夢 あるいは幸せな結末
夢を見ている。
そう感じることが、たまにある。
そして、このまま夢が覚めなければいいのに。と思うこともよくある。
今回もそうだ。
「【夜明けの鐘】に乾杯!」
「一流冒険者【銀星】のセレーナ嬢に乾杯!」
「あーはっはっ! もっと褒め称えなさい!」
ルナは一眼見て、これは夢だと知覚した。
あまりにも、非現実的な光景だったからだ。
しばらく前に行った市街地の喫茶店。その一角を占領して、団体が騒いでいる。あのお店は上品で、決してお酒を飲み干して叫んでいい所じゃないはす。
「飲めやオラァ! ほれぐいっと!」
「ふ、副団長! あっし、もう限界……!」
「おい副団長! グロウズが吐くぞ! やめろ!」
アーロが熊のような大男に対して酒瓶を片手に絡んでおり、鷹のような顔をした男の人がそれを必死で止めている。
お父さんは、あんな風に酒癖が悪くない。はず。お酒を飲んでるところ、見たことないけど。
「ふっふーん! 今日はいくらでも飲めるわ!」
「ですねぇ! めでたいですねぇ!」
そして、姉であるセレーナが椅子に胡座をかいて上機嫌でジョッキを傾けていた。
隣に侍るローブを羽織った能天気そうな少女が調子よく合わせ、空になったジョッキにすかさず酒を注ぐ。
ルナは、姉と酒を飲んだことはない。たまに連れ出されては美味しい食事をご馳走してもらったが、酒はまだ早いと飲ませてくれなかった。
「お姉ちゃん……」
これは夢だ。優しい姉、セレーナはもういない。
最近、アーロから聞いた昔話のおかげで、こうして夢に見たのだろうか。
記憶の中の姉を眼にして、ルナは目尻に涙を溜めた。久しぶりに見る姉。夢とはいえその姿が見れて嬉しいのだ。
「あ、ちょ! ルナ! なに泣いてるのよ!」
「……えぇ?」
しかし驚くべきことに、姉であるセレーナはルナを見て慌てて寄ってきた。
背丈が違うため屈んで眼を覗き込まれ、頭をぐしぐしと乱暴に撫でられる。
「どうしたのよ? 具合悪いの? 無理しちゃだめよ」
「お、おい。ルナ、大丈夫か?」
セレーナが心配そうに顔色を窺えば、熊のような大男を放り出したアーロも慌てて声をかけた。
「アーロ! あんた面倒みてなかったでしょ! 私の可愛い妹を泣かせて!」
「いや、すまん。ルナ、怪我とかしてないよな?」
セレーナとアーロが揃ってルナへ顔を向ける。
その光景を見て、やはり、これは夢だ、とルナは確信する。
喫茶店で叫ぶのは、昔話に聞いた【夜明けの鐘】の面々。そして仲睦まじく話すアーロとセレーナ。
あり得ない光景。いるはずのない人。かけられることのない言葉。そう理解すれば、涙は止めどなくルナの緋色の瞳から溢れ落ちた。
「うっ、うぁぁーん! お姉ちゃぁん!」
ルナは恥も外観もなく、姉に抱きついて泣いた。
たまにしか会えず、大きくなってからは触れあった時間も少ない。しかし小さい頃はいつだって一緒に居て、夜は眠りに落ちるまで頭を撫でてくれた。大切な姉。
夢でもいい。ただ触れて、言葉を交わし、甘えたかった。
「ほらほら、ルナ、泣かないの。あ、アーロは減給ね。次に泣かしたらクビ」
「ばっ! おい! 俺は泣かせてないぞ!」
「はい口答えしたからさらに減給~」
「おぉぉい! くそ、ルナからも言ってくれよ、な?」
助けを求められ、ルナはアーロに顔を向ける。しかし視界は滲んでおり、よく見えなかった。
「ひっく、お、お父さんの、ひっぐ、せいじゃ、ない!」
嗚咽を漏らしながら、かろうじでルナはそれだけを発した。
余裕が無いため、つい言いやすいお父さん、という呼称がでてしまう。するとアーロはきょとんと首を傾げ、セレーナは訝しげに眉をひそめる。
「お父さんじゃないだろ?」
「……アーロ、あんた。ルナに何か吹き込んだ?」
「いやいや! 何も! なんだその眼は!」
「べぇっつにぃー? ほら、ルナ、こっち来なさい」
「ひっく、うん」
手を引かれ移動させられるルナ。
セレーナは妹をさりげなく背後に庇い、アーロへ鋭い視線を向ける。
「あんた、私に何か言うことがあるんじゃない?」
「ご、誤解だ」
「ふぅーん。あっそ。アーロ、あんたは副団長から下ろすわ」
「なっ!」
「だってそうじゃない? 今日、こうして! ルナが【夜明けの鐘】に入団するんだから!」
セレーナは心底嬉しそうに声を上げ、いまだぐずるルナを抱き抱えてくるくると回りだした。
「わっ」
「ルナももう十六歳だからね! 冒険者始めるには丁度いい頃合いよ」
「え? 冒険者?」
「そうよ! ルナはアーロの代わりに副団長に任命するわ!」
「ふ、副団長?」
「えぇ。アーロは平団員に降格よ! あー、団の陣形も変えなきゃね。グロウズとガズーとアーロは大盾持ってルナを守ること! リズとルナと私、華麗なる冒険者旅団の結成ね!」
「ぐぼぉ!」
「あぁっ! グロウズが虹を吐いた! 副団長、じゃなくて、アーロ! 拭くものくれ!」
「うぉ! きたねぇ!」
「あははー! 熊さんグロッキー!」
賑やかに楽しげに騒ぐ【夜明けの鐘】の団員たち。
ルナは実際に会ったこともないが、昔話で聞いた光景そのままなのだろう。
「まず必要なのは装備ね。お揃いの鎧にしましょ! あとは天然闘装で一式揃えるわ! ルナが怪我でもしたら大変だからね」
そうしてくるくると回り終え。座らせたルナを構い、嬉しそうにあれこれと世話を焼き出すセレーナ。
天然の闘装かぁ。高そうだなぁ。まぁいいか。夢だし。とルナは一人合点した。
ついでにと手近にあったケーキを頬張る。夢とは思えないほどに甘く、口のなかで溶けていく甘味。
すごい……。とルナは次々とお菓子を口に入れ、ジュースを飲み干した。
「美味しい?」
「とっても!」
「よかったわ! もっと食べなさい! 今日はルナの入団パーティーなんだから!」
「うん! お姉ちゃん。私たちこれから冒険するの?」
「ふふ、もちろんよ! 明日からは私たちの伝説が始まるの!」
「で、伝説……!」
「そう! 秘境を旅して、大海原を渡り、山の頂上に【夜明けの鐘】の旗を立てるの! 誰も見たことのない景色をみんなで見るのよ!」
「うん、うん!」
「冒険に飽きたら秘境を切り開いて村を作りましょ。とっても綺麗な眺めの場所に家を建てて、畑を作って、みんなで生活をするの。アーロは庭の犬小屋に入れておけばいいわ」
「あはは!」
セレーナは矢継ぎ早に野望を語る。
それを聞いてはルナは心を踊らせ、まだ見ぬ冒険に思いを馳せ、涙を流した。
それは叶わぬ願い。眼が覚めれば幻のように消えてしまう夢。
だがそれでも、この時ばかりはルナにとって紛れもない真実であった。
「冒険者かぁ。いいなぁ」
「いいなぁ、じゃなくて、いいのよ! アーロ!」
「待て待て! よし」
セレーナが呼び掛ければ、グロウズを介抱していたアーロが手を拭き、懐から何かを取り出す。
「ほら、ルナのだぞ」
「わたしの……?」
手渡されたそれを、ルナは手にとって眺める。
金属に文字が彫られている白銀の板だ。これまた白銀の鎖が通されており、首を通して提げられるようになっている。
「ルナの冒険者の認識証よ! 無くさないようにね」
「作っておいたんだ。これでルナも冒険者。【夜明けの鐘】の一員だ」
「認識証……」
アーロとセレーナはそう言うが、ルナが手にしたものは違う。
白銀の板に彫られているのは、確かにルナの名前だ。だがそれは冒険者の認識証ではなく、アーロから手渡された結婚の証。結魂証だ。
見れば、隅に夜明けの鐘、と小さく名前が掘ってある。なんだかやっつけ仕事のようだが、夢なのでこんなものだろうとルナは変に納得した。
それを首にかければ、アーロは嬉しそうに笑い、セレーナはそっと目尻を拭った。
「あは、なんか泣けてきちゃった」
「泣くなよ。ルナの祝いの席だぜ」
「いいじゃない! 嬉し涙よ」
「はは。セレーナが泣くとはな。どっちが弱虫だ?」
「う、うるさいわね!」
じゃれるように軽口を叩くアーロとセレーナ。
その首元には鋼鉄の認識証と、鎖に通された白銀の指輪が煌めいていた。
「さぁ! 明日からばりばり依頼をこなすわよ! 実はもう依頼は取ってあるの! ルナの入団後の初仕事だから、景気よく行くわよ!」
「げほげほっ!ぐぇほっ!」
「グロォウズ!」
「やったー! お仕事ですよー!」
「どんな依頼にしたんだ?」
盛り上がっているのか大惨事なのか、とにかく調子よく騒ぐ【夜明けの鐘】の団員たち。
どんな依頼かとアーロが問えば、セレーナは自信満々に懐から取り出した依頼状を机にばんと叩きつけた。
「竜の退治よ!」
「へ?」
ルナは己の耳を疑った。
竜とは、竜だ。危険生物。勇者や伝説の戦士、魔術師が挑むような相手。
だが、それを聞いたアーロは鼻息荒く拳を握り、首をごきりと鳴らす。
「辺境の亜流の退治か。手応えありそうだな」
「げほっ、無事に帰りましょうぞ」
「竜は旨いって噂だぜ。尻尾の肉が特にな」
「楽しみですねぇ! 焼き肉にしましょう!」
アーロだけではない。深酒からなんとか復活した騎士グロウズ、野伏のガズー、魔術師のリズもまた、やる気に満ち溢れていた。
「お、お姉ちゃん? 竜だよ、大丈夫なの?」
「まっかせない。お姉ちゃん、一流冒険者なんだから。竜なんて楽勝よ!」
「そっかぁ……。よかったぁ」
「ルナは心配性ね。んぅ~可愛い!」
「わぁっ!」
頬擦りされ、さらには軽く額に口づけされる。
現実味のある夢だな、と少しだけドキドキしながらルナはされるがままだ。
「お姉ちゃん。楽しそうだね」
そして、ぽつりとつぶやく。
それを耳にしたセレーナは首を傾げてルナを見やる。
「ん? ルナは楽しくないの?」
「楽しいよ? すっごく楽しい。でも、いつかさよならしなきゃだから、悲しい……」
「なーに言ってるのよ」
「わっ」
セレーナは体をぐっと寄せ、肩を回してルナを片手で抱き締める。
そして自らの胸元の白銀の指輪を手に取り、にっ、と笑う。
「私たち、家族じゃない。お別れなんてしないわよ」
「お姉ちゃん……」
「ずっと一緒よ! ルナが嫌だって言っても離れないんだから!」
「そうだ。俺たちは、家族だろ」
アーロもまた首元の白銀の指輪を掲げ、笑う。
それを見て、ルナはぽかんと口を広げ──。
「うん!」
力強く頷いた。
◆◆◆◆◆
人の子よ。これはちょっとしたご褒美じゃ……。
誰かは分からないが、まるで話に聞く母のように優しい声をかけられた気がして、ルナは眼を覚ました。
いままでも何度か意識が覚醒しそうな時があったのだが、もっと夢の世界に浸っていたかったので無理やり二度寝三度寝を重ねていたのだ。
おかげで入団パーティーを終えて亜竜を討伐し、迷宮に潜り秘宝を手にし、ルナが二流冒険者までのし上がるところまで話が進んだ。何故か結魂証が冒険者の認識証として扱われ、二流冒険者の刻印が押されたが、まぁ夢なのでご愛嬌だ。
明け方の時間帯の街には夜明けの鐘が鳴り響いており、それがなければもう少し冒険を続けられていただろう。
惜しかったなぁ……。とルナは本気で悔しがった。
むくりと身を起こし、涙の跡が幾筋も残る眼元を擦る。どうやら、眠りながら泣いていたようだ。
瞼も腫れぼったく、眼を開けるのがまだつらい。ルナは手探りで枕元に置いていた白銀の板を探し当てると、首にかける。
肌に触れる金属板のひんやりとした冷たさが心地よく、徐々に意識が覚醒してきた。
ちゃり、と鎖を鳴らして板を手に取り、眺める。
夢とは違い、二流冒険者の刻印も無ければ【夜明けの鐘】の団名も無い。
ちぇっ、と少しだけ口を尖らせたルナは日課である朝の祈りを捧げる。
そうしているうちに隣で寝ていたアーロが身を起こす。いつもはずぼらな彼がこんなに朝早く起きるとは珍しい。
今日か明日は雨かな、と失礼な事をルナが考えていると、起きたアーロは目頭を押さえてしばらく動かなかった。
やがて顔を上げたとき、その眼は赤く腫れていた。
「おはよう、ルナ」
「おはよ。泣いてるの?」
「……寝起きだからな。涙も出るさ」
「ふぅん……。ねぇ、今日さ、すっごく楽しい夢を見たの!」
「夢?」
「そう! 私が冒険者になった夢! お姉ちゃんもいて! 入団パーティーとか言って賑やかに騒いで!」
「まさか、ルナ……」
「それに、みんなで竜をやっつけたんだよ。たくさん冒険して、楽しかったなぁ。あとはね──」
「──竜を倒したあと、迷宮に潜って大冒険。ルナのピンチにセレーナと俺が駆けつけて危機一髪……か?」
「え!?」
アーロの続けた言葉にルナは眼を丸くして驚いた。
自らが見た夢の内容と同じことを、なぜ知っているのか。
「一緒の夢を見たの? そんなこと、ある?」
「ある。奴め。いまごろご褒美だと……」
どうやらアーロには心当たりがあるらしいが、ルナにとってはとにかく不思議な出来事だ。苦い笑みを浮かべる彼に対して、ルナはこてんと首を傾げる。
嘘のような出来事だが、あの楽しさを誰かと共有できたことが、ただただ嬉しい。上機嫌になり、アーロへと寄り添い体重を預けるルナ。
「ねぇ。冒険者って、楽しいのかな」
「夢があるが、きついぞ。おすすめはしないな」
「ううん。言ってみただけ。その、アーロ……さん」
「ん、どうした?」
ルナは未だ馴れない呼称に少しだけ頬を染め、大切な人に呼び掛ける。まだ気恥ずかしく、上手く呼べないのだ。
対して何でもないように顔を向けるアーロには、なんだか負けた気がして悔しい。
悔しいので、その頬に手を添えて軽く唇を合わせた。
しばし、二人は一つになる。
「……えへへ。おはようのキス……」
「……この。やったな」
「ふふ。やってやったわ」
「なんだよそれ。セレーナの真似か」
「知らなーい」
自分でしたことが恥ずかしくなったルナは、耳まで真っ赤に染めながら起き上がり、アーロの腕を逃れた。
なにせこれから、ルナには仕事が山積みなのだ。
夢の余韻に浸かる暇も、アーロとじゃれついている暇も、残念ながらない。
ベッドから抜け出したルナはカーテンを開け、差し込む朝日に眼を瞬かせる。くるりと振り返れば、まだ眠そうにあくびをしながら体を伸ばすアーロがいる。
二人の首元には、お揃いの白銀の板が揺れている。アーロの首元には、二枚だ。
「今日も、頑張ろうね!」
「あぁ。今日もばりばり働くぞ」
今日もよろしく、と朝の挨拶を交わす二人。
そしてアーロの首もとの白銀の結魂証は、窓から差し込む夜明けの陽光を反射し、きらりきらりと輝いた。
神眼世界編 完
<ルナの冒険。そして幸せな目覚め>イベントが発生しました。
ハーレムルートに入りました。
雑感
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。
神眼世界編が終了です。
やっとこさ嫁を手に入れたアーロ。そして家族になったルナ、セレーナ。
さらっとアーロとルナは同衾して初夜を越えています。
いやいや、もう一人、忘れてませんか? もちろん忘れてませんよ。
ですが、これは神眼世界の物語。続きはまた後ほど。




