる。
「かすったぞ!」
アーロもまた天井から降ってきた太めの岩蛇をタイミングよく振り抜いた戦鎚で弾き飛ばし、床に叩きつけられた岩蛇の頭部を片手斧ではねた。
敵の匂いを感じ取りがるると唸っていたケルクが静かになり、一行はようやく緊張を緩める。
「ふふん。ちゃんと仕留めたでしょ。お礼は?」
「……ありがとよ。しかし、数が多くないか?」
「さっきから蛇ばっかりね」
居心地が良かったのか、羽が生えてもアーロの外套のフードに陣取ったリリが漏らした感想に、皆が同意する。
《蛇神の表皮》に入ってからというもの、散発的に岩蛇の集団と遭遇している。それもまだ幼成体のような小さな個体ばかりとだ。
「うぅん。普段はこんなに出てこないはずだけど。それも小さな個体ばっかり……」
岩蛇とは、その名の通り山に生息し石を食べる蛇の一種だ。
卵から生まれた時は指先ほどだがその体の大きさに上限はなく、長い年月を経て岩食族の男を丸呑みできるほどに大きくなったもの、眉唾物だがかつて山一つを丸ごと呑み込むほどの大きさを誇った個体がいたとも言い伝えられている。
かつて朽ちた大蛇神の体から生まれた生き物の一つであり、何でも食べてしまうその姿から大蛇神ワールグランズに連なる生物であると考えられている。
普段は地表や自然にできた岩の割れ目などで暮らし、小さな個体は虫や小石を食べて成長する。個体の大きさによって効き目の変化はあるが牙に麻痺性の毒を持ち、獲物を弱らせて動けなくしてから丸ごと呑み込むという豪快な生態であり、その消化器官は強靭で胃液は岩をも溶かす。
地下、特に蛇神の体と考えられている地層に多数生息してはいるが、食性がかぶるとすぐに食べ物が無くなって飢えるためそれほど数は多くなく、今のように複数の個体が群れを成して移動しているという状況は稀である。
生態を知っているアビゲイルはなぜこうも頻繁に多数の岩蛇と遭遇するのかと首を捻るが、生物の行動を予測はできないだろう。
《蛇神の表皮》と呼ばれる地層の坑道は長く、そして広かった。
上背も横幅もある岩食族の男衆が進むための穴だ。岩肌を掘り削り取っただけだが、アーロやウェイン程度の体格ならば横に三人並んでも余裕な広さだ。天井も高く、そのため岩肌に張り付いた岩蛇が上から降ってくることさえあった。
「岩蛇のことは気になるけど、進もう。採掘場はもうすぐだよ」
油断ならない道程であったが一行が警戒しつつ歩けば不意に道が開け、地下にある巨大な空間に出くわした。
「わぁ……!」
アーロの外套のフードに陣取ったリリが、高い天井を見上げて感嘆の声を上げる。
蛍石の明かりがあちこちに掲げられ、照らし出されるのは巨大な空間だ。
切り出した石を積んで作られたと思わしき小屋がいくつも立ち並ぶ区画や、湧いた水場を深く掘り風呂のようにした場所、大きな体の男衆が皆でくつろぐ共用スペースには酒樽と思わしき樽や魔晶石が詰まった木箱が山のように積まれていた。
地下にあるとは思えない、ここで生活が可能なほどに充実した、ひとつの村のような空間である。
そして大きな体格の岩食族の男衆がなにがしかの機材を抱えてはあちこちを出入りし、酒を飲み魔晶石を噛み砕いては喧しく騒いでいる。
「すごいでしょ? ここが男衆の仕事場、採掘場と、ここらでは一番大きな休憩所だよ」
ぽかんと口を開けて眺めていたアーロやウェインに対して、アビゲイルは誇らしげに告げた。
<ドキドキ地下探検>イベントをこなしました。
アビゲイルの好感度が1上がりました。
《岩蛇》
山岳世界の生き物。
その牙に麻痺性の神経毒を持つ。強さは個体の大きさ(毒腺の作り出す毒の量)による。
体の大きさに上限はなく寿命も長く、どこまでも大きく成長する。
岩食族の男衆が毛むくじゃらなのは、この岩蛇に噛まれても肌まで牙を通さないため。
女衆でお肌つるつるのアビゲイルはだぼだぼの革製ツナギや革手袋で肌を防護している。
雑感
マスクとゴーグルって何とも言えずカッコいいですよね。
お洒落でマスクやゴーグルをつける世界にならないものか……。




