表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
63/104

幕間:家出少女たち

ブックマークが100件超えて狂喜乱舞したので書きました。

幕間は終了と書きましたが、嘘でした。怒られてきます。

「フェミ。家出しよ?」


 ある朝のことである。

 眼帯少女のフェミは、アマデウス救済院の子供たちの中でも年長者であるニーナから声をかけられた。


「え? 家出?」


 しかしいきなり持ち掛けられた話に、訳がわからないとばかりに小首を傾げる。

 ちなみに、フェミがとニーナが出会った頃は過酷な労働環境と地獄のような生活によって精神が擦れており蓮っ葉な口調と冷めた思考であったが、アマデウス救済院に保護され優しい皆に囲まれての生活によって年相応の明るさと賑やかさを取り戻しているのだ。

 それはともかく、今はニーナの誘いである。


「そう、家出。今日行こうよ」

「急だね……。行く宛はあるの?」

「知らない。決めてない」

「知らないって、ニーナ。どうしたの?」


 すぐにでも出ようというニーナに対して様子がおかしい、何かあったのかと勘ぐりフェミは待ったをかける。


「アーロ兄さん、ルナ姉さんと結婚したよ」

「それは知ってる……けど」


 気落ちした様子のニーナの言葉につられ、やや残念に思いながらフェミも話に乗る。

 つい先日、皆の兄のような存在であるアーロがこれまた皆の姉のような存在、ルナと結婚したのだ。

 嫁取りの決闘の際には司祭トマスと激突するアーロの様子を二人は目撃している。その後見事にアーロはトマスに勝利し、ルナを嫁に迎えたのだ。


 そのことを考えれば、フェミも少しだけ胸が痛む。

 アーロ。兄と皆に呼ばれる男。会って間もないが出会いは強烈で、自らの窮地を救い希望をもたらしてくれた存在だ。

 またルナは何かと世話を焼いてくれており、新参のフェミを救済院の生活にすぐに馴染ませてくれたのは彼女の力によるところが大きい。

 聞けばなにやら二人の間には複雑な事情があるようで、二人のもつ不思議な結束力には理由があるのだと頷けた。

 少しだけ、少しだけ悔しいが、お似合いの二人。フェミはそう思っていた。


 しかし付き合いの長いニーナはフェミを遥かに上回る衝撃を受けているらしい。今も眼の下にはくまがあり肌は荒れている。相部屋でもあるので彼女が連夜、夜中に偲ぶように泣いているのをフェミは知ってもいた。


「アーロ兄さん結婚した。だから家出するの。行こう」

「ちょ、ちょっと! 話が繋がってないよ!」


 完全に瞳から輝きが失せたニーナをフェミは慌てて掴んで止める。

 そのまま一人外に出せば、入水自殺でもしかねない雰囲気だったのだ。


「落ち着こう? ね? 深呼吸して。はい」

「うん。すぅぅ、はぁ……うぇ、うぇぇぇん!」

「なんで!? ニーナ! しっかり!」


 深呼吸して落ち着いたニーナは号泣した。

 膝から崩れ落ちて泣き出す友達を、フェミは慌てて支える羽目になる。


「やだやだ! いやだぁぁ!」


 肩を貸されながら、ニーナは涙を流して嫌だと連呼した。


「いやだよぉ! アーロ兄さん結婚するなんてやだぁ!」


 わんわんと声を荒げて泣き叫ぶニーナ。

 二人がいる部屋はアマデウス救済院の宿舎の二階。ニーナとフェミの部屋だ。

 裁縫の練習をしていたところを訪ねられたために部屋に他の者はいないが、窓の外からは微かに庭で遊ぶ子供たちの声が聞こえてくる。 

 誰かに泣き声が聞こえてしまうのでは、とフェミは焦った。なんとなくだが、これは人に聞かれてはいけない話だと感じたからである。


「ニーナ、落ち着こ! アーロさん、いなくなる訳じゃないんだから」

「一緒だよ! 取られるもん!」


 結婚してもいなくなる訳じゃない。だから落ち着けと声をかけるが、さらに泣きわめくニーナ。


「だって、ルナ姉さんに勝てないよ!」


 その言葉を聞き、フェミの胸はちくりと傷んだ。


 確かに皆の姉のような存在、ルナは万能選手だ。

 料理、裁縫、掃除などの家事の腕前は高く、頭の回転も早いのか算術や祝詞の暗唱も上手い。

 さらにニーナやフェミは十二歳だが、ルナは十六歳である。早熟な女性だからか体つきはよく、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいる。これは風呂場で確認し愕然とした。

 つい先日からは首から提げた白銀の板を眺めては顔を綻ばせる姿を見せており、そこには同性であるフェミから見ても『美しさ』というものがあった。


 追いつこうにも相手の技能は遥か上を行く。

 さらに時間の流れは平等だ。体つきで同じ土俵に立った時には、相手は更に成長しているのだ。

 端的に言って勝ち目は薄かった。


「だからって、家出してどうするんだよ!」

「こ、告白するの! アーロ兄さんに私の気持ち伝える!」


 なぜかは分からないがフェミの感情も高ぶり、自然と語気は強くなった。

 半泣きにおさまったニーナの語るところによると、計画はこうだ。


 まずアマデウス救済院のどこかに置き手紙をして、抜け出す。家出をすると伝えるのだ。

 司祭トマスは烈火の如く怒るだろうが、幸いなことに今は腰を壊してベッドで養生中である。ルナやシスターも探しに出るだろうが、家の皆の面倒を見なければいけないだろう。

 そこでアーロの出番だ。脚も早く街の地理に詳しく体力がある。当然、探しに来てくれるだろう。


 見つけられた時には素直に謝る。だがアーロに言いたいことがある、とその場の勢いで気持ちを伝えようというのだ。

 救済院の中と違い外ならアーロも一人。ルナもおらず、気にしなくていい。

 ざっくりとそういった計画だ。


 十中八九怒られるし、ニーナがアーロに気持ちを伝えたところでどうにもならないだろう。

 しかし伝えることに意味があるのかもしれない。このままだと、不戦敗のうえに不完全燃焼だ。はっきりと伝えてさっぱりと終わるのもニーナにとって良いのかもしれない。

 フェミはどこか擦れた心があるため、俯瞰して物事を考えることができた。


「フェミも行くよね? 気持ち伝えるよね?」

「え? 私、は……」

「アーロ兄さんのこと気になってるよね? いつも眼で追ってるもんね? 助けられた時かっこよかったって言ってたよね?」

「言ったけど! そういうこといま言わないでよ!」


 全て事実だが改めて言われると気恥ずかしく、フェミはそれ以上言うなとニーナの口を押さえようとした。だが逃げられ、しばし睨み合う二人。


「フェミ、戦うの。ルナ姉さんと戦うのよ。やるの、やらないの?」


 泣き腫らしたニーナの眼はぎらついていた。叫んだことで心が据わったのか、闘志が燃えているのだ。

 まるで、いつかの時と逆だ。

 真っ直ぐ見据えられた眼をフェミの片眼が見返す。アーロに気持ちを伝える。そのための家出ならば、いいだろう。


「……やる」

「ありがとう。お昼になる前に抜け出すよ。準備して」


 賛同したフェミの肩を抱き礼を言ったニーナは、自らの机の下から袋を取り出す。

 その中にはいくらかのお金と置き手紙を書くための紙、そして護身用の短剣があった。




「どう?」

「人がいる。少し待って」


 アマデウス救済院と第三十六区教会の門を見据え、近くの物陰に身を隠したニーナとフェミはこそこそと会話を交わしていた。

 つい先日に教会自体がボロボロになったため、信徒たちにはあまり来なくていいと触れ回っている。そのため訪れるのは特に信心深い者や近所の老人たちなどだ。

 お昼時が近い時間帯ともあれば教会を訪れる者は少ない。幾分か待てば、人は通りすぎて辺りは静かになる。


「いい、かな?」

「ありがと。じゃあ、行くよ」


 貧民街スラム出身のフェミは隠れたり辺りを窺うことが得意だ。他者は危険。そんな環境で過ごした時の習慣である。


「ここからは走ろう。せーので出るよ。合図お願い」

「よぉし。せー、のっ!」


 ニーナの掛け声で二人は物陰から駆け出した。

 だが門から出ようというところで、飛来した何か(・・)に勢いよくぶつかってしまう。


「あだー!」

「きゃっ!」

「うわっ!」


 ぶつかった勢いではね飛ばされた何かは、可愛らしい声をしていた。

 声、声だ。誰かに見られた。ばれる。とニーナは胆を冷やした。


「あれ、君たち……」


 だがはね飛ばされて立ち直った何かは、二人にとって見知った顔であった。


「いたたぁ」

「ひどいの」

「前を見てよ」

「なんで妖精さんが?」


 そう。ニーナとフェミが門で鉢合わせしてぶつかったのは、アマデウス救済院に住み着いた(と皆が勝手に思っている)妖精たち。

 リリ、ララ、ルルの妖精旅団であった。



 ◆◆◆◆◆



「私たちさ、気がついちゃった!」

「最近、影が薄いの!」

「お兄さんも構ってくれないし!」


 というのは、妖精旅団のリリ、ララ、ルルの弁である。今日も三匹は仲良く一緒に行動している。

 妖精たちは最近お気に入りのドレスのような服装ではなく、動きやすそうな植物性繊維質を編んだような服である。

 ルルのみ護身用のためか、鞘に入った果物ナイフを紐で縛り背負っている。


「だからって、家出してどうするの?」

「決まってるじゃない! 心配してもらうのよ!」

「お兄さんに私たちのことを探してもらうの!」

「私たちがいないと寂しいって感じてもらう!」

「へ、へぇ……」


 妖精たちの返答にニーナは何とも言えない顔をする。

 そんなニーナをフェミはわざと見てやったが、気まずそうに眼を反らされた。


「いいんじゃないかな、うん」

「ニーナ……。妖精と思考が一緒だよ……」

「そ、そんなことない!」


 ニーナとしても思い当たる所はあるのだろう。否定するが、説得力は皆無であった。


 そんな二人と三匹が集まっているのは街なかにある国営の自然公園の一角である。足元には芝や草花が広がり、辺りには木の実の生った木々が繁っている。

 教会の門の付近ぶつかってしまったのだがその場で話し込む訳にもいかず、とりあえず当初の予定通りに救済院を抜け出して来たのだった。

 そして話を聞くに、どうやら妖精たちも目的はほとんど同じのようである。


「それで、妖精さんたちは何か残して出てきたの?」

「ちゃんと『探してください。緑のいっぱいあるところにいます』って置き書きして出てきたわ!」

「あぁ、そこは正直なんだ……。ニーナは?」

「『探さないでください。自然公園にいます』って置き手紙して……きた……よ?」

「ダメだよ……。みんな混乱するよ! どっちだよ! って言われるよ!」


 自信なさげに言うニーナに、フェミは思わず頭を抱えた。

 フェミ自身は読み書きがまだ十分にできないため、置き手紙についてはニーナに一任していた。本人が言い出すことなので何らかの思惑もあるのだろうと思ってだ。

 しかし妖精も同じように書き置きをしてきたことは予想外である。

 この妖精たち、能天気に見えて知能は高いらしく、模倣によって文字の読み書きをすぐに覚えてしまっていたのだ。


 探してください。

 緑のいっぱいあるところにいます。

 探さないでください。

 自然公園にいます。


 一緒に見つけられたら読む方も訳が分からないだろう。なにせ見事に内容が相反して被っている。

 ただのいたずらか、文字の書き取りの練習かな? と間違われて放っておかれる可能性もあった。


「ニーナ。帰ろう。今日は日が悪いよ」

「……や、やだ!」

「いや無理だよ。きっと誰も来ないか、アーロさんだけじゃなくてシスターも自然公園に来ちゃうよ。もっとこう、二人だけの秘密の場所みたいなのってないの?」

「ないよ! そんないい場所! いつもは救済院から出ないもん!」


 帰ろうと提案するフェミに、ニーナは嫌だ嫌だと反発する。

 普段の生活では子供たちはあまり救済院から出る用事はない。食料や日用品などは出入りする商人に定期的に届けてもらっているし、子供たちひとりひとりが外に出ると面倒が見切れない。迷子になったり人さらいに連れていかれてしまう可能性もある。

 それに救済院の外に会う人や行く宛があるわけでもない。ニーナが待機場所に自然公園を選んだのも、数度のみ皆で遠足に来たことがあり道を覚えていたためだ。


「なになに?」

「帰っちゃうの?」

「一緒にいようよ?」

「ほら、妖精さんたちもこう言ってるよ」

「ニーナ……。目的がぶれてるよ。邪魔されずに告白するって言ってたじゃん……」


 少しだけ不安なのか一緒にいようよと提案する妖精たちに乗っかり、ニーナもこの自然公園に居座るつもりなのだろう。

 もう一人で帰ろうかな、とフェミがぼんやりと考え出した、そのときだ。


「わぉ! 見ろよ!」

「妖精だぜ!」

「珍しいな。長耳と一緒じゃないのか?」


 ニーナとフェミ、リリ、ララ、ルルを取り囲むようにして男が現れて声を発した。その数、三人。

 風体ガラは悪く、妖精たちやニーナをじろじろと値踏みするようにして眺めている。

 フェミはなんとなく、嫌な感じがした。


「なにか用? 私たち、人を待ってるんだけど」


 しかしフェミは強気に言い張り、男たちを見返す。嘘ではない。そしてなんとか声は震えずに済んだ。

 しばらく前に男性によって酷い怪我を負わされたフェミは、大人の男が苦手であった。それも風体ガラのよくない、ごろつきのような男だけが苦手だ。いまも背に庇う妖精やニーナがいなければ涙で視界が滲み、膝が震えそうであった。


「おいおい! 眼帯だぜ」

「ひゅー! 格好いい!」

「お嬢ちゃん、妖精の保護者か?」


 気丈に言い放ったフェミでさえ男たちにとっては面白い相手のようだ。怯むことはなくからかうように声を上げ、一歩近づく。

 その下卑た眼線と声に、フェミの心臓は早鐘を打つ。


「そう警戒するなよ。話は聞いたぜ?」

「家に帰るんだろ?」

「送っていこう。危ないからなぁ?」


 男たちは半笑いでさらに一歩踏み出す。

 どうやら嫌な予感は、当たりそうだ。


「近寄るなっ!」


 フェミは叫び、腰の短剣に手をかけた。

 ニーナが用意した護身用の短剣を念のため腰に提げていたのだ。振り回したり傷つけたりはしないが、こうした時には役に立つ。


「なに、この人たち悪い人?」

「さ、さらわれるのっ」

「下がれっ」

「妖精さん! 固まって!」


 リリは能天気に首を傾げ、ララは怯え、ルルは背の果物ナイフを鞘から抜いた。

 その妖精たちをまとめるのはニーナだ。年長者として非常時には子供を固めて連れ出すことを言いつけられていることが、ここで活きた。


「物騒だな、お嬢ちゃん」

「落ち着けって、な?」

「お互い怪我したくはねぇ、だろ?」


 しかし刃物に手をかけての脅しにも男たちは怯まなかった。

 思わずフェミは辺りを見回すが、広い自然公園には残念ながら誰もいない。吹き抜ける風に足元の草がそよそよと揺れるのみだ。

 そして男たちはじりじりと近づき、掴むように手を伸ばし、脚に力を込め。


「おとなしくしろっ!」

「ひゃはっ!」

「妖精だ! 捕まえろ!」


 本性を現して飛びかかってきた。

 フェミは思わず身構える。この男たちは敵だ。


「あ……!」


 しかし脚はすくみ、片眼の視界はぼやけ、体は固まる。なんで! と自分でも驚く程体が動かなかった。

 そこに手を伸ばした男たちが迫る。


「来るなぁぁぁっ!」

「ぐぁ!」

「耳が!」

「こいつっ!」


 動きの固まったフェミを救ったのは、リリの大声だ。

 絶叫ハウリング・ボイス

 指向性を持って発せられた大音量の声は男一人の鼓膜を震わせ脳震盪を起こす。残る二人も思わず耳を押さえた。


「あ、もうだめ……」

「妖精さん!」


 大声を発したことでへろへろと力なく高度を下げたリリを、フェミが思わず手を伸ばして受け止める。危機には体が反応できた。


「走れっ!」


 また、ほぼ同時に発されたルルの掛け声で、フェミはようやく脚が前に出る。

 耳を押さえてのたうち回る男の脇をすり抜け、狭まっていた包囲を突破する。


「はぁっ!」

「づぁっ!」


 男の股の下をすり抜けざま、ルルは抜き放った果物ナイフで男のくるぶしを勢いよく斬りつける。

 傷は浅いが、腱だ。男は思わず脚を庇い、また痛みにうずくまる。

 産み出された時間で、ニーナやフェミはさらに進んだ。


「待てこのっ!」


 かろうじで意識を保っていた男一人が手を伸ばし、追いすがろうと駆け出す。


「『草花よ、繋ぎ遊べ』」

「おわっ!」


 飛びながらララが歌うようにつぶやけば、付近の草がひとりでにより集まり紡がれ、足を引っ掻ける草結びの罠と化す。

 それがいくつも作られ、追いすがろうとした男を勢いよく転倒させた。


「う、きついの……」

「あなたもっ!?」


 こちらもへろへろと飛ぶ速度を落としたララを、ニーナは引き寄せ胸に抱え込んで走る。


「二人とも走れ! 逃げるぞ!」


 ルルが少しだけ血のついた果物ナイフを払い、鞘に仕舞い、そのまま先導する。

 羽をはためかせて飛ぶ背中を追い、力尽きた妖精を抱えてニーナとフェミは走った。


「待てこら!」

「てめぇらただで済むと思うなよ!」

「売り飛ばしてやらぁ!」


 立ち直り、また傷が浅い男たちが怒声を上げて追いすがる。


「ど、どうしよう?!」

「とにかく走って! 撒くよ!」

「先導するからついてきて!」


 ルルが飛び、ニーナとフェミが追う。それを追跡して男たちが走る。

 自然公園を抜けて市街地へ。さらに入り組んだ路地を走り抜け、軒先をくぐる。


「ねぇ、妖精さん! 行き先は?!」

「決めてない! ここを右!」

「道を覚えてないの?!」

「撒くのが先だ! そこを左!」

「飛び上がって上から見たら?!」

「そうしたら君たちを見失う!」

「救済院へ戻ろうよ!」

「道が分からない! 狭い道に行かないと追いつかれる! そこ潜って!」


 素早く道を見極めて判断するルルの先導は無作為だったが、的確であった。

 空を飛んで逃げられる妖精と違い、大人と子供では走る歩幅が違うし体力的にも地力が違う。また一度転びでもしたらすぐに追いつかれるだろう。

 大きな通りや直線を走れば速度で追いつかれる可能性もある。そして、道行く人が必ずしも善人とは限らない。


 かつてアーロに散々脅かされたためだろうか、妖精たちは知らない人は怖いものだと捉えているようだ。

 故にルルは細い道を選んで入り、狭いところを見つけては抜け、とにかく男たちを引き離すことに専念しているのだろう。


「おらぁ!」

「逃げられると思うなよ!」

「ぶっ殺すぞ!」


 だが、男たちもしつこい。

 頭に血が上っているのか、怒鳴り声を上げて無理矢理狭い道を通り追ってくるのだ。

 捕まったら間違いなくただでは済まないだろう。そして最初に引き離した距離は、徐々に縮まっている。

 このままでは逃げられない。フェミはそう判断した。


「誰か! 助けてください! 追われてるんです!」


 走りながら大声を張り上げるが、裏路地や狭い道を行き交う人は少なく、家々の主たちは追いすがる男たちを見て窓を閉め扉を閉ざした。

 なんて冷たい人たち! と憤慨するフェミだが、手の内に抱いたリリが不安げに見上げるため、無理をして優しく微笑む。


「なんで助けてくれないの……?」

「なんでかな? なんでだろ……」


 フェミの片眼の視界がまたじわりと滲み、慌てて腕で涙を拭う。いまは逃走中だ。うずくまって泣いている暇はない。


「泣くな! 走って!」

「フェミ! 頑張って!」

「分かってるよ!」


 脚を止めるなと叱咤するルル、ララを抱いて心配そうに激励するニーナ。先を行く者たちが振り向いて声をかける。それにやけくそ気味に答え、フェミは走った。


 そこに、パチンという軽い音が響く。


「おい、うるさい小娘ども。助けが必要か?」

「えっ?」


 突然、並走した男にそう話しかけられ、フェミは呆けたように声を上げる。

 薄汚いローブを纏った痩せ気味の青年だ。フードは被っておらずくすんだ黒髪に、無精髭がむさ苦しい。

 しかし裾の長い服装に脚を取られることもなく、いまもすいすいと走っている。いつの間に近づいてきたのか。気配も無く不思議と足音も聞こえなかった。


「助けが必要か? と聞いている」

「あ、は、はい!」


 ややきつめに声をかけられ、思わずフェミは肯定してしまう。

 この男が何者かは分からなかったが、助けだ。見ぬふりをして扉を閉ざす者よりもよっぽどいい。身なりは悪いが不思議と恐ろしくはない。フェミはそう感じた。


「ふっ。いいだろう。次の角を右へ曲がれ、木箱が積んである物陰に隠れろ」

「え、あ、はい! あなたは! いい人ですか?!」


 悪い人ではないのか、捕まえたり危害を加えるつもりが無いのか、本当はそう聞きたかったが、さすがに失礼だろうとフェミは無難な問いかけを選んだ。

 だがローブの男は鼻を鳴らし、眼を細めた。笑った、のだろうか。


「ふん。ただの通りすがりだ。小娘どもが。さっさと行け」

「わ、わかりました! ニーナ、妖精さん! 次の角を右へ!」

「分かった!」

「フェミ?! いいの?」

「いいから! 木箱の陰に隠れて!」


 指示に従い、逃げる一行は角を右へ。そして言葉通りに雑多に積んである樽や木箱の陰に身を隠す。

 長らく走ったせいで呼吸は荒く、ぜいぜいと喘いで息を整える。

 追走したローブの男は木箱の前で立ち止まり振り返ると、息を吸って、吐いた。その指先がきらりと光り、男は指をパチンと鳴らす。


「小娘ども。声を出すなよ。じっとしてろ」


 男の指図に頷き、木箱の陰で荒い息を潜める少女たちはパチンパチンと連続して鳴らされる指音に紛れるように口を押さえる。

 やがて、風体のよくない男たちがどかどかと足音を立ててやってきて、ローブの男の前で辺りを見回した。


「くそっ! どこだ!」

「見失ったか?」

「おい! あそこだ!」


 なにやら怒鳴り合い、さらに通りの向こうを指差した風体のよくない男たちはそのまま走り去って行った。

 辺りが嘘のように静まり返るなか、荒い息を整える少女たち。

 やがてパチンパチンと男の鳴らす指の音が、止んだ。


「ふん……。間抜けどもが」


 吐き捨てるように言い放ったローブの男は振り返り、もういいぞ、と声をかける。

 ほっと安堵の息を吐く少女たち。追われることも恐ろしかったし、捕まればどうなっていたことか。


「やったお。さすがだお」

「わっ!」


 だが、少女たちは急に背後からぬっと出てきた男の声に驚いて振り返る。木箱や樽が雑多に置かれた場所の陰。先程までは何もいなかったはずだ。

 そこに突如として、小太りの男が現れていた。

 同じく薄汚いローブを纏い、小太りなせいかぜい肉で服が張っている。こちらの男もくすんだ黒髪だ。


「ふっ。この程度、当然だ」

「めっちゃ誇らしげに言っても説得力ないお」

「あ、あの! ありがとうございました!」

「助けてくれてありがとう!」


 親しげに言葉を交わす薄汚いローブ姿の男二人に対してニーナもフェミも、まずは礼を言った。人に助けてもらったらありがとう、だ。


「……ふん」

「これくらい当然だお! 妖精たんの危機を救うのは僕らの使命だお!」

「一緒にするな! 俺はちんちくりんの小娘やガキに興味はないっ!」

「またまたぁ。追われてる妖精たんとおまけを見つけて、真っ先に助けようとしてたお」

「う、うるさい! 今は慈善活動期間だ!」

「ふひひっ。そういうことにしておくお」


 なにやら、掛け合いを始めるローブ姿の男二人。

 キザで冷静を装うがなりきれていないのが無精髭の男。

 それをからかって吹き出して笑うのが小太りの男だ。


「あ、あの。仲良しなんですね?」

「……そう見えるか?」

「……そう見えるかお?」


 ほぼ同時に首を傾げた二人の男の様子が可笑しく思え、フェミは笑った。


「うん。すごく!」


 怖い男たちに追われた事での震えは、もう消えていた。



 ◆◆◆◆◆



 薄汚いローブに無精髭の男は【幻術師】のクリック。

 同じく薄汚いローブに小太りの男も【幻術師】のブラウズと名乗った。


 【幻術師】とは、その名の通り幻を扱う魔術師である。

 火力が本分の焔術師えんじゅつしや癒しの奇跡を使う治療術師と比べ、幻による撹乱や偽装を得意とするわりと珍しいタイプの術師である。

 幻は嘘や偽証の類とも取られ、教会関係者や一般市民からの受けは良くない。というか悪い。一族に【幻術師】がいれば疎まれ、酷ければ石を投げられるほどである。

 だが幻術師たちの弁によれば『虚を真に見せる術』『かけられる本人にとって見聞きし感じるものは真実である』『神が与えし人の心を試すもの』とのことだ。

 迫害される環境からか、幻を扱う性根からか、ひねくれ者が多いのも特徴である。


「魔術師さんですか。はじめて会いました」

「確かに。周りにはいないよね」

「そうか?」

「みんな言わないだけで、結構いるもんだお」


 あまり見なりの良くない男二人にも、ニーナとフェミは持ち前の明るさですぐに馴染んだ。


 聞けば隠すことでもないのか、男二人は自らの得意な術について歩きがてら話していた。


 【幻術師】のクリックは主に音の反響を操る術師で、指から発した音を反響させることで他の音を打ち消したり、音同士を合わせて遠くに飛ばすことなども可能らしい。

 そして【幻術師】のブラウズが得意とするのは、蜃気楼を操り本来とは全く違う景色を映し出す、幻影のようなものだ。

 先ほどは追われる少女と妖精を物陰に隠し、クリックが音を操り呼気や衣擦れの音を消し、ブラウズが偽りの壁を投影し、あたかもそこに壁があり人がいないような幻を作り出したのだ。

 そして遠くに逃げる少女と妖精たちの幻影を生み出し、追う男たちを見事に誘導したのだ。二人の息の合った合わせ技である。

 有るものを無くし、無いものを現す、それが幻術師なのだ。


「目立つ妖精を連れて小娘が家出か。関心せんな」

「こんな可愛い子達だから、親は心配してるお。すぐに帰るといいお」


 風体ガラの良くない男たちから助けられた後、追われていた事情を話せば、教会まで送っていくとクリックは渋々、ブラウズは嬉々として提案した。

 そんなわけで少女二人と妖精三匹、薄汚いローブ姿の男二人という奇妙な一行は、陽が傾きつつある街中をてくてくと歩いていた。

 追われて走ったおかげで救済院のある区画からはかなり遠ざかったため、市街地を横切って移動しなければならないのだ。


「ねぇねぇ!」

「髭のお兄さん!」

「パチンってやつやって見せてよ!」


 歩くとなると静かにしていられないのが妖精たちだ。

 リリとララは自然公園で風体のよくない男たちから逃げる際に妖精としての力を使い力尽きていたが、少し休めば元気を取り戻していた。

 本人たち曰く、急に力を使ったのでくらくらした。らしい。

 普段から神秘の薄い世界で生活しており、さらに身に蓄えた力を消費したことで起きた貧血のようなものである。


「ん、これか。珍しくもないだろうに」


 乞われてクリックは、パチンパチンと両の指を連続で鳴らしてみせた。

 俗に言う指パッチン(フィンガースナップ)である。


「おぉっ! 音が鳴る!」

「すごいの!」

「不思議だな!」

「ふん……。おかしなやつらだ」


 指を鳴らして音が出る。そんなことでさえ妖精たちには珍しいらしい。

 すごいすごいと褒められ、おかしなやつらと言いつつもまんざらでもなさそうに頬をひくつかせるクリック。


「おぉぉぉっ! 妖精たん! やっぱ可愛いお!」


 さらに喜ぶ妖精を見て、たまらんと言う風に息を荒げて身をくねらせるのは小太りの男、ブラウズである。

 聞けば彼は元々重度の妖精愛好家フェアリーマニアで、少し前にアガラニアへやってきた森林世界の友好使節団と一悶着を起こしたらしい。

 その騒ぎには友人でもある熱心なエルフ信奉者(エルフィニアン)だというクリックも同様に参加した。


 本人たちによると、初めて見たエルフに興奮した。初めて見た妖精に衝動が抑えきれなくなった。今は反省している。とのことだ。

 ついつい周りの人々を煽動し、公務を妨害した二人は厳重に罰を受け、現在も罪を償いつつ生活を送っているのだという。


「毎日毎日、市街の見廻りや清掃活動。そして仕事の帰り道にこんな子守りだ。なのに一銭の足しにもならん。厄日だな」

「まぁまぁ。こう言ってるけど根は良い奴なんだお。ちょっと気が強くて恥ずかしがり屋なだけだお」

「うるさい!」


 人が嫌がる仕事を進んで受け持つ事、さらに溝掃除や市街のゴミ捨てなどを行う慈善活動や奉仕活動も罪を償う改正プログラムに含まれており、追われる少女を助けたのもその一環らしい。

 慈善活動を行い申告すればその分罪が軽くなる。嘘を言わないアガレアの民だからこそ取られる自己申告制の素行改善方式である。ごくたまに嘘を見抜く力を持った者が審議することもあるが。


「ブラウズさん、妖精愛好家フェアリーマニアなのに普通ですね?」

「そう言われれば。もっと怖い人たちって聞いてます」

「あぁ。他の奴は狂ってるくらいに妖精が好きだお。僕も前はそうだったお」


 だけど、とブラウズは遠い眼をして虚空を見つめた。


「でも、僕は気がついてしまったんだお……。本当に妖精が好きなんじゃなくて、小さな女の子が元気にしてる姿を見るのが好きなんだって。自分の失われた青春期を取り戻そうと夢を見ていただけなんだお……」


 ふひ、と悲しげに笑い、ブラウズは眼を伏せた。

 しょんぼりと下げられたその肩をクリックはばしばしと叩く。


「公務執行妨害で捕まって事情聴取……拘留を受けたときに懺悔や自問自答の機会があったんだ。そこで悟ったらしい。そっとしていてやれ」

「ふん。クリックだって本当はエルフが好きなんじゃなくて、凛々しくて優しいお姉さんによしよし甘やかされたい願望があるって気がついたって言ってたお」

「黙れこの豚が!」

「失礼な! 僕はぽっちゃりだお!」

「……! 馬鹿な! 嘘ではないだと!」

「ふひひっ! 信じればまことだお!」

「そんなわけがあるか! この小太りの少女性愛者チャイルドラヴァーめ!」

「陰険な姉庇護願望者スイートドリーマーに言われたくないお!」


 男二人が罵り合うのは隠語スラングだ。もともと後ろ暗い地下組織に属していた二人は、自然とそういった語句が出てくるのである。 


「あはは! おもしろーい!」

「楽しい人たちなの!」

「仲がいいんだな!」


 歩きながら器用に取っ組み合いを始めるクリックとブラウズを見て、妖精たちはけらけらと笑う。ニーナやフェミも同様だ。

 朝から家出について悩み、先程までは追われて震えていたことなどすっかり忘れて、穏やかに散歩をしている気分であった。


「いたぞ!」


 だが、楽しげな雰囲気をぶち壊す声が市街地に響き渡る。

 あまり風体ガラのよくない青年が一人、ニーナやフェミ、妖精を指差して叫んだのだ。

 その声に呼応し、路地や通りからどやどやと複数人の男や女が駆け出してくる。擦りきれた服や鎧を着た、身なりがよろしいとは言えない者たち。

 腰に剣やナイフを下げる者、斧や槍を担いだ者、その他男も女もみな武装し、剣呑な雰囲気を纏わせている。


「他の奴に知らせろ! 人を集めろよ!」

「おとなしくしな!」

「少女と妖精を引き渡してもらおう!」


 集団は口々に叫び、あっという間に道が塞がれる。

 口ぶりから察するにニーナとフェミ、妖精たちに用があるらしい。


「知り合いか? 小娘」

「いえ……知らない人たちです」


 クリックが問うが、フェミは首を振って否定する。男も女も若い者が多いが、見回しても知った顔はいなかった。

 そして彼女らはそもそも、孤児院以外の知り合いは数少ない。


「さっきのやつらの仲間かお?」

「そうかも……。風体ガラ悪いし」

「うそぉ!」

「たくさんいるの……!」

「道も塞がれた。まずいぞ」


 そうして話す間にも集団はどんどんと数を増していく。前も横も後ろも道は塞がれ、さらに家々の屋根に登り此方を見据える者まで現れた。

 その数、三十人か、四十人か。あっという間に取り囲まれてしまった。男二人と少女二人、妖精三匹が無理矢理突破することは難しい程の集団である。


「抵抗はするな! 怪我したくないだろ?」

「少女と妖精を置いてとっとと失せな!」

「馬鹿な事は考えるなよ!」


 集団からあまり友好的でない指示が飛ぶ。

 それを聞きクリックはにやりと薄く笑った。表情筋の働きが鈍いのか、にこりとする笑みとは真逆のひきつった笑みだ。

 そして彼は一歩、前に出る。


「俺たちが失せたらこいつらをどうするつもりだ?」

「もちろん保護だ!」

「どっちも雇い主に引き渡す!」

「そうすりゃ多額の報酬だ!」

「邪魔するんじゃねぇ! 小汚いおっさんがよ!」


 身なりの悪さではどっこいどっこいだが、集団は好き勝手に罵り、はやく失せろと脅しをかける。

 それにも激昂することもなく、クリックは振り返り顎をしゃくった。


「おい、あの薄汚い連中には『雇い主』がいて、この小娘たちを『保護』して引き渡せば多額の報酬をくれるらしい。ブラウズ、俺たちも乗るか?」

「え!」

「冗談でしょ! おじさん!」


 まさかの提案にニーナもフェミも驚いて声をあげる。

 素性の知れない、と言ってもクリックもブラウズも似たようなものだが、それでも助けた実績のある者と乱暴者のような集団、さらには背後に少女と妖精を求める何らかの雇い主がいる者たちのどちらと一緒にいたいか、と言われれば、間違いなく前者だろう。


「ねぇねぇ、助けてくれるんでしょ?」

「お願いなの! きっとひどいことされるの!」

「やっつけて突破しよう!」

「ふひひ! 妖精たんの頼みとあらば、受けないわけにはいかないお」


 幸いにもブラウズはふんと鼻息荒く、やる気だ。

 元妖精愛好家(フェアリーマニア)と自覚したのだが、少女然とした妖精たちから涙ながらに頼まれれば彼に断る選択肢はない。

 妖精たちを守るように背に庇い、ブラウズはクリックに並び立つ。


「クリック。お前は敵に回ってもいいお」

「ふん。言ってみただけだ。これも慈善活動だな?」

「モチのロンだお」


 薄く笑い身構えるクリック。

 手足をぷらぷらと振るい柔軟を始めるブラウズ。

 そんな二人の様子に抵抗の意図を読み取ったのだろうか、集団は剣呑な雰囲気を増し、幾人かは己の武器に手をかける。


「へぇ。抵抗するか」

「おもしれぇ。そうじゃなきゃ」

「やんのかコラ」


 殺すつもりはないのだろう。鞘のまま剣を持ち、槍の穂先を返し石突きを構え、拳をパキポキと鳴らす集団。その眼はどこか楽しそうにぎらついていた。やはり、暴力に慣れ親しんだ者たちだ。


「おじさん……」

「助けてくれるの?」

「慈善活動のため。今回だけだ。それに俺はまだ二十八歳。お兄さんと呼べ」


 不安そうに見やるニーナ、震える体を腕で抑えながら問うフェミに、クリックは指をパチリと鳴らして答えた。その頬がひくひくと吊り上げられる。笑った、のだろう。

 そしてクリックとブラウズ。【幻術師】の二人は周囲を囲む集団に向かい、揃って中指を立てた。


「尻尾を巻いて消え失せろ。金に汚い糞野郎プロンカーども」

「君たちには可憐な少女を渡さないお。帰ってママに慰めてもらうといいお」


 男二人は啖呵を切ると首を巡らせ、集団へ告げる。


「安心しろ。殺しはせん!」

「ぼっこぼこにされたい奴からかかってくるお!」


 そして無精髭のローブの男。クリックの指先がきらりと光り、パチンパチンと幾度も打ち鳴らされる。


「そらっ! 退け!」


 そして締めとばかりに両手指をパチンと打ち合わせれば破裂するような音が鳴り、道を塞いでいた集団が薙ぎ倒された。

 衝撃波ソニックブーム

 音を操る【幻術師】であるクリックが、自らの発した音、振動を操り幾度も反響させ、一気に加速して撃ち出したのだ。


 矢のように指向性を持って放たれた衝撃波は、固まっていた男たちを弾き飛ばし囲みに穴を開ける。

 だがそれは、囲む者たちの一角だけだ。横や背後から多数の者が武器を手に包囲を縮める。


「ふひひっ! 集団戦は得意だお!」


 ブラウズも同じく手を叩けば、その姿がぶれ、小太りの男が二人に増えた。


「ふひひっ!」

「ふひひひっ!」


 否、二人だけではない。

 四人、八人、十六人、小太りの男はまばたきの度に増えていく。

 さらに背後ではクリックがパチパチと指を絶え間なく鳴らす。


「ふいっひひ!」

「ふひー!」

「ふひひひ!」


 どんどんと数は増え、三十二人。小太りの男がその数だ。正直、正視に耐えぬ光景である。

 分裂したそれぞれが気持ちの悪い声を上げながら、一斉に同じ姿勢を取り、一斉に笑った。


「もとが多勢に無勢だお。こっちが増えても文句はなしだお?」

「ふひー!」

「ふひひひっ!」


 小太り軍団は口々に気持ちの悪い叫び声を上げながら、包囲する集団へ突撃した。


「うわきめぇ!」

「来るなおっさん!」

「ぎゃあ!」


 分裂したブラウズたちは見かけによらず素早く、あっという間に肉薄しては顔を近づけ、また人の間をすり抜け、拳を振るった。

 だがブラウズの振るう拳は当たっても何事もなく、殴られると身構えた側は眼をぱちくりとさせる。


「こいつ、実体じゃないぞ!」

「こけおどしかよ!」


 迫る小太りの男は気持ち悪いが驚異ではないと判断し、途端に無視して包囲を狭める集団。

 だが。


「よそ見してていいんだお?」


 ゴツ、という音が響き、一人の男が膝から崩れ落ちる。

 光の屈折を誤魔化す蜃気楼の魔術を駆使した多数の幻。それに紛れた本物のブラウズが無防備な男に強烈な拳打を見舞ったのだ。

 一瞬で意識を刈り取られ、膝から崩れ落ちる男。それを足蹴にしてブラウズはふひひと笑った。

 再度衝撃波を放ち、集団を弾き飛ばしたクリックも追笑する。


「さぁ、どれが本物か見抜けるかお?」

「後ろか、前か? お前の横のやつは本当に味方か?」


 ふひひ!

 ふひひ、ふひひひ。

 ふひー!


 ブラウズの幻影にクリックの操る音が乗り、不気味に笑う小太りの男たちが辺りを駆け出す。

 さらにブラウズがパンと手を打ち鳴らせば、囲う集団の男や女そっくりの幻影が次々と生み出された。

 ある者は襲い来る幻影に怒りを露にして殴りかかり、ある者は怯えて距離を取り、中にはめったやたらに武器を振り回して同士討ちを始める者まで現れる、と阿鼻叫喚の様相である。


 いつしか集団は包囲を狭めることを止め、近しい者と背中を守りつつ幻影の襲撃に備え、動きが止まったところを衝撃波によって弾き飛ばされていた。

 右も左も敵か味方か、本物か幻かが分からない疑心暗鬼に陥っているのだ。


 少数対多数の状況を利用し、撹乱によって痛手を与えるのが【幻術師】の本分である。

 対人、特に集団戦闘に効果的な戦い方であり、相手の隙を突き、愚直で正直な人ほど見抜けない。このあたりが【幻術師】が嫌われる要因の一つでもある。


「すごい……」

「おじさんたち、強いじゃん!」

「あの音のやつ、私にもできるかな?」

「太いお兄さんがいっぱいなの!」

「頑張れー!」


 たった二人で三十人を越える集団を翻弄する姿に、ニーナもフェミも、妖精たちも感嘆の声を上げる。

 先程までの囲まれて絶望的だった状況が、一瞬で覆っている。


「──! クリック! なにか飛んでくるお!」

「む、任せろ!」


 しかし。

 クリックとブラウズ。【幻術師】の二人が作り出すのは所詮、幻。

 より強い輝きにはかき消されるのだ。


 辺りを包囲する者たちとは別の集団が通りの先から現れた。

   その先頭を走る男から陽光に煌めく何かが射出されたことを見て、ブラウズは警告を発する。

 クリックはそれを受けて即座に両手の指を向け連続で鳴らし、小さな衝撃波で飛来する何かを撃ち落とそうとした。

 だが。


「くっ、数が多すぎる!」


 飛来する金属片のような何か。小さなその数は十や二十ではきかず、さらに撃ち落とされた物も再び浮き襲い来る。

 クリックの鳴らせる指、操れる音にも限界はある。それを越えた途端、飛来する金属片はクリックの胴体にぶち当たった。


「がっ!」

「ぶふっ!」


 一度堪えきれなくなれば、それまでだ。

 次々と襲い来る金属片はクリックとブラウズの体にぶつかり、さらに鋭利な破片はローブに突き刺さりその身を地面に縫い付けた。

 痛みにより集中が乱れ、ブラウズの生み出した幻は消え去る。驚異がなくなった集団はあっという間に二人を包囲し、押さえつけた。


「この! おとなしくしろ!」

「ぶん殴れ! やっちまいな!」

「好き勝手に暴れてくれたな!」

「寄るなクソっ!」

「いだ、痛いおっ!」


 取り押さえられたクリックとブラウズは、今までのお返しとばかりに何度も何度も殴り蹴られ、痛みに悶えた。


「やめてっ! もうやめてよ!」

「これ以上やったら死んじゃうよ!」

「このお兄さん達は悪いことしてないよっ!」

「酷いことしないでなの!」

「やるなら私たちが相手だ!」


 多勢に無勢、集団リンチの様相を呈しかけたところに、ニーナやフェミは慌てて割って入った。妖精たちもぎゃんぎゃんと喚いて飛び回る。

 薄汚いローブの男二人を庇い立つ少女たち。

 取り押さえようとしていた集団、若い男や女は振り上げた拳を握ったまま、困惑したように互いの顔を見合わせた。


「お、おい。君たち、なぜこいつらを庇う?」

「あたしたちは保護しに来たんだよ?」

「こいつらは危険だ。退くんだ」


 その様子に困惑するのは、少女たちも同様だ。


「保護……。人さらいじゃないの?」

「誰が人さらいだ! 俺たちは冒険者だ!」

「人探しの依頼を受けたんだよ!」

「君たちこそ、こいつらに誘拐されたんじゃないのか?」

「誘拐? 何言ってるの?」


 冒険者を名乗る者たちと、ニーナとフェミ、互いの意見は見事に食い違っていた。

 互いに困惑したところに、先程通りの先から現れた集団が飛び込んでくる。

 先頭を行くのは、首もとに真っ赤なスカーフを巻いた銀髪の青年だ。


「ニーナァ! フェミィ! 無事かっ!」

「あ、アーロ兄さん!」

「アーロさん!」

「ちょ、私たちは?!」

「だから影が薄いの!」

「お兄さんの馬鹿!」


 そう。

 各々武装した集団、冒険者たちを率いて駆け込んで来たのはアマデウス救済院の頼れる兄、新婚ぴちぴちのアーロであった。


「死ねこのクソ誘拐犯が!」

「ぐがぁ!」

「いだいおー!」


 駆け込みがてら、アーロは倒れ伏すクリックとブラウズの腹に渾身の蹴りをぶちこんだ。



 ◆◆◆◆◆



「いやぁ。まさか勘違いだとはな。すまん!」

「勘違いで済むか!」

「僕ら重症だったお! 慰謝料を請求するお!」

「お前らも冒険者ボコっただろ!」

「あれは正当防衛だろう!」

「怪しい身なりで怪しい事言う方が悪いお!」


 あの後、事態はひとまず決着した。

 半壊している人造闘装[聖鎧布(せいがいふ)]を駆使してクリックとブラウズを無力化したのはアーロの活躍である。彼の号令のもと、集団リンチは無事に回避されたのだ。

 集団乱闘を繰り広げて互いに殴られたり蹴られたりした者がいるが、幸いにも冒険者の中に治療術を修めた神官上がりがいたために、皆の怪我はすっかり元通りである。


 お互いに危険な存在ではないと判明したところで通りを占領していた集団は散り、その数を減らしていた。

 今はちょっとした広場に陣取り、アーロはニーナやフェミ、妖精たちと共にローブを纏った男二人と話し込んでいるのだ。


 ニーナやリリたちが描いた当初の思惑通りにアーロが探しにやって来はしたが、その事情はやや想定通りではない。

 まず置き手紙については発見された時、やはり皆首を傾げたらしい。しかし昼飯時に点呼を取りニーナとフェミ、飯時にはいつも一番乗りの妖精たちの姿が無いことが確認され、アーロはルナやシスターと共に【第三十六区教会】の敷地内や周辺を探し回ったのだ。

 それでも見つからない。いたずらの線は消え、少女たちと妖精の家出だと判断された。


 その後、心配だワシも探すと息巻く司祭トマスをどうにかベッドに落ち着かせ、アーロはシスターらと共に置き手紙に従い自然公園へと捜索に向かった。

 敷地内に地下聖堂を有する広い自然公園を探し回るが、一向に少女たちの姿は見当たらない。周囲の人々への聞き込み調査へと方針を変えると、妖精を伴った少女たちが走っていく姿が多方で目撃されていた。

 しかも何やら風体ガラのよくない男たちに追われていたということで、妖精を捕まえようとした不心得者、人さらいに狙われていると断定されたのだ。


 ニーナとフェミ、リリ、ララ、ルルが人さらいに追われている。もしかすると誘拐されたかもしれない。


 そう判断したアーロはいの一番に冒険者組合へと駆け込んだ。

 久しぶりですね、などと軽く挨拶をする受付嬢に事情を説明して焚き付け、早急に人探しの依頼を作成し高額の報酬を付与した。


 事態は家出少女の捜索から、誘拐犯の捜索と人命救助へと変わったのだ。


 人探しにしては高額な依頼報酬、さらには悪辣なる者たちから無垢な少女を助けよという依頼に、暇をしていた冒険者たちはこぞって名乗りを上げた。

 また中にはアーロの知り合いや、世話になった冒険者仲間もいた。さらにその者たちの呼びかけにより人数はどんどんと増え、結果百人を超える冒険者が捜索隊を結成したらしい。

 危険だからと教会へ返したシスターから運ばれた人造闘装[聖鎧布(せいがいふ)]を受け取り装着したアーロは、冒険者たちをいくつかのチームに分け、街中の探索を開始した。


 そして捜索の末、薄汚いローブを纏った男たちと歩く少女と妖精たちが発見されたのだ。

 やや情報の行き違いから乱闘が発生しはしたが、無事に少女らと妖精たちは保護されたのである。


「あんたたちが保護してくれてた側とはな」

「すまなかったね」

「身なりも人相も悪いから、てっきり誘拐犯かと」


 そう言って冒険者たちは頭を下げた。

 身内をぼこぼこにされた者もいるが、おあいこだとしてさっぱりと水に流す。

 こうした細かいことは気にしないのが冒険者の良いところである。


「ふん……次から気をつけろ」

「反省してるならいいお。僕らもごめんなさいだお」


 クリックもブラウズも、ひらひらと手を振って流した。

 身なりも人相もあまり良くないというのは自覚しており、また疎まれがちな【幻術師】はちょっとした荒事もしょっちゅうである。

 今回は結果的に怪我も無く済んだ。それに少女たちが無事に保護されたならいいではないか、という広い心で許したのだ。


「手違いについてはすまなかった。それとあいつらを助けてくれたそうだな。ありがとう」


 アーロも詫び、また追われる少女たちを助けてくれたという話を聞き礼を述べた。

 ニーナやフェミからは既に事のあらましを聞き、あの人たちは悪い人じゃないと散々言われているのだ。

 眼にした当初は誘拐犯として嬲り殺すか一瞬で殺すか迷い、まずは無力化したのだが、殺さなくて良かった。と彼は安堵していた。


「小娘の保護も慈善活動だ。きっちり減刑してもらうぞ」

「ああ。それについては証言しよう。何かあったら【第三十六区教会】へ遣いを寄越してくれ」

「ふん……。ならばいい」


 聞けばクリックとブラウズ、二人は何やら過去に罪を犯し償っている最中だという。

 慈善活動の一環として迷子の保護はそれほど点数の高いものではないが、きちんと評価され減刑に繋がる。証言が求められれば必ず応じるとアーロは約束した。

 その後は事の詳細を説明し、捜索の依頼料からいくらか報酬を渡すことも約束し、一旦は話がまとまった。

 また冒険者たちも、今回は皆に参加報酬を支払い、発見したチームに達成報酬を出すということで話はまとまり解散となった。


「アーロ兄さん……」

「……お話しは終わった?」


 相談が終わった頃を見計らい、家出少女たちはアーロへと話しかける。

 アーロは思わずクリックとブラウズを見るが、二人は眼を瞑り指で耳を塞ぐ身振り(ジェスチャー)をしつつ距離を離して座り込んだ。

 気にするなと伝えつつ、すぐには動きたくなく、休憩したいのだろう。


「ニーナ。フェミ。まずは無事でよかった。だが、家出なんて考えるものじゃない」

「……あの。アーロ兄さん。ごめん」

「……ごめんなさい」


 少女二人はしょんぼりとうな垂れ、消え入りそうな声で謝った。

 いらぬ心配をかけたこと、そして危ないことをしたということを自覚していたのだ。

 事実、クリックとブラウズがいなければ人さらいに捕まって売られるか、ひどい目にあっていただろう。

 アーロは二人の小さな頭を優しく撫でた。救済院で教育している通り、まず先に謝罪をしたことは褒められるべきである。


「リリ。ララ。ルル。お前らも何か言うことはあるか?」

「お兄さん、あのねあのね!」

「これには深ぁい訳があるの!」

「最初はこんな予定じゃなかったんだ!」


 何やら言い訳しようとする妖精たちを引き寄せ、アーロは軽く頭を突っついた。


「あだっ」

「うぅ」

「いたい」

「あほう。心配かけやがって。妖精は珍しいから狙われるって教えてただろ」

「……はい」

「……ごめん」

「……なさい」

「そうだ。まずはごめんなさいだ。よくできたな」


 頭を押さえつつしょげかえる妖精たちを肩に乗せ、アーロはやっと笑う。

 二人と三匹、家出少女達が反省していることは分かってはいたが、それを口に出すことを待っていたのだ。


「さ、帰ろうぜ。皆が心配してる。詳しい話は救済院で聞こう」


 めそめそと泣く妖精たちを両肩に乗せたアーロは、ニーナとフェミの頭にポンと手を置き帰宅を提案する。

 少女たちが家出したことも何やら事情があるのだろうと察し、ちゃんと話を聞くぞという意思を伝えたのだ。


「……やだ」

「ニーナ?」


 だが帰宅に対して拒否を示したのはニーナだ。

 その横のフェミは本気かこいつ、という信じられない者を見る眼をし、さらに額に手を当てた。

 涙をいっぱいに溜めたニーナの眼が、完全に据わっていたからだ。


「私、アーロ兄さんに言いたいことがあるの! だから家出したの!」

「俺にか。ここじゃなきゃ、だめか?」

「だめだよ! 救済院じゃだめ!」


 いやいやとかぶりを振り、詰め寄るニーナ。いったい何事かと身構えるアーロ。

 そしてニーナは心を奮い立たせ、自らの想いを精一杯伝えようと口を開く。


「私、わたし──!」


 その瞬間、パチンという指の鳴る音が響き、アーロとニーナの世界から周囲の音が消えた。

 さらにパンという手を打ち鳴らす音が響き、周囲の人影も、フェミも、肩に乗る妖精たちもその姿がかき消える。


 否。消えたわけではない。

 どこぞの【幻術師】が気を利かせ、音を遮断し邪魔者の姿を隠したのだ。


 しかし今この瞬間。当人たちにとっては世界に二人きり。何かを告白するには絶好の機会であった。


「───。───────────! ────────────!」

「───。─────。───!」


 しばらくして、幻術は解かれる。

 そこにはえぐえぐと涙を流すニーナと、肩を抱くアーロの姿があった。

 二人が何を話したのかは、当人たち以外は誰も知らない。



 ◆◆◆◆◆



 結局、家出少女たちがアマデウス救済院へ戻ったのは、安息の鐘が鳴らされる夜のことである。

 まず救済院を勝手に抜け出したフェミとニーナは、司祭トマスにこっぴどく叱られてお説教を食らった。

 最終的には許してもらえたが、しばらくの間はシスターの手伝いとして雑務や掃除に励むことを言いつけられた。

 また妖精たちも監督責任を持つアーロに叱られ、しばらくの間はおやつ抜きという厳しい罰を受けることになった。


 ニーナとフェミ。そしてリリ、ララ、ルルの妖精たち。

 家出少女が巻き起こした一騒動は、怪我人もなく幕を下ろした。




 家出騒動から数日後。フェミが日課であるお祈りを行うために聖堂へと向かうと、見たことのある薄汚れたローブ姿が眼に留まった。


「おじさんたちじゃん。こんなところで何してるの?」

「……ん。小娘か。俺は二十八歳だ。お兄さんと呼べ」

「あ、この前の眼帯っ子ちゃんじゃないかお。奇遇だお」


 朝から聖堂でせっせと掃除に励むのは、つい先日知り合いになった幻術師、クリックとブラウズであった。

 フェミが話しかければ少しだけ驚いたような顔をして、すぐに掃除の手を動かす。


「今日の奉仕活動は、教会の掃除の手伝いだ」

「しばらく前に椅子とか机を派手にぶち壊したとかで、埃が舞い上がったみたいだお」

「あはは……。知ってる」


 二人は今日も罪を償うために奉仕活動に取り組んでいるのだという。不思議な縁か、この【第三十六区教会】の掃除を担当することになったのだ。


「ところで小娘」

「フェミだよ。髭のお兄さん」

「……ところでフェミちゃん」

「うわ。急に近いね」

「クリックは人との距離感を測るのが苦手なんだお。察してやってほしいお」

「黙れ小太り。それで、フェミちゃん」

「フェミでいいよ。なに?」

「家出したのに、戻ってきてよかったのか?」

「別にいいんだ。ここが嫌いってわけじゃないし」


 家出をしたからには何かしら嫌なことでもあったのだろうとクリックは推測したのだろうが、フェミはそんな事はないとあっさり言ってのけた。


「きっと眼帯ちゃんも妖精たんも、反抗期ってやつだお。難しい年頃なんだお」

「うぅーん。そうかもね」

「……分からん」


 どこか間の抜けたことを言うブラウズに、首を傾げるクリック。


 結局、家出をしてもアーロに想いを伝えることは出来なかった。しかしフェミの心は不思議と落ち着いていた。

 ニーナがあの時何を言って何を言われたのかは分からない。聞こうとも思わなかった。だが、断られたというのは確かだろう。

 それを見てという訳ではないが、なんとなく気持ちの整理がついたのだ。


 ちらりと見やる聖堂の窓から、救済院の庭でアーロと妖精たちが何やら木製の円盤を投げて遊んでいる様子が見て取れた。

 「お兄さんに心配してもらいたくて家出してやった。もっと構え」と堂々とのたまう妖精たちに対して、アーロは時間を見つけては遊んでやるようにしていたのだ。

 フェミとしてはそれでいいのか? と思わなくもないが、まぁ本人たちが楽しんでいるならいいかと納得していた。

 きゃっきゃっと笑い声を上げながら遊ぶ妖精たちとアーロ。その後ろではルナが微笑みながら皆の様子を眺めている。


 お似合いな夫婦。

 教会でも重婚は推奨しているとはいえ、二人の間に新参の自分が入り込む余地は無いのかもしれない。そんなことを思ったのだ。

 家出をしたあの日の夜、ニーナと一緒に夜通し話しながら泣いたことで、気持ちはすっきりとしていた。

 ま、まだ完全に諦めてないけどさ。とフェミは心の中でだけ、つぶやく。


「あーあ。早く大人になりたいな」


 アガラニアでは婚姻が認められるのは、大人として扱われる十六歳からだ。

 それまではいくら好き合う者同士でも結婚することは出来ない。ニーナが断られたのもそういった背景があるのかもと予想していた。

 フェミは十二歳。四年ほど経てばきっと自分も、なかなかの体つきに育っていることだろう。あとは今から頑張って読み書きを覚え、いろんな技術を身に着けてやるのだ。

 逃した獲物は大きかった。別に気持ちを伝えた訳ではないが、いつかそう思われるようにしようとフェミは静かに闘志を燃やしていた。


「ふん。大人はそんなにいいもんじゃないぞ」

「そうだお。ずっと子供の方がいいお」

「お前が言うと邪なことにしか聞こえんな」

「失礼だお。全身全霊本心からの言葉だお」

「邪なことは否定せんのか……」

「いくら【幻術師】でも、嘘はつけないお!」

「はいはい。ちゃんと掃除してってね」


 掃除する手を動かしつついつもの掛け合いを始めるクリックとブラウズにくすりと笑い、フェミは歩き出した。

 これからお祈りをして、聖歌の練習をして、いっぱいお昼ご飯を食べて、とやらなければいけないことが盛りだくさんなのだ。


 開け放たれた窓からは、遊ぶ妖精たちとアーロ、そしてルナを誘って円盤遊びに参加するニーナの姿が見える。

 結婚しても取られたり、いなくなるわけじゃない。そして気持ちが無くなるわけじゃない。

 そのことを再確認し、フェミは聖堂で静かに祈りを捧げた。


 アマデウス救済院の大切なみんなが、いつまでも幸せでありますように。


【幻術師】

 攪乱、偽装などが得意な幻や虚を操る術師の総称。

 神より賜りし力であるが、嘘や偽証を嫌う者たちには受けが悪い。


【アガラニア式犯罪者矯正プログラム】

 殺人や契約違反などの重い罪でない限り、だいたいは執行猶予が与えられる。

 その期間中に奉仕活動や慈善活動を行い、申請することで罪の減刑が行われる。

 自発的に行動させ、労働の尊さや人から感謝されることでの充足感などを経験させる、という素行改善の取り組みで、嘘をつかないことが基本のアガレアの民だからこその自己申告制の矯正プログラムと言える。

 ちなみに点数はよくできましたポイント。一定の点数が溜まる毎に減刑が成される。


登場人物紹介

ニーナ 12歳

 思い切りがよく、行動力のある少女。

 アーロ兄さんに告白しようと自然公園に呼び出す置き手紙(ラブレター)作戦を決行したが、失敗に終わった。

 だが結果的に告白はできた。そして振られた。


フェミ 12歳

 強気だがビビりな眼帯少女。

 わりと無茶をするニーナの補佐を務める副官タイプになった。

 気持ちは伝えられなかったが整理はついて、未来のいい女になることを誓う。

 斥候スキル ランクC


クリック・リッカー 28歳

 薄汚いローブと無精ひげがトレードマークの幻術師。

 本人が言うには【音響術師】である。

 エルフ信奉者(エルフィニアン)から姉庇護願望者スイートドリーマー(姉ショタ好き)にクラスチェンジ。

 クールでニヒルを目指しているが、いまいちなりきれていない残念青年。

 好きな食べ物はクッキー。


ブラウズ・ウェブラル 28歳

 薄汚いローブと小太りな体がトレードマークの幻術師。

 本人が言うには【幻影術師】である。

 妖精愛好家フェアリーマニアから少女性愛者チャイルドラヴァー(ロリコン)にクラスチェンジ。

 だがイエスロリータノータッチの紳士である。

 風邪を引きやすい体質。


雑感

 ブックマーク100件突破記念の短編です。

 ニーナとフェミの初恋に一応の決着がつきました。

 そしていつかの魔術師二人が再登場。真面目に奉仕活動をしています。

 自然公園乱闘事件で長耳や妖精たちの声が皆の声援に負けずに聞こえたのはクリックのおかげ。なんとも神々しい姿に見えたのはブラウズのおかげなのです。

 ただ肉弾戦、特に個人戦は得意ではないので二人はあっさり制圧されました。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

200ブックマークや1万アクセスを越えました! ありがとうございます。

これからも更新頑張ります。

小説家になろう 勝手にランキング
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ